Art, Bonne journée

Yokohama Triennale 2017

201709-111

ヴァンクーヴァー美術館の照明の落とされた隅の部屋で見た Janet Cardiff & George Bures Miller the Killing Machine はボタンを押すのにひどく勇気のいる作品だった。その互いの姿もはっきりとはしない他人同士がたまたま同じ場所と時間を共有しながら、いつか不安までも共有する共犯者であるかのように静かに息を殺す深淵へと落ちていく時間は、早くそれを終えて抜け出したくなる程に永遠とも思われた。光と音が交錯する器械はコンテンポラリーアートの典型的な手法のひとつではあろうが、そこにそれがあるという存在感ゆえに逃れられない現実となってアートという特別な今を超える。

201709-112ヨコハマトリエンナーレの会場のひとつである赤レンガ倉庫で案外空いている午前中のゆっくりとしたひと時を過ごしながら、久しぶりにその不思議な現実感を味わった。かつて山下埠頭で開催された時(2005年)のダイナミックとも形容できそうな巨大な仕掛けと較べればずっと洗練されてはいるが、あの時もどきどきするような現実感を感じたように、今回もどこか頭の隅で警告が鳴るような感覚を覚えた。The Killing Machineにも共通するそれが何かはわからない。ただひとつ、そこにある現実感だけは共通して感じている。
ヨコハマトリエンナーレでは、必ず自分がアートの中に紛れ込む。コンテンポラリーアートには映像のみの作品やオブジェを単に楽しむものも多いが、これだけの規模にもなればインスタレーションの現場に居合わせることもアートの中に入り込める作品も多い。かつて原寸大サッカーゲームで遊んだように、今回も作品の一部になって楽しめるものも少なからずある。
だからコンテンポラリーアートはやめられないのだ。

Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Structure

201709-101

It is always slightly out of focus. A little portion of a downtown structure appears out of nowhere.
Take care! Don’t fall down to the urban abyss.
都会の深淵に飛び込まぬように。

In response to the weekly photo challengeStructure by The Daily Post.

201709-102

Bonne journée, Cross Cultural

The Rock

201708-521

The Rock(ロック様)が宇宙空間で “Hey, Siri. Take a selfie” とやっているアップルのコマーシャルでeclipse(日蝕)がどうのこうのと聞こえてくるが、正直アップルらしくないつまらない台詞が入っているなとずっとCMの作りを訝っていた。ジョークとしてはいまひとつだと感じるのは、アップルのコマーシャルは質がある程度保証されているものだという妙な安心感のようなものを常々感じているからでもある。ロック様のファンでもない人にとって、少々唐突な台詞にはそうした安心感が欠けているように思ったのだった。
しかしである。あちこちいつも彷徨うブログの海につかる中、ダリのヒゲのように細長く跳ねた木漏れ日とはるか遠い何かを求めて空を見上げる人々の写真がネットに溢れるのを見るにいたって、ようやく意図に思いあたった。北米は久しぶりの皆既日蝕に大騒ぎだったのだ。もちろん誰もが日蝕に熱狂していたわけではないだろうが、少なくとも誰もが話題にするようなイベントであったことは間違いない。大統領が肉眼で見上げる写真を見れば明らかだ。前回の日本での部分蝕では雲の向こうに肉眼でくっきりと欠けた太陽を見ることができたが、あの晴天ではきっと目を痛めたことだろう。
そんなことを思いながら、ふと気がついた。皆既日蝕や皆既月食の皆既蝕は”total eclipse”、でも満月は”full moon”である。確かに皆既蝕が”full”というのも変だが、この手の表現はある意味言語にある文化みたいなものか。日本でも満月は「満」ちているから同じと言えなくもない。

冒頭の写真は、ヨコハマトリエンナーレから。毎回欠かすことのない巡礼ではあるが、その話は別の機会に。

201708-522