A day in Yokohama, typically fine weather in winter.
Author: tanu
Weekly Photo Challenge: Beginning
Beginning with sparkling sun light in a glorious brand new day.
A bell, Tsubo-suzu (坪鈴) and ropes, Himo-maki (鈴紐), of a shrine are seen. You can find other pictures here.
This challenge was set by the Daily Post.
New year’s visits
The last day of 2013 was calm and passing gently in Yokohama. At least, it seemed to be suitable for spending a time with my family. A sound of a bell of temple was telling the new year.

Though common Japanese are not devotional as I wrote ever, new year’s visit to a shrine or a temple is ordinary custom. Exactly saying, visiting temple is completely different from praying at shrine.
To ding a bell of a Buddhist temple is done around the midnight of the last day and, in general, it should be 108 times. Maybe as you know, its tone is very low. Interestingly, people may visit a shrine also in order to pray a happy year. The first picture was taken at a Buddhist temple just after finishing preparation of year-end ringing a bell.

The third picture was taken at a shrine, close to the temple in the first and the second pic, where many people were praying for 2014.
at Yokohama, Japan.
年末年始は、比較的穏やかな陽気となった。風もさほど強くなく、気温も徐々に上がって、春めいていて感じられる。今年一年が良い年となることを祈りつつ、横浜より。
Bonne Année
The world is going in real time. Everything on our planet is always changing. But still you only know what you see. What you learn from a news show might be happened one day, one month, one year or one century before. Our life is not so different from a day of Julius Caesar? Probably, no. It must be a kind of gloom and doom.
Today we may have a new power, Web technology as a common infrastructure, which provides us a real-time information, sometimes with wonders.
At least, even if it is just a fraction of a daily life, we would know the world, gathering all of things. Network would be going to improve our planet consisted of various senses of worth. I believe that it is important to know,
c’est important de le savoir.
I would like to thank everybody for kind messages, supports and a lot of likes.
I wish you, your families and your friends the best for 2014,
bonne année,
良い一年を。
les vendredis soir 金曜の夜
This article was written only in Japanese.
12月はよりどころの無い季節である。あるいは、落ち着く場所が無いと言うべきか。果たして人は最後の仕事をきれいさっぱり片付けるべく、さして急を要するものでなくとも走り回る。1月に仕事を残したくないとか、年末は昔から報告書が多いと決まってるとか、支払い期限があるとか、それなりのもっともらしい理由はあるのだろうが、その実、12月と1月に特別大きな違いはない。それでいて人は走り回る。12月の何かのためではなく、1月のために。
忙しく走り回りながら仕事に追われているはずの12月の金曜の夜の街は、ひどく賑わっている。都心の鉄道は終電を延長し、飲食店は予約すらできない。「貸し切り、キャンセル出ました」などと店の前にカラフルな文字で大きく書かれた案内を見ると、それはそれで稼ぎ時なのだなと違う納得もしたりする。よりどころの無い12月の金曜の夜は、それぞれのさして重大でもない理由とともに過ぎて行く。
些か偏り過ぎた見方だろう。夫々の想いのこもった日々を過ごした人も多いに違いない。だが、どうしても日本全体を覆い尽くしたような「せわしなさ」と「浮かれ加減」には、ひどく落ち着かない感覚を憶えるのだ。今年もクリスマスの夜に仕事を抱え、金曜の通勤電車で赤ら顔の乗客と隣り合わせることが多かった自分を変えるべきなのだろう。他の誰かに金曜の夜くらい自分のために早く家に帰るべきだとか言う前に、仕事をさっさと片付けて自らが帰らなければならないのだろう。あるいは、仕事の仲間と過ごすのはウィークデーだけにして、金曜の夜から月曜の朝までは仕事とは一切関わらないくらいが良いのだろう。それでも日本の労働時間は世界トップクラスであり、仕事外の付き合いも多いのだ。
先日、フランス人を含むパーティーがあった。例によって金曜の夜である。その日しか日程が合わなかったのだ。多少遅くなっても翌日は休みだし、都合が良いでしょうと。色々と予定もあり、体調を崩していた私は欠席することにしたが、そう告げた時のフランス人の一人の返事は「そりゃそうだろう。自分も驚いた。欠席は当然だ。」であった。週末は自分と友人や家族のために使うのであって、休みだから金曜の夜は遅くなっても良いというのは変であると。欠席する私に気を遣ってのことであるのは承知している。それでも、これほどの言い方の背景には意識の違いがあるに違いない。
ルーブル美術館は、金曜の夜は遅くまで開いている。しかも26才以下は無料である。そんなチャンスを使って美術や歴史に触れることができるのは、自分自身のために使う時間が重要だとの考えが社会形成されているからだろうと勝手に考えている。もちろん、そんな大袈裟な話ではないのかもしれない。だが、そうした社会的合意がなければ、利用はされにくい。学校が近ければ、昼休みに家に帰って家族と食事をしたりする国である。だから昼休みが30分などということはない。であれば、休日の前の夜に同僚と飲みに行くなど考えられないというのも理解できる。まして、週末は取引先とゴルフなどありえない。
どちらが良いという事ではない。仕事仲間と親睦を深める週末が日本社会を作ってきた側面もあるだろう。北米、特にアメリカの管理職は休日も仕事の連絡を欠かさないといった調査もあった。どの程度信頼性があるか分からないが、地域によって考え方は異なっているらしい事は、経験でも想像ができる。
年末は、アメリカもフランスも連絡をいれても音信不通という状況だった。クリスマス休暇で誰もいないということだろう。休日はクリスマスと元日だけだが、その間を会社の休業日にしたり、正当な休暇を全員が取得したりで、大抵は連絡がつかない。クリスマス休暇は日本でのお盆休みみたいなもので、特に教会に行くことのない人でも休みをとる。遠く離れた家族が集まったりするのも似ている。だから家族のための休暇でもある。休暇をとる前の挨拶は、「家族と良い休日を」だったりもする。
そして思うのである。金曜の夜も自分や家族のために使う習慣はどうかと。よりどころのない12月も少し違って見えないかと。


