Bonne journée, Photo

Fish mints

201606-112

(English text at bottom)

ドクダミとはまた酷い名前を付けたものである。Wikipedia によれば「毒矯み」(矯める=ためる=抑える=毒を抑える草)だそうなので、あながち悪い名前とも言いがたいところもあるが、響きからしてどうやっても良くは聞こえない。何しろ「ドク」と「ダミ」である。ひとつひとつの印象が綺麗に聞こえない上に、ダッダーンと言う重い響きすら感じてくる。爽やかとは言えない赤みを帯びた丸く尖った葉が家陰の湿った土地に広がり、呼応するように生臭いにおいが周囲を覆う。花は一見パッとしない。薬草として使われるあたりも、この草に関してはかえってネガティヴなイメージである。
そのドクダミを美しく撮れないかと考えた。よく見れば、その小さな白い花は黄色い花心のような部分がわずかに色を与えて愛らしい。

What an awful name it is. “ドクダミ”, pronounced like “doc dummy” in Japanese, is probably same as a fish mint and literally it means “Poison queller”. It sounds somehow bad especially in Japanese. As you see, doubled Ds gives us strong impression and, perhaps as you know, it smells terrible. Adding to this, they love a wet place in shade.
I was thinking last week how can I take a picture of the “ドクダミ” with beauty because it’s going to be a rainy season soon and “ドクダミ” is in bloom.

201606-111

Bonne journée, Cross Cultural

croissants and bagels

201605-511クロワッサンは焼きたてでなければならない。パン屋で茶色の紙で無造作に包まれたそれを受け取った瞬間から、包み紙を通して感じるほのかな温かさとふわりとした触感に、早く喰らい付かなければならないという罪悪感のようなものすら感じ始める。思わずゴソゴソと包みを開き、あたりをうかがいながら大きな口を開けて嚙みつけば、口中に広がるサクサクとした甘みとバターの香りの組み合わせが幸せを呼び起こす。脂っぽいパン生地のかけらが口の周りに着こうが、周りに散らばろうが、味わいに比べれば些細なことである。朝7:30の開店と同時にクロワッサンを買うということは、そういうことだろう。フランス語でクロワッサンはパンではないとか、ナポレオンがどうしたとか、もはやどうでも良い。半日経っても美味しいクロワッサンというのもあるだろうが、それでも焼きたてでなければならないのだ。
一方、ベーグルは焼きたてを楽しむことが本筋ではない。半分にスライスして、たっぷりのクリームチーズとハムを挿み、時にはレタスなどの野菜類も加えて、美味しく健康的にいただくべきものである。時にパンが冷たく冷えきっていても、それ自体は重大な問題ではない。ビタミンすら感じながら、もっちりとした歯応えとフレッシュな空気感こそ似つかわしい。

201605-512いきなりパンの話で始めたのには理由がある。個人的な感覚だと言われればその通りだが、いつもの街で少しばかり妙な感覚をパン屋の前で感じたからである。
先日、混雑した電車から降りてようやく一息ついたところで、その妙なものに気がついた。吊り革を掴む腕が揺れるたびに関節に感じる湿気にうんざりしていた後だけに、いっそうすっきりしない感覚が増したのかもしれない。駅のパン屋に並ぶ朝の美味しそうなパンとパンの間に、奇妙なポップが置かれていた。
「クロワッサン・ベーグル」
対極にありそうなこのふたつのパンが、何故ひとつになったというのか。しばらくは、何が書いてあるのか理解していない自分を疑わざるをえなかった。そして、思い至ったのだ。つまりは、「餅茶漬け」とか「ブレッド・アンド・ライス」とか、兎も角も似たようなものを強引に組み合わせたのだろうと。確かに、随分と前のことだが「おにぎりパン」なるものが売っていて、血気盛んなチャレンジ精神でそれを買ってみたことがある。それはそれで面白いし、不味いというわけでもなかったが、正直、面白さとカロリーがその主たる中身だったように記憶している。誰が考えたのか知らないが、できれば美味しいものはそのまま頂きたいものである。

201605-513ところで実は、もうひとつ奇妙なものがある。なんと「ミートドリンク」である。とはいえ、こちらは見間違い。自分が勝手に間違えただけなのだが、朝から多少胃に違和感を覚えたことだけは告白しておきたい。

ところで、冒頭の写真は本題とは全く関係ない。本文でいつもと違った写真を使ったので、少しばかり悩んだような写真を持ってきてみただけである。

 

Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Face

201605-301This stone statue is Ksitigarbha, Buddhist monk – I have checked with Wikipedia – and 地蔵 in Japan. Exactly saying, it is a mixture of Buddhism and a traditional folk religion. Although today most of people aren’t religious, someone takes care of him everyday, as you see. I have no idea how old it is. At least, his face seems to have got ruined.

In response to the weekly photo challenge, Face by The Daily Post.

Bonne journée, Photo

ショーウィンドウ

201605-211

おそらくはほとんど誰も気に留めていないだろう。LUMINEカードの広告に書かれたその文字は、電車の広告としては小さくて目立たない。ポスターの中心に丸い皿に丁寧に盛られた美しい料理が置かれている。それは、これからその料理を味わおうとフォークとナイフを手にする直前の目で楽しむ瞬間であって、ひょっとするとムッシューがもったいぶって講釈を述べている最中なのかもしれない。少なくとも、まだフォークとナイフはテーブルに置かれたままで、そこに人の気配も食事という欲望の気配もない。テーブルに料理が供され、これからそれをいただこうと本能が目覚めるまでのわずかな瞬間である。その皿に重ねるように、その小さな文字は置かれている。

ごはんを食べて、おいしいねって言う。

どうという事でもない至極普通の言葉である。しかしそんな平凡な言葉を聞くことがいつも普通とは限らない。普通のことは案外自由が利かないものだ。だから見過ごすこともあれば、逆に気になり出すこともある。そう思いながらその平凡で小さな文字を眺めていると、それが尾崎放哉の自由律俳句のようにも見えくる。

一人の道が暮れて来た

たとえばこんな句である。
広告のコピーとは元来そんなものなのかも知れない。元々は製品の良さや「一度おためしを」といった願望を直接的に訴えるものだろうが、それを受け手視点に置き換えれば、読んだ時に何らかの感情が見えて来るものでなければならなくなる。であれば、ある側面だけをとらえれば、自由律俳句とキャッチコピーの境目は曖昧であって良い。LUMINEカードの広告は、当然プロの仕事なのだということだ。

さて、上の写真は意図とは異なる結果となったものの、頭の片隅にはこんな意図がある。

ショーウィンドウを覗きこむ自分と目があう。

もちろん、自由律俳句でもキャッチコピーでもないが、この写真とセンテンスがもつれ合って、どこかで何かが引っかかったままであることは告白しておかなければならない。

 

Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Earth

201605-201

We live on our planet with other everything. One of common and traditional thoughts in Japan is based on an idea that a god (spiritual being) live in any thing, in a stone, tree, mountain, sea, street, house, door and everything here and there. That is, I could say, a myriad of gods.

At least it is true that we LIVE on Earth in Mother Nature.

201605-202

In response to the weekly photo challengeEarth by The Daily Post.

201605-205