Bonne journée, Cross Cultural

機能安全


 たまには技術の話でも。

 自動車産業や機械産業の世界で働いていれば、「機能安全」なる堅苦しい言葉を必ず知っている。英語だとfunctional safety。不思議な事に、この世界中で広く知られた概念は、一部の産業の関係者でしか語られない。おそらく、いや間違いなく、ここにその説明を書いたら、数行も読まれずにこの記事は閉じられる。それほど退屈な内容だ。

 その日はドイツの老舗企業と映像の話をしていた。自分は映像系の技術者だったのだ。そのうち、相手企業の技術者が機能安全の話をし始めた。いや、ちょっと待ってくれ。知識としては知っているが、真剣に勉強したこともない。そう言う私に彼は事もなげに繰り返す。
「いや、簡単な話だよ。危ないと分かったら、危険のないように機械を止める。それだけの話だ。今時、機能安全が実装されてなければ売る事も出来ない。」
まあ、知ってはいる。だが、仕事として取り扱ったことなどなかった。なにしろ、あんたの仕事は人が死なないからいいよな、なんて知人から言われるような仕事である。
「自動車は凶器になり得るだろ。食料品だって管理を怠れば人を死に至らしめかねない。街の電気屋さんだって漏電でも起こせば火事になるかも知れない。なのにお前の仕事は、鈍器にすらならない。」
まあ、ある程度親しい知人だから言う冗談なのだが、機能安全とは程遠い仕事だったのは間違いない。

 昼食は、相手企業のご好意で、社員食堂で一般社員と同じ食事をとらせてもらった。
「早めの昼食ですみません。この後は混んじゃうので、この時間が良いかなと思います。今なら、品切れもありません。」
ドイツらしく時間に正確で、至れり尽くせりである。どのソーセージでも選び放題。選択肢が全部ソーセージじゃないかというモヤモヤは残ったが、想像以上に美味しいので問題ない。わけも分からず危険なものを取ってしまわないあたりが、本質安全である(すみません、分かる人には分かる冗談です)。

 さて、ドイツからフランスに帰ってきて半年後、フランスの通信会社が運営する社員食堂で昼食をとっていた。時間は午後1時半を回っている。さすがに時間にルーズなフランスである。すっかりフランス時間で動く事に慣れてしまっていて、そんな時間が当たり前になっていた。
 フランスだから食事が美味しいとは限らない。懐かしのソフト麺よりブヨブヨのパスタだったり、七面鳥の巨大肉と山盛りグリーンピース(だけ)の組み合わせだったり、およそ健康的ではない。そんな食事をしながら会話を楽しんでいたら非常ベルがなった。けたたましいベル音が響き渡る。あのルーズなフランス人が一斉に立ち上がり、非常ドアから整然と外に出た。荷物も食事も置きっぱなし。やる時はやるんだなとしばし感心した。

 結局、非常ベルは誤報だった。老朽化したシステムで何か起きたらしいがよく分からない。後で聞いたら、原因究明中にシステムが非常設備の基準を満たしていない事が分かったので修繕すると言う。発覚して良かったと思うべきなのか、今まで知らずに使っていた事に呆れるべきなのか、はたまた誤報の原因が分からない事に不安を感じるべきなのか。まあ、機能安全とかいう以前の問題ではある。

 機能安全って何か気になり始めた?それは結構。

 よく例題で取り上げられるのは踏切である。立体交差にして絶対にぶつからないようにするのが本質安全。ぶつかりようがないのだから、本質的に安全というわけだ。一方、電車が通る時に踏切を遮断して車が通れなくするのが機能安全だ。機能と訳しているが、仕組みとして安全にしているのであって、本質的に絶対安全なわけではない。もっと言うと、雪の日にはスリップして踏切で止まれないかもしれないから、この機能安全は雪の日には機能しませんなんて定義をする。なかなかややこしい。でも、こんなややこしい定義を重ねて安全は強化されている。

 さて、ドイツでのややこしい会話の後で、フランクフルト国際空港に向かって車を走らせていた。春は大雨の季節で、よく洪水も起きる。その日も大雨だった。そんな時に重要なのは機能安全である。さすがドイツ車、びくともしない。だが、激しい雨で前が見えないから80〜90キロで走っていた狭い道を馬鹿みたいに速い車が次々と追い越してゆく。いくら安定した素晴らしい車だって、機能安全がしっかりしていたって、人間が無謀ならダメだろ。そんな会話を同僚としながら、早く空港に辿り着きたいと思ったのだった。

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(Floral) Friday Fragments #269


 春の雨に舞い散る真紅の花弁に思わず足を止めたとき、不思議と自分はもう若くないことを実感したことは、素直に告白しなければならない。
 とっくに頭の中で理性が分かっていたことだろうと煮え切らない自分を責めるのだが、どこか遠い高みから客観的に自分を見る目と、その視線から逃れようとしている自分とがいて、幾つになっても若いふりをしたくなるということは止められないのだ。

 若い頃はそんな年寄りを見てみっともないと思ったりもしたが、あるときふと、自分もそのみっともない側になったのだと気づいたのだった。それは自然な感情によるものなのだろう。どこかで年をとりたくないと言う気持ちがあって、それ自体は、年齢を重ねることだって悪くないと言う気持ちと相反するものでもない。むしろ、同時に発生する感情でもあるのだ。
 だって、若い頃には年をとった自分なんて想像できないのだから、その異なる二つの気持ちを感じることなんてできるはずもないではないか。ようやく、それを理解できるようになったというだけのこと。

 落ちてなお、濡れたアスファルトの上で輝く花弁と、それをどこからか見ている花頭と、やがて朽ちて茶色になりつつある花弁と、我関せずの新緑と。一体どれが本当の姿なのか。そんなことを考えた刹那だった。

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Mostly Monochrome Monday #449


The remains of a land snail lies lost between the lost memories of the sea, the memories of distant stars, the memories of a hot ancient time, and the lost colors of the earth.

失われた海の記憶と、遠い向こうの星の記憶と、暑かった太古の記憶と、失われた大地の色との間に落ち込んだ陸貝の亡骸。

A Part of Mostly Monochrome Monday

Cross Cultural

忘れ物


 今回は、10年以上前のポストの再録です。初出時は、読者の多くの方が日本語を母国語としていなかったこともあってかほぼ読まれませんでした。再録にあたって、一部を時代にあった記載に書き換えました。なお、イエメンに触れている部分がありますが、2015年以降、在イエメン日本国大使館は閉鎖され、現在も退避勧告が出ています。この記事は、イエメンへの渡航を推奨するものではありません。


 ずいぶんと昔のことだが、チューリッヒから中東経由で東京に戻ったことがある。いわゆる「南回り」である。ウクライナ情勢の問題やイランの状況もあって、もはや南回りも何もあったものではないが、当時も冷戦時代だったから、ヨーロッパ路線と言えばアラスカと北極を経由する北回りか、ドバイあたりを経由する南回りかの選択肢だった。南回りは多少時間がかかるとはいっても北回りの何倍もかかるというわけでもない。途中のトランジットを楽しんだ上に安いから、特に急ぐ旅でなければ、賢い選択肢だったのだ。

 その時の韓国人スチュワーデスは、十分と言うほどではないにせよ、英語、フランス語、韓国語、日本語の4か国語を話していた。さすがとしか言いようがない。韓国語もフランス語もわからない私は、もっぱらなかなか通じない英語で苦労をしたことが妙に印象に残っている。

 隣の乗客は、アメリカ在住の南イエメン人だった。確か、南部の何処かの州だったと思うが、そこからニューヨーク経由でヨーロッパの何処かに飛んで、さらにチューリッヒに飛び、いよいよ中東まで来たところだとしみじみと語っていた。長い道程であったが、実家までもう少しのところまで来たと。地球儀を眺めれば確かにもうすぐだが、これからもう一本乗り継ぐとかで、相当疲れた様子だった。

 正確には、南イエメンという国は、現在存在しない。30年ほど前にもうひとつのイエメンと統一され、最終的にイエメン共和国となった。統一後も内戦があったと聞く。今はどんな国となっているのか、接点もなくまったく知らないが、隣り合わせたイエメン人がとても嬉しそうにしていたところをみると、きっと素晴らしい故郷なのだろう。写真を見ていても、非常に美しい国土であることはすぐに分かった。もちろん、何もかもがバラ色などという事はないのが常である。彼は、搭乗時に預けた乾電池のことをしきりに気にしていた。手にいれにくいのだという。時代も代わり、今はもうそんなこともないのかもしれないが、少なくとも当時は電池を失くしたくないということだった。

 そこで彼はスチュワーデスに聞く。預けた乾電池はどこで受け取れるのか?簡単な質問である。だが、その簡単な英語がスチュワーデスに通じない。どうやら、batteryという単語がわからないらしいと気がついた。イエメン人の発音が通じないなら自分がと思って聞いて見たが、アメリカ英語風からカタカナ発音まで試して見てもいっこうに埒が明かない。チューリッヒで嫌な予感がしていた。搭乗直前のチェックで “by whom” で始まるやけに古臭い文語体のような不思議な質問をされたのだった。何だろうと訝っていると別な係官が飛んで来て、行っていいという。結局なんだかわからなかったがまともな英語の会話は期待できない様子だった。

 ともかく、今の問題は、隣のイエメン人が電池の受け取り方法を知りたい事をどう伝えるかである。幸いスチュワーデスは片言の日本語も話すので、乾電池と言ってみる。伝わらないので次は漢字で書く。最終的にどうなったのか分からないが、イエメン人は悲しい顔をしてあとで聞いてみるということだった。

 さて、もはやどの空港だったか覚えていないが、飛行機はドバイかどこかの中東の空港に着陸する態勢に入り、件のスチュワーデスはニコニコしながら入国カードのような書類を持って来た。
「イエメンまで乗り継ぎですよね」
とにっこり微笑みながら彼女は私にもカードを渡す。いや、この先もこの飛行機に乗っていきますと言おうと思ったが、面倒になってカードを受け取り座席のポケットに放り込んだ。

 着陸した飛行機は、しばらく駐機する予定であった。乗り継ぎの人はあちらへ、引続き登場する人はこちらへとアナウンスが入る。何れにせよ、燃料補給と整備のため全員下りるということだ。チューリッヒから乗る時にもアナウンスがあったかもしれないが、よく聞いていなかった。

 イエメン人とは別れ、ブリッジを渡り、自分が東洋人であることを証明するように、搭乗アナウンスを待つロビーはどちらに行けば良いか目で探す。結局は搭乗ゲートと同じ場所なのだが、見慣れない風景だから確かめるように一瞬立ち止まる。特にわからないというのではなく、さてどっちかなという瞬間的な思考停止である。目の前には、警備と思われるライフルを持った兵士が周囲に目を光らせていた。ぼんやりしながら再び歩き出す。兵士の前を通り過ぎた時である。兵士は、ライフルの銃床で背中のあたりを押しながら、急げと言ってきた。もちろん、早歩きでその場を離れた事は言うまでもない。

 特に治安が悪い訳でもない。空港の中である。恐らくは、兵士にも他意はなかっただろう。単に早く待合室に行ってくれという程度であったに違いない。とはいえ、銃床を振ることなど兵士にとって普通の動作だったのかもしれないが、それを銃になれない相手にしてしまったのだ。彼にとって日常でも、日常ではない相手には、不愉快というより恐怖である。もちろんそこは中東であって、銃が身近に存在しない日本ではない。そこでの異邦人は自分であると理解すべきだとはわかっていた。だから再び搭乗するまでの小一時間、かに残ったドルだったかスイスフランだったかの小銭でコーヒーを飲みながら、それでもスイスでの出来事を思い出していた。

 スイスとは限らず、ヨーロッパの鉄道駅には、いわゆる終着駅のような、それ以上行き先のない駅がある。ホームに滑り込んだ列車は、列車止めの前で停車する。線路はそこで終わりである。来た方向と違う方向に向かう時は、逆向き、つまりバックするように走り出す。神奈川の私鉄線にも同じような終着駅がないではないが、スイッチバックは珍しい。こうした終着駅が田舎の広々とした空間にあると、場所によっては、遥か彼方まで続くホームの先が誰もいない静かな場所だったりすることがある。

 その駅も、のどかな野原が遥かに広がるゆったりとした駅だった。遠く、鳥の鳴き声が聞こえてくる。乗り継ぐ列車まで小一時間あったので、ホームを散歩することにした。改札があるわけでもないので、気ままである。眺望もよく、遠くスイスらしい新緑の大地が続いている。

 しばらくするとその大地の向こうを貨物列車が走っているのが見えた。黒っぽい機械を載せて長々と続く列車は、視界の中でやがて大きくなり、そして積荷がはっきりと見えてくる。積荷は戦車であった。のどかな風景とは裏腹に、その国の確固たる現実が見えてきた瞬間であった。

 まぁ、そんなものだろうなと独りごちながら、暖かな春風に吹かれつつ先のベンチを目指す。誰ひとりいない静かな昼下がりである。ベンチにゆったりと腰を下ろしぼんやり山岳風景を眺めたい。

 ゆっくりと気持ちの良い空気を吸い込みながら歩いて行くと、ベンチには誰かが置き忘れるたのか、黒い杖のようなものがぽつんと立て掛けられたままとなっているのが見えた。列車に乗る時に忘れたのだとしたら今頃困っているだろうなどと思いながら近付く。しかし、それは、予想と違ってライフル銃だった。周りを見渡すが、誰も見当たらない。どうやらライフル銃の忘れ物なのである。遥か彼方の駅舎には少しばかり人がいるはずだが、こちらを気にしている様子もない。困ったことだ。ライフル銃を抱えて
「誰か落としませんでしたか?」
などと聞いてまわる気にはとてもなれない。結局、ベンチに座るのをあきらめ、駅舎で時間を過ごしたことは言うまでもない。