Bonne journée, Cross Cultural

フライト(後編)

(前編はこちら)

 フライト日の爽やかな朝〜とは言ってもいつもの雨降りなのだが〜思いがけず変更されたフライトのお陰でゆっくりとコーヒーとクロワッサンの朝食をとってゆっくりと向かったバスターミナルほどの小さな地方空港で、まずはパリ行きの搭乗券を受け取った。短いフライトだが、重いスーツケースから解放されるのがありがたい。搭乗券の裏にはしっかり預入れ荷物の半券が貼られ、行き先もちゃんと合っている。パリ・ロンドン経由東京行き。パリ乗り継ぎはいつもの事だが今回はロンドンが余計についてくる。とは言え、パリ-ロンドン間は40分ほどの距離だからさほど遠い感覚もない。シャルル・ド・ゴール空港で何して時間潰そうかな。そんな事を考えながら華奢なタラップを上り、落ち着く先のシート番号を確認した。それなりに大きなエンブラエルだが、空港が小さいから搭乗はいつでもタラップなのだ。雨が降っていようが地上を歩き、ずぶ濡れのままタラップを上る。それがパリに向かう儀式なのである。シャルル・ド・ゴール空港に着けば別世界だ。空調が効いた巨大な待合ロビーと馬鹿高いがホッとするコーヒーがどこに行ってもある。

 さて、その4時間後、先の旅程を考えてすでに疲れ気味の旅行者は、あと1時間ほどで飛び立つロンドン・ヒースロー空港行きのブリティッシュエアを待っていた。ゲートの前では赤と青のラインが入った制服を着た職員が、時代にそぐわない紙の束を持って右に左にと忙しそうに動き回っている。このオンラインの時代にミシン目の入った連続紙を何に使うのだろうと眺めていたが、もちろん理由など思いつかなかった。何もない空っぽの時間が過ぎて、やがて職員のひとりがマイクを手にしながら周囲を見渡す。
「ヒースロー行きは1時間の遅延となります。これにともない出発ゲートは51番に変更されます。」
 そんなものである。フランス語のアナウンスを聞いて半分が、続く英語のアナウンスを聞いて残りの半分が立ち上がり、ゾロゾロとゲートを移動し始めた。相変わらずゲート案内板には古いゲート番号が出ているが、誰も見もしない。表示変更など間に合う訳がない。今決まったことだ。運命を共にする100人と一緒になって大移動を終え、ふと考えた。1時間の遅延とはきっととりあえず設定された遅延であって、実際はもう少し遅れるのではないかと。次の乗り継ぎの余裕は2時間半しかないから、もし1時間の遅延ならすでにヒースローの推奨乗り継ぎ時間の2時間に30分足りない。残り時間、1時間半である。いろいろ考えたところで何か改善するわけでもないが、心に余裕も欲しい。そうこうしているうちに2回目のアナウンスである。
「ヒースロー行きの出発ゲートは47番に変更されます。たびたび申し訳ございません。」
 だんだんあやしくなってきた。ゲートの地上職員に聞く。
「遅延は1時間ですか?」
「ええ、ちょうど1時間の見込みです。」
「そうである事を祈ります。」
 ちょっとイライラしたような職員はしっかりこちらに目を向けてこう返した。
「すでにヒースローを出ました。必ず到着します。」
 それは良かった。最初の関門はクリアした。でもだからと言って出発が1時間遅延で済むとは限らない。待合ロビーの硬いビニールシートに再び腰を下ろし、まもなく到着する折り返し便を待つ。そうして聞く次のアナウンスはあまり安心できるものではなかった。
「ヒースロー行きの出発ゲートは再び51番に変更されます。」
 やれやれ。いよいよ話があやしくなってきた。わずか50mほどの距離とは言え、そろそろ状況に着いて来られなくなった乗客だっていそうである。
 再び10分後、
「ヒースロー行きの出発ゲートは49番に変更となりました。」
 結局落ち着いたのは当初から予定されていた49番ゲートとなった。搭乗ゲート案内版は実に正しい。まもなく飛行機も到着して、ロンドンからの乗客が降りると慌しく出発の準備も始まった。あとはヒースローでスムーズに乗り換えられればなんとかなる。たぶん。おそらくは。

 だが、狭い近距離便の機内に足を踏み入れて、それが単なる期待に過ぎない事を思い知らされた。通路は、大きすぎる荷物が入らないと押し合う乗客でいっぱいだった。ハードケースなど、どんなに頑張ったってアッパーコンパートメントに入らないものは入らない。縦にしたり横にしたり入れ換えてみたりと努力はするが、あちこちの蓋が閉まらない。露骨にうんざりした様子を隠さない乗務員も、のらりくらりと対応する。不思議なもので、それでもいつのまにか荷物はあるべき場所に収まり、飛行機は1時間20分遅れで駐機場を離れた。もう、ほとんど乗り継ぎの猶予はない。

 ヒースロー空港はシャルル・ド・ゴール空港同様に巨大な空港である。どのターミナルがどこにあるのかも案内地図を覗き込んだところでよく分からない。乗客はもちろん案内版に従って歩くだけだが、どこにいるのか分からないと距離感も掴めない。早く次の待合ロビーにたどり着いて、女王陛下が高貴な笑顔で微笑むクッキー缶でも眺めたい。もちろん、そんな時間などあるわけないが、乗り継げそうだという証拠が欲しいのである。
 空港内のシャトルに乗ってセキュリティチェックの前に着いた時には離陸まで30分と言ったところだった。
「乗り継ぎは保証されます。みなさんを待って出発しますから安心してください。」
 胸を張って確かにそうパリの職員は告げていた。公式にはきっとそうなのだろう。だが、以前のパリ乗り継ぎでは30分の遅延を待ってなどくれなかった。地上職員に聞けば言い訳するでもなく、下着と歯ブラシの入った宿泊セットとホテルバウチャを渡してきた。
「安心して下さい。すでに明日の朝一番のフライトを確保しています。」
 安心とかいう話でもないと思うのだが、いつものことというわけだ。今回のフライトも嫌な予感がする。
 果たしてセキュリティチェックへの角を曲がると長い列が待っていた。どうやらセキュリティチェックは1列しか開いていない。地上職員不足とはこういう事なのか。それでもゲートクローズまで20分ある。ギリギリ待ってくれそうな時間だ。職員は大声で注意事項を繰り返していた。液体はこの透明な袋に入れろ、荷物のトレーはひとりひとつだ、金属は全て外せ、そんな類の事が耳の周りで渦巻いた。
 ふと見ると同じ飛行機に乗っていた日本人がゲートを通過して搭乗機の職員と話をしている。日本行きの飛行機は待ってくれるのか。
 セキュリティチェックはたびたび停止し、長い長い目視検査が行われているようだった。すでに出発ゲートクローズの時間だった。一向に動かないセキュリティチェックの列に検査官は無関心を装い、半分ほどの荷物は再検査となった。「荷物を開けてください。あぁ、これは別なトレーに乗せて再検査します。重ならないように。他には何かありませんか。パスポートは不要です。」乗り継ぎが保証されている飛行機は、すでにゲートを離れたようだった。

「この裏にブリティッシュエアのカスタマー・サービスがあるようですよ。」
 そう先にセキュリティチェックを通過した日本人が教えてくれた。要は彼もフライトを逃したということだ。この裏というのは職員用通路のドアを開けた向こう側という意味であり、1時間もかけてせっかく通過したのにセキュリティ・ゾーンからまた出るという意味でもあった。
 セキュリティ・チェックの係官に聞けばすぐに緑色のボタンを押してドアを開けてくれた。「カンタンだろ?」ゾーンの外に出るにはもちろんチェックがいらない。そんなものだ。通常は一般人が通れないであろうそのドアを毎日のように一般人が通過しているに違いない。そのドアを抜けた向こう側で、ブリティッシュエアのカスターマー・サービスに遅延で乗り継げなかったことをクレームしなければならない。黙っていたって何も起きないから仕方ない。要は、次の列に並ぶということだ。すでに1時間以上もセキュリティチェックの列に並んだ後では、数十人の列など何でもない。精一杯のサポートなのだろう、列の隣のワゴンにはポテトチップスと水のペットボトルが無造作に積まれ、あなたのことを考えていますよというサインを送り続けていた。

 カスターマー・サービスの3つのカウンターは、すでに3組の顧客が熱心に自分の窮状を伝えているところだった。しっかりと糊の効いた白いリゾートシャツを着た背の高い男性と少しリラックスした雰囲気のドレスの女性は、長期戦になると覚悟したというより、旅行代理店でフライトとホテルを予約でもするかのように何度も希望を伝えているようだった。その向かいでは、顧客のクレームを優しく受け止める地上職員が、どこかに電話をかけては何度も首を横にふっていた。隣のカウンターでは、ビジネスで来たと思われるワイシャツ姿の男性が、粘り強い交渉を重ねている。3番目のカウンターもさして違いはない。誰もが旅行の途中なのだ。椅子も置いてないカウンターで交渉を続ける3組には見た目の共通点もなかったが、カウンターの様子はどれもこれも同じだ。顧客が何かを言い、動じない地上係員が首を横に振ってどこかに電話をかける。そうやって40分ほどが過ぎ、ひと組の対応が終わって、列は前にひとつ進む。カウンターに椅子がないのは手際よく事が進むからではない。いつまでも満足しない顧客が疲れるのを待つためだ。待ちながらそう気がついた。もちろん待っているキューにだって椅子はない。誰もがずっと立ったままだ。
 もう少しで自分の番が来そうだなと思えるようなところまで列が進んだ頃には、すでに2時間が経過していた。時計は夜21時を示していた。
 カウンターサービスの窓口はとうとうふたつがクローズとなり、係員も疲れきった様子だった。ただひとつ残ったカウンターの顧客があまりハッピーとは言えない様子でそこを離れると、待ち行列の先頭にいた可哀想な次の顧客を制して係員がカウンターを出てきた。周囲を見渡す。
「私の業務時間は終わりました。帰らなければなりません。皆さんはどうかそのままここで待ってください。私の上司がまもなくここに来ることになっています。上司が皆さんのサポートをします。どうかそのまま。」
 そう言って係員はカウンターを去っていった。20名の顧客をその場に残して。
 どうすることも出来なかった。誰もが唖然として、文句をいうことすらすっかり忘れていた。待ち行列のひとりが言った。「もう2度とヒースローには来ない。」ヨーロッパではよくあることだ。そう分かっている。分かっていても何か言わなければ収まらないというものだ。
 10分ほどして現れた上司は、仕事ができるタイプかクレーム慣れしているかのどちらかだった。
「はい、チケットを見せてください。今夜のうちに責任を持って代替フライトを手配します。明日の朝までにメールを受け取るはずです。こちらがホテルバウチャーです。ホテルまではこのバウチャでシャトルバスに乗れます。この10ポンドのバウチャーはお詫びの印です。空港でお使いください。では、次の方。」
 毎日やってるのだろう。あっという間に列は進んでいく。バウチャーを掴んで、一緒になったポーランドに向かうというギタリストとバスに向かった。誰もいないバス乗り場への通路は、よく知る空港とはおおよそ違う落ち着かない空間となった。バス乗り場まではすぐそこだというのに、迷路にでも入り込んだようだった。
「バス乗り場はここか?」
 そうギタリストが言った。
「もうバスは終わりました。乗車できません。」
「いや、バウチャーをもらったんだから上司に聞いてくれ。」
「いえ、すでに上司に確認したのです。残念ながらバスには乗れません。」
「どうやったら行けるんだ。」
「ここを真っ直ぐ行くとタクシー乗り場が。」
 やれやれ。
 結局誰も通らない通路でタクシー乗り場に出て、ロンドンのバカ高いタクシーを捕まえた。疲れ果てた移動で、タクシーがどこをどう走っているのかも分からなかった。空港をおおよそ3周したと思えるほど時間が経過した頃、急に目の前にホテルは現れた。やっと辿り着いたのだ。旅の目的地ではなかったが、やっと落ち着ける場所に行くことができる。食事もしていないが、ホテルのレストランで食べる気もおきない。一刻も早くチェックインして、シャワーを浴びてただひたすら寝たい。気づけばギタリストもチェックイン中だ。
「おい、いくらかかった?」
 ギタリストは不満げに聞いてきた。
「28だった。」
「こっちは30」
 バスに乗れず使ったタクシーは5000円だ。馬鹿馬鹿しい出費であることには違いないが、それ以上に呆れ果てたという感じだろう。気づくと23時を回ったところだった。部屋に入ってシャワーを浴び、バスローブのままベッドに倒れ込んだ。荷物は預入れたままだから、特に片付けるものもなかった。

 翌朝にeチケットを確認すると、フライトは1日遅れの同じ便となっていた。つまりは夕方の便だ。ゆっくりと朝食を取って、再び空港に向かえば良い。念のため予約した追加のPCRテストさえすれば、あとは特段の予定もない。流石にロンドン観光するような気力もないから、出来るだけ早くチェックインして出来るだけ早くセキュリティチェックを受け、出来るだけ早く登場ゲートに辿り着いて、あとはただひたすら待つだけだ。やることなど何もない。
 そんなことを考えながらとった朝食のクロワッサンは、正直美味しいとは言えない代物だった。そうだ、ここはヒースローであった。

(追補編に続く)

Bonne journée, Cross Cultural

フライト(前編)

 予約したフライトは、理由を告げることもなく欠航となった。それどころか欠航となったことすら乗客にも通知されなかった。南回りの長い長いフライトの数少ない楽しみとなる映画と食事を確認するためにアクセスした航空会社のサイトは、それを見に行った人だけに赤い小さな文字で欠航を告げていた。
 何も驚くような事ではない。いつものことだ。「技術的な」理由で6時間も遅延した飛行機だって飛べばラッキーと言うものだ。そんな事にすっかり慣れてしまった。お詫びなんて必要ない。顧客「サービス」カウンターの向こうでたった一人で顧客のクレームを聞いている彼には何の落ち度もない。どんな季節だろうが、航空会社をアピールでもするような独特なジャケットを羽織り、すっかり優位な立場にたったとでも勘違いした不幸な顧客が延々と文句を言うのに一所懸命耳を傾け、そして穏やかな口調でこう言うのだ。
「お気の毒ですが、フライトの見込みは立っていません。ホテルをお探しでしたらお手伝いします。」
 ほら、彼は彼の仕事を真面目にこなしているではないか。
 今回はといえば、フライトのひと月前に決まった欠航なのだから、他の航空会社で予約し直すなり日程を変えるなり、顧客にだって何か手の打ちようがあるに違いない。いつもであれば。
 そう、いつもであれば。

 欠航の代替案として航空会社から提示されたフライトは、2週間後だった。最短でも6000マイルも離れている場所への移動予定を容易く変えられるひとがどれだけいると言うのか?ましてウクライナ情勢の長期化で、かなり迂回する経路である。飛行距離はもっと長くなって疲労も大きい。しっかり休養の計画だって入れたい。時差も8時間もあって、電話するのにも気を遣う。相手は今何時かな、寝ていないよね、などと考えながら結局メールしたりする。その上、すでにいろいろ手配済みだ。
「すみません。今回の予定ですが2週間遅れになりました。別送品の集荷も2週間遅らせられますか?」
 そんな連絡をあちこち入れるだけでもたっぷり時間がかかる。

 仕方なく会社で契約している旅行代理店に、次善策としていたヘルシンキ経由に変更を依頼する事にした。リファンダブル・チケットにしといて本当に良かった。個人でとったチケットならずっと簡単なのだが、仕事の移動は保険の問題やら割引率やら考慮すべき事がたくさんあるから旅行代理店に任せたい。もちろん細かく時間指定したりする必要があるから旅行代理店はいちいち面倒なのだが、仕事なのだから仕方がない。必要な情報を伝えてあとは待つだけだ。ヘルシンキ経由ならマリメッコのお土産でも買えるかななどと、余計なこともしっかり考える。
 もっとも、一番重要なのは、ヘルシンキ経由便が取れなかった時の代替案も伝えておく事だ。旅行代理店とのやりとりにも時間がかかるから、満席ともなると時間の勝負なのである。そんなわけで、並行してシンガポール経由とオーストラリア経由も確認を依頼したのだった。
 翌日のことである。
「ヘルシンキ経由でチケットとれましたよ。プレミアム・エコノミーですがこの金額で良いですか?シンガポールもオーストラリアも押さえてあります。OKなら発券します。」
との連絡があった。もちろん文句なんてない。なんでわざわざヘルシンキまで行って、乗り換えて、ふたたびドイツ上空まで戻って来るんだと疑問を感じなくもないが、2週間後よりもずっと良い。その金額でOKですと返事する。そう言えば、空港にはムーミンのマグカップとかが売ってそうだとか、食事は良さそうだとか、安堵感から再び余計なことを考えはじめる。そもそも、ロシア上空を飛べた時代には、フライト時間も短く楽ちんでサービスの良い路線だったではないか。きっと今でも魅力的なのだ。

 そうして翌日に受け取ったチケットを見て、予想通りとでも言うべきか、溜息が出た。取得出来たチケットは旅行代理店の凡ミスでヘルシンキ1ヶ月滞在だった。いや、突然のバカンスも悪くない。初夏のヘルシンキでのんびり出来るなんて最高だ。でも、そのバカンス代を払うのは航空会社でも旅行代理店でもなく自分なわけだ。やれやれ。旅行代理店に取り直しを依頼するしかない。すっかり面倒な気分になったが、代理店の担当者だって面倒で嫌だろう。明るく丁寧にお願いするしかない。
 そんな事を考えながら取り直しを依頼したら、ヘルシンキ便はすでに満席となっていた。どうやら日本行きはかなり混雑しているらしい。やれやれ。それならシンガポール経由でも良いですよ。フライト時間も少し長いし、待ち時間も7時間もあるけれど、きれいな場所だ。
「すみません。ヘルシンキ便が取れたので、予約をリリースしてしまいました。見たところ、シンガポールもウィーンも満席です。」
 そうやって取れたチケットは、悪名高いヒースロー経由。やれやれ。

 乗り継ぎフライトだろうが同日の飛行機が取れたのだから文句は言わないほうがいいだろう。まだフライトまでひと月あるし、行き先は羽田だから日本に着いてからが楽だ。良い方向ではないか。そうやって順調な日々に戻れればよかったのだが、フランスという国はそんなに甘くない。携帯電話の解約間違いから始ってさまざまなトラブルは続く。とは言え、それはまた別の話である。

(後編に続く)

Bonne journée

息継ぎ

雨降りの28度がこれほど重いなど誰が想像しよう。戻り梅雨の横浜は肩の上にいつも何かを背負ったように落ち続け、少しばかり離れていた1,000回の冷たい朝と10,000キロだった筈の見通せない距離の狭間に記憶の一部が紛れ込んで、「そうだった」と独りごちるというより「そんな筈ではなかった」と言い訳をするのが日課になった。背中に張り付いた薄汚れたシャツと息苦しさが隠れる青いマスクとに押しつぶされそうな夕暮れの、静まり返った通勤電車に無限に繰り返される吊り革にようやくしがみついて、やっと息を継ぐ方法を思い出したような気がした。

Bonne journée, Cross Cultural

moved

L’ateriler tanu has just moved to Yokohama from Brittany in terms of physical location. It seems still not so easy to post articles regularly because of some complicated daily staff and nonsense but gradually everything starts roll. There have been a lot of procedures to be done, a lot of issues to be solved, and a lot of things to be thrown away. I could say it was tough and interesting. Perhaps, someday I may write my experience of the last one month but it’s not the right time. Here’s just one thing to say now before your vacation. Heathrow airport is still messed up.

アトリエ・タニュは、物理的にはブルターニュから横浜に引っ越しました。やるべきことが山積していて定期的にブログを更新できるほどの余裕はありませんが、徐々に何もかもが動き始めたように思います。たかが引っ越しに色々ありましたが、今のところは詳しく書きません。落ち着いたら何か書こうかなと思います。ただ、バカンスシーズンで英国に行く方に一言。ヒースロー空港は未だ混乱しています。地上スタッフも十分機能していないようです。ご注意あれ。

Bonne journée, Photo

summer

フランスの北西部にあたるブルターニュ地方は夏も涼しい地域なのだが、今日のブルターニュ南東部の気温は37度と異常な高温となった。フランス中央部から西部にかけては40度超えとのことなので、それでもまだ良い方なのかも知れないが、何しろ個人ではエアコンを持っていない地域だから、日中は窓を閉め切ってじっとしているしかない。リフレッシュするなら、早朝に出かけて森の中や運河沿いを散歩するのが一番かも知れない。夏至の頃は人がいっぱいで騒音も多い季節だが、さすがに今日は静まり返っている。

気温が高いことをもって温暖化というのは違うとのこと。大西洋側から高気圧が張り出してアフリカからの熱波をもたらすのは毎年1〜2回はあるから、異常高温と言っても気象学的に異常というわけではない。ただ、年々夏の暑さが早く来るようになって、むしろ夏が涼しいような気がするというのも時々聞く話だ。温暖化によりメキシコ湾流が蛇行し、温暖な冬をもたらしてきた暖流の恩恵がなくなることで、あまり雨の降らない寒い冬と冷夏が温暖化の影響とも言われている。寒くなるのに温暖化というのも妙な気持ちになるが、そんなものだろう。それでも確実に平均気温は上がっている。

写真ではサイズ感が伝わりにくいかも知れないが、写っている宿木は通常の倍のサイズはあろうかという立派なものだった。大きいからか、乗っている枝が随分と下がってきている。そんな様子を楽しんだら、日が高くなる前に家に帰る方が良い。午後になればきっと暑い。

Bonne journée, Cross Cultural

Smart City?

ここも立派な公道

トヨタのウーヴン・シティの記事を読みながら、ようやく街から未来を作るという発想が日本にも出てきたなと思う一方で、妙な違和感も同時に感じている。街自体を作るというのは、少なくとも日本にも平安時代からあるし、きっとローマを作る際には、先端技術であったろう上下水道の完備を模索しただろうから、決して新しいことではない。江戸の街だって、防災の観点から綿密に再設計された節がある。でも、ウーヴン・シティは街を作るには違いなくても、モビリティやサービスプラットフォームに主眼があって、その実験のために街まで作ろうという点で、これまで日本にあった街作りとは違うのかなと思うのである。

だとすれば、違和感はどこから来るのか。街のイラストを見ながら想像してみたが、ひとつ言えそうなのは、こんな街に住みたくないという拒絶感なのかなと思いついた。街はそこに住む人と共に何年もかけて成長するものである。変わらない街の歴史と変わりゆく街の姿が重なって、街も自分も歳を重ねる。だから自動で配達してくれる街よりも店先を眺めるのが楽しみな街がいい。多少不便な街に住みたいと思うのだ。もちろん、ウーヴン・シティにだって歩道に向けてはみ出しそうに商品を並べる店も出てくるだろうし、落書きだらけの裏路地も出現するのかも知れない。それでもビデオを見る限り、安っぽい今風のショッピングモールの中に住んででもいるような姿しか見えてこない。それはトヨタの車に住んでいるかのようでもあり、どこか気持ちが悪い。

技術開発のための街だから、50年後は気にする必要がないことは分かるし、ようやくこんなことができる会社が出てきたとも思う一方で、こんなところには絶対住みたくないと感じる生理的な違和感も否定できないのだ。ここでなくても日本でもさまざまな街が自動運転の実験や電動キックボードの導入など、さまざまなモビリティの改善やスマートシティ開発に取り組んでいる。例えば福岡も岐阜も柏市もそんな街であるに違いない。新しく作る街だけでなく、昔からある街が題材となるなら良いと思うのだが、きっとそう簡単にはいかないのだろう。

新しい実験施設ではなく、歴史も未来もある街が積極的に変わっていくのはちょっと楽しい。ヨーロッパの多くの都市では、自動車用のレーンを潰してでも自転車用レーンを作り、街の中は小型のモビリティやトラム専用のようになりつつある。エネルギーの再生こそまだまだ上手くいっていないが、車で入ることのできない街の中心部には人が溢れ、昔ながらの商店街が息を吹き返し、ちょっと面倒な移動を楽しんでいるようでもある。車で移動していると、身軽な自転車が横を追い抜いていく。ひねくれものと言われそうだが、不便なことが自慢できる街があったらきっと住みたいだろうなと時々思うのである。

Bonne journée, Photo

古橋

特に歴史的価値があるわけでもないが、13のアーチからなる3つの橋が18世紀からここにある。それは何度も整備されたであろう石造の古臭い橋であって、住民が川を越えて反対側に渡るためにそこに架けられた日常の一部でもある。

ところが橋のたもとに設置された説明を読んでいると、歴史的価値などどうでもよいと思えるほどに、時代という時計が逆回転をし始める。1900年頃のセピア色になった写真に写る風景は、今と何ら変わりがないのだ。もちろん、教会は最近立て直されたものだし、左側に見えるChez Edgarというレストランの建物も、100年前とは全然違うものに見える。にもかかわらず、そこにある佇まいは100年前と同じなのだ。100年前と同様に買い物カゴを抱えた人々が橋を行き交い、橋の下ではもうボート遊びをしてはいないが誰もが水辺を楽しんでいる。土曜日になれば教会の広場に朝市がたち、鳥の声が響き渡る初夏を子供達が駆け回る。

街を守るということは、そういうことなのだろうと教えられる。