Art, Bonne journée, Photo

Street art

 マリーアントワネットが残酷な断頭台に送られて以来続く、止やめてはいけない伝統なのだそうだ。18世紀の終わりのことである。日本では田沼意次の時代というかそれをことごとく覆した松平定信の時代というか、太平の世を謳歌した江戸時代が微かに傾き出した時期である。市民は国庫を食い尽くすフランス王政に愛想を尽かし、その混乱から逃亡しようとしたマリーアントワネットとすら国境から連れ返し、やがてフランス革命が成立する。案外日本では市民革命であるかのように伝えられるが、実際には資金力のあるブルジョワジーと貴族との戦いであり、給与が支払われずに不平を持っていた軍とその指揮官の戦いであり、革命を利用しようとした諸外国とフランスの戦いでもあった。
 その結果がナポレオンであれ何であれ、市民が政府に抗議するのを躊躇わず、強い軍が国家を守る伝統は、そうやって生まれたのだという。つまりは、新型肺炎が猛威を振るおうがロックダウン中であろうが、デモと軍は止められないのである。歴史家がそう言っているのかどうかは知らないが、少なくとも複数のフランス人の知人がそう言うのだ。強ち間違っているわけでもないだろう。どんな状況であれ、主張すべきものは主張すると言うのが彼らには正しい姿なのだ。
 冷静に客観視しながら忖度することにあまり抵抗を感じない世界で生活してきた身には、正直、少々理解し難い部分もある。毎日数万人の新規患者が出ている国であり、至る所に検査場がある中で、今日もデモの声が聞こえてくる。今日のネタは «Loi sur la sécurité globale» という新しい治安規制に関するデモである。多人数が集まることは禁止されているが、デモは特に咎められないのか、パリ以外の地方都市でも数千人規模の人が抗議の声を上げている。中にはマスクをつけていない者もいるようだし、もしかするとこれが原因でクラスターも発生するかもしれない。それでもデモは止まらない。遠く、デモ隊の叫ぶ声を聞きながらブラウザを立ち上げ、ニュースをぼんやりと読む。どこか他人事のような時間が過ぎていく。

 そういえば、と思い出す。フランスの美しく落ち着いた秋色に石畳の通りをぼんやり歩いていると、強烈なグラフティが目に飛び込んできたりする。あれほど伝統や景観を大切にする国は実はグラフティに溢れている。ガラスと鉄でできた改装したばかりの地下鉄の入り口は、翌日にはペンキで汚され、判別不能な文字に覆われる。それもまたフランスである。何もそんなところに描かなくてもとも思うが、何か描かずにはいられないのだろう。ただ、その半分は素人以下の単なる落書きでしかない。規制する法があるのかどうかはわからないが、間違いなく夜の間に落書きは増える。夜間外出禁止であってもそれは変わらない。
 そのグラフティは、でも、いつかストリートアートとして保存したいと思えるほどのものになる。アートと落書きの境はほとんど曖昧であり、主観による。あえて言うなら、より多くの人が共感するかどうかという程度の曖昧な物差しが、二つを正と負に分けているだけだろう。もちろんどちらが正しいというものでもない。家の壁に落書きされればもちろん怒るが、その落書きがバンクシーによるものだったりすれば、怒らない人もいるはずである。
 さて、Tamara Djurovic (Hyuro)バレンシアで亡くなったそうである。あまり詳しく知らないうちにそんなニュースを見るとは思いもよらなかった。もし、ストリートアートに興味があれば上のリンクからどうぞ。ただ、本人はストリートには描かなかったと言っていたようだが。(残念ながら日本語のサイトはほとんどない)

 最後に蛇足。グラフティの歴史はデモよりも長い。なんと言っても知られた最も古いグラフティのひとつはラスコー洞窟にある。