Art, Bonne journée

Bonne journée (33) 国立新美術館

201411-125Written only in Japanese.

六本木というよりはむしろ乃木坂の感覚の国立新美術館を久しぶりに訪ねた。そのメタリックな威容は、それ自体がアートであると同時に、アートを楽しむ場所としては些か落ち着かない不安な感覚を覚えなくもない。巨大な空間もさることながら、大きな展示が同時開催され、それぞれの思いでたくさんの人が集まってくるその忙しなさがひとつの理由であるかもしれない。つい先日まではオルセー美術館の有名作品が展示されていたと思えば、日程を重ねるようにチューリヒ美術館のこれまた有名作品の展示が始まるといった具合である。教科書で見たあの絵を実際に見てみたいという人もあれば、印象派の絵が好きだという人もいる。ともかく絵が好きで、全部の展覧会に脚を運ぶ人もいるだろうし、六本木に遊びに行ったついでにふらっと立ち寄るということもある。さすがに稀かも知れないが、全部の展覧会を1日でハシゴする強者もひょっとしたら案外そこそこいるのかもしれない。

201411-124そうやって、まるで大型のショッピングモールのように行き交う人の流れが、静かなアート空間という決まりきった概念と喧嘩する。そんな意味では、ある種、コンテンポラリーアートの中にでも入ってしまったような感覚でもある。

その対極にあるというわけでもないが、どこかの邸宅で個人コレクションでも見ているかのような錯覚を覚える美術館として、東京都庭園美術館原美術館日本民藝館などは、落ち着いてゆっくりと過ごせる場所である。もちろん、他にもそんな美術館はたくさんあるが、個人的にはこの3つは好みである。東京都庭園美術館(過去記事)は3年もの休館を経ていよいよリニューアルオープンということで、どうなっているのか楽しみでもあり、少しだけ不安でもある。美術館サイトの情報を見る限り、どうやらあの雰囲気はしっかり残し、建物それ自体が美術品と言って良い旧朝香宮邸の修復も進んだとのことなので、きっと思っているあの雰囲気は守られているだろう。

201411-121 近代的な美術館にも古い美術館にもそれぞれの良さがあり、どちらが良いという話でもない。ルーブル美術館などは新しさと歴史が同居した巨大美術館として多くの人々を呑み込み、ガイドブック片手に行ってみたものの、結局あれがどこにあったか分からないといった話はもはや当たり前となっている。一方でこの国立新美術館は、めまぐるしく展示が動き、いつも新しい。公募展の場としての役割もあるからだろう。巨大な展示室は殺風景でもあり、エネルギーにもあふれている。

なにやら、自分が美術品を見に行っているのではなく、美術館を見に行っているような気がしてきたが、それもまた楽しみ。そう思いたい。

今日も良い一日を。

201411-123

Art

ヨコハマトリエンナーレ2014

201410-041The article “Yokohama Triennale 2014” was written only in Japanese.

何も書かれていない白を見る。じっと見る。目を凝らし、何も見逃すまいと隅々まで眺める。何の変哲もない四角に切り取られた白い枠を覗くように見る。首を伸ばし、何ひとつ変わったところのない異常な白を見てみる。足音が聞こえてくる。リーフレットのノイズとともに近付いてくる誰かを肩の向こうに感じながら、また何も書かれていない白を見る。体をおこし、3歩下がる。どこか不安を感じて周囲を見渡し、周囲にある他の作品を感じながら再び観る。首筋を掻きながら、もう一方の手で腰を押さえ、白い空間を凝視する。そこに白がある。白い色はやがて影を持ち始める。わずかな陰影に白が歪み、クリーム色の模様が見えたような錯覚をおぼえる。しかしてそこには完全な白がある。

首を曲げて離れた場所に置かれたケースを見る。また白を見る。小さな説明書きに気付き、それを読む。作品名と作者の名前を作成年と共に記してそれ以上何も語らない四角は、白い四角を残して記憶から直ぐに消えて行く。白いそれから目を逸らし、離れたケースを見に近付く。ゆっくりと近づく。五線譜と説明書き。書かれていない音符。白い五線譜。ノイズ。

201410-047白い空間を漂いながら、次の部屋に迷い込む。自らの意思で迷い込む。そうやって迷いながら歩きまわる間に、時は容赦なく流れていく。生きるイメージと死を約束されたイメージ。その狭間に、時は流れていく。容赦なく流れる時間の中で、もどかしいほどゆっくりと作品が動く。ふと気付くと、強烈に色が自己を主張する。

開催の度に参加する横浜トリエンナーレは、まさに参加すると言う言葉が合っている。ぼんやりと眺めることもできないわけではないが、いつも必ず自分が作品の中にいるような錯覚をおぼえる。それがインタラクティブ性やインスタレーションそのものが作品と成り得るコンテンポラリーアートの面白さでもある。いつだったかのトリエンナーレ。実物大のサッカーゲームに興じながら、自分自身が参加しなければ感じることのないアートを楽しみ、狭い隙間を障害物を避けながら今を感じた時、観るアートはリアルタイムで存在するアートに変わったのだろう。

昨年はすっかり話題になっていた”The Clock”を見て、正午を迎える緊張感と正午を迎えた安堵感を同時に味い、急にランチタイムにしたくなったのが妙に記憶に新しいが、それでもなお、アートの中にいる感覚、あるいはそこにあるアートがある意味全体の印象であることは間違いない。

横浜のビルに巨大なバッタが取り憑いてから13年。次はまた3年後なら参加しておかなければならない。11月3日まで。

 

Art, Bonne journée, Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Refraction

201410-030Three years ago, I had a chance to visit the exhibition of Jean-Michel Othoniel, who is well-know artist and his works are made of glass.

The refracted light was blended in colored glasses and reflected around you.

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201410-033As if it was in a cathedral.

Time to time, we are confused and think where we are in the refracted world.

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In response to the weekly photo challengeRefraction by The Daily Post.

Art, Bonne journée

No intention

The doorIn November, last year, I posted a photo of a door locked by a creeper colored by autumn red. It was a kind of art made by nature. This early summer, the door was still locked. Mostly same, time hasn’t changed it but color – it was green season – and, more than a half year, nobody tried to open it even though it was easy to do. Now it’s time to say how it is. There’s nothing. Somebody, probably a faithful caretaker, would decide to clean up.

201408-031昨年の11月、紅葉したツタに鍵をかけられたドアの写真をポストした。それは自然が作ったアートのようだった。今年の初夏、半年を過ぎてなお、ドアは依然として閉じられており、色以外はすべて同じであった。簡単に開けられるというのに、誰も開けようとしなかったのだろう。今、それがどんな様子か言う時がきた。今、そこには何もない。誰かが、恐らくは生真面目な管理人が、片付けようと決心したのだ。

Sometimes nature makes artificial things without intention. Yes, no intention. That’s nature but we find something in it probably because we see it through our eyes. In winter, I posted such a nature made art which was a snowy bike. It was a bad weather, heavy snow falling and still humid. The thermometer indicated around 0 degree in C even when it was snowy. Such a strange condition made this object.

雪まつりのオブジェではない
taken with iPhone

時々、自然は意図せず人口的なものを作り出す。意図などない。それが自然であり、我々はそれを自分の目で見るからそこに何かを見出すのだ。冬にそんな雪の自転車の写真をアップした。ひどい天気で激しく雪が降っており、なお、湿度が高かった。寒暖計は0度を示し、そんな妙な天気がこの物体を作ったのだった。

A week ago, I found another fun art. Red traffic cones made an uncommon view. Of course, these cones were just waiting for being used. A methodical person might put them. Anyway it looked a kind of art with no intention.

201408-032
taken with iPhone

一週間ほど前、他の楽しいアートを発見した。赤いパイロンが普通とは違う景色をあらわしていた。もちろん、パイロンは出番を待っていただけだ。几帳面な誰かが置いたのだろう。ともかくそれは、意図のないアートみたいなもののようだった。

Art, Cross Cultural

陶器のすすめ

pottery-1(This article was written only in Japanese)

焼き物は使ってこそ良さがわかるというものだろう。飾りの少ない陶器ならなおさらだ。銘のあるような骨董品や広く知られた作家の作品となると気が引けるが、普通に買うことが出来る器なら日常に使いたい。以前にもそんな記事を書いたが、なかなか気に入った器に出会うことは少ないかもしれない。元来は工芸品であって、大量生産こそできないものの、一点ものとして大事に保管する類の芸術品というわけでもない。だから、そこそこ気に入ったものを手にとって、直感的に買うのが良い。

ライティングに気を遣い、その微妙な丸みや表面のテクスチャ映えるようにディスプレイされた器を見て、あれやこれやと悩むのも良い。一緒に飾られた観葉植物と見比べながら、家に置いた姿を想像するのも良い。だが、無造作にたくさん並べられた器の中から無造作に選ぶのも悪くない。そうして無造作に並べられた器を見ていると、全般に土色の陶器にもカラフルな色が見えてくる。

あか、あお、みどり、茶、黒、白、灰、オレンジ、朱、碧、藍、夫々に名前があり、組み合わせは無数となる。じっと見ていれば、それは寧ろ溢れかえる色であって断じて土色などではない。クチから高台(糸切り、脚の部分)に向かって流れ落ちる白に淡い青を感じることもあれば、黒々とした釉薬が赤く見えることもある。だから無造作に並べられた中から好きな色を探し出すだけでも迷うことになる。お店の人があれやこれやと考えてディスプレイしたその提案を受け取るのも良いが、自分で想像してみるにこしたことはない。何と言っても使っている姿を使っている人の視線で想像出来るのは、紛れもなくその本人だけなのだから。

それだけではない。形状も様々だ。皿に角皿や丸皿といった様々な形があるように、湯呑みもカップも様々であり、大きさが異なる。それは日常の器なのだから当たり前である。だが、同じ形の同じ色の茶碗を見ても、店頭にある同じ茶碗が必ずしも同じ形ではない。微妙に丸みが異なり、口の大きさが異なり、手に取れば厚みも異なっている。手作業であるが故に全く同じものを作ることは出来ないし、手頃な価格の製品はひとりが作っているわけではない。違いがあって当然なのだ。そうやって微妙に違った中から気に入った物を探す。多少の歪みが面白いこともある。釉薬が変色していても良い。今時は電気釜(小さな釜は電気、商用の大きな釜はガス)であって均質に焼けてはいるが、それでも個体差はある。時には、部分的に焼けたように見えるものもあるが、特ににする必要はない。それが気に入ればそれで良い。

pottery-2焼き物には詳しくないが、子供の頃から連れられて度々買いに出かけていたから、器を選ぶ楽しみだけは知っている。もし、正しい楽しみ方があるなら、それについては自信がないが、自分なりの楽しみ方があればそれで良いではないか。そう思うのである。(写真は全てこの夏の益子のもの。)

庶民的な陶器を楽しみながら選ぶ10の方法

1. 迷ったらシンプルで伝統的なものを選ぶ

伝統にはそれなりの理由があって、ずっと長い間守られてきたもの。だから、ちょっと古臭くても多くの人が選んできたのであって、間違いがないというより「いいね」がたくさん付いているという事。先達を信頼して伝統を選択するのが良い。もちろん、デザインは少しずつ変化して当然だから、モダンなのに伝統的と感じたら、それはきっと当たり。

2. 4つ欲しいと思ったら5つ買う

なんだか気に入ったし、家族4人で使いたいから4つ買おうかな。そう思うなら5つ以上買うこと。陶器は欠けやすい。欠けたから追加で買おうかなと思っても、すでに同じデザインはなくなっていると考えた方が無難だから。もちろん、お客様用もありだし、気を遣わないですむということは普段から使えるということで、ぜひ+1を。もちろん、違うデザインの組み合わせも可。幾つも並べられた違った器が何故か統一されて見えるというのは上級者コースかもしれないが、同じ窯で作られた器は不思議と違和感が少ない。以前、神保町にあったある喫茶店では好きなカップを選んでそれにコーヒーを淹れてくれたが、そんなに沢山なくてもきっと楽しい。

3. 実用的な物を選ぶ

使いやすいことはもちろん、洗いやすいこととも考えて、実用的な器を選ぶのが普段使いには重要。他と違った装飾の多い器は見た目にも楽しいが、いざ使うとなるとためらうようなことも。コーヒーカップは片側に重さがかかるから、飲み物を入れると急に重く感じるわけで、普通の輪になった形状が結局は好ましい。厚みも重要。磁器のような薄く透明感のある器も魅力的だが、磁器と違って陶器は強度が少し弱いから、多少厚みのあるものが無難。試しに強く押してみると僅かに歪むくらい(試すのはお勧めしない)だから、あまり無理のない厚みの物を選択すること。その方が素朴で味もあるし、熱い飲み物には唇にも優しい。

4. 買う時は歩く

窯が違えば形も色も違う。特定の窯を扱う店もあれば、いろいろ揃えている店もある。地元の土とは限らないし、最近移ってきた作家さんの作品を扱う店もある。気に入った物を探すなら、多少歩くのは厭わないこと。歩いて探し回っているうちにお腹が空いて、美味しそうなケーキでも見つけてしまったらそれはもう仕方がない。運命に身を任せる。そうするしかないではないか。

pottery-35. 分からない事は店の人に

気に入った器を選ぶのに分からないことなどありそうにもないが、ともかく分からないと思ったならお店の人に聞いたほうが良い。例えば陶器は脚のところがザラザラしているのが普通で、なんとなくテーブルを傷つけそうなどと考えてしまう。同じデザインでもこちらのほうが釉薬の流れかたが良いのだけれど、だいぶザラザラしてるから違うほうにしようかな、などという時は先ずは聞いて見る方が良い。この程度ならこれで大丈夫と脚どうしを擦り合わせてハイおしまいということもあれば、丁寧に砥石で磨いてくれることもある。先ずは何でも聞いてみること。但し、忙しい時に世間話が長いのは相手も困るし、「これ、何に使うの?」は愚問だからほどほどに。意図する用途はあるだろうが、徳利を一輪挿しにしたって誰も文句は言わないのだから。

6. 商品を大切に扱う

陶器は割れやすい。そんなことは当たり前だが、それだけでなく、他の人が困らないように見たらきちんと丁寧に戻すこと。乱雑に置かれれば次に手に取る人も気を遣わざるを得ないし、ばらばらに置かれたら選ぶ事も難しい。もちろん、高価なものも含まれている。都会のお洒落な店なら高価なものはそれらしく置かれているかもしれないが、写真で載せた益子のような生産地だと案外適当に置かれている。以前に棚の上の方をなんとなく見上げたら、有名な名前が無造作に書かれていて、びっくりするような値段がついていた。それもまた生産地の良さであるし、だからこそ客にも礼儀があろうというもの。陶器に限ったことではないが、商品は丁寧に扱うこと。

7. 日本語が上手くなくても侮らない

益子の街を歩いていると、時々たどたどしい日本語を聞くことがある。古民家のような店構えの店舗の前でそれを聞くと、あぁ遠くから来た客人かなとつい思いたくなる。だからといって、単なる観光客と考えてはいけない。ひょっとすると、自分よりよほど焼き物に詳しい達人ということも。世界中に陶器はあるから、世界の手法を学ぶために日本に来ている研究者や気鋭の若手の可能性だってある。日本語が下手だからといって侮るなかれ。話をする時は対等の立場で接すること。その昔、バーナードリーチだって益子にいたのだから。

8. 周囲のレストランやカフェも楽しむ

こう書きながらなかなか実現できていないのだが、レストランやカフェも楽しみたい。人が集まるところにお洒落なカフェがあるのは自然なこと。であれば、歩きながら見つけた手近な店を選ぶというよりも、ちょっと調べて美味しそうな店を訪ねるのも良い。今時、Google mapにでもあたれば、田舎の小道の奥深くにある小さなカフェを探すことだって難しくはない。まして、観光地と言うには静かな焼物の街なら、喧騒を離れてのんびり過ごせる可能性もある。もし、そこで陶器のカップが出てきたら、それこそラッキーというもの。写真好きなら1枚撮ってるに違いない。ついでに古くからあるお寺にでも立ち寄って、街そのものを楽しむもよし。周囲の環境まで楽しむこと。

9. ろくろ体験

時間があるなら自分で器を作ってみること。思ったようには出来ないが、それなりの形にはなる。益子には、ろくろを回せるところがいくつかある。やり方を丁寧に教えてくれるから、初めてでも全く問題ない。ろくろを回しているうちにグニャリと曲げてしまうお馴染みの映像だって、間違いなく目の前30cmの近距離でライブで経験できる。であれば、先ずはやってみるほうが器選びも楽しいに決まってる。そうやって難しさと楽しさを知ることで、何を選ぶかも違ってくるにちがいない。出来上がった器を見ながら何色にしようかなと悩むこと自体が、色を知る機会ですらある。この釉薬の青は深くこちらは淡いなどと悩んでいる時に伝統色を学んでいるのだ。時間がないとかろくろは自信が持てないとかということなら、手捻りという方法もある。絵付けも手軽だ。ともかくも自分で作ってみれば、違う側面も見えてくるだろう。そうして、ろくろを体験し、出来上がりがひと月先と決まった時、その苦労も理解できるに違いない。

10. 感謝の気持ちを忘れずに

手に入れたら、ともかくも使ってみること。感謝の気持ちを持って使ってみれば、良いところも悪いところも見えてくる。そうして、もっと大きな持ち手が良いとか、案外濃い色はご飯に合うとか、逆にコーヒーには内側が薄茶色が良いとか、もっと平たい形状が良いとか、次に買う時のヒントが見えてくる。だとすると、次に買う理由ができるではないか。