Art, Photo

Street

海からの少しこそばったい風を感じに行くことはおろか、窓を開け放つこともあまりなくなった晩秋の午後、時間に追われるようにキーボードを叩いている自分よりもずっと速く、干からびた時がその瞬間を追い越していくような気がして、冷たさを感じ始めた指先を眺める。昨日と同じ何ひとつ変わらないくたびれた手が忙しない動きを止める。他人の手。自分の指。確かめる必要のない指先にキーボードの黒い石が規則正しく圧力を与える。
バカンスとクリスマスの間に落ち込んだ街にようやく他人事のような静けさが染み込み始め、夏の終わりに出しゃばりすぎたアコーディオンの音色も、つぶれたマロニエの実のようにいつの間にか歩道の隙間に沈み込む。今日もまた騒がしかった夏風の音を懐かしむように窓の外を眺める。他人の土地。仮の住処。締め切った窓ガラスのすぐ向こうにある壁を取り外そうとする。

街を歩いていて偶然出会したSethのストリートアートと展覧会の案内。さして遠くはないが行く機会はなさそうである。写真を撮るなら少しはリスペクトしたいと街並みを背景に封じ込めてみた。

Cross Cultural, Photo

The Planet with Photo

201703-321Written only in Japanese.

「地球を守ろう。この地球は、コーヒーの飲める唯一の惑星です。」
といった感じだろうか。RSSフィードでチェックしているブログを見ていたら、そんな言葉が手書きのサインボードに書かれた少しおしゃれなカフェの写真があった。旅先で見つけたら、ひょっとするとつい立ち寄ったかもしれない。念のため原文を書けば、”Save the earth. It’s the only planet with coffee.”である。こういったコピーは、冒頭のように直訳的な表現ではあまりしっくりこない。
「宇宙にたったひとつ、コーヒーの香り芳しいこの地球を大切に。」
これもいまひとつだが、最初の訳よりはまだ良いのではないか。言語にはそれぞれ固有の言い回しがあって、直訳するとしっくりこない場合が多い。逆にそれが新鮮であったりもするから一概に良くないとは言えないが、なかなか言葉は難しい。
これが絵や写真、音楽となると世界共通の様に言われて案外頓着しないが、実はまるで違うらしい。各国の民謡の音階の違いは言うまでもなく、山水画とヨーロッパ中世の絵画には大きな隔たりがある。音楽も絵も好きなだけで専門的な内容に詳しいわけではないから正確には表現できないが、大学でしっかり学ぶと地域差とか文化的な違いとかがわかってきっと面白いに違いない。絵であってもそこにはある種の文法のようなものがあって、誰もが鳥の絵を見て鳥と理解するにもかかわらず、その美意識は違う方向に向いていると感じられる。ただ、言語と絵画や音楽が大きく違うのは、符号化されていない絵画や音楽が世界中で了解できることである。符号化あるいは記号化は、その符号の意味が了解されていなければ通じることはない。
さて、特に注意することなく前段で「写真」と書いたが、この写真が文化の違いにあらわれるかと問えば、その答えはなかなか難しい。歴史が浅いからとも思ったが、19世紀後半にはカラー写真が登場していることを考えると極端に新しいわけでもない。そして誰が撮っても同じになるわけでもない。それでも差異が見つけにくいのは、写されたものが現実の映像をそのまま伝えるからだろう。オンラインで世界中の写真を見るのが当たり前になって、差異が生まれにくいこともあるだろう。そう思いながらフォトシェアリング・サイトの無数の写真を見ていると面白い事に気づかされる。やはり写真には文化の違いがあると。誰か、この直感が正しいかどうか調べてくれないものか。

201703-322

Bonne journée, Photo

Cafe Everest

201610-411

夕暮れの重いバッグを肩にかけ直しながら、
疲れた足を放り出し、
いつものカフェのサインにぼんやりと目をやり、
会議のやりとりを思い返していた。

プロジェクターが映し出す光の紋様はただオレンジに輝くだけで、意味のある解を伝えはしなかった。たったひとつ意味のある言葉といえば、「もう一度考え直そうか」という俯いたしゃがれ声だけだった。どんな価値があるのか分からないとか、言葉の意味がわからないとか、そんな言葉が小さな部屋の中でぶつかり、やがて過ぎた時間を確かめるためだけに議事録が発行された。
遠いカフェのサインボードは、プロジェクターと同じオレンジの光を反射していた。欺瞞と傲慢の間で言葉は色彩を失い、やがてこぼれ落ちた。

「ここは入り口ではありません。あなたはここから入りません。」

カフェ・エヴェレストという名の店のオレンジ色に照らされたガラスのドアに鍵は見当たらなかったが、それが開くことはなかった。

「このドアは開きません。朝日の照らす側からお入りください。運を忘れずに。」

二重になった奥のガラスドアには、ご丁寧にもさらに張り紙があった。眺めるドアは、どこかで今日を拒絶しているように見えた。
いつも何かが起こり、いつも何事もなかったように夕暮れが訪れる。会議の議事録は、恐らくは二度と開かれない。ただの冷え切ったデータ。昨日と今日の違いは単にファイルがひとつ増えたことだけに違いない。

「上まで階段を登るとあなたは入り口を見つけます。あなたは入りません。」

前にあった張り紙はいつか分からなくなっていた。バッグを肩にかけ直し、少し汗をかいたシャツの襟を整える。オレンジ色の光を反射するドアの向こうには、確かにコンクリートの階段があった。毎日前を通り毎日見ていたドアは、一度も開けようとしたことなどなかったと気づいた。
階段の一番下には年端のいかない少年がひとり、アイスクリームを食べながら誰かを待っていた。夕暮れと言うには少し遅くなった一日の終わりに、オレンジ色の明かりに照らされたドアと冷たい青の階段との隙間から腕に巻きついた時計とは違う時間が浸み出し、拒絶された何かがわずかに動き出したように思えた。階段を見上げると、ハロウィンの飾りが風に揺れた。

起こってしまったことも
もう忘れそうなことも
これからおこりそうなことも
すべてバッグの中にしまいこんで持ち歩いていた。


特に何かモチーフがあるわけでも思うところがあるわけでもない。どこかでひっかかった何かが、単に時々湧き出してくる。たまにお付き合いいただければ幸いである。

Here’s a prose poem in Japanese. Here I tried to write down a soul in the middle of glorious future and the vain hope.

201610-412

Art, Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Mirror

201609-101

A few moths ago, I was strolling through a backstreet of a big city Tokyo and I found me missing something natural and tranquil. I got bored with daily business and would be tired of doing same things every day. Perhaps I should gone on a weekend excursion to the back country to find nature. However, simultaneously, I understood what I needed was not nature but sophisticated calmness in the city. One of my ways to do was, as usual, to visit a smaller art museum.
The picture was taken at the Museum of Modern Art, Hayama, which is at a old resort just next to Yokohama and one hours from Tokyo. I hope you enjoy a mirror image made with the modern architecture, the sea and the sky.

しばらく前に東京の裏通りを歩いていて、何かしら自然で落ち着いたものが足りないような気がしていることに思い当たった。日々の仕事に飽きて、同じことを繰り返すことに嫌気がさしていたのだろう。ひょっとすると自然を求めて田舎でも訪ねればよかったのかもしれない。でも、同時に、欲しているものが都会の洗練された平穏といったものだとも理解していた。そんな時にやることといえば、小さめの美術館に行くことである。この写真は、葉山の神奈川県近代美術館にて撮影された。

In response to the weekly photo challengeMirror by The Daily Post.

Art, Bonne journée

ART: 佐藤雅晴―東京尾行

201604-211確かに家を出た時には理解していたはずの行き先は、時が過ぎるとともに曖昧になって行く。やがてどこに向かっているのかも考えなくなってしまった人々は、うつむきながらゆらゆらと前に進み、コートの襟は肩にかけられたバッグの重みに歪む。朧げな両目の先に白く光を放つ小さな聖書を抱え、誰もがその曖昧な行き先に引き寄せられる。発車ベルとモーター音と靴音とコンクリートに反射する声とコンプレッサーの共鳴音とが混じり合った静寂。朝の駅から吐き出された無口な人々は、雑踏の静寂に身をゆだね、否応なしにその1日を始めるのだ。 Continue reading “ART: 佐藤雅晴―東京尾行”

Bonne journée, Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Vivid

201506-201

At the backyard of a grocery store close to my house in Yokohama, I saw sometimes many small colorful container boxes upheaped. These boxes have each colors because they conveyed different food from different place by different company. The picture was taken in Canada. It would appear that someone stacked boxes like contemporary art.

In some cases, a shop window could tell us the season as the nature does.

In response to the weekly photo challengeWPC: Vivid by The Daily Post.