Bonne journée, Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Connected

201509-109

We are all connected. Exaggerated? Probably you are right but sometimes I found me being connected to some friends even when I was at a far place. Stations have marvelous power in nature.

In response to the weekly photo challengeConnected by The Daily Post.

Bonne journée

Dialogue: 政治

201504-311Written only in Japanese

電車の中でぼんやりしていたり、道を歩いていて前を歩く集団があまりにゆっくりであったりすると、どうしても耳に入ってしまう会話がある。聞いては失礼だと思っても、聞き逃したいない話もあれば、聞きたくないのに聞こえてしまう話もある。

今回は会話とは言い難いが、おそらくは会話しているつもりだろうと取り上げる。

政治家:
「といったことから、私、鈴木太郎は、そのような地域を自分の足で見て回ってきたわけです。そして、こんな話に着目と言いますか気づいたようなそんなわけであります。
おはようございます。私は、鈴木太郎本人でございます。
地域を自ら歩き、地域の方から、こんな話をお聞きしました。子供たちが、もっと地域にチカラを発揮できるような、そんな環境づくりができるのではないか。もちろん、大人と同じように力仕事できるわけではございません。私、鈴木太郎は、子供たちがチカラを発揮できるようしっかりと支援する、そんな環境を準備することができるようにしたい。そんなふうに感じたわけであります。」

通行人:
「なんだ、感想かよ」

政治家:
「…。
おはようございます。私は、鈴木太郎本人でございます。」

少々内容が分かりにくいため要約する。すなわちこうである。選挙が近いので地元の支援者にあいさつに行ったら小学生が(地元の祭りとか清掃といった)地域活動に参加していたが特に自分に考えはない、そんなところだろう。名前を連呼したい気持ちは理解するが、政治の閉塞感とは、案外こんな身近な演説から来るのだろうと感じずにはいられなかった。

なお、名前はもちろんでたらめである。もし、同姓同名の方がいたとしても偶然であるので、気を悪くされないようお願いする次第である。

 

Bonne journée

ダイアローグ: 弾まない

201503-011Written only in Japanese

電車の中でぼんやりしていたり、道を歩いていて前を歩く集団があまりにゆっくりであったりすると、どうしても耳に入ってしまう会話がある。聞いては失礼だと思っても、聞き逃したいない話もあれば、聞きたくないのに聞こえてしまう話もある。

すっかり忘れていたダイアローグシリーズだが、先日、近くにいたふたりの会話を盗み聞いて、急に書くことにした。

「今日、じしんあった?」と先輩。
「んん〜揺れてた。」と後輩。そして沈黙。

何があったのか、会話の進まないふたり。浮かない表情で終始した会話は、会話の定義を見直す必要がありそうなほどに視線が交差しないままに消えていった。僅か数分。明らかに聞こえた会話はこれだけ。あとは小声でひとことふたこと。仕事の合間にする会話とはいえ、あまりに寂しい。

さて、「じしん」とひらがなで書いたのは変換ミスではない。ふたりが去った後でもそれが「自信」であったのか「地震」であったのか、未だ判然としないからである。打ち合わせの席での提案でもあって、出席者を説得できなかったようでもあり、午前中の小さな地震を確かめたようでもあり、その意図はなんとも分からない。ひょっとすると、会話するふたりの間ですら、会話が成り立っていなかった可能性もある。

そして、しばらくして思いあたった。会話である必要すら無かったのだろうと。

 

Art, Bonne journée

Bonne journée (33) 国立新美術館

201411-125Written only in Japanese.

六本木というよりはむしろ乃木坂の感覚の国立新美術館を久しぶりに訪ねた。そのメタリックな威容は、それ自体がアートであると同時に、アートを楽しむ場所としては些か落ち着かない不安な感覚を覚えなくもない。巨大な空間もさることながら、大きな展示が同時開催され、それぞれの思いでたくさんの人が集まってくるその忙しなさがひとつの理由であるかもしれない。つい先日まではオルセー美術館の有名作品が展示されていたと思えば、日程を重ねるようにチューリヒ美術館のこれまた有名作品の展示が始まるといった具合である。教科書で見たあの絵を実際に見てみたいという人もあれば、印象派の絵が好きだという人もいる。ともかく絵が好きで、全部の展覧会に脚を運ぶ人もいるだろうし、六本木に遊びに行ったついでにふらっと立ち寄るということもある。さすがに稀かも知れないが、全部の展覧会を1日でハシゴする強者もひょっとしたら案外そこそこいるのかもしれない。

201411-124そうやって、まるで大型のショッピングモールのように行き交う人の流れが、静かなアート空間という決まりきった概念と喧嘩する。そんな意味では、ある種、コンテンポラリーアートの中にでも入ってしまったような感覚でもある。

その対極にあるというわけでもないが、どこかの邸宅で個人コレクションでも見ているかのような錯覚を覚える美術館として、東京都庭園美術館原美術館日本民藝館などは、落ち着いてゆっくりと過ごせる場所である。もちろん、他にもそんな美術館はたくさんあるが、個人的にはこの3つは好みである。東京都庭園美術館(過去記事)は3年もの休館を経ていよいよリニューアルオープンということで、どうなっているのか楽しみでもあり、少しだけ不安でもある。美術館サイトの情報を見る限り、どうやらあの雰囲気はしっかり残し、建物それ自体が美術品と言って良い旧朝香宮邸の修復も進んだとのことなので、きっと思っているあの雰囲気は守られているだろう。

201411-121 近代的な美術館にも古い美術館にもそれぞれの良さがあり、どちらが良いという話でもない。ルーブル美術館などは新しさと歴史が同居した巨大美術館として多くの人々を呑み込み、ガイドブック片手に行ってみたものの、結局あれがどこにあったか分からないといった話はもはや当たり前となっている。一方でこの国立新美術館は、めまぐるしく展示が動き、いつも新しい。公募展の場としての役割もあるからだろう。巨大な展示室は殺風景でもあり、エネルギーにもあふれている。

なにやら、自分が美術品を見に行っているのではなく、美術館を見に行っているような気がしてきたが、それもまた楽しみ。そう思いたい。

今日も良い一日を。

201411-123

Cross Cultural

les vendredis soir 金曜の夜

20131229-001This article was written only in Japanese.

12月はよりどころの無い季節である。あるいは、落ち着く場所が無いと言うべきか。果たして人は最後の仕事をきれいさっぱり片付けるべく、さして急を要するものでなくとも走り回る。1月に仕事を残したくないとか、年末は昔から報告書が多いと決まってるとか、支払い期限があるとか、それなりのもっともらしい理由はあるのだろうが、その実、12月と1月に特別大きな違いはない。それでいて人は走り回る。12月の何かのためではなく、1月のために。

忙しく走り回りながら仕事に追われているはずの12月の金曜の夜の街は、ひどく賑わっている。都心の鉄道は終電を延長し、飲食店は予約すらできない。「貸し切り、キャンセル出ました」などと店の前にカラフルな文字で大きく書かれた案内を見ると、それはそれで稼ぎ時なのだなと違う納得もしたりする。よりどころの無い12月の金曜の夜は、それぞれのさして重大でもない理由とともに過ぎて行く。

些か偏り過ぎた見方だろう。夫々の想いのこもった日々を過ごした人も多いに違いない。だが、どうしても日本全体を覆い尽くしたような「せわしなさ」と「浮かれ加減」には、ひどく落ち着かない感覚を憶えるのだ。今年もクリスマスの夜に仕事を抱え、金曜の通勤電車で赤ら顔の乗客と隣り合わせることが多かった自分を変えるべきなのだろう。他の誰かに金曜の夜くらい自分のために早く家に帰るべきだとか言う前に、仕事をさっさと片付けて自らが帰らなければならないのだろう。あるいは、仕事の仲間と過ごすのはウィークデーだけにして、金曜の夜から月曜の朝までは仕事とは一切関わらないくらいが良いのだろう。それでも日本の労働時間は世界トップクラスであり、仕事外の付き合いも多いのだ。

先日、フランス人を含むパーティーがあった。例によって金曜の夜である。その日しか日程が合わなかったのだ。多少遅くなっても翌日は休みだし、都合が良いでしょうと。色々と予定もあり、体調を崩していた私は欠席することにしたが、そう告げた時のフランス人の一人の返事は「そりゃそうだろう。自分も驚いた。欠席は当然だ。」であった。週末は自分と友人や家族のために使うのであって、休みだから金曜の夜は遅くなっても良いというのは変であると。欠席する私に気を遣ってのことであるのは承知している。それでも、これほどの言い方の背景には意識の違いがあるに違いない。

ルーブル美術館は、金曜の夜は遅くまで開いている。しかも26才以下は無料である。そんなチャンスを使って美術や歴史に触れることができるのは、自分自身のために使う時間が重要だとの考えが社会形成されているからだろうと勝手に考えている。もちろん、そんな大袈裟な話ではないのかもしれない。だが、そうした社会的合意がなければ、利用はされにくい。学校が近ければ、昼休みに家に帰って家族と食事をしたりする国である。だから昼休みが30分などということはない。であれば、休日の前の夜に同僚と飲みに行くなど考えられないというのも理解できる。まして、週末は取引先とゴルフなどありえない。

どちらが良いという事ではない。仕事仲間と親睦を深める週末が日本社会を作ってきた側面もあるだろう。北米、特にアメリカの管理職は休日も仕事の連絡を欠かさないといった調査もあった。どの程度信頼性があるか分からないが、地域によって考え方は異なっているらしい事は、経験でも想像ができる。

20131229-002年末は、アメリカもフランスも連絡をいれても音信不通という状況だった。クリスマス休暇で誰もいないということだろう。休日はクリスマスと元日だけだが、その間を会社の休業日にしたり、正当な休暇を全員が取得したりで、大抵は連絡がつかない。クリスマス休暇は日本でのお盆休みみたいなもので、特に教会に行くことのない人でも休みをとる。遠く離れた家族が集まったりするのも似ている。だから家族のための休暇でもある。休暇をとる前の挨拶は、「家族と良い休日を」だったりもする。

そして思うのである。金曜の夜も自分や家族のために使う習慣はどうかと。よりどころのない12月も少し違って見えないかと。

Bonne journée

ダイアローグ:休憩中

電車の中でぼんやりしていたり、道を歩いていて前を歩く集団があまりにゆっくりであったりすると、どうしても耳に入ってしまう会話がある。聞いては失礼だと思っても、聞き逃したいない話もあれば、聞きたくないのに聞こえてしまう話もある。

会議室そばの休憩コーナーで、社会人数年といった感じの若い男が数人で雑談中である。どう見ても社会人としてのマナーに欠けるラフな出で立ちが、むしろ精一杯努力しているようで、微笑ましい。話題は一点、次のビッグイベントに向けて、それぞれのイメージは広がっていく。

【A】あれ、すげーな。光がハンパねぇ。
【B】おー、レーザーみてぇなのがグァと動いて見えんのな。あんなに空中に光の線が見えるとは思わなかったよ。
【A】ミッキーもよく見えるしな。
【B】ミラコスタから見えんじゃね?
【C】あの時間じゃ見られねぇよ。
【B】結婚式の時間帯じゃ無理か?そこまでうまくはいかないよな。
【A】おめぇ、式はいつなんだよ?
【C】いや、まだ結婚するか決まってないんだよ。
【A,B】なに〜、何だよそれ。
【C】いや、まだ正式に決まってなくて。
【A,B】…
【C】でもさ、ミラコスタの下くぐって行けんだろ。あれ、別なところから出られんだよ。
【A】そこ、ポイントじゃないから。