Bonne journée, Photo

Over the rainbow

桜の蕊降る公園へつながる赤く染まったコンクリートの通路をスニーカーで歩きながら、ようやく強さを増した陽射しを楽しむように空を見上げた。どこか靄のかかったような青が、淡い緑の隙間から漏れ出し、パステル色の春風が心地よい午前が足早に過ぎようとしていた。ふと気付けば遠くからちょっと調子はずれのトロンボーンが聞こえ、晴れ間を楽しむ人々が広場で自由な時間を過ごしているのだろうなどと勝手な想像をしながら、公園への階段をひとつ登った。誰かが笑う声がした。その方向へと足元を見ていた顔を上げ、どこか既視感のある一歩をまた進んで、ブルターニュの広場だったかなと思いあたった。そこでは楽器がいつも身近にあって、いつも行く広場ではハープだったりバグパイプだったりと、その時々でいくつもの音楽があった。

整備された森が続く少し大きめの公園の入り口に用意された広場は、冬の間に傷んだ階段が整備され、芝生の上では子供達がバトミントンのシャトルを追って駆け回っていた。その隅にあるベンチで、その調子はずれの音楽家は、音を外すたびに笑いながら何度も同じ旋律を繰り返した。オズの魔法使いでジュディ・ガーランドが歌った「虹の彼方に」。

虹の彼方の
空高いそのどこかに
子守唄で一度聴いた
その国はある
虹の彼方の
その空は青く
信じることができたその夢は
実現するという

そんな歌詞の子守唄あたりでどうしても音が外れてしまう。そのトロンボーンが心地よかった。正直に言えば、もちろん「調子っぱずれ」で時に濁ったような金属音のする楽器よりも、どうせならゆったりと響き渡る金管楽器の音楽を聴きたかったわけだが、それ以上に身近な場所に流れる現実の音に惹かれたのだ。きっとそのいつも同じところで音がはずれてしまう日曜音楽家が、恥ずかしそうにする訳でも照れるわけでもなく、ただひたすら「虹の彼方に」を楽しんでいることに心地良い時間を感じとったのだろう。

歩き始めるとバトミントンの子供達の笑い声が遠くで聞こえた。まだ自分が夢を信じることが出来た頃に見た夢は、いつか実現したのだろうか?どんな夢を見たかも忘れてしまった今、それが実現したのかどうかすら分からない。調子はずれの「虹の彼方に」は、そんな自分に合っているのかもしれなかった。きっとそれでいいのだ。

外国が自分とそれ以外という区別でしかなかった子供の頃、その色彩に目がチカチカとして驚かされたラウル・デュフィの絵も、ガラス細工のように耳元でキラキラと音が輝いたモーリス・ラヴェルの音楽も、フラミンゴが飛び立つカマルグの湿原も、甘さが口の中に絡みついて離れない濃厚なミルフィーユも、気がつけばいつか身近にあった。だから夢だって既に手にしているのだ。ただそれがなんだったか忘れてしまったというだけのこと。ヨーロッパに行くと街中に音楽が溢れているんだよ、なんて聞かされて、どこかそんな街に憧れを抱き続けていていたはずの自分が、こうして生まれ育った日本の公園で「虹の彼方に」を聴いている事だけで十分なのだ。調子はずれの「虹の彼方に」が漂う公園を歩くのは、それだけで楽しいひとときとなった。

公園をぐるっと歩いて新緑を楽しみ、どこか湿った空気と乾いた陽射しが混じり合った場所で立ち止まって空気を吸い込んで、また歩き出す。それはクジラが時々海の中から顔を出して呼吸しているみたいだった。周囲をよく見回せばそんなクジラがたくさん歩いている。誰もが皆、春の空気を感じて深呼吸を思い出したのだろう。

整備された歩道の先を見れば、少し陰になった森の斜面にたくさんのシャガが咲いていた。シャガは3倍体の帰化植物だそうだから、自生することはない。人の手でなければ広がる事もない。だから公園を管理する事務所が植えたものなのだろう。それでもコントラストの低い日陰でひときわ白く輝くシャガは、誰もが足を止めるほどに美しく咲いていた。

こちらに向かってきたカップルも例外ではなかった。ラフなジーンズにしっかりとしたシャツを着たがっしりとした体つきの男性は、シャガになど興味が無さそうに連れの女性ばかりを見ているようだった。一方の女性は小綺麗な格好で、しきりに何かを男性に話しかけながらシャガの方に手をのばしていた。指先に花軸を取り、男性に何かを言って、また花軸を握り直した。おそらくはシャガの花を摘もうとしているのだろう。男性も何も言わない。それはあまり愉快とは言えない風景だった。その小道を通るたくさんの人が楽しむであろうシャガの花を誰かが一人手折ればその次からは一輪が欠けてしまう。そこを500人のひとが通り、10人に一人が花をとれば、そこにあるシャガは一輪も無くなるだろうと想像ができた。だが、やがてその女性は手折ることをやめ、森を再び歩き始めた。

不愉快な瞬間が過ぎ去って自分がシャガの群落に近づいてみても、どこかしっくりとしない感覚だけは残っていた。そうしてカメラのファインダを覗き込み、シャッターをおした。ファインダを覗き込んで見たシャガは白く透明で、中央から紫や黄色のインクが染み出して来たような美しさで見えた。シャガの花を手折ろうとした女性の気持ちが少し理解できた。

「虹の彼方に」の流れる広場に戻ってみると、すでに調子はずれのトロンボーン奏者はいなくなっていた。まもなく昼時。練習を終えて家に帰ったのだろう。ただ、バトミントンをする子供たちとそのさらに向こうでバイオリンを弾く日曜音楽家がそこには残っていた。子供達の歓声の向こうでバイオリン奏者は次の曲を奏で始めた。虹の彼方に。

いつの日か星に願う
雲を遥かに超えて目覚めれば
困りごとなどレモンドロップのように
煙突の傘の上に溶け去って
君は僕がそこにいると気づくのだ
虹の彼方の
青い鳥が飛ぶ場所で
鳥たちが虹を越えるなら
次はきっと自分が飛び越えるはず

この文章は、4月の中旬に作成し、4/21のFloral Friday 113でポストしたシャガの写真と共に使う予定でした。ところが読み返してみるとどこかしっくりこないように感じられる部分がいくつもあったため、結局Floral Fridayとして別な短い文章と差し替えました。今回は、文章を修正したうえで改めて、別な写真とともに公開しました。なお、Over the rainbowの日本語訳はtagnoueオリジナルです。

Bonne journée, Photo

春休み

春休みってこんなだったかな。
10代の子供達がけらけら笑いながら自転車で通り過ぎ、
昔ながらの電気店の店頭に置かれたTVでは、
ストライプの派手なジャケットを着たアナウンサーが、
場所が正確には思い出せないどこかの桜が満開になったと説明している。
滑っとした曇り空の夕暮れに、
コートを抱えたサラリーマンが、
スマートフォンにひきずられるように通り過ぎ、
その横の公園では、
もう暗くなって来たというのに子供達がすべり台を順番に滑り降りる。
暖かな日没のすっきりしない空気と曖昧な年度末。
生暖かい風に流されて茶色になった花びらは、
まもなく降り出す雨を吸い込んで湿った匂いを放ち始めるのだろう。
入学式までの数日は、
静かにしてなどいられない子供達が公園に溢れる少しばかり長い週末。
春休みってこんなだったかな。

その光景の中でどこか違っている気がするのはきっと自分。

Cross Cultural

待合室

 佐藤さーん、お待たせしました。診察室へどうぞ。田中さーん、お会計お願いしまーす。
 待合室に響くそんな声を久しぶりに聞いた気がした。再び日本に戻って来て、健康診断や予防接種などで何度も病院にお世話になっているはずなのに、なぜかそんな声を忘れていたらしい。待合室のソファーには20人もの人が腰を下ろして、誰もが次は自分かなと思いながらスマートフォンを眺めている。壁にはマスク着用の依頼と、小さな文字がびっしりと書かれた数えきれないほどの案内。アクリル板で仕切られた受付の向こう側では、ふたりの担当者が書類を持って右往左往しながら、新たな患者と診察を終えた患者とに無駄なく対応していた。周囲が少しだけ暗くなって明かりがはっきりと分かるようになってきた夕暮れ時の病院は、早めに仕事を切り上げてやってきた患者で慌しかった。

 少し脚に痛みを感じてやってきた自分も、同じ待合室で待つ他の人々も、さして違いはないのだろうなとぼんやりと思った。何に違いがないのか、何が違うのか、そんな話でもない。ただ普通に日常を過ごす名も無い誰かであると言う点で、区別のしようのない自分がそこに順番を待っていたのだった。

 数日前に脚を捻って、坂を下る時に膝の辺りにわずかに痛みを感じていた。そのうち治るだろうと思っていつもの生活を続けていたのだが、治るどころか徐々に痛みが増して、とうとう医者に診てもらった方がいいかなと考えたのだ。

 確か前に訪ねたあの整形外科の先生はそれなりに信頼できそうな人だったな、などと思いながらWebサイトを眺めたら、「先代の院長への信頼を継続していただけるよう」などと書いてあった。どうやら医師も代わったらしい。そういえば、ここを訪ねたのはずいぶん前だったなと思い返す。案の定、ようやく見つけた古い診察用のカードを健康保険証と共に受付に出したら、「前回はだいぶ前ですか?」などと聞かれたのだった。後で新しいカードに交換してくれたが、それが前と何が違っているのかは皆目検討がつかない。ただ、間違いなく自分のカードは一目でわかるほどに古いものだったという事だ。数年もすればひと昔と言われるような時代に日本を離れていたのだから仕方ない。

「19人お待ちになりますが、お買い物など外出されます?」事務的で無表情に対応しているように見えた受付は、少し困ったような笑みを微かに浮かべて続ける。「脚が痛いからいらしたんですものね。歩きたくありませんよね。」
できればそこに座って待つほうが良かったが、待つにもソファーは人がいっぱいだった。
「待ち時間は1時間くらいですかね。」
そう聞いても答えは曖昧だ。
「そうですね。それ以上早いことはおそらくないと思いますが、なんとも。」
分かりきった質問への分かりきった答え。順番待ちなのだから、時間など確定できるはずもない。
「じゃあ、外出します。1時間きっかりで戻りますね。」
「分かりました。本当にお待たせしてすみません。今日はなんだか混雑してて。戻られましたら受付のお声がけください。」

 やれやれ、診療開始の時間に来て1時間待ちだとすると、一体どのくらい前にくれば良いのか。そんなことを考えつつ、カフェに転がり込むことにした。病院の窮屈なソファーよりも、雑多なカフェの騒音の中の方が、静かに過ごせるような気がした。

 そのカフェの落ち着かないソファーで大きめサイズのコーヒーを飲みながら過ごした1時間は、とり立てて書くようなこともない。1時間のゆっくりとした時間は、本を読みながら過ごした豊かな時間というよりは、コーヒーで胃が膨れただけの妙な空白でしかなかった。

 スマートフォンを取り出し、コーヒーをひとくち飲んで、ニュースサイトを開き、コーヒーをひとくち飲んで、興味もないニュース記事をひとつ読む。ふたたびコーヒーをひとくち飲んで、またも興味もないニュース記事をひとつ読む。さらにコーヒーをひとくち飲んで、次の記事を開き、コーヒーをひとくち飲む。無限に続く繰り返し。大岩を山頂へと押し上げるシーシュポスよりもまだマシというものだが、その単調な繰り返しは人生の縮図を見るようだった。

 やがて、Kindleを持ってくればよかったなどと役に立たない後悔をし、ふたたびコーヒーを飲む。1時間の繰り返しの後に残ったのは、底に微かに残った冷え切ったコーヒーと500円の領収書だった。

 病院に戻り、慌ただしい受付を感染対策のアクリル板の横から首を伸ばすようにして覗き込むと、すかさず受付の人が言う。「あ、戻られたんですね。」困ったような笑みは変わらず、「まだ10人ほど」と想像していたような一言。分かっていた筈ではないか、時間がかかると。分かっていたからこそコーヒーを飲みに出かけたのだ。だが、もしかしたら、次ですよという言葉を根拠もなくどこかでほんの少し期待していたのも事実だった。

 診察が終わって、特に異常がない事が分かってほっとしながら痛み止めの処方箋を薬局に出したあたりで、3時間が経過していた。きっと診療開始時間30分前に行けば1時間後には全てが終わっていたのだろう。やれやれ。

 それでも、とふと思った。確かにフランスでは全てが予約制で、病院の待ちはせいぜい20分といったところだったが、肝心の予約が数日先、時には数ヶ月先で、予約した日にはとっくに治っているのだった。つまり、自分で治せるようなら医者を訪ねるなという事なのだろう。もちろん酷い状態なら緊急で診察してくれることもあるが、あくまでも緊急なのだ。あなた、自分で歩いて来たんだから、緊急じゃないでしょ、なんて言われそうだ。

 その点日本は簡単で、気になったらすぐに医師を訪ねれば良い。どうして混んでる時に来たのかなどとつまらない小言を言われることもない。

 どちらが優れたシステムなのかといった話ではもちろんない。熱があって座っているのも辛いのに2時間も待ちたくないが、熱があって座っているのも辛いのに2週後の病院予約もしたくない。たったひとつ確実に言えるのは、ここは日本だというその確信である。ありがたいことだ。いやそうでもないか。

Bonne journée, Photo

a bird

肩を押す春風の重みに頭を垂れ、

こめかみを締め付ける冷気に肩をすくめ、

目尻に刺さる鋼色の三日月にまた宇宙を見上げる。

繰り返す昨日と明日が同じでないことに

間も無く脱ぎ捨てるコートを思い出して安堵を覚え、

繰り返す昨日と明日が同じであることに

腕まくりするシャツを思い出して不安を感じる。

チチと鳴く鳥を探して甘ったるい空を見上げるのが春の兆し。

まだ冬枯れの梢にも、咲き始めた寒桜の花の間にも、鳥が忙しくしていた。

Bonne journée, Photo

missing snowy day

雪なんて降ってほしくないのに、降らないと残念と思うのはきっとわがままだからなのだろう。昨日の朝から舞い始めた粉雪に、早く帰ろうなんて言いながら、どこかで白い世界を期待している自分がいた。
予報では昼ころから夕方まで降り続きその後雨に変わるということだったが、実際には朝から降り始めたから、帰宅時にはそれなりに積もっているのだろうなと勝手に想像していた。きっとコンピュータ予想がはずれたのだろうが、雪なんて嫌だと言いながらもどこかで雪が見たいと思っているところがあるから、降り続けるものと信じたくなっていたに違いない。ところが11時前には雪が雨に変わり、ほとんど積もることもなく冷たい雨が降り続いたのだった。本降りの雨にずぶ濡れになりながら、ちょっとわがままな自分が可笑しく思えた金曜日だった。

写真はもちろん横浜などではなく、フランスの風景。この写真の地域も雪は珍しい。

I don’t want it to snow, but I was disapointing it didn’t, probably because I’m selfish. The powder snow began to fall from yesterday morning, and while I was telling myself to go home early, I found myself hoping for a white town somewhere.