
もう花も終わりのヤグルマギクを見ながら、昔の職場の近所にあった原っぱを思い出した。原っぱなんていつの時代の言葉だろう。昭和を古い時代遅れの懐かしい昔のように言う風潮にも慣れたが、その慣れのせいなのか、色々な言葉が古臭く感じて使いにくくなった。それで他の言葉を探すのだが、思い出したものは「原っぱ」としか表現が思いつかない場所だった。
原っぱ。決して自然が残された草原のような場所でも、森の中に開いた草地でも、作られた遊び場でもなく、何かの跡地を整地したものの、ずっとそのまま残されたままの土地で、それでも定期的に草が刈られている。立ち入り禁止で、杭が立てられロープで区切られてはいるが、子供たちは時々その原っぱに入り込んで鬼ごっこをしたり、バッタを捕まえたりもしている。子供たちの目から見ればその場所は十分に広く、小さな空き地といった類ではない。
ともかく、そんな場所なのである。思い出した原っぱは、季節折々に花が咲いていた。おそらくは以前にはタネが撒かれ、しばらくは整備されていたのだろう。その花が残って、毎年、同じように花が咲く。もう整備はされていないから、終わった花殻も積まれることは無い。だから、茶色くなった花弁がまだ咲き続ける花に混じっている。作られた花壇ではなく、原っぱの自己主張。
この場所は、きっと間も無く刈り取られる。放置された原っぱなどではなく、花壇の一部である。それでも都会に住み続けていると、こんな風景がきっと楽しいのだ。



