Art, Bonne journée

波打つ昨日

実直にまっすぐ張られた架線と
波打つスレート屋根との隙間を
ゆったりと流れる雲と雲の間に、
冷たく銀色に冷えた夕暮れ時の月を見つけ、
雨と曇りの合間に忘れられた晴れを思い出した。
もうまもなく
地球上のどこかの水平線か
そんな捉えようもない何かに沈む太陽は、
薄汚れた雲の積み重なる向こう側に
おそらく、
たぶん、
きっと、
あるはずだった。
耳たぶのような
冷たく柔らかな刃物で
何時間も切り刻まれた初夏が、
紫陽花の上に逃げ出した羽虫のように転がった。
湿った腋の下に緑色の傘を抱え、
乾いた喉の上に赤茶色のコーヒーを流し込む
帰宅途上の色のない難民は、
次の通勤電車にまとわりつく風に、
誰もが思い出そうとしない昨日。

Bonne journée, Photo

Roses are roses are roses


and what they are.  (日本語と他の写真は下に、Slideshow at bottom)

The title does not have any relation to Gertrude Stein, which I read a long time ago, but I felt that roses exist as roses, feeling the gorgeousness of blooming roses and the sweet scent that makes you sigh. Knowing everyone visit there just for feeling early summer roses, but, everyone cannot stop thinking any stories behind. even though, you know, roses are roses as they are.

Cherry blossoms and tulips bloomed about two weeks earlier this year, probably because of the warmer spring days, and roses were not exception. In Japan, where the spring rose season is always very short, petals has been mostly scattered. So I’m going to post about roses next seven days.

だいぶ前に読んだGertrude Steinとは関係があってのタイトルではない。咲き乱れるバラの華やかさと咽せるような甘い香りを感じて、バラはバラとしてそこにあるのだと感じたのだった。誰もが初夏のバラを感じにそこを訪れるのだと分かっているが、こういう場所では誰もがその背景に何か物語があるものだと考えずにはいられない。そうであってもバラはそのままでバラなのだ。

今年は春から暑かったせいか、桜もチューリップも2週間ほど早く咲いたのだが、バラも例外とはならなかった。春バラの期間が短い日本では、もうバラは終わりである。

ということで、今日からの7日間のいつものポストもバラを予定。

Bonne journée, Photo

1993年、夏

 おそらくは1993年の夏の頃だった。なんでもやってみたいといろいろ手を出してどれもこれも中途半端だったくせに好奇心いっぱいで、表面的な事すら分かってもいないのに知ったかぶりの若造だった。人と同じでは気が済まず、誰もが履いていたダメージドジーンズなんて恥ずかしいとワンウォッシュ・デニムを履いて庭園美術館の前庭に腰を下ろして文庫本を開き、蓄えなど無くても夏の週末は山中湖のほとりでジェットスキーやバーベキューをして過ごし、家で過ごす時の音楽はいつもラテンかジャズかクラシックだった。そのくせかけっぱなしのラジオはJ-waveでルーシーケントのコールを真似しながら聞く曲は洋楽ばかりだったから全米チャートのロックの方が詳しかった。

 湖の浜辺に置いたテーブルにアマチュア無線機を放り投げ、サマーベッドに水着で横になってガソリンの匂いのする青空を見上げながら、遠く渋滞する周遊道路のエンジン音を聞いては「もっとゆっくりすればいいのに」なんて言ってみる若造は、粋がっているようでも案外そのための努力は惜しまないところもあった。仕事で帰りが深夜になって平日の睡眠時間が不足していても週末の朝は5時前には起きて山中湖に向かい、静まりかえった湖畔で黙々とジェットスキーの準備をした。まだまだインターネットが普及しきれていない時期だったから、仕事柄ネットにアクセスする事はできても実際には肝心な情報もなく、好きなラテン系の曲の情報を得るために、移動中の隙間時間を使って雑誌を読んでみたりJ-waveを聴いたりもしていた。もちろん移動中の隙間時間に読む本もどんどん山積みになっていたから、時に厚みが5cmもありそうな「ゲーデル、エッシャー、バッハ」をバックパックに放り込み、時にリチャードバックのペーパーバックをポケットに無理やり突っ込んでいるような状況だった。本の重みや英語で書かれている事の方が価値が高かったのだ。そんな調子だからいつも時間が足りなかった。

 それは、おそらくは1993年の夏の頃だった。そうやって粋がって日々を過ごしているとJ-waveから案内が聞こえてきたのだ。おそらくは「カリビアン・カーニバル」という名前のコンサートだったと思う。今では当たり前になった野外ライブである。場所は日比谷野音。出演者はオルケスタ・デル・ソルやエル・グラン・コンボ、そして沖縄のディアマンテス。ディアマンテスは記憶が正しければペルー出身者のバンドだったからカリビアンと名うつには少々無理があったように思うが、大御所からフレッシュな新人までラテンを楽しめるライブとなっていた。きっと今だったらプラチナチケットの類だったろう。3000人も入れない野外音楽堂だ。しかも東京のど真ん中。でも、当時は野外フェスはそれほど当たり前ではなかったのだ。チケットは案外簡単に取れた。

 実はこのラテンの野外フェスは主催者が違ったりしながら何年か続いたのだが、ある時ライブが終わった後でポツンと座席に座ったままでいると、人が近づいてきた事があった。会場片付けのバイトのお兄ちゃん風だったので「そろそろ会場から出て下さい」とか言われるかと思ったら、在日ペルー人会に来ませんかというお誘いだった。きっと日系ペルー人だと思われたのだ。スペイン語は分からなかったが、ひとことふたこと会話したのは日本語だった。既に記憶は曖昧になってしまっているが、それくらいローカルでアットホームなフェスだったのかもしれない。後になってペルー人会に行ってみればよかったなんて思ったのだが、あとの祭。その時は何だか気後れしてそのままにしてしまったのだった。

 そのおそらくは1993年の夏のカリビアンカーニバルは、記憶違いでなければ台風で雨のライブだった。東京直撃コースだから電車も止まるかもしれないなどと報道されていて、雨の中を会場に向かいながらも、ほんとうにやるのだろうかと他人事のようにぼんやり考えていた。台風でも会場に向かったのだから、ほんとうはきっと強い台風というわけでもなかったのだろう。でも、記憶の中では嵐の中のライブだった。オルケスタ・デル・ソルは名曲「晴れた日も来るさ」を大雨の中で演奏し続け、会場は大盛り上がりだった。ビニール合羽を頭から被り、天を指差しながら全員で歌う「晴れた日も来るさ」。記憶も曖昧だが、パーカッションのペッカーか誰かが「台風はもう埼玉まで抜けたらしいぞ!」と叫び、会場が「yeah」と呼応するから、それはもうサルサというよりロックコンサートのようだった。ライブが終わってみれば雨も小降りになって、誰もが台風の中のライブに満足していた。とはいえ下着までずぶ濡れで、夕食を食べながら体温で乾かすのは若かったから出来た事なのだろう。

 その台風の中のライブだったか確信が持てないが、期待以上に良かったのが沖縄のディアマンテスだった。元気いっぱいのエネルギーにあふれたオープニングアクトで、その熱さが全てを引っ張っていくようだった。

 それから何もかもを覚えているには長すぎ、全てを忘れるには短すぎる30年が過ぎていった2023年の初夏、変に粋がって見せなくても少しばかり贅沢な時間を過ごせるようになった自分は、石垣島の海辺のテーブルで食事をしながら若かった頃を思い出そうとしていた。もしかしたら過去などどうでも良かったのかもしれないが、北回帰線がすぐそこにあるその島は、沖縄のラテンを聞くにはうってつけの場所だったし、やはり若い頃に時間を忘れて楽しんだカリブ海に浮かぶバハマ諸島の緯度とも同じくらいの場所でもあった。何でも出来そうで何でも怖かった30年前の自分は、バハマの塩辛いコーヒーに酔い、沖縄のラティーナのリズムに揺れていた。そしてその30年後の自分は、石垣島でバーベキューのスモーキーな香りを楽しみながら、目の前で激しく体を動かすダンサーのエネルギーを感じていた。そのサルサ・ダンサーのPatiさんは、もしかしたら30年前のディアマンテスのパティなのかも知れなかった。

 結局それを確かめることはしなかった。在日ペルー人会をを訪ねようとしなかったように、後になって一言聞いてみればよかったと思い直したのだった。

Bonne journée, Cross Cultural

Yokohama

(日本語は下に)

The usual Yokohama is finally back. Some people say that after three strange years of hard days, life has returned to normal, but I may have forgotten what it was like at that time.
Three years ago, I was in Europe watching a TV news report about a large number of infected people on a large cruise ship from Hong Kong. The ship had dropped into the port of Yokohama to receive medical assistance but, for me, it didn’t sound real thing.
Then, two weeks ago, 6 large ships entered Yokohama Port at the same day and many tourists were enjoying their vacation. The usual Yokohama is finally back.

やっといつもの横浜が戻ってきた。 3年続いた奇妙な日々の後で、普通の生活が戻ってきたという人もいるが、私には以前の様子を忘れてしまっているような気がしている。
3年前ヨーロッパにいて、香港からの大型クルーズ船で多数の感染者が出たというテレビニュースを見ていたが、それは現実のものとは思えなかった。
2週間前、同日に大型客船6隻が横浜港に入港した。 ようやくいつもの横浜が戻ってた。

Bonne journée, Photo

Over the rainbow

桜の蕊降る公園へつながる赤く染まったコンクリートの通路をスニーカーで歩きながら、ようやく強さを増した陽射しを楽しむように空を見上げた。どこか靄のかかったような青が、淡い緑の隙間から漏れ出し、パステル色の春風が心地よい午前が足早に過ぎようとしていた。ふと気付けば遠くからちょっと調子はずれのトロンボーンが聞こえ、晴れ間を楽しむ人々が広場で自由な時間を過ごしているのだろうなどと勝手な想像をしながら、公園への階段をひとつ登った。誰かが笑う声がした。その方向へと足元を見ていた顔を上げ、どこか既視感のある一歩をまた進んで、ブルターニュの広場だったかなと思いあたった。そこでは楽器がいつも身近にあって、いつも行く広場ではハープだったりバグパイプだったりと、その時々でいくつもの音楽があった。

整備された森が続く少し大きめの公園の入り口に用意された広場は、冬の間に傷んだ階段が整備され、芝生の上では子供達がバトミントンのシャトルを追って駆け回っていた。その隅にあるベンチで、その調子はずれの音楽家は、音を外すたびに笑いながら何度も同じ旋律を繰り返した。オズの魔法使いでジュディ・ガーランドが歌った「虹の彼方に」。

虹の彼方の
空高いそのどこかに
子守唄で一度聴いた
その国はある
虹の彼方の
その空は青く
信じることができたその夢は
実現するという

そんな歌詞の子守唄あたりでどうしても音が外れてしまう。そのトロンボーンが心地よかった。正直に言えば、もちろん「調子っぱずれ」で時に濁ったような金属音のする楽器よりも、どうせならゆったりと響き渡る金管楽器の音楽を聴きたかったわけだが、それ以上に身近な場所に流れる現実の音に惹かれたのだ。きっとそのいつも同じところで音がはずれてしまう日曜音楽家が、恥ずかしそうにする訳でも照れるわけでもなく、ただひたすら「虹の彼方に」を楽しんでいることに心地良い時間を感じとったのだろう。

歩き始めるとバトミントンの子供達の笑い声が遠くで聞こえた。まだ自分が夢を信じることが出来た頃に見た夢は、いつか実現したのだろうか?どんな夢を見たかも忘れてしまった今、それが実現したのかどうかすら分からない。調子はずれの「虹の彼方に」は、そんな自分に合っているのかもしれなかった。きっとそれでいいのだ。

外国が自分とそれ以外という区別でしかなかった子供の頃、その色彩に目がチカチカとして驚かされたラウル・デュフィの絵も、ガラス細工のように耳元でキラキラと音が輝いたモーリス・ラヴェルの音楽も、フラミンゴが飛び立つカマルグの湿原も、甘さが口の中に絡みついて離れない濃厚なミルフィーユも、気がつけばいつか身近にあった。だから夢だって既に手にしているのだ。ただそれがなんだったか忘れてしまったというだけのこと。ヨーロッパに行くと街中に音楽が溢れているんだよ、なんて聞かされて、どこかそんな街に憧れを抱き続けていていたはずの自分が、こうして生まれ育った日本の公園で「虹の彼方に」を聴いている事だけで十分なのだ。調子はずれの「虹の彼方に」が漂う公園を歩くのは、それだけで楽しいひとときとなった。

公園をぐるっと歩いて新緑を楽しみ、どこか湿った空気と乾いた陽射しが混じり合った場所で立ち止まって空気を吸い込んで、また歩き出す。それはクジラが時々海の中から顔を出して呼吸しているみたいだった。周囲をよく見回せばそんなクジラがたくさん歩いている。誰もが皆、春の空気を感じて深呼吸を思い出したのだろう。

整備された歩道の先を見れば、少し陰になった森の斜面にたくさんのシャガが咲いていた。シャガは3倍体の帰化植物だそうだから、自生することはない。人の手でなければ広がる事もない。だから公園を管理する事務所が植えたものなのだろう。それでもコントラストの低い日陰でひときわ白く輝くシャガは、誰もが足を止めるほどに美しく咲いていた。

こちらに向かってきたカップルも例外ではなかった。ラフなジーンズにしっかりとしたシャツを着たがっしりとした体つきの男性は、シャガになど興味が無さそうに連れの女性ばかりを見ているようだった。一方の女性は小綺麗な格好で、しきりに何かを男性に話しかけながらシャガの方に手をのばしていた。指先に花軸を取り、男性に何かを言って、また花軸を握り直した。おそらくはシャガの花を摘もうとしているのだろう。男性も何も言わない。それはあまり愉快とは言えない風景だった。その小道を通るたくさんの人が楽しむであろうシャガの花を誰かが一人手折ればその次からは一輪が欠けてしまう。そこを500人のひとが通り、10人に一人が花をとれば、そこにあるシャガは一輪も無くなるだろうと想像ができた。だが、やがてその女性は手折ることをやめ、森を再び歩き始めた。

不愉快な瞬間が過ぎ去って自分がシャガの群落に近づいてみても、どこかしっくりとしない感覚だけは残っていた。そうしてカメラのファインダを覗き込み、シャッターをおした。ファインダを覗き込んで見たシャガは白く透明で、中央から紫や黄色のインクが染み出して来たような美しさで見えた。シャガの花を手折ろうとした女性の気持ちが少し理解できた。

「虹の彼方に」の流れる広場に戻ってみると、すでに調子はずれのトロンボーン奏者はいなくなっていた。まもなく昼時。練習を終えて家に帰ったのだろう。ただ、バトミントンをする子供たちとそのさらに向こうでバイオリンを弾く日曜音楽家がそこには残っていた。子供達の歓声の向こうでバイオリン奏者は次の曲を奏で始めた。虹の彼方に。

いつの日か星に願う
雲を遥かに超えて目覚めれば
困りごとなどレモンドロップのように
煙突の傘の上に溶け去って
君は僕がそこにいると気づくのだ
虹の彼方の
青い鳥が飛ぶ場所で
鳥たちが虹を越えるなら
次はきっと自分が飛び越えるはず

この文章は、4月の中旬に作成し、4/21のFloral Friday 113でポストしたシャガの写真と共に使う予定でした。ところが読み返してみるとどこかしっくりこないように感じられる部分がいくつもあったため、結局Floral Fridayとして別な短い文章と差し替えました。今回は、文章を修正したうえで改めて、別な写真とともに公開しました。なお、Over the rainbowの日本語訳はtagnoueオリジナルです。