Bonne journée, Cross Cultural, Photo

silent scream

201607-511

(written only in Japanese)

誰が言ったのか知らないが、あくびはコーヒーが欲しいという声のない叫びだそうだ。なかなかいい表現である。もう退屈だからさっさと先に進んでくれと心の奥底で叫び声を上げながら、実際にはそんな素振りも全く見せず、淡々と進む会議の行方に身をまかせるなど日常茶飯事だ。さっさと終わりにして家に帰った方が、明日から良いアイデアが浮かぶなんて、思っても口にしないのが封建社会のマナーというものである。あくびはなるべく目立たないようにするのも社会人としてのルール。声は出ないが、ライオンの声でも重ねたらぴったりしそうな大口を開けて、無言の抗議をするのが精一杯というところだろう。
「あくびをしているやつは、真面目に聞く気がないやつだ。」
などと生産性の低い指摘をする時間があったら、誰もが前のめりで話が聞きたくなるような中身を考えた方が良い。

日本の会社組織は世界的に見て生産性が低いそうである。ドイツと比べて労働時間は長く、ひとりあたりのGDPは低いという話は良く聞くお決まりのロジックだ。それが何かの指針になるか否かは別にして、少なくとも一所懸命働いてる割には生み出すものは少ないと言っているわけで、時間あたりの賃金が安いという類の話ではない。無駄に働いてる時間が多いとか、頑張ってるのに駄目だと言われているほうがむしろ近い。そこで思うのである。コーヒーが欲しいという沈黙の叫びをあげるくらいなら、とっととコーヒー飲んで違う事をやってはどうかと。

いつもの年のように、フランスの同僚は順番にバカンスを取り始めた。何があっても3〜4週は連絡がとれないだろう。「たまにはちょっとだけメールを読むから何かあったら遠慮なくメールしてくれ」なんて言われても、実際のところメールして家族との大切な時間を邪魔する気はまったくない。しっかりリフレッシュして、アイデアいっぱいで仕事に復帰してくる彼らのほうがありがたいではないか。昼休みには家に帰って小中学生の子供(子供たちも家に帰って食事するケースも多い)と食事をする彼らも、重要だと思えばランチミーティングで議論を交わす。いつまでたっても工事が進まないのんびりした彼らも、必要となれば遅くまで仕事を続ける。要は、生真面目ではないが合理的な考えは持っているという事なのだろう。
こちらといえば、せいぜい大きなあくびで社会に抗議するのが精一杯。せめて、少しだけでも自分のスタイルを捨てないように意識したいものである。文化の違いは認めて尊重できるのが社会的動物たるものなのだ。

とはいえ、夏も後半になれば「バカンスはどこに行った。」と聞かれることは間違いない。
「いや、だから、日本はせいぜい1週間しか休めないんだよ。知ってるだろう。」
「あぁ、そうだった。で、どこいったんだ?」
今年は、ネタを探しておこう。

201607-512

Bonne journée, Photo, photo panoramique

Tied up

201607-402

That’s all I can do today not because of my vacation but business. I’m going to contribute to WPC tomorrow.
Have a nice weekend.

今日のところはこれが精一杯。休暇でオフラインとか言うなら良いのだが、少々仕事で忙しい。
良い週末を。

201607-401

 

Art, Bonne journée, Photo

Milky White

201607-311English text at bottom

レオナールフジタ(藤田嗣治)のような写真を撮ってみたいと時々思う。その絵に思い入れがあるわけでもなく、特に好きな絵があるわけでもない。ただ、あの分厚くも透明な乳白色がどうしても気になるのである。

ある種、モノクロームの写真は色が十分に塗り重ねられた状態に似て、作り手にも見る側にも想像力を要求するものだと思っている。色のない写真には頭の中で作られた色が乗せられて形となる。物理的なプロセスは容赦ない。赤も緑も同じ明るさなら同じグレーへと切り捨てる。だからこそカラーでは見えない画像が現れ、想像力を要求する。
そうしたモノクロームの色と彩度の低い色とは、だからこそ根本的に違うものとなる。彩度の低い画にはそれでもやはり明確な色があって、色調の淡い固有の風景がある。フジタの絵には豊かな色があって、それでいて乳白色という彩度の低い絵を構成している。だから誰も色の薄い絵だとは思わない。
彩度の低い写真を撮っても彩度を低く編集しても、撮影しようとした透明感や空間の深みは現れない。結局のところ、上手くいかずに妥協する。デュフィーのような色が好きだとか、クレーの線が美しいとか理由をつけて、そのどれでもない写真を撮る。

フジタに関する本を新しく読んだついでに、別なフジタの本も再読した。その書評についてはまた別途。

Sometimes I get the urge to take a picture like an art L.Fujita drew. Honestly saying, I don’t feel so much for his pictures. Let’s say, I can’t get out of my mind about his milky white colors.
Black and white photos require imagination to reconstruct colors both of viewers and photographers just like fully layered color paintings. In other words you can paint freely with your favorite colors.
However his paintings show us his colors with his milky whites. Maybe I could say it is a low chroma painting and with full colors. I have tried to take such pictures but failed so far. Sometimes I make an excuse myself like I love Raoul Dufy also.

201607-312

 

Bonne journée, Photo, photo challenge

Photo Challenge: Details

201607-301

Looking into the detail of rain.
Catching the light of the sky in vain.

Last one month, it has been rainy in Yokohama. Fine weather continues only one or two days and dark clouds come again. Sometimes I have found myself being reluctant to go out with my camera. When I saw this week’s challenge, I came up with focusing on rain drops or something like that.

201607-302

このひと月、横浜は雨模様。晴天は二日しか続かず、雲がふたたびやってくる。気付けばカメラを持って出かけるも億劫という始末。今週のWPCは、そんなことから雨粒にフォーカス。

 

201607-303

In response to the weekly photo challengeDetails by The Daily Post.

20130916-001

The last photo was posted in 2013.