Bonne journée, Cross Cultural

Bonne journée (40)

201602-311

Written only in Japanese

部屋のドアを開け荷物を押し込みながら、ようやくたどり着いたという安堵感とともに、その日に泊まるホテルが快適かどうかを急いで確認してしまう癖はどうにも治らない。長旅の後なのだからベッドに身を投げ出して固まった背中の筋肉をリラックスさせるとか、とっとと荷ほどきをして自分の城を築くとか、あるいはまだまだ元気いっぱいなら早速バーカウンターを目指すとかいろいろありそうだが、とりあえずはあらゆるドアと引き出しを開け全てをチェックする。

そうやってチェックする筆頭は、ベッドや枕ではなくバスルームであることが多い。水が出ないというのには出会ったことはないが、排水されないことはある。石鹸がなかったのでフロントにお願いして持ってきてもらったが、翌日もまたなかったなど普通のことだ。後でチェックしても良さそうなものだが、ひととおり確認してから荷ほどきを始めるのはもはや習慣となった。

そんな確認をしながら気づいたことがある。最近は、地球環境を意識した変化がすっかり定着したということである。もちろん、ずっと続いてきたことではある。メルキュールは「地球を救おう」キャンペーンと称して、以前からアメニティを使わなかったらその分を寄付するとしているし、タオルなどは交換して欲しい時にバスタブに入れてくれと書いたシールを鏡に貼っている。昨年は、とうとうボディージェルとシャンプーが壁から下がっている仕様になった。確かに使い捨てのアメニティよりは環境に良いだろう。そして、その環境対策がコストダウンにもなっている。企業の都合が誰にも良いことであれば、それは継続可能であるに違いない。あまり鉄道網が使えない北米ほどではないにせよ、車社会のヨーロッパでもバス通勤が増えているそうだから、それだけ意識も高まっているのだろう。

さて、ホテルの到着チェックで一番困ったのは、石鹸や水ではない。なんと、ドアが開かなかったということだ。クローゼットとかではない。部屋のドアである。確かに鍵は開いたが、どうやってもドアは動かない。仕方なくフロントに戻って事情を説明したら、フロントマンは実にあっさりとその動かないドアを開けて見せた。少し上に引っ張るようにするのがコツだそうだ。確かにこれ以上のセキュリティはない。鍵を無理矢理こじ開けても泥棒は入れないのだから。

 

Bonne journée, Cross Cultural

Bonne journée (39)

201602-211

Written only in Japanese
あるウェブサイトを見ていたら、なかなか外国語に訳しにくい日本語という内容の記事があって、「ありがとう」「おかげさま」「おつかれさま」などが取り上げられていた。その通りだなと思う一方で、少しだけ本当にそうなのかとしばらく考えてしまった。

ありがとうは英語にすれば “Thank you” であるという紋切り型の訳し方はさておいて、「有り難い」という表現と「あなたのおかげ」という表現には、視点の違いがあるだけで、根底にある気持ちの表現にはさして差異はないのではと思ったわけである。英語圏で育ったわけではないから、母国語が英語の人が “Thank you” と言われてどう感じるのかわからない。ひょっとすると、想像しているのとは全く違うニュアンスがあるかもしれない。だが、訳せないニュアンスなどたくさんあるし、そうやって殊更違いを指摘しても見えない壁のようなものを意識してしまうだけのようにも思われるのだ。同じように、「おつかれさま」にも直訳的な表現はないにせよ、似た気持ちを表す言葉もないではない。これ以上ここで書きつらねる意味もないだろう。違いを強調して言語の壁をわざわざ作りたくはない。そういう意味では、多少視点がずれないでもないが、”Thank you” と言われたら必ず “You’re welcome” と答えるといった米語的な学校英語教育も、余計な言語の差異を言わないという点では基礎としては悪くないのかも知れない。

ところで、この日本語の「ありがとう」は、時に「すみません」という言葉に置きかわる。急用があって、約束の時間にどうしても間に合わないから30分相手に待ってもらったと言った時に、「すみません、待っていただいて。」などと言うのはごくごく普通のことだろう。この「すみません」こそ日本語以外に訳すのが難しい言葉かも知れない。一体何がすまないのか?そう問われると答えに窮する。「ごめんなさい」に近い表現なのかも知れないが、それに比べればずっと曖昧だろうか。

だからもう10年以上、意識して必要なければ「すみません」を使わないようにしている。その代わりこう言えば良い。「ありがとうございます。待っていただいて。」自分にとっての「有り難さ」を表現してはいるものの、相手への感謝の形を示す方が、ずっと良さそうだと思うからである。そうなると、自分の非を表すためには「すみません」では足りない。いきおい、「ごめんなさい」も多用することになる。ドアでぶつかりそうになり「ごめんなさい」と言い、ドアを持ってもらって「ありがとう」という。それが自然な気がするのである。そうやってみると、自分視点の日本語と相手視点の英語の違いこそあれ、言語の違いなどほとんどない。

さて、ここまで書いて、どうしても英語では説明が難しいと思いながら無視してきた文がある。
「おかげさまで春めいてきました。」
こればっかりはどう訳したものか、皆目見当がつかない。

最初の写真は横浜赤レンガ倉庫、下の写真はカナダのブッチャート・ガーデン。

201602-212