
佐藤さーん、お待たせしました。診察室へどうぞ。田中さーん、お会計お願いしまーす。
待合室に響くそんな声を久しぶりに聞いた気がした。再び日本に戻って来て、健康診断や予防接種などで何度も病院にお世話になっているはずなのに、なぜかそんな声を忘れていたらしい。待合室のソファーには20人もの人が腰を下ろして、誰もが次は自分かなと思いながらスマートフォンを眺めている。壁にはマスク着用の依頼と、小さな文字がびっしりと書かれた数えきれないほどの案内。アクリル板で仕切られた受付の向こう側では、ふたりの担当者が書類を持って右往左往しながら、新たな患者と診察を終えた患者とに無駄なく対応していた。周囲が少しだけ暗くなって明かりがはっきりと分かるようになってきた夕暮れ時の病院は、早めに仕事を切り上げてやってきた患者で慌しかった。
少し脚に痛みを感じてやってきた自分も、同じ待合室で待つ他の人々も、さして違いはないのだろうなとぼんやりと思った。何に違いがないのか、何が違うのか、そんな話でもない。ただ普通に日常を過ごす名も無い誰かであると言う点で、区別のしようのない自分がそこに順番を待っていたのだった。
数日前に脚を捻って、坂を下る時に膝の辺りにわずかに痛みを感じていた。そのうち治るだろうと思っていつもの生活を続けていたのだが、治るどころか徐々に痛みが増して、とうとう医者に診てもらった方がいいかなと考えたのだ。
確か前に訪ねたあの整形外科の先生はそれなりに信頼できそうな人だったな、などと思いながらWebサイトを眺めたら、「先代の院長への信頼を継続していただけるよう」などと書いてあった。どうやら医師も代わったらしい。そういえば、ここを訪ねたのはずいぶん前だったなと思い返す。案の定、ようやく見つけた古い診察用のカードを健康保険証と共に受付に出したら、「前回はだいぶ前ですか?」などと聞かれたのだった。後で新しいカードに交換してくれたが、それが前と何が違っているのかは皆目検討がつかない。ただ、間違いなく自分のカードは一目でわかるほどに古いものだったという事だ。数年もすればひと昔と言われるような時代に日本を離れていたのだから仕方ない。
「19人お待ちになりますが、お買い物など外出されます?」事務的で無表情に対応しているように見えた受付は、少し困ったような笑みを微かに浮かべて続ける。「脚が痛いからいらしたんですものね。歩きたくありませんよね。」
できればそこに座って待つほうが良かったが、待つにもソファーは人がいっぱいだった。
「待ち時間は1時間くらいですかね。」
そう聞いても答えは曖昧だ。
「そうですね。それ以上早いことはおそらくないと思いますが、なんとも。」
分かりきった質問への分かりきった答え。順番待ちなのだから、時間など確定できるはずもない。
「じゃあ、外出します。1時間きっかりで戻りますね。」
「分かりました。本当にお待たせしてすみません。今日はなんだか混雑してて。戻られましたら受付のお声がけください。」
やれやれ、診療開始の時間に来て1時間待ちだとすると、一体どのくらい前にくれば良いのか。そんなことを考えつつ、カフェに転がり込むことにした。病院の窮屈なソファーよりも、雑多なカフェの騒音の中の方が、静かに過ごせるような気がした。
そのカフェの落ち着かないソファーで大きめサイズのコーヒーを飲みながら過ごした1時間は、とり立てて書くようなこともない。1時間のゆっくりとした時間は、本を読みながら過ごした豊かな時間というよりは、コーヒーで胃が膨れただけの妙な空白でしかなかった。
スマートフォンを取り出し、コーヒーをひとくち飲んで、ニュースサイトを開き、コーヒーをひとくち飲んで、興味もないニュース記事をひとつ読む。ふたたびコーヒーをひとくち飲んで、またも興味もないニュース記事をひとつ読む。さらにコーヒーをひとくち飲んで、次の記事を開き、コーヒーをひとくち飲む。無限に続く繰り返し。大岩を山頂へと押し上げるシーシュポスよりもまだマシというものだが、その単調な繰り返しは人生の縮図を見るようだった。
やがて、Kindleを持ってくればよかったなどと役に立たない後悔をし、ふたたびコーヒーを飲む。1時間の繰り返しの後に残ったのは、底に微かに残った冷え切ったコーヒーと500円の領収書だった。
病院に戻り、慌ただしい受付を感染対策のアクリル板の横から首を伸ばすようにして覗き込むと、すかさず受付の人が言う。「あ、戻られたんですね。」困ったような笑みは変わらず、「まだ10人ほど」と想像していたような一言。分かっていた筈ではないか、時間がかかると。分かっていたからこそコーヒーを飲みに出かけたのだ。だが、もしかしたら、次ですよという言葉を根拠もなくどこかでほんの少し期待していたのも事実だった。
診察が終わって、特に異常がない事が分かってほっとしながら痛み止めの処方箋を薬局に出したあたりで、3時間が経過していた。きっと診療開始時間30分前に行けば1時間後には全てが終わっていたのだろう。やれやれ。
それでも、とふと思った。確かにフランスでは全てが予約制で、病院の待ちはせいぜい20分といったところだったが、肝心の予約が数日先、時には数ヶ月先で、予約した日にはとっくに治っているのだった。つまり、自分で治せるようなら医者を訪ねるなという事なのだろう。もちろん酷い状態なら緊急で診察してくれることもあるが、あくまでも緊急なのだ。あなた、自分で歩いて来たんだから、緊急じゃないでしょ、なんて言われそうだ。
その点日本は簡単で、気になったらすぐに医師を訪ねれば良い。どうして混んでる時に来たのかなどとつまらない小言を言われることもない。
どちらが優れたシステムなのかといった話ではもちろんない。熱があって座っているのも辛いのに2時間も待ちたくないが、熱があって座っているのも辛いのに2週後の病院予約もしたくない。たったひとつ確実に言えるのは、ここは日本だというその確信である。ありがたいことだ。いやそうでもないか。
フランスでは全てが予約制というのはラジオで聞いたことがあります。
予約といっても数ヶ月待ちとなると病気の症状がどう変わってゆくか
不安でしょうね。
歳を重ねると病院のお世話になる頻度が増えるのは仕方ないようです。
母を見ていて、たいていの高齢者は病院に行くのが仕事のひとつになる
のだなぁとしみじみ思います。
特に眼科医の予約が大変ですね。一度困った時には、フランス人知人が知り合いの医師に頼んでくれました。また、緊急の時には救急病院に電話すると、症状を聞いて対応してくれます。そんな仕組みだから、自宅で静かにしていれば十分な程度の症状で病院が溢れることはありません。医療費の削減にもなっています。ただ、お年寄りには困るかも知れませんね。ちょっと不安を感じた時に話が出来る医師がいるのが日本なのかなと。