Bonne journée, Cross Cultural

いい加減 Irresponsible?

201609-211

Written only in Japanese as “cross-cultural”
どうしてこうもいい加減なのか。隣り合ったエレベーターくらいボタンの配列を揃えてほしい。そう思うのは、日本人だけなのか?あるいは、自分だけなのか。
世界中をこの目で見たわけでもないし、すべてがいい加減に出来ているというわけでもない。自分が見ている世界は、どれほど注意深く見つめようとしてもどこかで客観性を欠いている筈であって、そのある種自分自身でかけた呪縛からは逃れようもない。だから、世界が無神経に準備された乱雑なものから出来ていて、人はその整えようもない世界に苛立っていると考えるのは、いささか傲慢な考え方である。そうであっても、隣り合ったエレベーターのボタンの配列が異なっていることは、どうにも腑に落ちない。
「そのくらい大目に見ろよ」と思うむきもあるだろう。「いや、エレベーター2台に同時に乗らなきゃ問題ないだろう」そう考えるかもしれない。「それともお前はふたつに分裂する癖でもあるのか」と。
実は、この状況は、ホテル住まいなどで短期間いつもと違う場所に生活する時だけ問題となる。そのホテルに滞在して3日が過ぎたあたりからが問題なのだ。

ある朝、いつもようにウォーキングに出て、体を目覚めさせてホテルに戻ってくる。ロビーには並んでふたつの銀色のエレベーター。あなたは「上」のボタンを押してほんの少し周りを伺っている。奥の方からは食器がカチャカチャとぶつかる音とコーヒーの香りが伝わってくる。少しばかり空腹感。すると、不意に右側のエレベーターが空いて、中から誰かが出て来た。「あぁ、おはよう。」そう言いながら、危うくぶつかりそうになったひととすれ違いつつ左上の隅のボタンを押した。エレベーターが動き出す。「お腹空いたな。」と独り言。程なく開いたドアを出て部屋に急ぐ。そして気づくのだ。エレベーターホールの角にある花瓶も花も、かけられた複製の絵も、昨日とどこか違うと。エレベーターを振り返ると、そこには果たしてひとつ上のフロアーの番号。エレベーターの同じ場所のボタンを押したつもりが、違ったのだ。

日本のエレベーターの多くは、縦一列に番号が並んでいる。二列の配列でも縦書きの日本語のように列内で順番に並んでいる。だが、ヨーロッパでは二列で右左と順番に並んでいるものも多い。この配列、実は悪くない。左側の上から2番目のように、なんとなくパターンで位置が頭に入るのである。だからこそ、左右のエレベーターで配列は同じにして欲しいのだ。閉じるボタンはいらない。それよりまずは配列を直して欲しい。でないと不意に違う世界を味わうことになる。

さて、違うフロアに降りてしまったからは、自分の部屋があるフロアに行かなければならない。非常階段は、平常時は従業員用だ。再びエレベーターを待つ。そして開いたドアの向こうに笑顔を発見したりする。先ほどすれ違ったビジネスマンが降りてきた。
「部屋に忘れものをしたよ。君もか?またあとで。」
やれやれ、今朝はホテルのダイニングで朝食にするか。

201609-214

Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Edge

201609-201

It is moored at the edge of the Yamashita park of Yokohama indefinitely. Her name is Hikawa-maru and it was an ocean liner of the north pacific lane from Yokohama to Seattle. In WW-2, she was used as a hospital ship and hit a floating mine but she went back to Japan. Her last voyage was done in 1960. I could say she has been always on the edge of the history.

I hope you could find some her beautiful edge of shape in pictures.

201609-203

In response to the weekly photo challenge, Edge by The Daily Post.

201609-202

Bonne journée, Photo

Cafe September

201609-111

(written only in Japanese)

バケーションシーズンも終わり、明るい笑い声が溢れていたまばゆいリゾートのカフェも、ようやく淡くゆったりとした時間が流れはじめた頃だろう。人の少なくなった海辺の街は、まだまだ静けさを取り戻すことはないが、それでもパステルブルーの空にはどこか柔らかさが漂い始める。もしかしたら、9月のカレンダーがそう告げているだけなのかもしれない。それでも夏は去りつつある。

逆に大学の街はエネルギー溢れる喧騒に、再び夏がやってたきたような華やかさであるに違いない。多くの国では9月は新しい年度の始まり。新入生たちは、ママの元を離れる不安と独り立ちし始める誇りとで、じっとしてはいられない。街のカフェはありとあらゆることを同時に語り合うもうひとつの教室となり、スマートフォン上ではない自然な会話が久しぶりに広がっていく。

夏よりもぐっと早くなった夕暮れのカフェは、落ち着いた喧騒が好みだろうが、華やかなおしゃべりが好みだろうが、いつもそこにあって遠くを見つめている。おそらくは、遠く何かを思うのは、コーヒーでも飲んでひと息つこうとしているあなた自身の影なのだが。

 

Bonne journée, Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Rare

201608-301
Saru-hashi bridge at Yamanashi over the rapid

Saru-hashi (猿橋) bridge is lesser‐known but drawn in a Nishikie (錦絵) by Hiroshige (広重). The wooden bridge was built over the rapid where it was difficult to use pillars. Typically, in that case, suspension bridges are common solution but it was built with another classical way named “Hane-bashi”, literally drawbridge.

201608-303

According to the Wikipedia, it is said that there’s no wooden Hane-bashi left in Japan and Saru-hashi is not the exception, that is, Today’s Saru-hashi was rebuilt with steel frames for safety.

201608-305

Interestingly, there are four different bridges side by side there:

  • Saru-hashi, a pedestrian bridge
  • New Saru-hashi (route 20)
  • Water bridge for a power station
    and
  • another one

In response to the weekly photo challengeRare by The Daily Post.

201608-302

 

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

silent scream

201607-511

(written only in Japanese)

誰が言ったのか知らないが、あくびはコーヒーが欲しいという声のない叫びだそうだ。なかなかいい表現である。もう退屈だからさっさと先に進んでくれと心の奥底で叫び声を上げながら、実際にはそんな素振りも全く見せず、淡々と進む会議の行方に身をまかせるなど日常茶飯事だ。さっさと終わりにして家に帰った方が、明日から良いアイデアが浮かぶなんて、思っても口にしないのが封建社会のマナーというものである。あくびはなるべく目立たないようにするのも社会人としてのルール。声は出ないが、ライオンの声でも重ねたらぴったりしそうな大口を開けて、無言の抗議をするのが精一杯というところだろう。
「あくびをしているやつは、真面目に聞く気がないやつだ。」
などと生産性の低い指摘をする時間があったら、誰もが前のめりで話が聞きたくなるような中身を考えた方が良い。

日本の会社組織は世界的に見て生産性が低いそうである。ドイツと比べて労働時間は長く、ひとりあたりのGDPは低いという話は良く聞くお決まりのロジックだ。それが何かの指針になるか否かは別にして、少なくとも一所懸命働いてる割には生み出すものは少ないと言っているわけで、時間あたりの賃金が安いという類の話ではない。無駄に働いてる時間が多いとか、頑張ってるのに駄目だと言われているほうがむしろ近い。そこで思うのである。コーヒーが欲しいという沈黙の叫びをあげるくらいなら、とっととコーヒー飲んで違う事をやってはどうかと。

いつもの年のように、フランスの同僚は順番にバカンスを取り始めた。何があっても3〜4週は連絡がとれないだろう。「たまにはちょっとだけメールを読むから何かあったら遠慮なくメールしてくれ」なんて言われても、実際のところメールして家族との大切な時間を邪魔する気はまったくない。しっかりリフレッシュして、アイデアいっぱいで仕事に復帰してくる彼らのほうがありがたいではないか。昼休みには家に帰って小中学生の子供(子供たちも家に帰って食事するケースも多い)と食事をする彼らも、重要だと思えばランチミーティングで議論を交わす。いつまでたっても工事が進まないのんびりした彼らも、必要となれば遅くまで仕事を続ける。要は、生真面目ではないが合理的な考えは持っているという事なのだろう。
こちらといえば、せいぜい大きなあくびで社会に抗議するのが精一杯。せめて、少しだけでも自分のスタイルを捨てないように意識したいものである。文化の違いは認めて尊重できるのが社会的動物たるものなのだ。

とはいえ、夏も後半になれば「バカンスはどこに行った。」と聞かれることは間違いない。
「いや、だから、日本はせいぜい1週間しか休めないんだよ。知ってるだろう。」
「あぁ、そうだった。で、どこいったんだ?」
今年は、ネタを探しておこう。

201607-512