Bonne journée, Cross Cultural, Photo

2018

201712-521

年末に新年の挨拶をするようになって何年にもなる。朝の短い自由を新聞を広げて楽しむサラリーマンを横目で見ながら、トミー・フラナガンのピアノを聴きつつゆったりと過ごす通勤電車の中で、そんなことをふと思い出した。御用納めの朝の電車はどこか余裕ある空気が漂っていた。なんとなく、慌ただしい何かが終わったような気がして、年末は不思議な安堵感のようなものを感じるものなのだろう。これが年始となるといきなり何事もなかったかのように仕事が始まって、一気に慌しさを取り戻す。だからほとんど新年の挨拶のようなものもない。一緒に仕事を進めているフランスのチームもしっかりと休みをとるが、クリスマスの挨拶がわりに新年のあいさつをすると、年明けの会話はスケジュールの話だったりする。そんなものである。

ともかく、2018年こそは明るい一年でありますよう。
May the New Year turn out to be the happiest and the best for you.
Bonne Année
Gelukkig nieuwjaar
Onnellista uutta vuotta 2018

Bonne journée, Photo

Cozy

201712-501

I used to have a cozy sleeping on “tatami” of a north side room
in summer and to be lying snug and warm on “engawa”, a Japanese style loggia, in winter when I was a child. Today, it is hardly seen and a part of nostalgia or a historic architecture.

The picture at the top was taken at a preserved architecture close to my house.

最近は縁側も少なくなって猫も困っているのではないかと心配。

 

Bonne journée

doesn’t matter

201712-411

どうでもいい話ではある。言葉には何かを伝えるという目的があって、その目的を達成するために要らない事に気を使うこともあれば、勿体ぶった表現をすることもある。ある人によれば、時に高圧的な態度をとることが必要だそうだが、人それぞれである。丁寧にお願いするのがいつも良いわけでもないが、高圧的なのは伝える言葉ではない。ただ、丁寧なようなそうでもないような妙な表現が色々出てくるのも困ったものである。「よろしかったでしょうか?」など、慣れてはいてもいつもどこかで違和感を感じている。

先日、遅れた通勤電車をいつものように待ちながら、ふと急にアナウンスに違和感を覚えて驚かされた。「次の電車も併せてご利用ください」といういつものアナウンスである。だが、よくよく考えればかなり怪しい。併せて利用とはどんな意味なのか。今来たばかりの混雑した電車と次の幾分人の少ない電車の両方に同時に乗ることなどもちろん出来ない。だが、誰もが平然と受け入れている。要は、次の電車の利用も併せてご検討くださいということだろう。絶対に次の電車に乗れとは言わないが、よく考えて次の電車の方が良いと思うならそうしてほしいという随分と回りくどいお願いである。回りくどいから簡単にまとめると「併せてご利用ください」となったのかも知れない。
まぁ、どうでもいい話ではある。