A Part of Wordless Wednesday
… and my second contribution to WPC:Nostalgia.
capturing in prose
written only in Japanese
旅先で迎える朝は、大抵すこし面倒だがワクワクする儀式が待っている。昨夜、逃げ込むように潜り込んだホテルのベッドから抜け出し、カーテンを開け、まだ下着のまま朝の日差しを浴びて伸びをする。シワのついたシーツはそのまま放ってバスルームに向かい、顔を洗って鏡で目を覗き込む。多少疲れた目には異常がないことを確かめると、おもむろに身支度を始めて思いを巡らす。さて、今日はどんな食事で1日を始めようかと。
ペンキがはがれかけた窓枠を強く押し出し、わずかに湿気を含んだ外気を吸う。歪んだガラス越しに朝日にシルエットとなった鳩が羽音をたて、煙突のひとつから微かに煙がたなびく。余韻を残すように短いクラクションの音。再び静寂。そして、少し甘酸っぱいものが食べたいなと思う。協会の鐘。
知らない土地で朝食を探すのは面倒だ。コンビニでもあれば適当に何か買って胃に入れるかなどと思うこともあるが、日本から一歩出ればそうもいかない。だからといって、知らない土地では探しようもない。朝はまだ街が始動していないのだ。そのまだ人々の騒々しい声も通奏低音のように続くエンジン音も無い朝、その土地の日常の隅っこにある土地のパン屋さんを訪ねるのは、フランスでの案外代え難い楽しみである。街であれば少なくとも数ブロックにひとつはパン屋さんが開いている。季節がよければリンゴなどの果実類を売っていることもある。朝、モーニングのあるカフェで過ごすのも良いが、8時前ではコーヒーとクロワッサンをカウンターでというのが精一杯。であれば、焼きたてのレザンでも買ってどこかで食べるのも悪く無い。
久しく遠い旅をしていない。

written only in Japanese
「本日はご利用ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております。」
もはや記号であって、そこにメッセージがあるわけではない。誰もがスマートフォンを覗き込み、誰かと話をし、バッグに本や新聞をしまい込み始めて、おそらくは耳に残ってはいない。実は頭に入る必要などないのだ。ベルがなるのと同じく、そこには終点ですよという合図としての「音」が雑音に紛れて聞こえるいつもの通勤電車だけがある。
だが、その次に続く英文のアナウンスは少しだけ違う。もちろん、英語であろうと本質的に「音」でしかないことには違いはない。だからこそ、音ではない意味のあるメッセージとしてアナウンスが耳に入ったその朝は、こう返してしまったのだ。
「そうだといいね。私もそう願ってます。」
英語と日本語では、実は主語となる部分が違っている。日本語での「またのご利用」をするのは乗客だが、英語では「また御奉仕することを願っています」と言っているのであって、主体は鉄道会社なのだ。決まり文句と言えばそれまでだが、立場はまるで逆である。サービスを利用して欲しいのか、サービスを提供したいのか。
どうでも良いことには違いない。メープルシロップのたっぷりかかったパンケーキが良いか、パンケーキにメープルシロップをたっぷりかけて欲しいかという程度の話である。いつもの「音」。ただそれだけだ。
このところ、スマートフォンには毎日のように電車遅延の通知が届く。すぐに復旧することもあれば、しばらく動かないこともある。その度に、面倒な思いをする人がいて、傷つく人がいて、やるせない思いをする人がいる。時には、ラッキーと探していた言い訳を見つける人もいる。ポイント通過に揺れる車内でじとっと汗をかいたつり革にしがみつきながら、「そうだといいね」と言う自分に、少し都会の疲れを感じなくもない。
写真はそろそろ終わりのサルスベリ。天候不順のためか今年は長く楽しめた。