Bonne journée, Cross Cultural

シェーブル(chèvre)


 「フランスに住んでいたこともあるのにワインを飲まないなんてもったいない。」

 何度も言われた忠告だ。余計なお世話だと言いたいところだが、まあ、その通りです。はい。
 飲まないのではなくて、たくさんは飲めない体質なのである。なんだか先週の温泉ポストと似た展開だが、誰だってそういった部分はあるわけで、たまたま二週連続でそんな話を書く事になった。
 で、今週の話はワインではない。おい、ワインを飲まない話じゃなかったの?と言われそうだが、少なからぬ日本人がワインと関連すると感じているチーズの話である。

 フランスのそれなりに伝統的な形式のレストランに行けば、チーズはメインとデザートの間に出てくるものである。何種類ものチーズが載せられたワゴンがテーブル間に引っ張り出されて、客は講釈を聞きながらチーズと食べ方を選ぶ。
「これはこのまま。好きだからカビも残して、もう少しドライなイチジクジャムはないかな。」
 そんな調子で食べたら食い倒れるというレベルの量でメインの後にチーズを食べて、これまたメイン並みのデザートに突入だ。そのチーズに合わせてデザートワインを頼んだりはするが、チーズとワインはセットではない。
 そもそも、大抵の客はそこまで食べない。何しろ、8時くらいからオリーブあたりをつまみに中庭での食前酒を楽しみ、全員が揃うのを待ってテーブルについて食事をオーダー、前菜が出てくるのが9時という状況で、チーズの時間は10時過ぎ、もしかしたら11時。その時点でもう腹一杯なのだ。それからデザートを食べて、チョコレート付きのコーヒーを飲んだら12時。もう、ほぼシンデレラ。というか、そんな文化がシンデレラの背景にはあって、和食とは料理だけでなく、スタイルも対極にある。

 そのチーズだが、フランスで大きめのスーパーに行くと、日本のスーパーの肉のコーナー並みに広い面積を使ってチーズが売られている(下に写真があります)。場合によってはそれ以上である。時々行く市場には、チーズ専門店があって、パッケージされていないチーズがずらりと並び、時には試食しながらチーズを選んだりもする。フランスの伝統食材なんだなと実感できる場所である。
 よく行っていた社員食堂(複数企業と契約しているカフェテリア)にももちろんチーズはあって、メインとサラダとデザートの代わりに、メインとサラダとチーズを選べるようになっていた。で、このチーズが日替わりで、二日に一度はヤギのチーズが選択肢にあった。日本だと、シェーブル・チーズというらしいが、シェーブルはフランス語でヤギという意味なので、きっとそれらしく名前をつけたのだろう。少し酸味やコクが強いので、チーズが苦手な人には好まれないかもしれないが、牛のチーズよりもずっとチーズらしさは感じられる。

 このヤギのチーズが日本ではなかなか買えない。チーズ専門店に行っても、ほとんど置いていないし、あってもどこか風味が落ちる。確かにフランスでコメを食べたら風味が悪いと感じるのだから、同じことなのだろう。
 ところがである。先日、那須の今牧場で美味しそうなチーズを見つけてしまったのである。値段は安くはないが、そこはコメだってフランスでは日本の3倍以上するわけで、日本でちゃんとしたチーズを買えば高いのは仕方ない。
 この今牧場の製品、周囲の他の大手売店でも買えないこともないが、牧場でも買える。牧場と言っても、観光牧場ではないから、牧場の建物の一角に狭い売店があるだけである。おい、ここで良いのか?と思いながら入ってみたら、確かに売っている。しかもフランスの市場で買うみたいなショーケースにこじんまりと置いてある。
 こんな売り方していたら、きっと美味しいに違いない。しかも試食が出来るという。フランスみたいにその場で切る形ではないが、ちゃんと確かめられるのは嬉しい。そこで食べてみたらしっかり本物の味がするではないか。牛も美味しそうだが、ヤギも複数種類ある。わあ、どれにしよう。そんなわけで、3つほど買って帰ったのである。
 まあ、最初から買う気満々である。何しろ、ちゃんとクーラーバッグに保冷剤をたっぷり入れて持っていったくらいである。

 というわけで、ヤギのチーズの美味しいものが、ここで買えます。飛行機代分得しました。

Cross Cultural, Photo

(Floral) Friday Fragments #294


 ようやく雨があまり降らなくなって、足元が乾いているのが嬉しい。
 いやはや本当に長い長雨でした。西日本は少雨と聞いていましたが、東京近郊の特に南の地域は雨が多すぎて、その差がにわかには信じがたい状況でした。
 この花はヤノネボンテンカ。芙蓉属の小さな花です。9月いっぱいくらいは咲いているので、通勤時間に楽しませてもらいました。このポストを書いている今は、もう、ほとんど残っていません。近所に巨大化したオクラが咲いているのですが、こちらもアオイの仲間だそうで、花はなかなか似ています。もちろん色も違いますし、じっくり見たら形も全然違うのですが、アオイの仲間はわかりやすい。

 さて、今日は不在にしています。このポストは、1週間前に下書きを書いて、予約に放り込んでおいたものです。しばらくは、細々と色々あって、時間的余裕がなさそうです。全体的に見たら暇だし、血気盛んだった若い頃に比べたら、かなりスローペースなんですけどね。

Photo

Mostly Monochrome Monday #474


I thought I was thinking about a function that would distinguish between the shaded areas on the graph and the rest, but before I knew it, the shape started to appear as if it were underwater.

グラフ上の網掛け部分とそれ以外を区別する関数式を考えていたような気がしていたが、いつの間にか造形が海の中に見えてきた。

A Part of Mostly Monochrome Monday

Bonne journée

記憶する大地 (2)


赤茶色の西風が吹きはじめた昼下がりは気だるい。
晩夏の風に転げ続けていたひかりは、くすみ葉の隙間を溢れ落ちる。
どんなに鮮やかな空にも時が満ちて終わりを告げる時期が来る。
カサカサと鳴り続けるクヌギの葉音も、
用を終えた藁のかけらの舞う西風の中では、
クイニーアマンから剥がれ落ちたカラメルのように甘く、
奥歯の隙間に苦味を残す。
赤茶色の西風が吹きはじめた秋の昼下がりは気だるい。

Afternoon, when the russet west wind begins to stir,
slows into languor.
Light, rolling on the late-summer breeze,
spills through the narrow seams
of tired, fading leaves.
No matter how vivid the sky,
there comes a moment
when fullness turns to ending.
The rustle of oak leaves goes on,
in the west wind where fragments of straw are carried,
sweet as the caramel flaking from a kouign-amann,
yet leaving behind
a faint bitterness
at the back of the teeth.
Autumn afternoon, when the reddish west wind rises,
drifts in quiet languor.

久しぶりに、まだ作品として定まらない「記憶する大地」の断片です。

It is obviously not perfect even though Google translation and ChatGPT were also used. It’s always difficult to translate a poem into different languages.