Bonne journée

記憶する大地 (2)


赤茶色の西風が吹きはじめた昼下がりは気だるい。
晩夏の風に転げ続けていたひかりは、くすみ葉の隙間を溢れ落ちる。
どんなに鮮やかな空にも時が満ちて終わりを告げる時期が来る。
カサカサと鳴り続けるクヌギの葉音も、
用を終えた藁のかけらの舞う西風の中では、
クイニーアマンから剥がれ落ちたカラメルのように甘く、
奥歯の隙間に苦味を残す。
赤茶色の西風が吹きはじめた秋の昼下がりは気だるい。

Afternoon, when the russet west wind begins to stir,
slows into languor.
Light, rolling on the late-summer breeze,
spills through the narrow seams
of tired, fading leaves.
No matter how vivid the sky,
there comes a moment
when fullness turns to ending.
The rustle of oak leaves goes on,
in the west wind where fragments of straw are carried,
sweet as the caramel flaking from a kouign-amann,
yet leaving behind
a faint bitterness
at the back of the teeth.
Autumn afternoon, when the reddish west wind rises,
drifts in quiet languor.

久しぶりに、まだ作品として定まらない「記憶する大地」の断片です。

It is obviously not perfect even though Google translation and ChatGPT were also used. It’s always difficult to translate a poem into different languages.

Cross Cultural, Photo

(Floral) Friday Fragments #293


 ほぼもう終わりつつある黄花コスモスに、どういうわけかたくさんの蝶が舞っていて、つい周囲を見回しましたが理由がわかりません。健康診断のフォローアップみたいな理由での通院の帰り道、やれやれ終わったなんて一息ついていると、たまたまこんなところに出くわしました。大袈裟な話でもなく、単に安堵感から周囲に目が行っただけなのだろうとは思います。

 このところ、カメラを持ち出しても写真を撮らず持ち帰ることが多くなりました。もう、重いカメラを持とうという気にならなくなっていますが、サブだった小さなミラーレスならば、時々持ち出します。それでも、スマートフォンのカメラが優秀なので、それで十分という気になってきました。しかも、半年前までは iPhone 14 pro だったのでレンズが三つもついていて、大抵のことはこれで事足りるというくらいにいつでも使えたのですが、今はレンズがひとつだけのシンプルな機種に変更しました。それでも十分なのです。まさか、そんなふうに思うことがあるとは思いもよりませんでした。つくづく、写真は機動力と構図なのかなと思い直しています。

 もちろん、物足りないと思うことは多々あります。この写真だって、シャッタースピードと露出を自分で設定して、置きピンで撮りたいと思いながら撮っています。でも、そんな古臭いこと言わなくたって、なんとかなってしまいます。そうであれば、撮りたいと思った瞬間に取り出して撮影できるスマートフォンのなんと便利なことか。

 あー、ホントに便利。でも、次はカメラ持ち出そう。

Photo

Mostly Monochrome Monday #473


Are you being thrown into the air, or are you falling from somewhere, or are you about to hit a wall, or is the sky falling? Probably none of the above.

中に放り出されそうになっているのか、どこからか落ちてきつつあるのか、壁にあたろうとしているのか、空が落ちてきているのか、きっとどれでもない。

A Part of Mostly Monochrome Monday

Art, Bonne journée

la vie


 雨がザワザワと音を立てて落ちる午後だった。空を見上げると、森の中で騒ぎ立てる梢の隙間から、冷たい雫が額に落ちてくる。まだ日没までにはだいぶ時間があったが、ぽつりぽつりと明かりが灯り始めていた。
「この小道を奥まで進むと入り口があります。途中に小さな教会があって、その中は自由にみていただいて構いません。お写真をお撮りになっても結構です。でも、中は撮影できません。」
入り口のちょっとした門の屋根の下で、案内の方が丁寧に説明する。その門をくぐり、曲がりくねった小道を歩いてきたのだった。森の中は、多少のアップダウンもあって、小川の流れる谷の部分には小さな橋もかかっていた。
 迷うようなことのない一本道だった。それでも、要所要所に猫がこちらですと道案内をしていた。その案内に導かれて森を抜けると、赤と白の対比が鮮やかな扉が現れる。藤城清治美術館の展示室がそこにあった。

 百歳を超えてまだ現役の藤城清治の美術館が那須高原にあると知って、立ち寄ってみた。あいにくの雨だったが、施設案内のWebページに掲げられた写真とは違って、雨の降る足元の少し暗い美術館は、藤城清治の作り出す影絵のようにちょっとばかりファンタスティックな様相を見せていた。
 どこかの観光地にあるような小さな美術館というと、個人の趣味みたいなところもあるが、藤城清治が自分で作りたくて作った美術館ということで、想像以上に濃密な空間になっている。もう、これでもか、と言わんばかりの影絵の世界である。その中身については、美術館のWebページを見ていただいた方が良いし、写真撮影はできないから、ここに出せるのは外の写真だけである。それでも冒頭の道案内の猫を見ただけで、どことなく想像はできるかもしれない。

 藤城清治が飼っていた猫の名前はラ・ビー。その名前を冠したカフェも東京にあるらしい。自分にとっては、ケロヨンや笛を吹くこびとが真っ先に思いつくが、ラ・ビーのファンも多い。もし、藤城清治の影絵が好きなら訪ねる価値はある。小さな美術館なのに思いがけず長い時間を過ごし、ちょっと足が痛くなったというくらいには楽しい。

藤城清治美術館(那須)