Cross Cultural, Photo

(Floral) Friday Fragments #291


 今年はノウゼンカズラが咲くのをほとんど見ていない。雨が多くて近所に出かける機会が少ないこともあるのだろうが、あまり元気に咲いている感じでもない。街角に見つけても雨にぬれて傷んでいることが多いし、暗いから鮮やかに見えていないということもあるのだろう。
 この写真は、たまたまここにだけ日差しがあって、浮かび上がるようにオレンジが輝いたから撮ったものだ。ライティングなどはしていない。でも、ライティングしたくなるような天候のことが多い。記憶が間違っていなければ、8月の上旬からほぼ毎日曇りか雨で、一日中日差しがあったのは、2〜3日程度だと思う。もうひと月以上が経つ。

 自宅の屋根には集熱用の装置が付いていて、ヒートポンプで熱を移動させ、お湯を作れるようになっているのだが、そこそこ晴れるからこそ役立つ仕組みである。先日、ガスの使用量を見ていたら、今年は明らかに昨年までと違う。つまり、8月は日差しも少なかったので、お湯が作れずにガスを使ったということが明確にわかる。毎月のガスの使用量は、グラフにすると綺麗な曲線を描くのだが、8月だけその曲線が膨らんでいるのだ。

 3ヶ月予報では、平年並みの降水量で少し気温が高いと言ってなかったかなあ。せめて空気が乾燥する日が時々来てくれないかなあ。などと、つまらないことを考える金曜日である。

Bonne journée, Cross Cultural

raindrops


I was probably seven years old and definitely didn’t know what the world was. Well, I still haven’t understood. It rained every day because it was a rainy season. My parents were busy for working then I had to spent a time by myself until they went back home. Needless to say, it should not have been. Just 7 years old.
There were two options; one was to stay home, watching TV or reading books, the other was to visit a house of a friend of my parents. Latter would have been better choice in aspect of safety but, as you may agree, a friend of my parents was not always a friend of me. I didn’t want to spend my time in an uncomfortable room but it rained. Finally I found a solution. I decided to play in a garage having no door. Just next to me, it was raining. After growing up, I learnt that it was a precious moment to know what nature is, and what the world is. It should have been a very very small part of it, but was enough.

Cross Cultural, Photo

(Floral) Friday Fragments #290


 古い写真の中から必要な写真を見つけようとあれこれ見ていたら、この写真が何年も前の今頃撮ったものだと気がついた。あれ?9月だったかなあ。なんて、しばし考えた。
 場所が違えば、咲く時期も違うし、場所が違えば、そもそも種類が違ったりもする。この写真は西フランスの公園で撮ったものなので、気温の差なのかなと思ったが、だんだん本当の開花時期がわからなくなってきた。
 まあ、いつの開花だろうが、この柔らかで濃厚な緑と、柔らかで儚いピンクのコントラストが美しいことには違いない。

(ちょっとだけ、美味しそうと思ったことも告白しておきます。)