Bonne journée, Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Nostalgia

201610-101

Which word could I say other than wistful for nostalgia. Aromatic fields after rice reaping, deep green bamboo forests, sound of wind like worn-out coat but everything are missing in modernization. Please don’t misunderstand. I don’t say I’d like to be back to the good old days. Just say, so it goes.

In response to the weekly photo challengeNostalgia by The Daily Post.

 

 

Bonne journée, Cross Cultural

いい加減 Irresponsible?

201609-211

Written only in Japanese as “cross-cultural”
どうしてこうもいい加減なのか。隣り合ったエレベーターくらいボタンの配列を揃えてほしい。そう思うのは、日本人だけなのか?あるいは、自分だけなのか。
世界中をこの目で見たわけでもないし、すべてがいい加減に出来ているというわけでもない。自分が見ている世界は、どれほど注意深く見つめようとしてもどこかで客観性を欠いている筈であって、そのある種自分自身でかけた呪縛からは逃れようもない。だから、世界が無神経に準備された乱雑なものから出来ていて、人はその整えようもない世界に苛立っていると考えるのは、いささか傲慢な考え方である。そうであっても、隣り合ったエレベーターのボタンの配列が異なっていることは、どうにも腑に落ちない。
「そのくらい大目に見ろよ」と思うむきもあるだろう。「いや、エレベーター2台に同時に乗らなきゃ問題ないだろう」そう考えるかもしれない。「それともお前はふたつに分裂する癖でもあるのか」と。
実は、この状況は、ホテル住まいなどで短期間いつもと違う場所に生活する時だけ問題となる。そのホテルに滞在して3日が過ぎたあたりからが問題なのだ。

ある朝、いつもようにウォーキングに出て、体を目覚めさせてホテルに戻ってくる。ロビーには並んでふたつの銀色のエレベーター。あなたは「上」のボタンを押してほんの少し周りを伺っている。奥の方からは食器がカチャカチャとぶつかる音とコーヒーの香りが伝わってくる。少しばかり空腹感。すると、不意に右側のエレベーターが空いて、中から誰かが出て来た。「あぁ、おはよう。」そう言いながら、危うくぶつかりそうになったひととすれ違いつつ左上の隅のボタンを押した。エレベーターが動き出す。「お腹空いたな。」と独り言。程なく開いたドアを出て部屋に急ぐ。そして気づくのだ。エレベーターホールの角にある花瓶も花も、かけられた複製の絵も、昨日とどこか違うと。エレベーターを振り返ると、そこには果たしてひとつ上のフロアーの番号。エレベーターの同じ場所のボタンを押したつもりが、違ったのだ。

日本のエレベーターの多くは、縦一列に番号が並んでいる。二列の配列でも縦書きの日本語のように列内で順番に並んでいる。だが、ヨーロッパでは二列で右左と順番に並んでいるものも多い。この配列、実は悪くない。左側の上から2番目のように、なんとなくパターンで位置が頭に入るのである。だからこそ、左右のエレベーターで配列は同じにして欲しいのだ。閉じるボタンはいらない。それよりまずは配列を直して欲しい。でないと不意に違う世界を味わうことになる。

さて、違うフロアに降りてしまったからは、自分の部屋があるフロアに行かなければならない。非常階段は、平常時は従業員用だ。再びエレベーターを待つ。そして開いたドアの向こうに笑顔を発見したりする。先ほどすれ違ったビジネスマンが降りてきた。
「部屋に忘れものをしたよ。君もか?またあとで。」
やれやれ、今朝はホテルのダイニングで朝食にするか。

201609-214

Bonne journée, Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Rare

201608-301
Saru-hashi bridge at Yamanashi over the rapid

Saru-hashi (猿橋) bridge is lesser‐known but drawn in a Nishikie (錦絵) by Hiroshige (広重). The wooden bridge was built over the rapid where it was difficult to use pillars. Typically, in that case, suspension bridges are common solution but it was built with another classical way named “Hane-bashi”, literally drawbridge.

201608-303

According to the Wikipedia, it is said that there’s no wooden Hane-bashi left in Japan and Saru-hashi is not the exception, that is, Today’s Saru-hashi was rebuilt with steel frames for safety.

201608-305

Interestingly, there are four different bridges side by side there:

  • Saru-hashi, a pedestrian bridge
  • New Saru-hashi (route 20)
  • Water bridge for a power station
    and
  • another one

In response to the weekly photo challengeRare by The Daily Post.

201608-302

 

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

Totalitarian mentality?

201608-112English text a t bottom

最近は画一的だとか、異なる意見を排除する風潮があるとか言われるが、先日、日本はもともと多様性を受け容れる文化だったといった事が書かれた記事を読んで、はたと気がついた。確かにそうなのだ。フランスからの客人を日光や鎌倉に連れていって説明することと言えば、先ずは多様性と寛容性の文化だったりする。神社仏閣が仲良く並ぶのは自然なことであり、おしゃれな和食店の店名がアルファベットで書かれているのも普通のことで、ついでに変な英語がTシャツに書かれているのはむしろおしゃれだったりする。
もちろん、フランスにはアフリカ系はもとよりアラブ系もアジア系もたくさんいて、それぞれが伝統的なヨーロッパ文化の風景の中で当たり前のように生活しているから、日本に比べればずっと多様であるに違いない。だが、同時に日本にもたくさんの異文化が混じり合っていることも事実なのだ。ただ、日本に長く住んでいると、それに慣れてしまって気付かないというだけに違いない。たまには古くからの文化を見直す時間をとっても良さそうである。
でないと、フランス人の質問に答えられず
「あんた、ホントに日本人なのか?」
と聞かれかねない。

Some pessimistic people say that totalitarian mentality is begging to fall over Japan again. Maybe true, maybe no. Nobody knows.
Few days ago I found an article discussing about a culture of diversity in Japan. Indeed, it was saying Japanese had a flexible mind and still have it today. I completely agreed with the writer. That’s because we know a Buddhist temple is next to a shrine, a lot of Japanese restaurant have an alphabetical signboard or T-shirts sometimes argues strange things in English.
Anyway most of Japanese need to learn their culture more deeply.

201608-111