Bonne journée, Cross Cultural

Bonne journée (38)

201602-111Written only in Japanese
フランス語はほとんど話せないが、何度か訪れているうちに最低限の挨拶のようなものだけは身についてきた。「こんにちは」と言った類である。郷に入っては郷に従えと言う通り、旅行者だからと言って相手に甘えてばかりとはいかない。少しでも旅先の文化を尊重する努力があればこそ、良い出会いもある。もちろん、フランス人やフランス在住の日本人からやんわりと忠告されることも無いわけでもないが、努力すれば相手も大目に見てくれる。そうやって、少しずつ覚えてきたと言うべきか。日本に来たフランスからの旅行者から、たどたどしい日本語で「こんにちは。横浜に行きますか?」と電車を指差しながら聞かれれば、答えたくなるのと同じである。
今は以前と違って、フランスでも大きな街なら英語が通じることが多い。まして、旅行者が行くような小綺麗な店ならほとんど問題ない。だが、少し小さな地元の店に行けば、たちまち英語はあやしくなる。その英語の通じそうにない店のガラス越しにちょっと美味しそうなマカロンが見えたら、フランス語を理由にためらいたくはない。

ということで、フランスの街角のお店に入った時の挨拶である。店に入ってまずひとこと「ボンジュール」は欠かせない。誰も教えてくれなかったし、案外語学の本にも旅行ガイドにも書いてないが、初めての店だろうがひやかしだろうが、ほぼ誰もが挨拶をする。日本で店主が「いらっしゃいませ」と言うことになっている暗黙の了解と同じで、客も「こんにちは」と言うことになっていると思えばよい。逆に「ボンジュール」と言わないに客は怪訝な眼差しが向けられる。もちろん、旅行客だなと直ぐに想像してもらえるだろうから絶対に必要なわけではない。大目に見てくれるのはそんな時である。「こんにちは」はフランス語で「ボンジュール」ですよなど、初めてフランス語を学ぶ時に教えられる基礎の基礎だが、それは言語であって、文化ではないのだ。
201602-112ホテルの食事は高い上にたいして美味しくないから、フランスに行ったら朝食はパン屋で買う事が多い。街中なら歩いて5分の範囲にパン屋が必ずある国だから、時差ぼけ解消と健康と美味しいパンのために朝から歩くのは気にならない。大抵は7:30くらいに店は開いている。見つけたパン屋のドアをくぐって最初にするのはこの「ボンジュール」の挨拶である。そうやって挨拶してしまえば、後は焼きたてのパンを見ながら「これひとつ」と言いながら指を立てるだけで買い物はできる。日本語であっても意図は通じるに違いない。もちろん、「un croissant, sil vous plait(アン クロワッサン シルヴプレ)」くらい言えるとよい。たどたどしいフランス語でそう言いながら、たったひとつクロワッサンを買ったら、おまけにシュケットを幾つか一緒に包んでくれたのは、随分と前のことである。もちろん、「ボンジュール」が良かったわけではない。恐らくは、お金のない学生か移民と思われただけだろう。もちろん、メルシーと言いながらクロワッサンを受け取り、「Bonne journée(ボンジョルネ)」と店を出た。後ろからは「à vous aussi(ア ヴ オゥスィ)」の声。「良い1日を」「あなたもね」そんな会話である。
これは、レストランでも変わらない。それどころか、美味しかったから次の日も晩御飯は同じレストランにしようと同じ時間に訪ねたら、前日と同じ人が出てきて、握手しながら「ボンソワ」と挨拶したということも一度や二度ではない。挨拶は基本のコミュニケーションである。

 

Bonne journée, Photo

冬景

201601-611

御多分に洩れず、先日の東京の雪に右往左往することとなった。電車の運行状況のアナウンスは聞くたびにさらなる遅れを告げ、乗り継ぎの駅は夏休みのディズニーランド以上の終わりのない列を飲み込み、濡れた冷たい靴と混雑した人の暑さに誰もが悪態をついていた。雪に汚れを隠す東京の風景でも写真に撮ろうかという考えは、すぐさま捨て去った。

東京はどうしてこうも雪に弱いのかなどと考えたのは随分前のことで、今は勝手に結論を出している。東京はその都市が許容できる限界まで人を受け入れ、その人々は雪が降ろうが仕事も生活も変えない人々であるのだ。そのひとりが自分であり、いつ動くかわからない電車を待ちながら職場に指示を出す偶然隣り合わせた経営者であり、SNSでぼやく高校生だ。誰もがもう動かないかもしれない電車を嫌々待っている。それが東京の雪である。

201601-614

その夜、テレビでは大混乱に陥った東京の電車網についてその原因を解説していた。2年前の事故を教訓に、駅間には電車が1編成のみとなるよう半分程度まで本数を減らしたこと。減った電車は早い段階で満員となり、途中の駅ではもはや乗れない状況となったこと。そんな説明である。まぁ、そうなのだろう。だが、正確に言えば、半数の電車とは鉄道会社の都合を言う数字であって乗客の数字ではない。通常よりずっと遅い速度でしか動けない電車の単位時間当たりの輸送力は遥かに小さい。輸送力が1/4になれば所要時間は4倍になる。1時間かけて通勤する人が4時間かかるのは当然のことだ。そんな計算をする時間も、やっぱり働き過ぎだと反省する時間もたっぷりとある、そんな朝だった。

積もった雪は翌日にはほとんど消え、わずかに除雪して寄せ集められることとなった汚れた雪だけが残された。その黒ずんだ雪を除けば、風景はいつもと変わらない乾いた土地と冷たいコンクリートに戻っている。

201601-613

Bonne journée, Photo, photo challenge

Weight of Water and Solar

201601-311(日本語は後半に)
After the mega quake in 2011, a lot of solar array panels were appeared here and there as the deregulation of the electric power industry moves forward. Last year, 2015, a flood struck Kanto area, north of Tokyo, again and many houses collapse under the weight of water. The panels behind a dried grass were not working anymore after the flood. Power lines were disconnected and the electronic circuit board was removed.
Mother Nature sometimes shows us her sever face.

I hope you find a contrast of weight between what we made and what nature made in the picture.

冬の早い夕暮れに役割を終えたソーラーパネルが柔らかな光を反射していた。冬枯れのあぜ道には、遠い春をじっと見る土色の枯れ草が微かな風に震え、コートの裾からは、夜の冷たさがゆっくりと這い上がってきた。
震災のあとに突如現れたソーラーパネルは、曲がりくねった田畑の線を鋭利な線で切り裂いている。山がちな土地に辛うじてはりついた大根の畑も、遥か広がる水田の休耕地も、いつの間にか太陽のかけらを集める銀色の受け皿となった。
薄暮のソーラーパネルに近付いてみれば、1日の役割を終えたその輝くガラス板の下では、太陽と人の営みをつなぐケーブルが行き場を失って垂れ下がっているのだった。写真の場所は、先の水害で沈んだ場所。一見、何も変わらずそこにあるように見えるソーラーパネルは、おそらくは水没して、制御基板が壊れたのだろう。それが収められていたであろうアルミのケースは、からっぽの冷たい箱となっていた。接続されていたであろう電線だけが、その箱に蔓を伸ばすように絡みついていた。
鬼怒川やその他の水害地域は、今ではすっかりいつもと同じ風景に戻っている。だが、家が取り壊されて更地になっていたり、春に水を通すためであろうコンクリートのパイプが水田に転がっていたりと、よく見ればまだまだ被害の跡が多く残っている。