Cross Cultural

Tokyo warming in summer


It was two years ago since I have returned back to Japan. I learned that the climate of Japan is not also an exception from the global warming. I have been aware of high temperature of Tokyo even I was far from Japan but it was just knowledge. Perhaps you have already knew that the temperature of Toyko is terribully high in summer reaching more than 35 degrees (close to 100F) like tropic city and it goes down to 0 degree (32F) in winter. However those figures were maximun and minimum numbers. This year, in 2024, the summer was very long. In fact, there were more than 15 days when the temperature exceeded 35 degrees, and 150 days when it exceeded 25 degrees. In other words, there were five months when the temperature exceeded 25 degrees, like a summer. It is obviously crazy environmental issue and soon, within 2 months, the winter comes rapidly. If you are planning to visit Japan, I recommend you consider spring or fall season.

Bonne journée, Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Connected

201509-109

We are all connected. Exaggerated? Probably you are right but sometimes I found me being connected to some friends even when I was at a far place. Stations have marvelous power in nature.

In response to the weekly photo challengeConnected by The Daily Post.

Bonne journée

Dialogue: 政治

201504-311Written only in Japanese

電車の中でぼんやりしていたり、道を歩いていて前を歩く集団があまりにゆっくりであったりすると、どうしても耳に入ってしまう会話がある。聞いては失礼だと思っても、聞き逃したいない話もあれば、聞きたくないのに聞こえてしまう話もある。

今回は会話とは言い難いが、おそらくは会話しているつもりだろうと取り上げる。

政治家:
「といったことから、私、鈴木太郎は、そのような地域を自分の足で見て回ってきたわけです。そして、こんな話に着目と言いますか気づいたようなそんなわけであります。
おはようございます。私は、鈴木太郎本人でございます。
地域を自ら歩き、地域の方から、こんな話をお聞きしました。子供たちが、もっと地域にチカラを発揮できるような、そんな環境づくりができるのではないか。もちろん、大人と同じように力仕事できるわけではございません。私、鈴木太郎は、子供たちがチカラを発揮できるようしっかりと支援する、そんな環境を準備することができるようにしたい。そんなふうに感じたわけであります。」

通行人:
「なんだ、感想かよ」

政治家:
「…。
おはようございます。私は、鈴木太郎本人でございます。」

少々内容が分かりにくいため要約する。すなわちこうである。選挙が近いので地元の支援者にあいさつに行ったら小学生が(地元の祭りとか清掃といった)地域活動に参加していたが特に自分に考えはない、そんなところだろう。名前を連呼したい気持ちは理解するが、政治の閉塞感とは、案外こんな身近な演説から来るのだろうと感じずにはいられなかった。

なお、名前はもちろんでたらめである。もし、同姓同名の方がいたとしても偶然であるので、気を悪くされないようお願いする次第である。

 

Bonne journée

ダイアローグ: 弾まない

201503-011Written only in Japanese

電車の中でぼんやりしていたり、道を歩いていて前を歩く集団があまりにゆっくりであったりすると、どうしても耳に入ってしまう会話がある。聞いては失礼だと思っても、聞き逃したいない話もあれば、聞きたくないのに聞こえてしまう話もある。

すっかり忘れていたダイアローグシリーズだが、先日、近くにいたふたりの会話を盗み聞いて、急に書くことにした。

「今日、じしんあった?」と先輩。
「んん〜揺れてた。」と後輩。そして沈黙。

何があったのか、会話の進まないふたり。浮かない表情で終始した会話は、会話の定義を見直す必要がありそうなほどに視線が交差しないままに消えていった。僅か数分。明らかに聞こえた会話はこれだけ。あとは小声でひとことふたこと。仕事の合間にする会話とはいえ、あまりに寂しい。

さて、「じしん」とひらがなで書いたのは変換ミスではない。ふたりが去った後でもそれが「自信」であったのか「地震」であったのか、未だ判然としないからである。打ち合わせの席での提案でもあって、出席者を説得できなかったようでもあり、午前中の小さな地震を確かめたようでもあり、その意図はなんとも分からない。ひょっとすると、会話するふたりの間ですら、会話が成り立っていなかった可能性もある。

そして、しばらくして思いあたった。会話である必要すら無かったのだろうと。

 

Art, Bonne journée

Bonne journée (33) 国立新美術館

201411-125Written only in Japanese.

六本木というよりはむしろ乃木坂の感覚の国立新美術館を久しぶりに訪ねた。そのメタリックな威容は、それ自体がアートであると同時に、アートを楽しむ場所としては些か落ち着かない不安な感覚を覚えなくもない。巨大な空間もさることながら、大きな展示が同時開催され、それぞれの思いでたくさんの人が集まってくるその忙しなさがひとつの理由であるかもしれない。つい先日まではオルセー美術館の有名作品が展示されていたと思えば、日程を重ねるようにチューリヒ美術館のこれまた有名作品の展示が始まるといった具合である。教科書で見たあの絵を実際に見てみたいという人もあれば、印象派の絵が好きだという人もいる。ともかく絵が好きで、全部の展覧会に脚を運ぶ人もいるだろうし、六本木に遊びに行ったついでにふらっと立ち寄るということもある。さすがに稀かも知れないが、全部の展覧会を1日でハシゴする強者もひょっとしたら案外そこそこいるのかもしれない。

201411-124そうやって、まるで大型のショッピングモールのように行き交う人の流れが、静かなアート空間という決まりきった概念と喧嘩する。そんな意味では、ある種、コンテンポラリーアートの中にでも入ってしまったような感覚でもある。

その対極にあるというわけでもないが、どこかの邸宅で個人コレクションでも見ているかのような錯覚を覚える美術館として、東京都庭園美術館原美術館日本民藝館などは、落ち着いてゆっくりと過ごせる場所である。もちろん、他にもそんな美術館はたくさんあるが、個人的にはこの3つは好みである。東京都庭園美術館(過去記事)は3年もの休館を経ていよいよリニューアルオープンということで、どうなっているのか楽しみでもあり、少しだけ不安でもある。美術館サイトの情報を見る限り、どうやらあの雰囲気はしっかり残し、建物それ自体が美術品と言って良い旧朝香宮邸の修復も進んだとのことなので、きっと思っているあの雰囲気は守られているだろう。

201411-121 近代的な美術館にも古い美術館にもそれぞれの良さがあり、どちらが良いという話でもない。ルーブル美術館などは新しさと歴史が同居した巨大美術館として多くの人々を呑み込み、ガイドブック片手に行ってみたものの、結局あれがどこにあったか分からないといった話はもはや当たり前となっている。一方でこの国立新美術館は、めまぐるしく展示が動き、いつも新しい。公募展の場としての役割もあるからだろう。巨大な展示室は殺風景でもあり、エネルギーにもあふれている。

なにやら、自分が美術品を見に行っているのではなく、美術館を見に行っているような気がしてきたが、それもまた楽しみ。そう思いたい。

今日も良い一日を。

201411-123