Bonne journée, Cross Cultural, Photo

Goodbye 2022

(English text at bottom)

いつ終わるのか分からないままに、ある日突然に2022年が終わろうとしている。それは実感のないままに地球が太陽の周りをぐるりと一周したと言うのとさして変わらない。元から誰も終わりなど教えてくれなかったどころか、自分自身でもいつ始まったのかすら気づかなかったのだから、そんなものなのだ。ただ時間が過ぎて、昨日まで過ごした場所と今日息継ぎをしている場所とが交差することなく存在していたということなのだろう。かつていた場所に住む知人とたわいもない会話をWebでしながら、かえって距離を感じるのが習慣となったらしい。それでも1日の仕事の終わりに言う「おはよう」に、不思議と安堵を感じるものだ。一日中「おはよう」と言い続けられるのなら、それはきっと良い1日に違いない。

良い年をお迎えください。

Without knowing when it is going to end, suddenly the last day of 2022 has come. That is not so much different from saying that the earth went around the sun without knowing. Not only did no one tell me the end day from the beginning, I myself didn’t even notice when it started, so that’s how it is. It’s just that time has passed, and the place where I spent yesterday and the place where I’m breathing today existed without intersecting. It seems that it has become a habit to feel the distance while having casual conversations with acquaintances who live in the place where they used to live. Still, I feel strangely relieved when I say “good morning” at the end of the day’s work. If you can say “good morning” all day long, it must be a good day.

Best hopes and wishes for the New Year!

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

2018

201712-521

年末に新年の挨拶をするようになって何年にもなる。朝の短い自由を新聞を広げて楽しむサラリーマンを横目で見ながら、トミー・フラナガンのピアノを聴きつつゆったりと過ごす通勤電車の中で、そんなことをふと思い出した。御用納めの朝の電車はどこか余裕ある空気が漂っていた。なんとなく、慌ただしい何かが終わったような気がして、年末は不思議な安堵感のようなものを感じるものなのだろう。これが年始となるといきなり何事もなかったかのように仕事が始まって、一気に慌しさを取り戻す。だからほとんど新年の挨拶のようなものもない。一緒に仕事を進めているフランスのチームもしっかりと休みをとるが、クリスマスの挨拶がわりに新年のあいさつをすると、年明けの会話はスケジュールの話だったりする。そんなものである。

ともかく、2018年こそは明るい一年でありますよう。
May the New Year turn out to be the happiest and the best for you.
Bonne Année
Gelukkig nieuwjaar
Onnellista uutta vuotta 2018