Bonne journée, Cross Cultural, Photo, photo panoramique

iPhonegraphy: Paris

201507-311

Even though the metropolis is made with full of colors, it looks gentle and colorless city for an étranger. Even though the city is full of people, it sounds like a wind. Her name is Paris. How can I crop the image? Then I came up with an idea to make an iPhonegraphy. All the pictures were taken with iPhone. I hope you enjoy.

201507-312

様々な色に満ち溢れた大都会であっても、そこは通り過ぎる旅人にとって落ち着いた色のない街である。人々にあふれた街であっても、そこは風のようである。その街はパリ。どうやってそのイメージを切り取ろうか?そうやってこのiPhonegraphyの写真を思い付いた。いずれの写真もiPhoneで撮ったものである。

201507-315

I hope you enjoy, half colors, half monochrome.
This is my second contribution of this week to the weekly photo challenge, Half and Half by The Daily Post.

Bonne journée, Cross Cultural

夏至(2)

201507-210written only in Japanese

フランスのあてにならない天気をいつか忘れてしまったような強烈な陽射しの痛みがむしろ心地よい夕方、夏至を過ぎるとバーゲンの季節というのを誰もが当たり前と了解している街のショーウィンドウは、どこもかしこもセールの華やかなポスターにあふれていた。バーゲン初日に前々から狙っていたお目当てのものを安く手に入れ、膨らんだ大きめのバッグを抱えた人々で街はいっぱいだ。18世紀から19世紀の大切に使われる続けてきた石造りの建造物も、この時ばかりは刻み込まれた歴史を忘れ、今やセールを告げるビルボードである。

木々は春の柔らかなグリーンから夏の力強い深緑へと姿を変え、吹き抜ける風と陽光に微かに震えながら飛び回る鳥たちに休息の場を提供する。そんな自然の喜びを知ってか知らずか、若い一団がそれぞれ楽器を抱えてバーゲン真っ只中の街を歩いて行く。旧市街のレストランはきっと今夜は大騒ぎに違いない。学生もそろそろ授業が終わり。仲間同士で楽しむ日々ももう少ししかない。今、羽目を外して楽しまなかったら、いったいいつ楽しもうというのかと言わんばかりの様相だ。いつも最後の木曜は大騒ぎ。独立心の高い彼らも、金曜はママの元に帰るのだ。

ふと路上に止められた乗り合いタクシーのミニバンを見ると「我々はUBERではない」と手書きのアジテーション。UBERに反対する暴動もニュースになったが、果たして反対しているのか、暴動に巻き込まれないようにしているのか、はたまた似たようなサービスをするライバルが邪魔なだけなのか、その背景は甚だ危うい。その横を爆音をたてて大きなバイクが通り過ぎる。あっちに行けと言わんばかりに人だかりができ、少し傾きはじめた陽光の反射を覆い隠す。反対するのもいろいろ。夏が騒がしいのもいろいろ。

夜にはまだ早い午後7:30の繁華街。

(この文章は、夏至の数日後に書かれた)

Bonne journée, Cross Cultural

夏至

201507-115

written only in Japanese

喧騒を忘れる静かなブルーグレーの朝、屋根裏の跳ね上げ扉を開けて遠く煉瓦の尖塔を眺める。燕が二羽、クリーム色のペンキがかすれて所々茶色になった窓枠をかすめるように飛び去った。教会の鐘がゆっくりと響きわたり、朝は前日の夜の喧騒など全て忘れ去ったように始まった。記憶は日々の忙しさの合間に辛うじて残される。

201507-114午後9時を過ぎてようやく夕暮れらしい影が石畳に現れる頃、華やかな1日をしめくくるにふさわしい夕食の並ぶテーブルを囲んで気の合う仲間と特にどうということのない会話を交わし、誰もがそれが始まるのをそわそわと待っていた。それぞれの皿の上には、かすかにフルーツの香りがするソースが恭しくかけられた子牛の肉とチーズをたっぷりと混ぜ合わせたジャガイモが乗せられ、ワインのボトルは次のグラスに注がれる準備でもするかのように人と人の間で右往左往した。足元には、お人好しの客からお零れを狙う鳩。ジリジリと腕を焦がす太陽は日中の勢いを忘れ、少し冷たい風がお喋りな人々とテーブルの間を抜けた。道を挟んで反対側の公園横で誰かがギターを抱える。すっかりリラックスした黒のポロシャツに少しだけ色の落ちたジーンズ、スキンヘッドの丸顔。ペグに手をやり首を振ると、やおらブルージーなメロディーをひとフレーズ奏で、キーボードが後を追ってリズムを刻んだ。そうやって昨夜の喧騒は幕をあけたのだった。

音楽の日(Fete de la musique)。夏至の夜は誰もが大楽好きになったかのようにいたるところに音楽があふれ、いつまでも夜は続く。メトロは乗り放題のチケを当たり前のように発行し、車は裏道に溢れる人々を避けるように走り抜ける。むろん、一部の人には迷惑なのだろうが、音楽の日とはそんなものなのだ。いつまでも明るい夏至を楽しみ、音楽を楽しむ。

(この文章は、夏至の翌日に書かれた)

Bonne journée, Cross Cultural

暑い5月の終わりの午後

201506-211written only in Japanese

痛いほどにまっすぐに照らす陽射しがようやく傾きかけた頃、ガルコスタの華やかなラテンのリズムを楽しみながら、もはや裏通りとは言えないほどに誰もが使う狭い市道を下っていた。いつもかけっぱなしのFMはいつものように音楽を流し続け、いつも見慣れた通り過ぎて行く公園には木陰にすら人影が見当たらなかった。暑い5月の終わりの午後だった。

公園の隅にとってつけたようにある出入り口の先には、反対側にしかない歩道に渡るための横断歩道が白く描かれている。狭い市道には、道の両側に歩道をつける程の道幅はなかったからだろう、ちょうどその公園を境に、片側にしかない歩道は道の反対側に移る。緩やかに曲がるその市道の横断歩道に差し掛かった時、公園の反対側で車を通り過ぎるのを待つ人があった。途切れることなく車が走る道ではない。かといって交通量は少なくない。ちらとルームミラーを見てブレーキを踏み、停止しながら対向車に目をやる。すれ違う車は止まらなかったが、その後の車までの車間はそこそこある。そのちょっと間を空けて続いた対向車も、結局速度を落とすことなく通り過ぎた。そしてその次の車も同じだった。時々横断するにはためらう程度の間が空くことはあっても途切れることなく10台以上の車が走り抜けていった。途中、横断歩道の横で待つ見知らぬ誰かは無表情にこちらを向き、そしてまた通り過ぎる対向車を見ていた。そうする以外にやることなどない。待つというのはそういうことだ。

201506-212そうやって全ての対向車が通り過ぎた後で、その人は小さく会釈をして公園の方に見えなくなり、残ったのはどこにでもある狭い市道で止まっている自分だけとなった。FMからは変わらずラテン音楽が流れつづけていた。

世界中に無謀な運転をする輩はいて、車とは不思議な道具であると時々思う。夜遅いフランスの田舎道の赤信号で止まったら、速度を落とすことなく後続車が追い抜いていったことがあった。確かに他に車などなかったし、信号で生真面目に止まって待つような場所でもなかったが、だからといって夜の見えにくい影の向こうに誰かがいないとも限らない。「クレイジーなやつだな」と誰もが思う瞬間だった。「変なやつはどこでもいる」と。そのフランスで、横断歩道で歩行者が待っているのに誰もが止まらないといった経験はない。もちろん、何台かは通り過ぎることもある。気づかないこともあるだろう。だが、通りの少ない道でも止まって待つ。それどころか、歩行者が車にどうぞと道を譲る。列に並ぼうとしないフランス人がである。長年住んでいるひとは違うと言うかもしれないが、少なくとも自分経験上はそうなのだ。

文化の違いといえばそれまでだが、どこが違うのかと言われれば俄かには答えが出てこない。どうした事か分からないが、バツが悪いような変な気分になりながら、アクセルを再び踏んだ。

Cross Cultural

5.4.15

201504-112
カタクリ

昨日までコートがあたりまえと思っていたのに今日は薄手のジャケットで充分というほど、季節の変化が大きい時期になった。一緒に仕事をしているフランス人から言わせれば、まだまだ凍えるように寒いパリあたりより東京はずっと暖かいそうだが、数字だけ見れば、パリも東京もあまり変わらない季節である。正直、フランス人の温度感覚と東京で働く人の温度感覚は全然違う。いや、違うはずはないのだが、習慣の違いが感覚の違いのようになっているのだろう。着ぶくれして混雑した電車で揺られながら汗をかき、電車を降りたら今度は冷たく乾燥した痛みを感じるビル風のなかを急ぐなどとても理解できないと言う。そのくせ、フランスでもバスで通勤する。慣れれば便利だし環境に良い。雪が降って渋滞してもバスレーンは動いてた。そんなことを言う。

一方、出張から帰ってきた日本人は、あの寒い真冬に外のテーブルでカフェなど理解できないと言う。ダウンコートを着るでもなく、普通のコートにマフラーをぐるぐる巻きにしてお茶するとは、普通の感覚ではないと。あいにく奥のカウンターしか空いてないがそれで良いかと聞かれ、何故その暖かい場所でゆっくりしたがらないのか思わず聞き返したくなったらしいが、そのくせ外のテーブルが空いたらあっちに行くとカップを持ってうろうろ。そんなものである。

201504-111
芽吹くどんぐり (クリックして拡大)

その冬の寒さも忘れる頃、4/5は復活祭。カトリックにとっては1年で一番重要な日ということだが、どうした訳か復活祭よりイースターと言った方が最近は通りが良いらしい。クリスマスどころかハロウィン(iOSの日本語環境だと、ハロウィンと打つとカボチャとお化けのemoticonがたくさんでてくる)もイベントと化した今、イースターがイベント化しても不思議ではない。その復活祭は、フランスだとpâques(パク)と言う。日曜日と決まっているので必ずお休みだが、その次の月曜日も続けてお休み。ついでに前の聖金曜日も休暇を取る人が多いから、案外連絡のつかない時期になる。その上、復活祭の日付は毎年変わる。ややこしいことに、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日だそうである(念のためwikiで調べたらフランス語は書いてない)。仕事で連絡が取れないと困るから、毎年思い出しては日付を調べ、そのうちpâquesという単語も覚えてしまった。そうやって復活祭を迎えると、本格的な春を感じるより休みの多い季節を思い出すのは少し情緒に欠けなくもない。フランスはこれから休日の多い季節である(2013年の別記事)。

Webはイースターの写真でいっぱいだろうから、ここでは違う写真を載せることにした。