
As you may have been aware of, this week I will be posting photos of autumn leaves.
お気づきかもしれませんが、今週は紅葉に関する写真を掲載しています。
capturing in prose

As you may have been aware of, this week I will be posting photos of autumn leaves.
お気づきかもしれませんが、今週は紅葉に関する写真を掲載しています。

いつから雨が嫌いになったのだろう。
きっと嫌いになったわけじゃない。
ちょっと面倒になっただけなんだ。
だって、濡れた革靴を拭かなきゃいけないし、
自転車だとレインコート着なきゃいけないし、
待ち合わせに遅れるって電話したくないから。
雨が嫌いになったはずはない。
だって、雨の日のブーツだって持ってるし、
昨日だって傘を丁寧にしまったし、
黒い雲を見て目を背けたりもしなかった。
赤茶色の枯葉を踏み分けて近道を抜けたつま先に、
昨日蹴飛ばした空き缶のカケラがくっついているような気がして、
段差を飛び越えるのを躊躇う右足と、
置いてきぼりになった左足の膝に、
水溜りに隠れた無数の水滴が飛びついて来るから、
ちょっと嫌になっただけなんだ。
いつから雨が嫌いになったのだろう。
金属で出来たみたいな冷たい銀色の粒が、
一日の終わりに辻褄合わせのように流れ込んできた光線と
今日の言い訳ばかりの仕事を締めくくるチャイムとを
無関心を装うように覆い隠すから、
ほんの少し嫌いになったと言い訳したくなっただけなのだ。
しばらく前に住んでいた異国の町が、
いつだってはっきりしない雨降りだから、
ほんの少し嫌になったような気がしただけなのだ。
くすんだ空を見上げてもきっといい天気だねと挨拶し、
傘を忘れた午後でも笑って空を見上げていたのは、
きっと、無理に笑顔を作っていたわけじゃない。
乾いた鋭い刃先のような風が頬をすり抜けていく季節よりも、
氷雨が指の関節を叩くような朝の方が、
冗談を言いながら飲む淹れたてのコーヒーが美味しいことだって、
疾(と)うの昔から知っていた。
日差しが紺のコートの背中を温める午後が、
耳を赤く冷やす日没の前触れだと
ずっと分かっていたのではなかったのか。
だから雨が嫌いになったわけじゃない。
雨降りの日を探してウロウロする天邪鬼は、
きっと雨が好きなのだ。
ダウンの入った真新しいネイビーのレインコートを引っ張り出して、
カサカサになった指先をポケットの奥底までしっかり収め、
時には雨に打たれて歩きたい。
先週に引き続き「雨」がテーマである。この詩篇が当初意図したところを表現できているか甚だ自信がないが、思っていたことは表現したし、新しい表現もしてみたつもりでもある。
上の写真は数年前に撮ったお気に入りの雨の写真なのだが、ここまでずっと使わずにきた。雨のブルターニュらしい柔らかな光が差し始めた時の雨粒の輝きが、少し憂鬱で少し楽しい散歩の一部となっている。ブルターニュでは傘をさしてバーベキューをするんだよなんて自虐的に言うが、その楽しさを知らないなんて勿体無いと一部のブルターニュの人は思っていたりするのである。
写真は著作権で保護されていますが、商用ではなく個人で引用していただく分にはかまいません。今回の画像は大きくして見ていただきたいので、6000×4000で保存しています。ご興味があれば、画像のリンクをたどって大きな画像でご覧ください。

Let the rain kiss you. Let the rain beat upon your head with silver liquid drops. Let the rain sing you a lullaby.
Sail away – Langston Hughes (ラングストン・ヒューズ)
雨にキスしてもらおう。銀色の水滴で君の頭のてっぺんを打たせてあげよう。雨音の子守唄を聞かせてもらおう。
肩古狸 鯨(tagnoue)訳
乾いた鋭い刃先のような風が頬をすり抜けていく季節になると、へそ曲がりで頭でっかちな子供っぽい心が、雨降りの日を探してウロウロしてしまう。冬の雨は指の関節を叩き、濡れたジーンズの当たる脛から通勤の朝の温もりを奪い取るというのに、日差しが紺のコートの背中を温める午後の方が心地よいとわかっているのに、雨降りの日を探してウロウロしてしまう。そんな天邪鬼だから、雨が嫌いだとも言ってみたくなる。いつも言い訳と矛盾ばかりの日常だから、時には雨に打たれて歩きたい。
きっと来週も雨降りのポストがしたくなる。
ラングストン・ヒューズの文章の翻訳は、このblogの作者によるものです。翻訳は本来の趣旨とは少しだけニュアンスが違うかもしれませんが、この方がしっくりするような気がしてあえて雨に意志を持たせるような訳し方をしてみました。お叱りを受けるかもしれませんが、ご容赦ください。

I’m not there today, definitely, maybe.
Everything goes well, nothing to worry about, but a lot of things to do.
That’s life.
今日は不在にしています。
全てが順調で心配事などないけれど、でもやることがたくさんある。
それが人生というもの。
Je ne suis pas là aujourd’hui.
Tout va bien, il n’y a pas de quoi s’inquiéter, mais il y a beaucoup à faire.
C’est la vie.

(日本語は下に)
I was walking through a public garden with a small wooded area with a path when I heard a knock overhead. The sound was made by a red-bellied woodpecker.
Walking while looking at the trees is also fun. The photo below was taken a few years ago in Brittany, where I used to live. There was a European red squirrel looking down at me in the woods right next to my house.
One day, as I was walking along the forest road as usual, I came to a well-maintained garden area and couldn’t help but look down at it. And I found it. The scenery between the branches looked a little strange. I was confused. Everything has been turned upside down. It was a moment. After a few seconds I was back to normal.
Of course, it was just a false sense. As you can see above, there were stones floating there and the sky was falling. But maybe it was true, because I…
Lens Artists Challenge #276: Looking Up, Looking Down
(日本語訳)
小さな森のある近所の公園を散歩していたら、頭上でノックするような音が聞こえてきた。 それはアカゲラがたてた音だった。
木々を見上げながら歩くのは楽しみの一つだ。 下の写真は数年前住んでいたブルターニュで撮ったものだ。 家のすぐ近くの森でヨーロッパ・アカリスが私を見下ろしていた。
ある日、いつものように林の道を抜けてよく整備された公園の部分まで歩いてきて、何気なくそこを見下ろした。 そして、それを見つけたのだった。 枝の間から見る景色は少し奇妙で、私は混乱していた。 すべてが逆さまになってしまっていた。それは一瞬の出来事で、数秒後、全てが通常に戻っていた。
もちろん、それは単なる錯覚でしかない。 上の写真にあるように、そこでは石が浮かんでいて、空が落ちてきた。 でも、もしかしたらそれは本当だったのかもしれないのだ。だって…
