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(Floral) Friday Fragments #268


 椿は、死者の花木である。一部の地域では椿を葬送に用いる習慣があるそうだが、古椿にはいくつもの死者の言い伝えもある。どうしてこうも死と結びつけられるのか。

 若い頃を振り返れば、椿の花を美しいと感じたこともなく、ただ雨にぬれて汚らしくうなだれ、やがて地面に落ちて朽ちていくイメージばかりがあった。正直に言えば、サザンカと椿の区別もなかった若い頃に、そこまで思い描けるものがあったかどうか怪しい。それでも、時を過ごして記憶が積み重なった今、あの朽ちて茶色になった花を美しいと感じられるようになったのは、ある程度年齢が上がって少しだけ死が近くに感じられる年齢になってからという気はしている。

 資生堂のイメージが椿なのは、幅広い年齢層に訴えるためなのか、それともかつては広く美しいイメージがあったのか、興味があって資生堂のサイトにあたってみたら、「水を張ったガラスの器の中に椿の花弁と葉を浮かべ、ただようその様」とある。なるほど、資生堂らしい美しいイメージである。

 病院のお見舞いに椿を持って行ってはいけないのは、花の終わりに首がぽたりと落ちるからといった説明は、後からつけられた説明であって、よくある不思議マナーと同じだというのは説得力がある。花椿がぽたりと落ちて水に浮く様は、伝統的な日本の美でもある。決して不吉なイメージはない。

 ただ、作りが大きく見方によっては派手で鮮烈な椿の赤が、地に落ちて真っ赤に大地を染めるその風景は、確かにどこか強烈なイメージを残す。そこには、今時のカワイイ風景とは一線を画すものがある。だからこそ、旅人に息を吹きかけて蜂へと姿を変えさせ、花に吸い寄せられると蜂と共に大地に落ちる古椿の話(この話は言い伝えかどうか怪しい)があったりするのかもしれない。

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(Floral) Friday Fragments #267


 当たり前のように至る所に咲くオオイヌノフグリの名前が話題になることはあっても、この花が帰化植物であることは話題にならない。そう書く自分もすっかり日本の植物だと思い込んでいた。何と言っても「大犬の陰嚢」である。そんな名前が外来種の帰化植物に付いているとは思いもしなかったし、あまりに小さな花を見ても、持ち込まれるような植物にも見えなかったからである。

 調べてみれば、そもそも大きな犬のフグリではなく、イヌノフグリに似た少し大きめの花が咲くから大きなイヌノフグリなのだそうだ。直径1cmにも満たないのに、大きいからとはどういうことなのかとさらに呆れる。しかも、イヌノフグリの名前の由来は、実が犬の陰嚢に似ているからだそうで、オオイヌノフグリの実は犬の陰嚢には似ていない。何とハート型である。

 と言うわけで、ハート型の実をつけるにも関わらず、犬の陰嚢に似た実をつける花に似ていて、その大きさがその似ている花より大きいからオオイヌノフグリと呼ばれているのだから、踏んだり蹴ったりなのかもしれない。そもそも犬にだって失礼だ。後ろから見たら、フグリの形はヒトもイヌもさして変わりはしない。むしろ、古語を使って奥ゆかしく表現しているのだから、それはそれでよしとすべきなのだろう。

 救いなのは、小さな淡いブルーの花がネモフィラに似て、案外人気だということかもしれない。見た目だけだが、小さなネモフィラなら、ヒメネモフィラと言う名前だって良さそうだ。それでもすっかり定着して愛されるオオイヌノフグリと言う名前を変えて欲しくないひとの方が多そうだ。帰化植物ではあるが、それだけ愛されている植物でもある。

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(Floral) Friday Fragments #266


 今年は横浜公園にチューリップを見に行こうと思っていた。過去形なのは、もうほとんど諦めかけているからだ。
 BASEGATE関内横浜なる施設がオープンして、駅周辺が大変な混雑となっているらしい。最近は少し寂しくなっていたところもあったので、それはそれで嬉しいのだが、のんびりしたくて行くのであって、人があふれる今は少し時間を置きたい。時間を置くということは、チューリップは終わってしまう。
 ベイスターズ戦がある時はもちろんこれまでも混んでいた。試合があるのに空いている横浜公園なんて見たくない。でも、試合がない時は市民の憩いの場でもある。ふらりと立ち寄り、日本大通りでも観光客気分で歩いて、横浜らしい空気を吸う。それもまた魅力なのだ。
 きっと少しすれば開業当初の混雑は落ち着くのだろう。そしたらBASEGATEも良いだろうし、伊勢佐木町を散歩しても良い。来年のチューリップの季節はきっと混雑も落ち着いている。そこそこ混雑はしていても、東京のような雑多な混雑まではいかないというのが横浜の魅力。それを待つしかない。

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(Floral) Friday Fragments #265


 常磐自動車道を走っていたら、川沿いに黄色の帯。遠目にはなんだか分からなかったが、どうやら菜の花らしい。房総半島の菜の花は1月下旬には咲き始め、2月中旬には横浜も黄色でいっぱいになる。きっと種類がいくつかあるのだろうけれど、もう3月も半ばだから、遅いと言えば遅いのかもしれない。もう間も無く、薄ピンクの桜と終わりかけの黄色の菜の花が同時に見られる時期になる。一足早く咲く河津桜なら、あちこちでもう楽しめている。

 そうだった。この(Floral) Friday Fragmentsは、元々は季節の花の話題だったはずなのだ。なんて思い出したわけではない。近頃は暗い話題が多すぎるから、短くてもこんなネタの方が良いのかなと戻しただけだ。
 個人的にも病気をしたり(こんな書き方をすると弱っているような感じがするが、実際は至って元気で、長年気になっていた体調の変化の理由が病気のようなものと分かって、少々気にしているという程度)、仕事に課題があったり(というか、若い頃のように血気盛んにやれなくなったから、つい課題解決よりも妥協を選ぶという程度)、趣味の範囲でやってきたチャレンジが結果に繋がらなかったり(趣味の範囲なのに、プロに挑む自分の無謀さを受け入れたとい程度)と、なかなかスッキリとはいかない。
 それが人生というものだから面白いのだが。

 さて、次のイベントは何かな?気分転換しよう。

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(Floral) Friday Fragments #264


 群れるメジロを押しのけて蜜を吸うヒヨドリが、やがて飽きてしまってどこかにいなくなった頃、ようやく鼻がむずむずしているなと気付いたら大きなくしゃみ。鳥がいなくなった後でよかったなんて妙な遠慮をしている自分に気づいた。

 世界がきな臭いのは今に始まった話ではないが、最近はなんだかあまりにテンポが速すぎて、ゆっくりくしゃみをしているどころではない。落ち着かないニュースが世界をめぐり、欧州のWebサイトが見えなくなると不安を感じる昨日、それが思い過ごしでしかないとわかっていても、つい話題にしている自分が嫌になってくる。

 そんな時は散歩でもしているのが一番とばかりに外に出る。そうして大きなくしゃみで鳥を驚かす。申し訳ない。これでも春を楽しんでいるのだ。さて、そろそろ気分を変えて楽しく歩こう。