Bonne journée

西表島

今日は、鳥が好きな方向けのピンポイント投稿。

あまりに遠くて画質も良くない画像だから投稿するのを止めていたのだが、先週土曜に月桃の写真を載せたので、その続きということもあって、西表島の写真である。マングローブの森の上を飛ぶのは、おそらくクロツラヘラサギ。世界に3000羽もいない絶滅危惧種IB類。ヘラサギとクロツラヘラサギの区別もつかない私にはピンと来なかったが、イリオモテヤマネコを見るくらいに珍しいという人もいるらしい。

下の写真では顔が白く見えるが、肉眼で見れば実際には目の周りが黒く嘴の先には黄色味がないから、クロツラヘラサギなのだろう。そんな時に限って旅行用の小さなカメラにつけていたのは広角気味の標準レンズ。撮影のためではなく、のんびりする為にそこにいたわけで、当然重い望遠レンズなど持っているはずもない。「トラベルズームって買ったことなかったけれど、きっとこんな時に使うのね」などと思いながら、無理のある標準レンズで写真を撮るよりも自分の目でよく観察したのだった。だから、撮った写真はこの2枚だけ。これだけじゃ、クロツラヘラサギかどうかという以前に、サギとの区別も怪しい。

Bonne journée, Photo

月桃

 無数の歯車がガタガタと時を動かす昼間の時間が立ち止まる音を立てるようにリュウキュウアカショウビンがキロロロと声を響かせ、日の沈んだ後の漆黒の湿気がスッと溶け落ちる様にヤエヤマヒメボタルがつぼみのような光を揺らし始めるうりずんの頃、月桃のオレンジ色に輝く花がうつむきながら開き始める。それが八重山の一番良い季節らしい。暑過ぎず過ごしやすい季節だからと伝えるガイドブックも、天気がぐずつきやすい冬が終わり台風の時期にはまだ早いからと説明するWebサイトもその通りだが、何よりも静かでエメラルド色に染まる海と頭のてっぺんからつま先まで照らす太陽がそこにあるからでもある。

 何度か沖縄を訪れたことがあるというのに、季節のことなどまともに考えたことなどなかった。少なくとも数日を過ごすことのできる休暇といつもより幾分多くかかる費用とを算段して日程が決まり、それからその季節はどうなんだろうと考える。ホテルのとれたこの日あたりは西風が寒くないかな?この頃はそろそろ台風の季節だよね。もうパイナップルは終わりかも。いつも順番が逆なのだ。こんな季節に行きたいなんて計画するのは簡単ではない。

 そもそも沖縄本島と八重山諸島の区別だってあやしいものだ。那覇から400kmも離れた石垣島に行くというのに、那覇は明後日から雨らしいなんて会話をしていたりもする。八重山諸島はそれほど日常を過ごす横浜から遠く離れた場所なのだ。楽園とは現実から遠いもの。たとえそこに生活する人が様々な現実に直面していようとも。

 ベタベタと首の周りにまとわりつく海風と月桃色に染まった島陰とが曖昧につながって、やがて島の深緑の土に染み込んでいく夕暮れ。旅人は日常を忘れ、世話をやいてくれる島の人たちを頼って一日を終えようとする。美しい季節にここにいられて良かったと、独言るのは都会の慣わし。明日を生きる術。

月桃、ショウガ科ハナミョウガ属、沖縄ではサンニンとも。台湾でも月桃らしい。
Art, Bonne journée

波打つ昨日

実直にまっすぐ張られた架線と
波打つスレート屋根との隙間を
ゆったりと流れる雲と雲の間に、
冷たく銀色に冷えた夕暮れ時の月を見つけ、
雨と曇りの合間に忘れられた晴れを思い出した。
もうまもなく
地球上のどこかの水平線か
そんな捉えようもない何かに沈む太陽は、
薄汚れた雲の積み重なる向こう側に
おそらく、
たぶん、
きっと、
あるはずだった。
耳たぶのような
冷たく柔らかな刃物で
何時間も切り刻まれた初夏が、
紫陽花の上に逃げ出した羽虫のように転がった。
湿った腋の下に緑色の傘を抱え、
乾いた喉の上に赤茶色のコーヒーを流し込む
帰宅途上の色のない難民は、
次の通勤電車にまとわりつく風に、
誰もが思い出そうとしない昨日。

Bonne journée, Photo

Roses are roses are roses


and what they are.  (日本語と他の写真は下に、Slideshow at bottom)

The title does not have any relation to Gertrude Stein, which I read a long time ago, but I felt that roses exist as roses, feeling the gorgeousness of blooming roses and the sweet scent that makes you sigh. Knowing everyone visit there just for feeling early summer roses, but, everyone cannot stop thinking any stories behind. even though, you know, roses are roses as they are.

Cherry blossoms and tulips bloomed about two weeks earlier this year, probably because of the warmer spring days, and roses were not exception. In Japan, where the spring rose season is always very short, petals has been mostly scattered. So I’m going to post about roses next seven days.

だいぶ前に読んだGertrude Steinとは関係があってのタイトルではない。咲き乱れるバラの華やかさと咽せるような甘い香りを感じて、バラはバラとしてそこにあるのだと感じたのだった。誰もが初夏のバラを感じにそこを訪れるのだと分かっているが、こういう場所では誰もがその背景に何か物語があるものだと考えずにはいられない。そうであってもバラはそのままでバラなのだ。

今年は春から暑かったせいか、桜もチューリップも2週間ほど早く咲いたのだが、バラも例外とはならなかった。春バラの期間が短い日本では、もうバラは終わりである。

ということで、今日からの7日間のいつものポストもバラを予定。

Bonne journée, Photo

1993年、夏

 おそらくは1993年の夏の頃だった。なんでもやってみたいといろいろ手を出してどれもこれも中途半端だったくせに好奇心いっぱいで、表面的な事すら分かってもいないのに知ったかぶりの若造だった。人と同じでは気が済まず、誰もが履いていたダメージドジーンズなんて恥ずかしいとワンウォッシュ・デニムを履いて庭園美術館の前庭に腰を下ろして文庫本を開き、蓄えなど無くても夏の週末は山中湖のほとりでジェットスキーやバーベキューをして過ごし、家で過ごす時の音楽はいつもラテンかジャズかクラシックだった。そのくせかけっぱなしのラジオはJ-waveでルーシーケントのコールを真似しながら聞く曲は洋楽ばかりだったから全米チャートのロックの方が詳しかった。

 湖の浜辺に置いたテーブルにアマチュア無線機を放り投げ、サマーベッドに水着で横になってガソリンの匂いのする青空を見上げながら、遠く渋滞する周遊道路のエンジン音を聞いては「もっとゆっくりすればいいのに」なんて言ってみる若造は、粋がっているようでも案外そのための努力は惜しまないところもあった。仕事で帰りが深夜になって平日の睡眠時間が不足していても週末の朝は5時前には起きて山中湖に向かい、静まりかえった湖畔で黙々とジェットスキーの準備をした。まだまだインターネットが普及しきれていない時期だったから、仕事柄ネットにアクセスする事はできても実際には肝心な情報もなく、好きなラテン系の曲の情報を得るために、移動中の隙間時間を使って雑誌を読んでみたりJ-waveを聴いたりもしていた。もちろん移動中の隙間時間に読む本もどんどん山積みになっていたから、時に厚みが5cmもありそうな「ゲーデル、エッシャー、バッハ」をバックパックに放り込み、時にリチャードバックのペーパーバックをポケットに無理やり突っ込んでいるような状況だった。本の重みや英語で書かれている事の方が価値が高かったのだ。そんな調子だからいつも時間が足りなかった。

 それは、おそらくは1993年の夏の頃だった。そうやって粋がって日々を過ごしているとJ-waveから案内が聞こえてきたのだ。おそらくは「カリビアン・カーニバル」という名前のコンサートだったと思う。今では当たり前になった野外ライブである。場所は日比谷野音。出演者はオルケスタ・デル・ソルやエル・グラン・コンボ、そして沖縄のディアマンテス。ディアマンテスは記憶が正しければペルー出身者のバンドだったからカリビアンと名うつには少々無理があったように思うが、大御所からフレッシュな新人までラテンを楽しめるライブとなっていた。きっと今だったらプラチナチケットの類だったろう。3000人も入れない野外音楽堂だ。しかも東京のど真ん中。でも、当時は野外フェスはそれほど当たり前ではなかったのだ。チケットは案外簡単に取れた。

 実はこのラテンの野外フェスは主催者が違ったりしながら何年か続いたのだが、ある時ライブが終わった後でポツンと座席に座ったままでいると、人が近づいてきた事があった。会場片付けのバイトのお兄ちゃん風だったので「そろそろ会場から出て下さい」とか言われるかと思ったら、在日ペルー人会に来ませんかというお誘いだった。きっと日系ペルー人だと思われたのだ。スペイン語は分からなかったが、ひとことふたこと会話したのは日本語だった。既に記憶は曖昧になってしまっているが、それくらいローカルでアットホームなフェスだったのかもしれない。後になってペルー人会に行ってみればよかったなんて思ったのだが、あとの祭。その時は何だか気後れしてそのままにしてしまったのだった。

 そのおそらくは1993年の夏のカリビアンカーニバルは、記憶違いでなければ台風で雨のライブだった。東京直撃コースだから電車も止まるかもしれないなどと報道されていて、雨の中を会場に向かいながらも、ほんとうにやるのだろうかと他人事のようにぼんやり考えていた。台風でも会場に向かったのだから、ほんとうはきっと強い台風というわけでもなかったのだろう。でも、記憶の中では嵐の中のライブだった。オルケスタ・デル・ソルは名曲「晴れた日も来るさ」を大雨の中で演奏し続け、会場は大盛り上がりだった。ビニール合羽を頭から被り、天を指差しながら全員で歌う「晴れた日も来るさ」。記憶も曖昧だが、パーカッションのペッカーか誰かが「台風はもう埼玉まで抜けたらしいぞ!」と叫び、会場が「yeah」と呼応するから、それはもうサルサというよりロックコンサートのようだった。ライブが終わってみれば雨も小降りになって、誰もが台風の中のライブに満足していた。とはいえ下着までずぶ濡れで、夕食を食べながら体温で乾かすのは若かったから出来た事なのだろう。

 その台風の中のライブだったか確信が持てないが、期待以上に良かったのが沖縄のディアマンテスだった。元気いっぱいのエネルギーにあふれたオープニングアクトで、その熱さが全てを引っ張っていくようだった。

 それから何もかもを覚えているには長すぎ、全てを忘れるには短すぎる30年が過ぎていった2023年の初夏、変に粋がって見せなくても少しばかり贅沢な時間を過ごせるようになった自分は、石垣島の海辺のテーブルで食事をしながら若かった頃を思い出そうとしていた。もしかしたら過去などどうでも良かったのかもしれないが、北回帰線がすぐそこにあるその島は、沖縄のラテンを聞くにはうってつけの場所だったし、やはり若い頃に時間を忘れて楽しんだカリブ海に浮かぶバハマ諸島の緯度とも同じくらいの場所でもあった。何でも出来そうで何でも怖かった30年前の自分は、バハマの塩辛いコーヒーに酔い、沖縄のラティーナのリズムに揺れていた。そしてその30年後の自分は、石垣島でバーベキューのスモーキーな香りを楽しみながら、目の前で激しく体を動かすダンサーのエネルギーを感じていた。そのサルサ・ダンサーのPatiさんは、もしかしたら30年前のディアマンテスのパティなのかも知れなかった。

 結局それを確かめることはしなかった。在日ペルー人会をを訪ねようとしなかったように、後になって一言聞いてみればよかったと思い直したのだった。