Bonne journée, Photo

The winner


 先日、仕事をしながら音楽を聴いていたら、耳慣れたメロディが聴こえてきた。その軽快なボサノバは、まるで海辺のカクテルバーで開かれた瀟洒なパーティにでもいるようだった。話し声はがやがやと聞こえてくるが、決してうるさいほどでもなく、ピアノとベースとパーカッション程度のアコースティックなバンドが演奏する中を、ちょっとだけスノッブな匂いのするオシャレな会話を楽しむ。なんだか少しばかり鼻につくパーティではある。だんだん陽が傾き、水平線に太陽が沈み始める頃、最後まで残っていたサーファーも丘に上がり、浜辺は散歩の人くらいしかいなくなる。そんな静かな砂浜を見ながら、それぞれが思い思いに飲み物を飲み、会話する。ボサノバは明るく、時に寂しく、複雑な和音を繰り返す。コツコツというウッドブロックの響きが涼しげに聞こえ、まもなく庭のライトに火が灯る。

 以前、SoCalのそんなパーティーを楽しむ機会があったが、正直、あんなことを度々出来るような気がしない。確かにオシャレで会話も楽しかったし、ヤシの木の向こうに海を見ながらソファでくつろぐなんて、そうそう機会はない。でも、終わってみたらどっと疲れた。自分があまりセレブリティ向きじゃないななんて感じたのは、正直に告白しなければならない。

 なぜ、そんなイメージを持ったのかといえば、聞いた曲の軽快なメロディーに重なる、ちょっと重い歌詞に気がついたからだ。ボサノバアレンジのその曲には歌声は入っていなかったが、原曲を急に思い出したのだ。ABBAの”The winner takes it all”。邦題はウイナー。原曲のアレンジは、聞いたボサノバ版よりもアップテンポでキラキラしているが、結構影のある曲である。「勝者総取り」と言えばその通りなのだが、歌詞の意味からすると、「愛を勝ち取ったものは全てを奪い去る」くらいの意味である。確かに、「彼女は彼の7割だけど、彼の3割は私のもの」なんてことはない。1か0。そんな辛さが、瀟洒なパーティーの裏にありそうなイメージに繋がったのかも知れない。

 気になって、再度聞いてみたら、記憶以上に激しい曲だった。出だしはこうだ。

I don’t wanna talk
About things we’ve gone through
Though it’s hurting me
Now it’s history
話したくない、
過ぎ去ったことなんて。
傷ついたけれど、
今はもう昔話。

女性が彼を失ったことを淡々と語り始める。サビのところはまさにタイトル通り。

The winner takes it all
The loser’s standing small
Beside the victory
勝者が全てを手に入れる。
勝利の陰で、
敗者は小さくなって佇むの。

このあとは、彼の腕に抱かれながら、それを当たり前だと思っていたのは馬鹿だったみたいな自省的な歌詞が続く。そして、後半になるに従って、徐々に思いは激しくなる。氷の心を持った神様がサイコロを振って、下界の誰かが大切な人を失うなんてことまで言う。

But tell me, does she kiss
Like I used to kiss you?
Does it feel the same
When she calls your name?
でも教えて。
彼女は、私がしてたみたいにあなたにキスするの?
彼女があなたの名前を呼ぶ時、
同じ気持ちがするの?

 なかなかキツイ。そして最後には自分に言い聞かせるように諦める。取り乱してごめんなさいと。

 こんな激しい恋の歌だったのか。
 海辺のカクテルバーで開かれた瀟洒なパーティなんてイメージしたのは、軽快で時に物悲しいメロディーを素敵なボサノバアレンジにしたのを聞いたからであり、曲を思い出した時にもまだ、ちょっとセレブな感じもしていた。そういえば失恋の歌だったなんて、最初は、出だしの記憶しかなかったのだった。やがて、重い歌詞に気付き、徐々にイメージは変わって行く。
 そんな記憶が、きっと若い頃の追憶ってものなのだろう。

 どうしてこんなに色々記憶しているのだろうと思ったが、多分、マンマミーアである。ウエストエンドのミュージカルは観る機会がなかったが、映画の方は、何度か観た記憶がある。最後に見たのはさほど以前ではない。出張の長いフライトの中だった。
 オリジナルは、なんと1980年の曲だそうである。ABBA、すごい。

 せっかくだからエーゲ海の写真でも。

Bonne journée, Cross Cultural

Chinatown


 久しぶりに見たというよりは感じた横浜の激しい混雑は、もうそれ自体がアトラクションのようだった。もう、毎年の事だが、この日だけは混雑するので山下公園やみなとみらい地区には出かけないようにしてきた。以前は早めに出かけていって、よこはまパレードだけを楽しんだら最後のグループが登場する直前にその場を離れていたのだが、それでも激しい混雑は避けられない。5月3日である。横浜のゴールデンウィークの混雑のピーク。

 しかし今年は、フランスから知人が遊びに来ていたので、思い切って大混雑の中華街と山下公園に連れ出したのだった。関内駅で京浜東北根岸線を降り南口に歩き始めた段階で、この決断が大きな間違いだったと後悔していた。なにしろ、ホームから人が出きらないうちに次の電車が来る始末。ようやく駅の外に吐き出された頃には、早くも疲れたような気分にすらなっていた。とはいえ、右も左も分からないであろう知人グループを置き去りにするわけにもいかない。何しろ、家族みんなで来た10人近い人数のグループなのだ。ひとりくらい忘れても気づかないのじゃないかとハラハラする。

 みんなを集めて聞く。
「中華街には興味があるか?世界最大級の中華街で、世界で一番安全だ。ただし、今日は半端じゃない混雑だから、行くなら午前中の今しかない。行きたいひと〜!」
返事は案外そっけない。任せるよ。ニューヨークみたいな感じかなあ。その程度である。了解。じゃあ行こう。行けなかったなんて後で言われてもつまらない。

 歩き出して最初に通過するのが横浜DeNAベイスターズの本拠地、横浜スタジアム。
「このスタジアムは何?」
「ああ、横浜のプロ野球チームの本拠地だよ。」
なんて説明をするが、そもそも野球って何?という国から来ている。フランスだって野球チームはあるが、さほど人気がないからほとんどの人がルールさえ知らない。せいぜいクリケットっぽい感じらしいという程度である。しかもその理解は明らかに間違っている。幸いなことにスタジアムには興味があるが、野球は知らないからその程度の説明で十分だった。

 そんな説明をしながら公園を抜けて右にゆくよーなんて声をかけて振り返ったら、すでに2名足りない。トイレに行ったとのこと。仕方なく待ち時間に横浜の歴史を説明する。たった160年ほどの歴史だが、開国から絹の輸出までを説明して、パリ万博の話などに触れていたら、案外興味深かったらしく、急に後が楽になった。
「でね、当然中国の貿易商などもいたわけじゃない。その通訳が住んでいた場所が中華街の原点なんて言われているんだよ。」
ようやく話がつながり始めた。

 そんなこんなで中華街の一番隅っこ、へりの部分にたどり着いて宣言する。
「これから中華街に入って行くけど、安全とはいえ、スリには注意してね。多分、今日はかなり混雑しているから尚更ね。」
しかし、反応は鈍い。ふーん。そんな程度である。確かに中国語の看板も見えているし、ちょっと裏路地風の感じがさも中華街という雰囲気も感じるが、面白みはない風景かもしれない。古臭い灰色の壁に漢字。それだけ。仕方なく、狭い通りを抜けて中に入っていく。

 ふと、角を曲がった時である。みんなから一斉に「おー」という声が上がる。それらしい赤と金が主体の看板やら何やらがごちゃごちゃと目に飛び込んでくる。そこで気づいたのである。確かに日本人には、日本語と中国語の区別はついているが、フランス人にとっては直ぐには判別できない。ようやく違いがはっきりわかる場所に着いたというわけである。

 そこからは誰もがスマートフォンを取り出して写真を撮り始めた。一通りメインストリートをぐるぐると回り、お決まりの関帝廟にお参りし、最終的に東門近くまでたどり着いた頃には息切れするレベルである。ごった返す通りを歩くのに疲れ果てた若い連中は、肉まんを買うという。いや、買うなら大混雑の午後より今が良いが、それでも20分待ちだよ、なんて言っている間にいつの間にかもう列に並んでいた。やれやれ。まあ、そのためにここに連れてきたのだから、楽しんだ方が良い。買い方わかるか?なんて声をかけたら、分からないから楽しいとのこと。まあ、そりゃそうだ。道の反対側のちょっとした空き地のようなスペースに立って、買って帰ってくるのを待つ。すると、残りのメンバーがいつの間にか消えていた。別な店で風鈴を物色中である。そして言う。
「これって何?呼び鈴?この下の紙の部分を持って鳴らすの?」
確かに見たことがなければ何に使うものか分かるはずもない。
「これはね。風に揺られて小さな音が鳴るんだよ。暑い最中にこんな音が聞こえると、少し涼しげでしょ。」
そう言って、口で息を吹きかけて音を鳴らす。
「え?どういうこと?」
はいはい。その通りですね。音で涼しさを感じる文化なんて、簡単には伝わらない。そこから言葉を尽くして説明する。最後には、すっかり意図が伝わって、ぜひ欲しいなんて言い出したが、文化の説明は難しい。

 そんなことをしていると、やがて肉まんをたくさん抱えた若いメンバーが戻ってきた。さあ食べよう。そんな感じである。パクッと口にして言う。熱い!そういうものだ。熱い食べ物に慣れていないフランス人である。不用意すぎるというものだ。それでも面白がって食べるとようやく動けるようになった。

 中華街を抜け出して山下公園近くまでくると、多少人混みも減ってきたが、それでも普段に比べたら断然人が多い。中華街はすごい人だったねえなんて驚いていたが、今度は、よこはまパレードの壁が待ち受けている。
「へー、高校生とかも出ているんだね。もしかして、横浜の高校生はみんなこれに参加するの?」
いやいや、人口300万人だよ。この調子でパレードしてたら何日かかることやら。またも質問の嵐だったが、どうやら混雑している理由の一つも理解したようで、めちゃくちゃ面白いという。連れてきてよかったとようやく安心したのだった。

 それから山下公園を少しだけ散策して、氷川丸に立ち寄れば、予想外に高級な貨客船の歴史と船から見える風景が面白い(らしい)。再び中華街に戻って予約をしていたレストランでようやく遅い食事となった。
 この戻ってきた時の中華街の混雑といったら笑いが漏れるレベルだった。
「ようやく、午前中の方がまだマシと言っていた意味がわかったよ。」
本音だろう。こんな混雑、自分も経験がない。

 この後も混雑話は続くが、それはまた別の機会に。
 
 今回は写真を撮っていません。ここで使っている写真は空いている時に撮った過去のものです。ホスト側なので、そんな余裕もなく、なんとか喜んでもらうので精一杯でした。お察しください。
 時々聞かれるのでもう一点。会話は英語です。「お前、フランス語より英語のほうが楽だろ。英語でいいよ。」いやはや助かる。フランス語ではボキャブラリは足りず、ニュアンスを伝える語学力もありません。そんなわけで、英語、時々フランス語、稀に日本語という不思議な会話をしていました。中華街のど真ん中で、たまたま前を歩いていた二人はスペイン語でなぜかAIについて議論中。横の店では中国語のやりとり(何を言っているのか不明)。そんな中でブレずに英語を話すのが混乱しないコツというものです。疲れました。

Bonne journée, Cross Cultural

機能安全


 たまには技術の話でも。

 自動車産業や機械産業の世界で働いていれば、「機能安全」なる堅苦しい言葉を必ず知っている。英語だとfunctional safety。不思議な事に、この世界中で広く知られた概念は、一部の産業の関係者でしか語られない。おそらく、いや間違いなく、ここにその説明を書いたら、数行も読まれずにこの記事は閉じられる。それほど退屈な内容だ。

 その日はドイツの老舗企業と映像の話をしていた。自分は映像系の技術者だったのだ。そのうち、相手企業の技術者が機能安全の話をし始めた。いや、ちょっと待ってくれ。知識としては知っているが、真剣に勉強したこともない。そう言う私に彼は事もなげに繰り返す。
「いや、簡単な話だよ。危ないと分かったら、危険のないように機械を止める。それだけの話だ。今時、機能安全が実装されてなければ売る事も出来ない。」
まあ、知ってはいる。だが、仕事として取り扱ったことなどなかった。なにしろ、あんたの仕事は人が死なないからいいよな、なんて知人から言われるような仕事である。
「自動車は凶器になり得るだろ。食料品だって管理を怠れば人を死に至らしめかねない。街の電気屋さんだって漏電でも起こせば火事になるかも知れない。なのにお前の仕事は、鈍器にすらならない。」
まあ、ある程度親しい知人だから言う冗談なのだが、機能安全とは程遠い仕事だったのは間違いない。

 昼食は、相手企業のご好意で、社員食堂で一般社員と同じ食事をとらせてもらった。
「早めの昼食ですみません。この後は混んじゃうので、この時間が良いかなと思います。今なら、品切れもありません。」
ドイツらしく時間に正確で、至れり尽くせりである。どのソーセージでも選び放題。選択肢が全部ソーセージじゃないかというモヤモヤは残ったが、想像以上に美味しいので問題ない。わけも分からず危険なものを取ってしまわないあたりが、本質安全である(すみません、分かる人には分かる冗談です)。

 さて、ドイツからフランスに帰ってきて半年後、フランスの通信会社が運営する社員食堂で昼食をとっていた。時間は午後1時半を回っている。さすがに時間にルーズなフランスである。すっかりフランス時間で動く事に慣れてしまっていて、そんな時間が当たり前になっていた。
 フランスだから食事が美味しいとは限らない。懐かしのソフト麺よりブヨブヨのパスタだったり、七面鳥の巨大肉と山盛りグリーンピース(だけ)の組み合わせだったり、およそ健康的ではない。そんな食事をしながら会話を楽しんでいたら非常ベルがなった。けたたましいベル音が響き渡る。あのルーズなフランス人が一斉に立ち上がり、非常ドアから整然と外に出た。荷物も食事も置きっぱなし。やる時はやるんだなとしばし感心した。

 結局、非常ベルは誤報だった。老朽化したシステムで何か起きたらしいがよく分からない。後で聞いたら、原因究明中にシステムが非常設備の基準を満たしていない事が分かったので修繕すると言う。発覚して良かったと思うべきなのか、今まで知らずに使っていた事に呆れるべきなのか、はたまた誤報の原因が分からない事に不安を感じるべきなのか。まあ、機能安全とかいう以前の問題ではある。

 機能安全って何か気になり始めた?それは結構。

 よく例題で取り上げられるのは踏切である。立体交差にして絶対にぶつからないようにするのが本質安全。ぶつかりようがないのだから、本質的に安全というわけだ。一方、電車が通る時に踏切を遮断して車が通れなくするのが機能安全だ。機能と訳しているが、仕組みとして安全にしているのであって、本質的に絶対安全なわけではない。もっと言うと、雪の日にはスリップして踏切で止まれないかもしれないから、この機能安全は雪の日には機能しませんなんて定義をする。なかなかややこしい。でも、こんなややこしい定義を重ねて安全は強化されている。

 さて、ドイツでのややこしい会話の後で、フランクフルト国際空港に向かって車を走らせていた。春は大雨の季節で、よく洪水も起きる。その日も大雨だった。そんな時に重要なのは機能安全である。さすがドイツ車、びくともしない。だが、激しい雨で前が見えないから80〜90キロで走っていた狭い道を馬鹿みたいに速い車が次々と追い越してゆく。いくら安定した素晴らしい車だって、機能安全がしっかりしていたって、人間が無謀ならダメだろ。そんな会話を同僚としながら、早く空港に辿り着きたいと思ったのだった。

Cross Cultural

忘れ物


 今回は、10年以上前のポストの再録です。初出時は、読者の多くの方が日本語を母国語としていなかったこともあってかほぼ読まれませんでした。再録にあたって、一部を時代にあった記載に書き換えました。なお、イエメンに触れている部分がありますが、2015年以降、在イエメン日本国大使館は閉鎖され、現在も退避勧告が出ています。この記事は、イエメンへの渡航を推奨するものではありません。


 ずいぶんと昔のことだが、チューリッヒから中東経由で東京に戻ったことがある。いわゆる「南回り」である。ウクライナ情勢の問題やイランの状況もあって、もはや南回りも何もあったものではないが、当時も冷戦時代だったから、ヨーロッパ路線と言えばアラスカと北極を経由する北回りか、ドバイあたりを経由する南回りかの選択肢だった。南回りは多少時間がかかるとはいっても北回りの何倍もかかるというわけでもない。途中のトランジットを楽しんだ上に安いから、特に急ぐ旅でなければ、賢い選択肢だったのだ。

 その時の韓国人スチュワーデスは、十分と言うほどではないにせよ、英語、フランス語、韓国語、日本語の4か国語を話していた。さすがとしか言いようがない。韓国語もフランス語もわからない私は、もっぱらなかなか通じない英語で苦労をしたことが妙に印象に残っている。

 隣の乗客は、アメリカ在住の南イエメン人だった。確か、南部の何処かの州だったと思うが、そこからニューヨーク経由でヨーロッパの何処かに飛んで、さらにチューリッヒに飛び、いよいよ中東まで来たところだとしみじみと語っていた。長い道程であったが、実家までもう少しのところまで来たと。地球儀を眺めれば確かにもうすぐだが、これからもう一本乗り継ぐとかで、相当疲れた様子だった。

 正確には、南イエメンという国は、現在存在しない。30年ほど前にもうひとつのイエメンと統一され、最終的にイエメン共和国となった。統一後も内戦があったと聞く。今はどんな国となっているのか、接点もなくまったく知らないが、隣り合わせたイエメン人がとても嬉しそうにしていたところをみると、きっと素晴らしい故郷なのだろう。写真を見ていても、非常に美しい国土であることはすぐに分かった。もちろん、何もかもがバラ色などという事はないのが常である。彼は、搭乗時に預けた乾電池のことをしきりに気にしていた。手にいれにくいのだという。時代も代わり、今はもうそんなこともないのかもしれないが、少なくとも当時は電池を失くしたくないということだった。

 そこで彼はスチュワーデスに聞く。預けた乾電池はどこで受け取れるのか?簡単な質問である。だが、その簡単な英語がスチュワーデスに通じない。どうやら、batteryという単語がわからないらしいと気がついた。イエメン人の発音が通じないなら自分がと思って聞いて見たが、アメリカ英語風からカタカナ発音まで試して見てもいっこうに埒が明かない。チューリッヒで嫌な予感がしていた。搭乗直前のチェックで “by whom” で始まるやけに古臭い文語体のような不思議な質問をされたのだった。何だろうと訝っていると別な係官が飛んで来て、行っていいという。結局なんだかわからなかったがまともな英語の会話は期待できない様子だった。

 ともかく、今の問題は、隣のイエメン人が電池の受け取り方法を知りたい事をどう伝えるかである。幸いスチュワーデスは片言の日本語も話すので、乾電池と言ってみる。伝わらないので次は漢字で書く。最終的にどうなったのか分からないが、イエメン人は悲しい顔をしてあとで聞いてみるということだった。

 さて、もはやどの空港だったか覚えていないが、飛行機はドバイかどこかの中東の空港に着陸する態勢に入り、件のスチュワーデスはニコニコしながら入国カードのような書類を持って来た。
「イエメンまで乗り継ぎですよね」
とにっこり微笑みながら彼女は私にもカードを渡す。いや、この先もこの飛行機に乗っていきますと言おうと思ったが、面倒になってカードを受け取り座席のポケットに放り込んだ。

 着陸した飛行機は、しばらく駐機する予定であった。乗り継ぎの人はあちらへ、引続き登場する人はこちらへとアナウンスが入る。何れにせよ、燃料補給と整備のため全員下りるということだ。チューリッヒから乗る時にもアナウンスがあったかもしれないが、よく聞いていなかった。

 イエメン人とは別れ、ブリッジを渡り、自分が東洋人であることを証明するように、搭乗アナウンスを待つロビーはどちらに行けば良いか目で探す。結局は搭乗ゲートと同じ場所なのだが、見慣れない風景だから確かめるように一瞬立ち止まる。特にわからないというのではなく、さてどっちかなという瞬間的な思考停止である。目の前には、警備と思われるライフルを持った兵士が周囲に目を光らせていた。ぼんやりしながら再び歩き出す。兵士の前を通り過ぎた時である。兵士は、ライフルの銃床で背中のあたりを押しながら、急げと言ってきた。もちろん、早歩きでその場を離れた事は言うまでもない。

 特に治安が悪い訳でもない。空港の中である。恐らくは、兵士にも他意はなかっただろう。単に早く待合室に行ってくれという程度であったに違いない。とはいえ、銃床を振ることなど兵士にとって普通の動作だったのかもしれないが、それを銃になれない相手にしてしまったのだ。彼にとって日常でも、日常ではない相手には、不愉快というより恐怖である。もちろんそこは中東であって、銃が身近に存在しない日本ではない。そこでの異邦人は自分であると理解すべきだとはわかっていた。だから再び搭乗するまでの小一時間、かに残ったドルだったかスイスフランだったかの小銭でコーヒーを飲みながら、それでもスイスでの出来事を思い出していた。

 スイスとは限らず、ヨーロッパの鉄道駅には、いわゆる終着駅のような、それ以上行き先のない駅がある。ホームに滑り込んだ列車は、列車止めの前で停車する。線路はそこで終わりである。来た方向と違う方向に向かう時は、逆向き、つまりバックするように走り出す。神奈川の私鉄線にも同じような終着駅がないではないが、スイッチバックは珍しい。こうした終着駅が田舎の広々とした空間にあると、場所によっては、遥か彼方まで続くホームの先が誰もいない静かな場所だったりすることがある。

 その駅も、のどかな野原が遥かに広がるゆったりとした駅だった。遠く、鳥の鳴き声が聞こえてくる。乗り継ぐ列車まで小一時間あったので、ホームを散歩することにした。改札があるわけでもないので、気ままである。眺望もよく、遠くスイスらしい新緑の大地が続いている。

 しばらくするとその大地の向こうを貨物列車が走っているのが見えた。黒っぽい機械を載せて長々と続く列車は、視界の中でやがて大きくなり、そして積荷がはっきりと見えてくる。積荷は戦車であった。のどかな風景とは裏腹に、その国の確固たる現実が見えてきた瞬間であった。

 まぁ、そんなものだろうなと独りごちながら、暖かな春風に吹かれつつ先のベンチを目指す。誰ひとりいない静かな昼下がりである。ベンチにゆったりと腰を下ろしぼんやり山岳風景を眺めたい。

 ゆっくりと気持ちの良い空気を吸い込みながら歩いて行くと、ベンチには誰かが置き忘れるたのか、黒い杖のようなものがぽつんと立て掛けられたままとなっているのが見えた。列車に乗る時に忘れたのだとしたら今頃困っているだろうなどと思いながら近付く。しかし、それは、予想と違ってライフル銃だった。周りを見渡すが、誰も見当たらない。どうやらライフル銃の忘れ物なのである。遥か彼方の駅舎には少しばかり人がいるはずだが、こちらを気にしている様子もない。困ったことだ。ライフル銃を抱えて
「誰か落としませんでしたか?」
などと聞いてまわる気にはとてもなれない。結局、ベンチに座るのをあきらめ、駅舎で時間を過ごしたことは言うまでもない。

Cross Cultural

自転車(vélo)


 ご批判を覚悟の上で、道路交通法改正に関して少し書かせて頂こうと思います。自転車への反則金の適用に関するものです。賛成の立場ですので、もし、多少の不愉快さを許容していただけるなら、反対の立場の方もご一読ください。

 道路交通法改正については、さまざまなメディアで紹介されていますので、ここでは触れません。こんな時こそ政府がわかりやすい説明に努力すべきだろうと思いますが、民間の報道や団体がはるかに手厚いのが少々不可解ではあります。ともあれ、何らかの情報があちこちにあります。

 先日、職場でも春の交通安全運動や飲酒運転撲滅運動と共に、この改正についても紹介を兼ねた啓蒙運動がありました。驚いたのは、その中で、多くの方が批判的な立場であることでした。つまり、自転車は車道と言うが、危険極まりない車道を走らせるなど、国は実態が分かっていないのではないかと言うものでした。子供を乗せて不安定なのに車道など走れないとか、飲酒するから自転車なのにどうしたら良いのかとか、理解できるものもあれば、疑問符付きの横暴なコメントもありました。総じて言えるのは、自転車は歩行者の延長にあるように感じている人がほとんどだと言うことでした。

 気持ちはよくわかります。最近は、教育の機会もないので、自転車が車両であることを理解している人は少なくなりました。自転車は車道だからといって、車道の右側を走る人もいますから、すっかり混乱した状態なのだろうと思います。

 そのような状況下で、急に自転車は歩道を走るなとか、自転車に乗りながらスマホを見るなとか言われても納得できない人も多いだろうと思います。

 でも、一方で、確実に歩行者が危険にされされている現実もあります。歩道を走る電動自転車が歩行者にぶつかったりすることが増えましたし、場所によっては歩行者が仕方なく車道を歩いていることすらあります。自転車は速度が比較的遅いので、歩行者にぶつかっても痛い程度で済んでしまうことが多いものと思います。自分自身の経験からも、腕に軽くぶつけられたという程度なら何度もあります。幸いにも数日の打撲程度なので、そのまま放ってありますが、これが小学校低学年くらいの子供やお年寄りだったら大怪我となる可能性もありそうです。実際、自転車対歩行者の事故はじわじわ増加しています。統計に現れるのは警察が関与するようなケースだったりしますので、潜在的な事故はかなり多いのだろうと思います。

 原付バイクは、原動機付自転車の略ですが、モーターアシスト付き自転車は、踏むことを前提としているから自転車に近いのであって、原動機が付いていると言う点では同じです。そのようなものが歩道を走ることにはかなりの危険が伴います。そう考えると、きっと何らかの強制力が必要となったのだろうと思います。これまでは良心に任されていましたが、それでは事故が増加する一方だから規制を強化したのだろうと想像できるのです。

 欧州では、電動キックボードも電動自転車もたくさん走っているじゃないかとのコメントもありました。実際、モーターアシストのパワーは、日本よりずっと大きいものが許可されています。一つ大きく違うのは、多くの場所で自転車専用レーンが整備されていると言う点です。そして、専用レーンがない場所で歩行者用の歩道を走る人はほぼいません。誰もが車道を走ります。左折(日本での右折)は、車に混じって右折レーンを自転車が行きます。今はもう日本では見かけなくなりましたが、しっかり手で合図もしています。

 そのような環境が日本にはないことはもう変えようがありません。国土は狭く、一極集中型の国ですから、レーンを増やすことは容易ではありません。そうであれば、自転車が歩道を走るならゆっくりと歩行者優先で、可能な場所であれば車道を走ることが当たり前の環境を整備するしかないのでしょう。そう考えると、今回の道路交通法改正は、強制力を強めるという点で不可避だったのかなと思うのです。

 先日も、歩行者用信号が赤信号にも関わらず、右側を速度を上げて通り抜ける自転車にひやっとしました。どれほど危険なことなのか、理解されていないことは明確です。そうしたことを共有したくて今回はいつもと違う内容で取り上げました。