Bonne journée

Bonne Année

20131223-004The world is going in real time. Everything on our planet is always changing. But still you only know what you see. What you learn from a news show might be happened one day, one month, one year or one century before. Our life is not so different from a day of Julius Caesar? Probably, no. It must be a kind of gloom and doom.

Today we may have a new power, Web technology as a common infrastructure, which provides us a real-time information, sometimes with wonders.
At least, even if it is just a fraction of a daily life, we would know the world, gathering all of things. Network would be going to improve our planet consisted of various senses of worth. I believe that it is important to know,
c’est important de le savoir.

I would like to thank everybody for kind messages, supports and a lot of likes.
I wish you, your families and your friends the best for 2014,
bonne année,
良い一年を。

Cross Cultural

les vendredis soir 金曜の夜

20131229-001This article was written only in Japanese.

12月はよりどころの無い季節である。あるいは、落ち着く場所が無いと言うべきか。果たして人は最後の仕事をきれいさっぱり片付けるべく、さして急を要するものでなくとも走り回る。1月に仕事を残したくないとか、年末は昔から報告書が多いと決まってるとか、支払い期限があるとか、それなりのもっともらしい理由はあるのだろうが、その実、12月と1月に特別大きな違いはない。それでいて人は走り回る。12月の何かのためではなく、1月のために。

忙しく走り回りながら仕事に追われているはずの12月の金曜の夜の街は、ひどく賑わっている。都心の鉄道は終電を延長し、飲食店は予約すらできない。「貸し切り、キャンセル出ました」などと店の前にカラフルな文字で大きく書かれた案内を見ると、それはそれで稼ぎ時なのだなと違う納得もしたりする。よりどころの無い12月の金曜の夜は、それぞれのさして重大でもない理由とともに過ぎて行く。

些か偏り過ぎた見方だろう。夫々の想いのこもった日々を過ごした人も多いに違いない。だが、どうしても日本全体を覆い尽くしたような「せわしなさ」と「浮かれ加減」には、ひどく落ち着かない感覚を憶えるのだ。今年もクリスマスの夜に仕事を抱え、金曜の通勤電車で赤ら顔の乗客と隣り合わせることが多かった自分を変えるべきなのだろう。他の誰かに金曜の夜くらい自分のために早く家に帰るべきだとか言う前に、仕事をさっさと片付けて自らが帰らなければならないのだろう。あるいは、仕事の仲間と過ごすのはウィークデーだけにして、金曜の夜から月曜の朝までは仕事とは一切関わらないくらいが良いのだろう。それでも日本の労働時間は世界トップクラスであり、仕事外の付き合いも多いのだ。

先日、フランス人を含むパーティーがあった。例によって金曜の夜である。その日しか日程が合わなかったのだ。多少遅くなっても翌日は休みだし、都合が良いでしょうと。色々と予定もあり、体調を崩していた私は欠席することにしたが、そう告げた時のフランス人の一人の返事は「そりゃそうだろう。自分も驚いた。欠席は当然だ。」であった。週末は自分と友人や家族のために使うのであって、休みだから金曜の夜は遅くなっても良いというのは変であると。欠席する私に気を遣ってのことであるのは承知している。それでも、これほどの言い方の背景には意識の違いがあるに違いない。

ルーブル美術館は、金曜の夜は遅くまで開いている。しかも26才以下は無料である。そんなチャンスを使って美術や歴史に触れることができるのは、自分自身のために使う時間が重要だとの考えが社会形成されているからだろうと勝手に考えている。もちろん、そんな大袈裟な話ではないのかもしれない。だが、そうした社会的合意がなければ、利用はされにくい。学校が近ければ、昼休みに家に帰って家族と食事をしたりする国である。だから昼休みが30分などということはない。であれば、休日の前の夜に同僚と飲みに行くなど考えられないというのも理解できる。まして、週末は取引先とゴルフなどありえない。

どちらが良いという事ではない。仕事仲間と親睦を深める週末が日本社会を作ってきた側面もあるだろう。北米、特にアメリカの管理職は休日も仕事の連絡を欠かさないといった調査もあった。どの程度信頼性があるか分からないが、地域によって考え方は異なっているらしい事は、経験でも想像ができる。

20131229-002年末は、アメリカもフランスも連絡をいれても音信不通という状況だった。クリスマス休暇で誰もいないということだろう。休日はクリスマスと元日だけだが、その間を会社の休業日にしたり、正当な休暇を全員が取得したりで、大抵は連絡がつかない。クリスマス休暇は日本でのお盆休みみたいなもので、特に教会に行くことのない人でも休みをとる。遠く離れた家族が集まったりするのも似ている。だから家族のための休暇でもある。休暇をとる前の挨拶は、「家族と良い休日を」だったりもする。

そして思うのである。金曜の夜も自分や家族のために使う習慣はどうかと。よりどころのない12月も少し違って見えないかと。

Books

A Book: 生き残った帝国ビザンティン

20131221-001This article was written only in Japanese.

日本からヨーロッパは遠い。飛行機で10時間以上も薄っぺらな椅子に縛り付けられ、あちこちに体をくねらせて少しでも楽な姿勢を探しながら、やっとの思いでたどり着く。身体中に鈍い痛みのようなものを感じながら降り立った空港のその風景は、時に、それが関東平野にあって広々とした平面に引っ掻き傷のようにあったはずの成田空港と比べるまでもなく、終わりがあるとも思えない広がりを表す。そうして長旅の後には多くの言語が溢れ、あたりまえのように染み込んでいく。

これがアジアとなると、幾分かその様相は異なっている。地理的に近いということもあるだろう。見慣れたとまで言えなくとも、何処と無く日本で身近に見る目が、そこでこちらを見ていたりもする。実際に物理的に近いかどうかといった事だけではなく、文化的な背景に近い部分も含めた近さのようなものを感じることもあるだろう。風景の中に似た植生を見つけるといった環境面も無視できない。

では、トルコはどうか。ボスポラス海峡に分かたれたその国は、近いのか、遠いのか。

青く澄んでその深みを知るも難い輝く空を背景とし、さながら大河のように白波をたてて流れる海を前景として、重厚な中にも華やかさをもって佇むモスク。荒涼とした大地に2000年の時を経てなお賑わいを感じるローマの街並み。果たして地球上の風景かと目を疑う地上から突き出す大地。写真で見るトルコは、アジアの東の果てからは、はるかに遠いエキゾチックな風景を織りなす。だが、それでもなお、トルコは地理的にも文化的にもヨーロッパとアジアの両方に位置している。それは、かつて、東西には香辛料や絹を運び、南北には宗教をも運んだ場所であり、今、ボスポラス海峡にかかる橋は、同時にヨーロッパとアジアに架かる橋でさえある。

かつてコンスタンティノープルと呼ばれたその要の街は、今はイスタンブールとして世界からバカンスのデスティネーションとなっている。コンスタンティノープルは、コンスタンティヌスの街という意味であり、紀元330年のローマ時代にローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、旧い街を元に壮麗で強固な街として造りあげたと歴史の授業で学ぶ。やがて、ローマ帝国は東ローマとなり(後世の便宜上の名前ではあるが、西ローマ滅亡後を区別する名としての)ビザンティン帝国となって、ついにはオスマントルコに敗れると。

アジアでもあるイスタンブールが日本から遠く感じるのは、物理的な距離もさることながら、それ以上に、このような歴史観が背景にあるような気がしてならない。確かに高校の授業では、欠かすことの出来ない歴史の一部としてビザンティン帝国を教えている。だが、その量は決して多くはない。輝かしいローマ史が下降線を描く中で、キリスト教を国教として国の維持をはかったコンスタンティヌスまでは、地中海世界の勢力図の変遷として、あるいは多神教からキリスト教への変遷として、あるいは寡頭制といった政治制度として、様々な視点から手厚く学ぶ。その後は、ローマの滅亡とその後を引き継ぐビザンティン帝国、十字軍、そしてオスマントルコである。ゲルマン民族の移動は多くの人が記憶するが、ベネチア共和国を軸とした交易の歴史には多くの時間を割くことはない。ベネチアに触れるなら、寧ろ、十字軍よる占領とスペインとの交易覇権の争いにおいてである。ビザンティン帝国は、多くの人にとって、ヨーロッパ史の記憶の隅に僅かに残る程度でしかない。だが、ビザンティン帝国は千年にもわたって続いたのである。

なぜこうも歴史ある帝国が名前程度しか記憶されないのか。その答えは、「生き残った帝国ビザンティン」に書かれている。正確に言えば、もちろん、答えなど書かれているわけはない。少しでも興味があって、名前以上の知識があれば、高校の教科書程度の背景が理解さえできれば、ひょっとすると同じ感想を持つ人もいるのではないか。そう思うのである。ビザンティン帝国は紛れもなくローマ帝国の末裔であり、同時にアジアでもある。この、アジアである事の背景だけでもビザンティン帝国の意味合いは違ってくる。教科書で学んだビザンティン帝国は、ヨーロッパ史としてのビザンティン帝国であって、もちろんアジア史の一部ではない。その見方は果たして真実を伝えきっているのか。ひょっとすると、ビザンティン帝国の中、あるいはアジア側から見たビザンティン帝国は、高校で学ぶギリシャ色の濃いローマの末裔やアジアからの防波堤としてのキリスト教国とは異なっているのではないか。そうした疑問を覚えながらイメージが変わっていく。高校で学ぶあまりに薄っぺらなビザンティンは、恐らくは、西ヨーロッパのフィルタを介して見る主旋律の装飾に過ぎないのだ。もちろん、このような見方は、著者の意図とは違うだろうし、そもそも意味を誤解しているかもしれない。此処に書いた個人的な感想が怪しい駄噺でしかない事は、正直に記しておく。

ある意味、学術書なのだろうが、ドキュメンタリー小説のように読むことが出来る。裏返せば、どこからがフィクションか分からなくなりかねないが、そうなったらビザンティンに入り込んだという事。それはそれで良い。ならば、日本からヨーロッパへの飛行機で読むのも良いだろう。ましてイスタンブール行きならイメージも膨らむというもの。とは言え、ビジネスクラスでの移動ならという条件付きではある。身体をくねらせながらの苦行の最中に読むには、少々中身が濃すぎるからだ。できれば、ヴェネツィア発イスタンブール行きの船上で、パラソルの下、風に吹かれながら読みたいものである。

最近読んだ本

生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫)
井上 浩一 著

妻を帽子と間違えた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
オリヴァー サックス 著、 高見 幸郎、 金沢 泰子 訳

アラブがみた十字軍 (ちくま学芸文庫)
アミン マアルーフ 著、牟田口 義郎、 新川 雅子 訳