Art, Bonne journée

No intention

The doorIn November, last year, I posted a photo of a door locked by a creeper colored by autumn red. It was a kind of art made by nature. This early summer, the door was still locked. Mostly same, time hasn’t changed it but color – it was green season – and, more than a half year, nobody tried to open it even though it was easy to do. Now it’s time to say how it is. There’s nothing. Somebody, probably a faithful caretaker, would decide to clean up.

201408-031昨年の11月、紅葉したツタに鍵をかけられたドアの写真をポストした。それは自然が作ったアートのようだった。今年の初夏、半年を過ぎてなお、ドアは依然として閉じられており、色以外はすべて同じであった。簡単に開けられるというのに、誰も開けようとしなかったのだろう。今、それがどんな様子か言う時がきた。今、そこには何もない。誰かが、恐らくは生真面目な管理人が、片付けようと決心したのだ。

Sometimes nature makes artificial things without intention. Yes, no intention. That’s nature but we find something in it probably because we see it through our eyes. In winter, I posted such a nature made art which was a snowy bike. It was a bad weather, heavy snow falling and still humid. The thermometer indicated around 0 degree in C even when it was snowy. Such a strange condition made this object.

雪まつりのオブジェではない
taken with iPhone

時々、自然は意図せず人口的なものを作り出す。意図などない。それが自然であり、我々はそれを自分の目で見るからそこに何かを見出すのだ。冬にそんな雪の自転車の写真をアップした。ひどい天気で激しく雪が降っており、なお、湿度が高かった。寒暖計は0度を示し、そんな妙な天気がこの物体を作ったのだった。

A week ago, I found another fun art. Red traffic cones made an uncommon view. Of course, these cones were just waiting for being used. A methodical person might put them. Anyway it looked a kind of art with no intention.

201408-032
taken with iPhone

一週間ほど前、他の楽しいアートを発見した。赤いパイロンが普通とは違う景色をあらわしていた。もちろん、パイロンは出番を待っていただけだ。几帳面な誰かが置いたのだろう。ともかくそれは、意図のないアートみたいなもののようだった。

Art

東京都庭園美術館

201403-060-teienThis article was written only in Japanese
この記事は2014年春に書かれたものです。

東京都庭園美術館Tokyo Metropolitan Teien Art Museum)は、リニューアル・オープンに向けて長期閉館中。老朽化した建物を直して近代化するとか、展示を見やすくするとか、色々な理由で美術館も改装するが、どうやらここは少し違う。2014年のオープンが待ち遠しい。

美術館には絵や彫刻などを楽しみに行く。企画展が好みの画家だったりすると、単に画家の作品を見るというだけでなく、画家の人生を知り、画家の生きた時代の空気を吸いに行くことも目的となったりする。だから、絵を見る行為は、画家と時間や空間を共有する行為ですらある。少なくとも、そうでありたい。美術館の学芸員のかたは展示室の片隅で、静かにその橋渡しをしてくれている。時には200年前の気難しい画家に紹介状を書き、時には同時通訳のように、難解な言葉を絵の並び順や小さな説明書きで平易な言葉に翻訳してくれる。そうやって、我々は、作品と出会うことが出来る。だからこそ、我々は美術館に絵や彫刻などを楽しみに行く。

だが、その美術館は少し違う。単に絵を楽しみに行くのではない。美術館そのものに会いに行く。美術館そのものが作品であり、その庭園もまた目的となる。それが、東京都庭園美術館である。

201403-061-teien門をくぐり、建物の玄関口へと続くアプローチから美術館の楽しみは始まっている。都心とは思えない緑のトンネルを歩きながら、これから出会う作品に思いを馳せる。チケットを買うといった実務的なことよりも、どんな作品があるかと考えるよりも、その場所に近づくことにワクワクする。そうして歩きながら、ふと鳥の声に気付いて空を見上げる。そんな、アプローチなのである。そして、一見、コンクリートの味気ない建物と思えた美術館が、近付くにつれ急速にアートへと変貌する。

旧朝香宮邸を改装したその建物は、車寄から中に入ろうとした瞬間からラリックのガラスに圧倒されることになる。内装は、アンリ・ラパン。アールデコが好きならばもちろん、そうでなくとも驚くはずである。どこを見ても、いたるところに作品が置かれているような感覚に襲われる。吉田茂公邸や迎賓館など、歴史を見続けた建築とはそうしたものなのか。

201403-064-teien美術展の期間中は、そんなアートそのものの内装に絵を直接飾ることもできないからだろう、本来の壁の前に展示用のもう一枚の壁を設置して絵を展示する運用を行っていた。そうなると、残念ながら壁の装飾など、建物がもつアートは半分以上見えない事となった。だから、美術館そのものを見たい人は、企画展を訪ねる他に、年に1〜2回程度行われる建築そのものの公開が楽しみとなっていた。その日ばかりは展示用の壁も動線の制約もない。自由に巨大なアートの中を歩き回れる数少ないチャンスだからである。

もちろん、建築の視点において、企画展が楽しめないわけではない。その建物の様式にあった企画展を見ていると、いつからか天井の灯りと展示された作品に境目がなくなり、最初から意図していたかように思われることもある。小さく落ち着いた空間は、印象派の陽光輝く絵よりもフランドル派の牧歌的な絵が合いそうであるし、コンテンポラリーな造形がしっくりするようでもある。そうやっていろいろと想像しながらアートを楽しめるのも建物自体が庭園美術館を訪ねる理由となっている。

建物に興味があると言っても、人それぞれ異なる好みもあるだろう。

201403-062-teien建築の面白さは、それが実用品であり、そこにいる人に何らかしらの「気分」のようなものを与えるものでもある、というところにあるかもしれない。ひとがそこに包み込まれる「もの」であるから、単に綺麗だではあり得ない。コルビジェ好きなら、きっとそう考えるのだろう。住む以上は住むことが快適でなければならないし、手のかかる届きやすいところにものがあるといった利便性も重要だ。どれだけ美しい内装であっても、温度管理ができないようでは困る。冬は暖かな場所であってほしいし、夏は涼しくあってほしい。窓の向こうには四季があって、住むなら落ち着く場所であってほしい。

日常と異なる空間を感じることが目的なら、それにはそれで、違った条件があるだろう。むしろ、短時間で移動したくなるような落ち着かない空間がほしいということだってあるかも知れない。

201403-065-teien人によっては、建築への興味は、建物そのものではなく、壁紙の絵柄だったり灯りだったりするかもしれない。この腰壁の紋様といったら!などと見て回るのが楽しみということもあるだろうし、各部屋の灯りを見て回るのが楽しみということもあるだろう。面白いのは、電灯が登場するのはつい最近になってのことであって、古い建築ででは電灯そのものに注目しようがないということだ。その点、旧朝霞邸は、公的立場が強いとは言え人が住む場所であり、近代に建てられた建築である。ありとあらゆるものが、現代に近い等身大の造形としてそこにある。

201403-070-teienラリックやラパンに圧倒されながら歩きまわる一階に比べると、二階は少し気持ちの余裕ができる空間でもある。ようやくラジエターカバーの紋様に目がいったり、排水溝の蓋の紋様を見たりする余裕が出来てくる。ふと窓から眺める外の風景もまたこの建築の設計の一部なのだろうとさえ思えてくるのだ。ラジエターカバーも、窓と一体化して見えてくると少し違って見えてくるというものである。

201403-076-teienサンルームの大胆だが落ち着いた空間はどうだろう。人工的な市松模様のタイルと庭なのか建物の中なのか判別することを無意味にする区切られた空間。それでいて、サンルームには、明らかに室内から儀式を経るようにして移って行く緻密な設計。現代にこれを作ろうとすれば、それはテーマパークでしかないのかもしれないが、ここに家族や友人が揃ってちょっとしたパーティでもすると想像した瞬間に、それは間違いなくプライベートな空間でもあるのだ。

201403-068-teienともあれ、都会の方程式に毒され、巨大でモダンで騒がしい空間を基準に考える癖のついた現在にあって、都会の中に静かに残された小さな建築が(それは決して小さくはないのだが)、それ自体を静かに主張するだけで密かに存在し続けていることを感謝すべきなのだろう。

201403-077-teienところで、昔から東京都庭園美術館に通うひとにとっては、もうひとつの楽しみがある。その名のとおり、庭園である。庭園と言っても、特に大きな庭があるわけではない。四季折々の植物を楽しむ程度には十分な庭があるという程度である。植物園や大きな公園に行きたいならいくらでも他に選択肢はあるだろう。だが、公園で過ごすことが目的なのではなく、ゆったりとした時間と豊かさを求めて美術館を訪ねるなら、それは別なことだ。好きな絵をみて小一時間過ごしたあとに、都会のなかの緑の空間で四季を感じながら散歩するというのは、他では出来ない。だから、小さな文庫本を抱えて美術館を訪れ、絵を観たら今度は芝生に寝っころがって本を読みたくなるのである。

東京都庭園美術館は、JR山手線の目黒駅から徒歩10分。少々騒がしくて狭い歩道を暫く歩くことになるが、首都高をくぐればすぐなので、分かりやすい。

東京メトロ南北線・都営三田線白金台駅 からなら徒歩5分。

※現在は、長期休館中です(2013年12月現在)

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Art, Cross Cultural

陶器のすすめ

pottery-1(This article was written only in Japanese)

焼き物は使ってこそ良さがわかるというものだろう。飾りの少ない陶器ならなおさらだ。銘のあるような骨董品や広く知られた作家の作品となると気が引けるが、普通に買うことが出来る器なら日常に使いたい。以前にもそんな記事を書いたが、なかなか気に入った器に出会うことは少ないかもしれない。元来は工芸品であって、大量生産こそできないものの、一点ものとして大事に保管する類の芸術品というわけでもない。だから、そこそこ気に入ったものを手にとって、直感的に買うのが良い。

ライティングに気を遣い、その微妙な丸みや表面のテクスチャ映えるようにディスプレイされた器を見て、あれやこれやと悩むのも良い。一緒に飾られた観葉植物と見比べながら、家に置いた姿を想像するのも良い。だが、無造作にたくさん並べられた器の中から無造作に選ぶのも悪くない。そうして無造作に並べられた器を見ていると、全般に土色の陶器にもカラフルな色が見えてくる。

あか、あお、みどり、茶、黒、白、灰、オレンジ、朱、碧、藍、夫々に名前があり、組み合わせは無数となる。じっと見ていれば、それは寧ろ溢れかえる色であって断じて土色などではない。クチから高台(糸切り、脚の部分)に向かって流れ落ちる白に淡い青を感じることもあれば、黒々とした釉薬が赤く見えることもある。だから無造作に並べられた中から好きな色を探し出すだけでも迷うことになる。お店の人があれやこれやと考えてディスプレイしたその提案を受け取るのも良いが、自分で想像してみるにこしたことはない。何と言っても使っている姿を使っている人の視線で想像出来るのは、紛れもなくその本人だけなのだから。

それだけではない。形状も様々だ。皿に角皿や丸皿といった様々な形があるように、湯呑みもカップも様々であり、大きさが異なる。それは日常の器なのだから当たり前である。だが、同じ形の同じ色の茶碗を見ても、店頭にある同じ茶碗が必ずしも同じ形ではない。微妙に丸みが異なり、口の大きさが異なり、手に取れば厚みも異なっている。手作業であるが故に全く同じものを作ることは出来ないし、手頃な価格の製品はひとりが作っているわけではない。違いがあって当然なのだ。そうやって微妙に違った中から気に入った物を探す。多少の歪みが面白いこともある。釉薬が変色していても良い。今時は電気釜(小さな釜は電気、商用の大きな釜はガス)であって均質に焼けてはいるが、それでも個体差はある。時には、部分的に焼けたように見えるものもあるが、特ににする必要はない。それが気に入ればそれで良い。

pottery-2焼き物には詳しくないが、子供の頃から連れられて度々買いに出かけていたから、器を選ぶ楽しみだけは知っている。もし、正しい楽しみ方があるなら、それについては自信がないが、自分なりの楽しみ方があればそれで良いではないか。そう思うのである。(写真は全てこの夏の益子のもの。)

庶民的な陶器を楽しみながら選ぶ10の方法

1. 迷ったらシンプルで伝統的なものを選ぶ

伝統にはそれなりの理由があって、ずっと長い間守られてきたもの。だから、ちょっと古臭くても多くの人が選んできたのであって、間違いがないというより「いいね」がたくさん付いているという事。先達を信頼して伝統を選択するのが良い。もちろん、デザインは少しずつ変化して当然だから、モダンなのに伝統的と感じたら、それはきっと当たり。

2. 4つ欲しいと思ったら5つ買う

なんだか気に入ったし、家族4人で使いたいから4つ買おうかな。そう思うなら5つ以上買うこと。陶器は欠けやすい。欠けたから追加で買おうかなと思っても、すでに同じデザインはなくなっていると考えた方が無難だから。もちろん、お客様用もありだし、気を遣わないですむということは普段から使えるということで、ぜひ+1を。もちろん、違うデザインの組み合わせも可。幾つも並べられた違った器が何故か統一されて見えるというのは上級者コースかもしれないが、同じ窯で作られた器は不思議と違和感が少ない。以前、神保町にあったある喫茶店では好きなカップを選んでそれにコーヒーを淹れてくれたが、そんなに沢山なくてもきっと楽しい。

3. 実用的な物を選ぶ

使いやすいことはもちろん、洗いやすいこととも考えて、実用的な器を選ぶのが普段使いには重要。他と違った装飾の多い器は見た目にも楽しいが、いざ使うとなるとためらうようなことも。コーヒーカップは片側に重さがかかるから、飲み物を入れると急に重く感じるわけで、普通の輪になった形状が結局は好ましい。厚みも重要。磁器のような薄く透明感のある器も魅力的だが、磁器と違って陶器は強度が少し弱いから、多少厚みのあるものが無難。試しに強く押してみると僅かに歪むくらい(試すのはお勧めしない)だから、あまり無理のない厚みの物を選択すること。その方が素朴で味もあるし、熱い飲み物には唇にも優しい。

4. 買う時は歩く

窯が違えば形も色も違う。特定の窯を扱う店もあれば、いろいろ揃えている店もある。地元の土とは限らないし、最近移ってきた作家さんの作品を扱う店もある。気に入った物を探すなら、多少歩くのは厭わないこと。歩いて探し回っているうちにお腹が空いて、美味しそうなケーキでも見つけてしまったらそれはもう仕方がない。運命に身を任せる。そうするしかないではないか。

pottery-35. 分からない事は店の人に

気に入った器を選ぶのに分からないことなどありそうにもないが、ともかく分からないと思ったならお店の人に聞いたほうが良い。例えば陶器は脚のところがザラザラしているのが普通で、なんとなくテーブルを傷つけそうなどと考えてしまう。同じデザインでもこちらのほうが釉薬の流れかたが良いのだけれど、だいぶザラザラしてるから違うほうにしようかな、などという時は先ずは聞いて見る方が良い。この程度ならこれで大丈夫と脚どうしを擦り合わせてハイおしまいということもあれば、丁寧に砥石で磨いてくれることもある。先ずは何でも聞いてみること。但し、忙しい時に世間話が長いのは相手も困るし、「これ、何に使うの?」は愚問だからほどほどに。意図する用途はあるだろうが、徳利を一輪挿しにしたって誰も文句は言わないのだから。

6. 商品を大切に扱う

陶器は割れやすい。そんなことは当たり前だが、それだけでなく、他の人が困らないように見たらきちんと丁寧に戻すこと。乱雑に置かれれば次に手に取る人も気を遣わざるを得ないし、ばらばらに置かれたら選ぶ事も難しい。もちろん、高価なものも含まれている。都会のお洒落な店なら高価なものはそれらしく置かれているかもしれないが、写真で載せた益子のような生産地だと案外適当に置かれている。以前に棚の上の方をなんとなく見上げたら、有名な名前が無造作に書かれていて、びっくりするような値段がついていた。それもまた生産地の良さであるし、だからこそ客にも礼儀があろうというもの。陶器に限ったことではないが、商品は丁寧に扱うこと。

7. 日本語が上手くなくても侮らない

益子の街を歩いていると、時々たどたどしい日本語を聞くことがある。古民家のような店構えの店舗の前でそれを聞くと、あぁ遠くから来た客人かなとつい思いたくなる。だからといって、単なる観光客と考えてはいけない。ひょっとすると、自分よりよほど焼き物に詳しい達人ということも。世界中に陶器はあるから、世界の手法を学ぶために日本に来ている研究者や気鋭の若手の可能性だってある。日本語が下手だからといって侮るなかれ。話をする時は対等の立場で接すること。その昔、バーナードリーチだって益子にいたのだから。

8. 周囲のレストランやカフェも楽しむ

こう書きながらなかなか実現できていないのだが、レストランやカフェも楽しみたい。人が集まるところにお洒落なカフェがあるのは自然なこと。であれば、歩きながら見つけた手近な店を選ぶというよりも、ちょっと調べて美味しそうな店を訪ねるのも良い。今時、Google mapにでもあたれば、田舎の小道の奥深くにある小さなカフェを探すことだって難しくはない。まして、観光地と言うには静かな焼物の街なら、喧騒を離れてのんびり過ごせる可能性もある。もし、そこで陶器のカップが出てきたら、それこそラッキーというもの。写真好きなら1枚撮ってるに違いない。ついでに古くからあるお寺にでも立ち寄って、街そのものを楽しむもよし。周囲の環境まで楽しむこと。

9. ろくろ体験

時間があるなら自分で器を作ってみること。思ったようには出来ないが、それなりの形にはなる。益子には、ろくろを回せるところがいくつかある。やり方を丁寧に教えてくれるから、初めてでも全く問題ない。ろくろを回しているうちにグニャリと曲げてしまうお馴染みの映像だって、間違いなく目の前30cmの近距離でライブで経験できる。であれば、先ずはやってみるほうが器選びも楽しいに決まってる。そうやって難しさと楽しさを知ることで、何を選ぶかも違ってくるにちがいない。出来上がった器を見ながら何色にしようかなと悩むこと自体が、色を知る機会ですらある。この釉薬の青は深くこちらは淡いなどと悩んでいる時に伝統色を学んでいるのだ。時間がないとかろくろは自信が持てないとかということなら、手捻りという方法もある。絵付けも手軽だ。ともかくも自分で作ってみれば、違う側面も見えてくるだろう。そうして、ろくろを体験し、出来上がりがひと月先と決まった時、その苦労も理解できるに違いない。

10. 感謝の気持ちを忘れずに

手に入れたら、ともかくも使ってみること。感謝の気持ちを持って使ってみれば、良いところも悪いところも見えてくる。そうして、もっと大きな持ち手が良いとか、案外濃い色はご飯に合うとか、逆にコーヒーには内側が薄茶色が良いとか、もっと平たい形状が良いとか、次に買う時のヒントが見えてくる。だとすると、次に買う理由ができるではないか。

Art, Photo, photo challenge, photo panoramique

Weekly Photo Challenge: From Lines to Patterns

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You see many lines here but is there any patterns?

The picture was taken at a museum of potteries, perhaps earthenware would be a better expression, where a famous potter lived in this house fifty years ago. His name was Shoji Hamada.

Looking into the room, perhaps you could see some rectangle patterns on walls, floors and tables.

This challenge was set by the Daily Post.

Art, Bonne journée

Bonne journée (19)

20130810-002

日本語は後半に

A new TV ad series of the LED light project of musée de Louvre by Toshiba was shot in the museum. In the previous ad video, a little girl was just talking with an old man there. He was unknown man but obviously any art lover would likely imagine who he was because he was bearded. The ad looked common and non characteristic as usual corporate ads did. Continue reading “Bonne journée (19)”