Bonne journée, Cross Cultural

屋根のある場所

今日は少し楽しくない話題を含みます。読みたくなければ無視してください。

クリスマスが近づいてくると、なんだかソワソワとして落ち着かない気配が漂ってくる。おそらくは寒くなってきたという事なのだろう。屋根を持たない人にとっては厳しい季節がやってきた。ショッピングモールの地下駐車場は、駐車場の中こそ整備されているが、すぐ隣の搬入通路にはテントや毛布が散乱し、明らかに人の住む気配がしている。雨風が避けられる小さな空間は、貴重な場所となる。

あまり楽しい話ではないが、SDFとフランス語で言う家のない人は、非常に多い。フランスのSDFは100万人とも200万人とも言われ、政府は就農支援などの様々な方法で対応を続けている。人口6000万人の国である。2%以上もいると言う状況はかなり厳しいと言わざるをえない。とは言え、SDFの定義は日本とは少し違う。簡易施設などで過ごす明確な定住とは言えない人は全てSDFである。全く路上のみで過ごす人となると数十万人と言われている。日本は5千人程度なので、比較すればもちろんフランスの方がずっと多いのだが、単純に比較してはいけない。調査基準が違えば結果も異なる。

このSDFに対して、フランス社会は案外優しい。ごく普通の人がごく普通に挨拶をし、時に少なからず小銭を渡す。その優しさを逆手にとって、他人に小銭をせびって旅行する若者が増えたのが社会問題になったほどである。だから「あぁ、あの人、今日もここに来てるよ。元気でよかった。」と言う不思議な状況も生まれてくる。残念ながらマクロンが約束したように路上生活者が0ということにはなっていないが、それなりの支援が行われてはいる。

ただ、この状況である。COVID-19の新規感染者は増減を繰り返し、ロックダウンともなれば支援が届きにくくなる。上の写真はおそらくマルタ騎士団の支援活動だが、こうした支援がどうしても必要なのだろう。(GDPR法や肖像権の関係から少し見にくい写真となっています。ご容赦ください。)

Bonne journée, Cross Cultural

Winter time

10月の終わり、EU最後の夏時間が終わりを告げた。もうサマータイムのために時計の針を進めることはない。多くの調査が夏時間に否定的な世論を示し、オイルショック以降は継続して半世紀にわたって長く続いた伝統を維持することはEU政府にとって難しくなったということだ。ただ、世間一般が必ずしも夏時間を設定することに否定的だったわけでもない。調査にもよるが20%くらいの人は夏時間に意味を見出していたようでもあるし、メリットもデメリットも特段大きかったというものでもない。皆が気にしていたのは、時計をずらす事への抵抗感といった小さなことの積み上げでしかない。

iPhoneの天気は2時が2回ある

実は、正確に言えば、EUのサマータイムの制度が終わったのであって、本当にサマータイムが適用されないのかどうかはっきりしないという話もある。EU政府としては廃止したが、各国政府がどうするかはそれぞれの国の判断である。ITシステムを変更しなければならないとか、パンデミックの状況下で余計な検討はしていられないとか、そんな話も聞こえてくる。確かに10月最後の日曜日となる31日の深夜3:00に時計を1時間戻せば、それは深夜2:00が2回来るということなのか、それとも深夜3時が2回来るということなのか、考え出すとキリがない。スマフォに任せておけば良いというわけにもいかないわけで、そんな面倒なことをやってきたEUが各国に任せるなどと言いだせば、混乱に拍車をかけることになる。

それでもきっと次のサマータイムはやってこないのだろう。

今朝は霜で真っ白

冬時間に移行してもっとも助かるのは、個人的には朝の明るさである。11月ともなれば8時にならないと明るくならないのがフランス西部である。ヨーロッパ標準時はドイツあたりに中心があるからスペインを含めて西側は朝が遅い。まだ10月の終わりだというのに、夏時間では9時近くまで明るさがない。11月に入って1時間時計が戻ると朝は少しホッとする。冬なのである。11月は暖かな日も多いが、それでも上がっても15度というこのあたりは、11月に入ってクリスマスの飾り付けが始まると一気に冬になる。今朝は氷点下2度。マイナスの気温ともなれば、誰もがダウンを着て手袋もする。

サマータイムが終わっただけで一気に冬になるのはどうにかならないものか。

Bonne journée

ブルターニュ#3

「あぁ、ブロセリアンドの森ですね。今はパンポンの森と呼ばれています。とても美しい森です。興味をお持ちですか。遠方からの方には珍しいですね。これまでブロセリアンドの森のことを聞かれたことはほとんどありませんでした。まぁ、わざわざ遠くから訪ねるような場所ではないと思いますよ。もっと他にたくさん良い場所があります。そうだ、教会巡りなどいかがですか。この近くにもなかなか美しい小さな教会がたくさんあります。」
彼はそう言ってコーヒーを一口飲むと、遠くに見える教会の尖塔を目で示した。
「そうですか、どうしてもブロセリアンドの森が見たいのですね。であれば必ず陽の高いうちにお訪ねなさい。たくさんの人がハイキングコースを歩いています。道に迷うことはないでしょう。決して陽が落ちる頃まで森で過ごさないように。夜は冷えますから。」

(ブルターニュ案内の3回目をアップしました。この続きはこちらから。あるいはメニューの「旅」から辿ることもできます。)

I may still not be there. Thank you for your understanding.

Bonne journée

ブルターニュ#2

「何もありませんよ。まったく何も。ほんとうの西の果てです。波がただ音を立てているだけでね、行きたがる人には何か理由があるのでしょうが、とんとわかりません。」
そう言いながら歪んだ青いキャップをボールペンに戻すと、パタと音を立ててそれを置いた。
「まぁ、言い過ぎたかも知れません。立派な灯台ならあります。あとは強い風と小さな観光案内所がひとつ。もしそれでも行かれるのなら風避けにジャケットか何かをお持ちなさい。大西洋の風は案外強いですから。」

(ようやくブルターニュ案内の2回目をアップしました。この続きはこちらから。あるいはメニューの「旅」から辿ることもできます。)

I will be a bit busy next two weeks. I may not be there.
Thank you for your understanding.

Bonne journée, Cross Cultural

土曜の午後に

日常が戻ってきた。
安っぽいスピーカーから流れるフレンチカリビアンも、繁華街の片隅にある公共施設の前で誰かを祝う拍手も、遠くの通りを行くデモ隊のアジテーションも、幾重にも重なり合いながら、エアコンディショナーのコンプレッサーのハム音のように不思議と誰も気にしない通奏音となっていく。やがて、錆びた金属のような喧騒が唐突に終われば、カモメの甲高い声と外のテーブルを挟むおしゃべりが、自分たちが次の主役だと言わんばかりに主張を始め、次の仕事を待つ配達員がスマフォを取り出して誰でもない誰かに何かを話す。9月の土曜日がやってきた。

衛生パスを案内するレストラン

あまりCOVID-19のことなど気にならなくなって来たのかもしれない。フランスでは相変わらず検査の列もできているし、衛生パスが無ければ入れない場所もある。レストランは丁寧に衛生パスをチェックしているし、店舗の上限人数も入り口にしっかりと書かれて一定のルールは守られている。それでも外でマスクをしている人もだいぶ少なくなって、一時期のような閑散とした街はもうない。2年前は催涙弾が飛び交うような黄色いベスト運動のデモが盛んだったから、衛生パス反対デモの明るく華やかな様子を見ていれば、むしろずっと以前の生活が戻ったようにすら錯覚しなくもない。普通に買い物を楽しみ、レストランで食事を取りながら楽しいおしゃべりもする。前保険相に対する予備審まで始まって、コロナは過去の事だったのかと思いたくもなる。容疑は人々の命をコロナの危険に晒したという事らしい。当時、フランスは遠い東洋の話だったのだ。

だが、実際のところはだいぶ違う。相変わらず1万人の新規感染者が毎日記録され、国庫は火の車だ。フランスのやり方が決して理想的なわけではない。世界で最も厳しいと言われたロックダウンもすれば、衛生パスを使った生活の制限もしながら、感染者数は相変わらず多いままだ。

それでもフランスから学べることもある。衛生パスのアプリを見れば、ワクチン接種者と非接種者の陽性率や重症化率、入院のベッド占有率や主要な変異株の比率など、さまざまな数字が客観的に示され、施策には基準が伴う。ほぼ全ての店舗には入れる人数の上限値がしっかり大きく書いてあるし、検査もワクチンも全てQRコードで管理できるようになっている。家の掃除や語学レッスンのような個人の契約ですら、たとえ一人しか雇っていない場合であっても、国が費用を負担するから契約の解除はしないようにと念押しのメールまでしてくる国である。日本では「もうやれることが少なくなった」と誰かが言っていたようだが、きっとまだまだやれることがある。できない理由よりもできる理由を探すべきなのだろう。

衛生パスの反対デモは、少しずつだが規模が小さくなってきたらしい。気をつけなければならないのは、これがワクチン反対デモではないという事だ。自由を愛する国である。衛生パスで縛られることに反対しているのだ。生粋のフランス人の知人に言わせれば「あいつらはバカなんだ」の一言なのだが、そうやって自由を主張する人々を見ていると、やっぱり日常が戻ってきたのだなと感じるわけである。

Bonne journée, Cross Cultural

ブルターニュ

「パリはフランスとは違う。だから、マスクもしないたくさんの若者がセーヌ川のほとりでビールを楽しんでいるなどと、パリの事をフランスの事のように話さないでほしい。」
「ロンドンはEUではない。だから、パブでビールを飲むならマスクは要らないなどと、ロンドンの事をEUの事のように話さないでほしい。」

正直に言えば、そこまで直接的な言い方ではないかもしれないが、それでもこの2年ほどで何度か聞かされた話の一部ではある。パリに用事があってTGVの予約をすれば駅からはスリだらけのバスに乗るなと言い、EUのCOVID-19感染状況マップ上を見れば英国とスイスは真っ白のままでであれはEUじゃないからねと言う。

パリが安全ではないと言うのは、ある意味本当のことであって、仕方ない反応ではある。地方の道を歩いていて財布をすられることなど滅多にないが、その地方からパリに出かけた人の何人かは何かを経験している。白昼堂々身包み剥がされそうになったとか、携帯を奪われたとか、そんな類いである。日本人を含む外国人の話ではない。地方生まれ地方育ちの生粋のフランス人の話である。だから、フランスにはパリとフランスがあるなどと言いたくなるわけである。いや、単に田舎者と言うだけじゃないのかとは思わないわけでもないが、そこはそれ、礼儀というものもある。

だから地方の人がパリが嫌いかと言われれば、そんな事もない。確かに特段の用事もないのにわざわざ行くような場所ではないだろうが、むしろフランスの中でもパリは別物と思っているだけなのである。多少の偏見もあるだろうが、一人ではなく複数の知人が言うのだから特殊な話などではないはずである。あんな狭い家には住みたくないだとか、1時間も通勤電車に揺られるなんてごめんだとか、そんな感覚がおそらくパリに距離感を感じる理由なのだろう。

ただ、ブルターニュについて言えば、多少違った要素もあるにはある。ここで言うブルターニュとは、フランス北西端の行政単位としてのブルターニュ地域圏と言うより…

(続きはまた後日。)

Bonne journée, Cross Cultural

Supermarché

 まだ10時前だというのに、いつもの混雑した土曜日のハイパーマルシェが戻って来たようだった。駐車場の空きはどんどん埋まりつつあった。何かに追われているわけでもないだろうが、赤い髭を蓄えた忙しなく歩き回る中年男は、しかめっ面をしながら買い物カートに次々と食料を放り込み、赤いタイツのお年寄りは、黒カブをひとつひとつ品定めしてはため息をついた。COVID-19の感染状況はむしろ悪化していて、FMラジオからは定期的に注意を促すメッセージが流れてはいたが、スクールホリデーという理由にならない理由が街を慌ただしくしていた。まだ息が白い朝に家を出て混雑を避けたつもりだったが、周りを見渡せば巨大な買い物カートに食料品を満載にした人が右往左往し、陳列棚の隙間はさながらモナコ・グランプリのF1よろしく他人のカートを避けるように先を急ぐ人たちの無言のレースのようだった。

 人混みを避けながら、水にバターにコーヒー豆にトマトにとようやく買いたいものをカートに詰め込めば、次は支払い競争へと戦場は移行する。とは言っても、ずらりと並ぶレジのどの列に並んでもさして違いはない。確か先週もいたメークの少しどぎついお喋りな女性は誰よりもテキパキとバーコードをスキャンし、身なりのしっかりとして見える寡黙で背の高い男性は何かを仕切りと指示し続けている。少し列の短いレジに並べばそれで良い。ソーシャルディスタンスを指示する床の白いマークは薄汚れ、後ろに待つ男性は腕一杯に荷物を抱えてマークなど気にすることなく詰め寄ってくる。

 それでも誰も急いでなどいない。前に人がいれば抜きたくなる輩は多いが、時間に追われたような人はついぞ見たことがない。誰もがたくさんの買い物をするからなかなか前に進まない中でぼうっと隣の列をみれば、これまたカートに満載の食料品を詰めこんだ中年女性が買おうとしている食料品の日付か何かを確認でもしているところだった。何かの袋をみてまた戻す。そうしながら列の後ろを見たその女性は、その後ろに並ぶ少し若そうなアフリカ系の男性を頭のてっぺんから爪先までじろりとなめるように眺めてこう言った。
「あんたそのワインだけ?先に行きなさい。」
あまり高くもなさそうなワインを2本だけ抱えたその男性は、礼を言って先に進む。まもなく前のレジの会計が終わって、男性は会計のためにワインを置いた。おそらくは1分かからないであろうその会計を待って、順番を譲った女性は自分の買い物を会計用のベルトコンベアの上に並べ始める。くだんの男性は、遠くから再び礼を言って足早に立ち去った。そうやって順番を譲るのはよく見る日常なのだが、なかなか気づいてあげられない自分はある意味文化慣れしていない移民なのである。

 さて自分の会計の順番になった。そう思って品物をベルトコンベアの上に並べ始めたが、なかなかスキャンは始まらない。前の客が一つ一つ自分の買い物バッグに荷物を詰めていて、支払いをしないのである。レジ係はやることがないからボールペンで使い終わったクーポンに印をつけている。ようやく詰め終わったかと思えば何かが気に入らなかったらしく、また出しては詰め直す。それでも誰も文句は言わない。ようやく満足したその客は、何やらレジ係に言い、バッグから財布を出してカードを取り出した。一つ目のカードがエラーなのか、二つ目のカードで暗証番号を打っている。やっと会計が済んでレシートを受け取ってもなかなかその場を立ち去らない。レシートを財布の所定の位置に入れ、財布をバッグに入れてジッパーをしめ、
「さようなら。良い一日を。」
そう言って初めてその客はその場を立ち去ったのだった。

 他人には優しいが忖度などしない国だから誰もがマイペースで動く。イライラもさせられるが、助けられることもある。

 先日の買い物ではバナナを買おうとしたのだが、背丈の小さな身綺麗なお年寄りがずっと売り場の前で品定めをしていて随分と待たされた。何もない時なら気にもしないが、自分が知らずに感染していないとも限らない。だからソーシャルディスタンスを十分にとって遠巻きに見ていたが、一向にその場を立ち去らないのだった。仕方なく他の野菜を見て戻ってきたのだが、そのお年寄りはそれでもそこにいた。途中、何人かが気にせずバナナを横から取っていったが、自分はそうする気が起きなかった。仕方なくまた待っていたのだが、そのうち時間がかかる理由がわかった。そのお年寄りは、6本程度一緒になった一つ一つのふさを取り上げては一本一本品定めをして、気に入ったものだけをもぎっとっていたのだった。1本ちぎると手元の紙袋に入れ、また次のふさを見て気に入らなければ違う場所に置く。そのうちまた気に入ったのが見つかると1本ちぎって袋に入れる。ようやく必要な本数を手に入れて重さを計りにその場を離れた後には、本数の少ないふさがいくつか残されていた。ロックダウンでそれでなくても経済状況が芳しくない中、少しでも安く良いものを手にしたいという気持ちもわからないではない。そもそも誰も気にしてなどいないのだから良いのだろう。

 フランスで買うバナナの一部は、フランスの海外県(海外領)のグアドループやマルチニク産である。コロンブスが名付けたと言われるカリブの島は、正直経済状況が良いとは言えない。工業はもちろん十分ではないが、農業が特段良いわけでもない。バナナと砂糖が主な生産物である。経済はもっぱらフランスとEU政府からの援助による。観光もあるが、それほど知られた場所でもなく、ましてこの状況下では観光客などほとんどいない。

 バナナを品定めするお年寄りとカリブの島は案外そんなところで繋がっている。忖度などいらないが、支援は必要なのである。そう思いながら、バナナをカゴに入れた。