Bonne journée, Cross Cultural

Bonne journée (39)

201602-211

Written only in Japanese
あるウェブサイトを見ていたら、なかなか外国語に訳しにくい日本語という内容の記事があって、「ありがとう」「おかげさま」「おつかれさま」などが取り上げられていた。その通りだなと思う一方で、少しだけ本当にそうなのかとしばらく考えてしまった。

ありがとうは英語にすれば “Thank you” であるという紋切り型の訳し方はさておいて、「有り難い」という表現と「あなたのおかげ」という表現には、視点の違いがあるだけで、根底にある気持ちの表現にはさして差異はないのではと思ったわけである。英語圏で育ったわけではないから、母国語が英語の人が “Thank you” と言われてどう感じるのかわからない。ひょっとすると、想像しているのとは全く違うニュアンスがあるかもしれない。だが、訳せないニュアンスなどたくさんあるし、そうやって殊更違いを指摘しても見えない壁のようなものを意識してしまうだけのようにも思われるのだ。同じように、「おつかれさま」にも直訳的な表現はないにせよ、似た気持ちを表す言葉もないではない。これ以上ここで書きつらねる意味もないだろう。違いを強調して言語の壁をわざわざ作りたくはない。そういう意味では、多少視点がずれないでもないが、”Thank you” と言われたら必ず “You’re welcome” と答えるといった米語的な学校英語教育も、余計な言語の差異を言わないという点では基礎としては悪くないのかも知れない。

ところで、この日本語の「ありがとう」は、時に「すみません」という言葉に置きかわる。急用があって、約束の時間にどうしても間に合わないから30分相手に待ってもらったと言った時に、「すみません、待っていただいて。」などと言うのはごくごく普通のことだろう。この「すみません」こそ日本語以外に訳すのが難しい言葉かも知れない。一体何がすまないのか?そう問われると答えに窮する。「ごめんなさい」に近い表現なのかも知れないが、それに比べればずっと曖昧だろうか。

だからもう10年以上、意識して必要なければ「すみません」を使わないようにしている。その代わりこう言えば良い。「ありがとうございます。待っていただいて。」自分にとっての「有り難さ」を表現してはいるものの、相手への感謝の形を示す方が、ずっと良さそうだと思うからである。そうなると、自分の非を表すためには「すみません」では足りない。いきおい、「ごめんなさい」も多用することになる。ドアでぶつかりそうになり「ごめんなさい」と言い、ドアを持ってもらって「ありがとう」という。それが自然な気がするのである。そうやってみると、自分視点の日本語と相手視点の英語の違いこそあれ、言語の違いなどほとんどない。

さて、ここまで書いて、どうしても英語では説明が難しいと思いながら無視してきた文がある。
「おかげさまで春めいてきました。」
こればっかりはどう訳したものか、皆目見当がつかない。

最初の写真は横浜赤レンガ倉庫、下の写真はカナダのブッチャート・ガーデン。

201602-212

 

Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Life Imitates Art

201602-201
imitating “The Hunters in the Snow” by Pieter Bruegel the Elder

When I was young at school, I went to the backyard of the school building  with some kids mostly everyday not for playing but skating. Indeed, the school had a tiny ice rink and I was a volunteer of maintaining it. The place I spent my childhood is sunny in winter but the temperature is enough low to make a flat ice. My job was to sweep up the surface of the ice and then my teacher sprinkled the rink with water. Of course, volunteers had the privilege of skating freely in short time.
The picture on top was taken in the bay area of Yokohama. The place named “Art rink” appears every winter at a shopping mall and a lot of kids find the pleasure of skating. The place itself is like an art and the scenery is like a movie.

By the way, I still don’t feel a sense of reality in the words of Oscar Wild probably because the life impressed me as being dynamic and plentiful but the story is simple, as Willa Cather saying

There are only two or three human stories and they go on repeating themselves as fiercely as if they had never happened before.

オスカーワイルドの言葉「人生は芸術を模倣する」は、少しばかり傲慢な言い方ではないか。まるで、人生で感じる様々なことがアートとしてある決められた何か以外ではありえないかのようでもある。芸術至上主義が芸術のための芸術だけを意味するわけではないことは、歴史を再評価できるようになった戦後には(おそらくは)共有された認識ではあろうが、それでも様々に感じる出来事が限られたアートで定義できそうな表現にはなかなか同意できない。
ウィラキャザーの言う、この文のほうがずっと理解しやすいかもしれない。

人のある物語はたった2つか3つしかない。そしてその物語は何度も繰り返されるのだ。かつて経験したことのないかのような激しさで。

上の写真は横浜赤レンガ倉庫のアートリンク。暖かな空気に氷も溶け、ほとんど誰もいないリンクに鏡のような層ができていた。

In response to the weekly photo challengeLife Imitates Art by The Daily Post.

 

Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Time

201602-101
3 to 12

Time is passing between now and then.
Time was passing between hopes and fears.
It is always passing with no rules.

A picture on top was not taken at Cinderella time but lunch time!
Pictures below was taken at “Akarenga”, The Yokohama Red Brick Warehouse, and surroundings where both fast and slow time is passing simultaneously. It’s good place for walking and shopping.

In response to the weekly photo challenge, Time by The Daily Post.