Bonne journée, photo challenge

Lens-Artists Challenge #296: Abstracts


I’ve been waiting for years for someone to challenge me on abstract photography. I really like those types of photos. I can’t say I’m good at abstract photography, but I don’t care. I like that. That’s enough.
The first photo is not a new one. You may have spotted something in the photo. Right, it was taken at an amusement park.

Lens-Artists Challenge #296: Abstracts

I didn’t do any special technics for the second one. All I needed to do was to turn off auto-focus.


I thought it would be interesting to apply different color mapping, such as negative/positive processing. It may give some kind of thunder-like image.
As part of “Mostly Monochrome Monday,” I plan to use the following photos again.

Bonne journée, Cross Cultural

2020年4月


 ふとしたことからiPhoneの古い写真を見ていて気がついたのだが、4年前の4月、つまり2020年の4月と言えば、コロナのパンデミックで世界中が右往左往していた時期だった。フランスは世界一厳しいと言われたロックダウンを宣言し、3月半ばから5月の半ばまで、自宅から1km以内かつ1時間以内の外出しか許されない厳しい外出禁止が施行されたのだった。例外は病院などに行く場合か、生活必需品を買いに出かける場合程度であって、必ず宣誓書と身分証明書を携帯することが義務付けられた。スーパーは開いてはいたが、人流は制限され、裏口を閉めるなどの管理措置が取られた。上の写真は、新たな指示があるまで閉鎖する旨が記載された張り紙である。

 今思えば、どうやって生活していたのだろうと不思議な感じがするのだが、それでもしっかりイースターのチョコレートは食べた記憶があるから、スーパーへの買い物程度はしっかりしていたのだろう。ロックダウンして暫くは買い物にも困ったわけだが、そのうち生活必需品の買い物は外出制限の例外という理解で良いらしいと言った情報が出てきて、大型スーパーでの買い物程度はできるようになったのは間違いない。

 そのイースターのチョコレートが生活必需品なのかどうかは色々意見があろうが、チョコレートは立派な食料品であり、イースターを祝うことはフランス人にとって重要な日常生活の一部ということらしい。今年のイースターは3/30だったが、イースターは移動する祝日だがら、3月末から4月末辺りをうろうろする。調べたら2020年は4/12だったようである。街中にはイースター飾りが溢れ、人通りのほとんどない路地を「生活必需品」を手にいれるために歩くのは、案外小さな楽しみとなった。

 無論、どんどん拡大解釈をする輩も現れるわけだが、羽目を外せば130ユーロの罰金が待っている。そこは真面目にロックダウンに従うしかないのだった。ロックダウン直前に会った友人が、次に会うときにはお爺さんみたいになってるねと笑っていたが、美容院は生活に必須ではないとしてクローズされていたから、案外冗談でもない。出社が許可された食品工場では集団感染が発生し、政府の措置もあながち極端とも言えなかった。テレワーク(フランス語ではテレとらばーゆ)しながら食料品を買うときのみ外出する生活は、実はその後も長く続いたのだった。

Bonne journée, Photo

Spring 2024


I spent the second spring after moving back from Brittany to Yokohama. Interestingly, everything was pretty much the same as what I know about spring in Yokohama but something was different. Last year, my co-workers, my friends and even weather forecaster told me that the 2023 would be special. On the other hand, My memory, on the other hand, told me that nothing had changed. The cherry blossoms started blooming in the last week of March, and the rape blossoms started blooming in the middle of the month. However, this year, the cherry blossoms started blooming at the beginning of April, exactly as I remember from my childhood. I seem confusing about spring.
Here’s a small rap-up of this springtime.

Bonne journée, photo challenge

Lens-Artists Challenge #293: Water in Motion


Oops, I have just deleted completely some pictures about water and what’s more I have no opportunity to take pictures this week. In such case usually I decide to not participate in a challenge but I may be abscent also next week. After, wondering this and that, eventually, here’s mine.
Under dark sky, just next to dark water, hearing low sound of wind, and thinking about far place, I was looking at a motion of water. It was not a cheerful moment but definitely beautiful. The rhythm of water was simple and it drew a white line to separate my place from the sea.

Lens-Artists Challenge #293: Water in Motion


Perhaps, it would be better to add a cheerful moment at the end of this post. It was take at Tokyo Disney Resort.

Bonne journée

moment


 人の習慣には慣性力が働くものだと思うようになった。
 これまでずっとそうしてきたから止められないという事もあれば、止めたいなんて考えた事もないという事もあるだろう。とかく人は習慣をやめないものだ。やめないから習慣というのだなんて考えたら身も蓋もない。多くの習慣には止めるきっかけなんていくらでもあったはずなのだ。
 人の想像力なんて高が知れているから、自分が経験した事しか見えないという人としての限界も習慣の慣性力を後押しする。ひょっとしたら、人間もAIもさして違いはしないのかも知れない。AIに習慣などありはしないが、たくさんのデータという経験則から答えを出しているAIは、実際は何も生み出しはしない。人の経験だって同じこと。発明だって経験の中から勝手にいつもと違う例外を作り出している程度であって、AIにも例外を作り出すことができたら人と変わりはしない。

 きっと状況が変わっても続く習慣は、習慣の本質的な性質なのであって、ある日いつのまにかその慣性力がなくなった時、それを思い出と言うようになるに違いない。

 iPhone以前は誰もが「ソフトウェア・キーボードなんて使えない」とあれだけ言ってたはずではないか。押した気がしないガラスの板はハードキーの代わりにならないと。そう言っていたのはたった15年前の事なのだ。それなのに、今では誰もがキータッチの良さよりもスクリーンのガラスについた脂の方を気にしている。「あー、思い出した。Blackberryだよ。」とか「いつもテンキーを連打してたよね。」なんて思い出は、慣性力が尽きたところにあるのだ。

 少し前に紙のグラビア雑誌をピンチアウトする赤ちゃんの動画が話題になった。赤ちゃんには習慣の慣性力が働いているわけではなく、デジタルネイティブの典型として、単に拡大はピンチアウトするものだと学習しているだけのことだ。
 ところが先日、スクリーン操作に慣性力が働いているパターンを発見した。その人はおそらく60代の男性で、スマートフォンの操作に苦労しているような風ではなく、むしろSNSなどを使って新しい情報を得ているようなごく普通のサラリーマンのようであった。周囲のサラリーマンと何ひとつ違うわけでもなく、あえて言うならノータイの開襟シャツに多少野暮ったいブルゾンを羽織っているあたりが、どこか田舎風という程度だった。花粉症なのかウイルス対策なのか、しっかりとマスクをして、熱心にスマホを操作している。まったく普通の「おじさん」だった。ただ1点を除いては。
 その男性は、スクリーン操作をするたびに指を舐めるのだ。マスクを顎にずらし、指を舐めてスクリーンをめくる。そして再びマスクをかける。その一連の動作は素早く流れるようで、その人の手にもしスマホではなく紙の手帳や書籍があったなら、汚いなといった感想はあっても気にはしなかっただろう。だが、手にはスマホがあったのだ。きっと家で新聞を読む時も、仕事で紙の伝票を繰る時も、指を舐める癖があるに違いない。家族や同僚から止めるように言われていても、その習慣はやめられないのだ。だから慣性力はスマホであっても働いている。人間とはなんと愛らしい生き物なのか。

 そんなわけで、習慣とも慣性力とも無関係な写真であるが、無関係だろうがいい加減なボツネタだろうが慣性力が働いているので構わずポストする。弱々しい光で羽を乾かす鵜は、はて、何を考えているのか。