
Taken at Yokohama English Garden

capturing in prose

Taken at Yokohama English Garden


日常のように淡々と時が過ぎ
日常のように終わりが曖昧なまま
過去が作られる
そうやって
心のどこかに小さなトゲが残される
容赦ない自然の惨禍も
玄関先の蔓薔薇も
同じように傷痕を残しはするが
突きささったトゲは
いつまでも
小さな痛みを与え続け
誰ひとりその終わりに気づかない
日常のみが
ただ終わりを告げる
それが日々を過ごすということ
自分には嘘をつかないこと
だけどちょっぴり嘘をつくこと
そうやって
僅かな幸せが訪れる
その小さなトゲと
僅かな幸せが
瓦礫のように折り重なったものが
生きると言うこと
Thank you for your visiting. This is the last post. I hope you could enjoy whole photos on Gallery Yokohama Andante.
新聞の片隅にあった妙な広告が通り過ぎざまに目に入り、思わず立ち止まって確認した。よく見れば「嘘八百」という映画の宣伝だったのだが、薄暗い朝の光の中で動く目から入った信号は、わずかばかり漢字の形状が似ているからか、頭の中で「猪八戒」と変換されたのだ。流石にそんなドラマや映画はないだろうと見返した訳である。三国志の中にあって重要な役割を果たす猪八戒であるが、猪というその姿からしてヒーローの条件を満たしていない。その猪八戒を主人公に映画でも作ればなかなか面白そうではあるが、売れるためにはひと工夫いるだろう。
ところで、猪八戒はなかなかにかわいそうな妖怪であることは、忘れがちである。元々は天上界の水軍だったかを率いる神様であったが、少々女癖が過ぎて地上界に追放される。その際に生まれ変わる先を誤って、人間ではなく豚だか猪だかにしてしまったのだ。確かそんな話である。何もそんなところで間違わなくても良さそうなものだが、物語とはそんなものだ。あぁ、間違った!と後悔したのかどうかはわからない。
朝のまだ薄暗く冷たい空気の中でつまらない見間違いをしたために、妙なことを思い出しながら苦いコーヒーを楽しむことできた。休日の朝はそのくらいがよい。
Someone is sitting in the shade today because someone planted a tree a long time ago.
– Warren Buffett
「今日、誰かが木陰で休んでいるのは遥か以前に誰かがその木を植えたからなのです。」
– ウォーレン・バフェット
It is really good words but the next quote sounds easier somehow for me.
とても良い言葉だが、少し傲慢にも聞こえる次の言葉の方がなぜかしっくりする。
People don’t remember each tree in a park but all of us benefit from the trees. And in a way, artists are like trees in a park.
– Yoko Ono
「人は公園の木々をひとつひとつ覚えてなどいないが、私たちは皆その木々の恩恵を受けている。ある意味、アーティストとは公園の木々のようなものなのです。」
– オノ・ヨーコ
At a serene park. (The 2nd contribution to WPC:Serene)
静かな公園から。