Art, Bonne journée, Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Cover Art

201410-100I imagined what my favorite album was or which kind of music I loved. Wagner? Yes but no, probably cover art should be an image of middle age, which is just ordinary. How about the Latin Jazz?  seems not so good. OK, let’s try to make 60’s with new photos.

Then, I retouched a picture of Coca-Cola track.

 

201410-111Alternative idea was to make a futuristic cover suitable for a book about social issues such like greenhouse gas. It also could be a cover art of 70’s progressive rock.

In response to the weekly photo challengeCover Art by The Daily Post.

Cross Cultural

A postbox 郵便ポスト

201409-053written only in Japanese.

今時なかなか手紙を出す機会もなくなってきたが、旅先から送る手紙は、案外根強く残っている。フランスの街角のカフェでコーヒーを飲みながら絵葉書に何かしら一所懸命書いているのは、かならずしも旅行者だけではなさそうだ。買い物袋を抱えて葉書を覗き込む人々は、きっと空いた時間に手紙を書くそこに住む誰かに違いない。足を組んで、木製の小さな丸テーブルの上で、小さなボールペンを躍らせる。次第に小さな白い空白はブルーブラックの文字に埋まり、小さな紙切れは小さな切手を貼られて誰かのもとに運ばれていく。それが日常の一断片なら、少し羨ましい気もしないではない。

201409-051さっとスマートフォンを出して、写真を添えたメールを送るのは、何かを伝える手段として否定する気は毛頭ない。むしろ、その方がリアルタイムに伝わって、ずっと良いかも知れない。地球を半分回った向こうから、会話をするように送られてきたメッセージは、遥か遠いその場所をいっきに身近な場所にしてくれる。「それで、いつ来るの。」とメッセージを送った相手から、質問を察してか、送信と同時に「来週火曜の朝に着くから」と返事を受けて、光より速いなどと楽しんでいると、いつの間にか、数千キロの距離を感じなくなっている。

それでも、今も誰かが絵葉書に何かを書いている。受け取る相手の表情を想像しながら、キーボードではなく、胸ポケットや手帳の間にちゃんと収まる小さなペンで書いている。そして、その数グラムの紙切れはやがてポストに投函され、想いとともに送られて行く。なんの手ごたえも返さない無愛想な送信ボタンを押すのではなく、どこか意思を試されるような投函という作業が、想いを伝える。

旅先で手紙を出す時、それが住む国と違う国であればなおさら、それはちょっとだけいつもと違った風景となる。だから、旅先から送る手紙は、少しばかり意味が違ってくるのだろう。

この文章を書くにあたって、フランスのポストがどんなだったか思い出せない事に気が付いた。古い写真をひっくり返してみても、写真にも写っていない。確かに郵便局に行ったことはあってもポストに投函したことはない。そんなものだろうが、世界中のポストが気になり始めた。

201409-052

Cross Cultural

Skiing in Canadian Rocky Mt. (Avalanche Beacon)

201403-003The original text was posted as “Avalanche Beacon” in January 2013. This article was written only in Japanese.
2013年1月に公開した記事を加筆・訂正したものです。

カナディアンロッキーの山々が雄大な風景を織りなす場所、アルバータ州とブリッティッシュ・コロンビア州の境界線上にサンシャイン・ヴィレッジ・スキー場はある。古くからある一番奥のエリアまでは、ゴンドラで行くことになるが、長い長いゴンドラに乗って中間駅をやり過ごし、時間をかけてたどり着いた先が、やっとベースエリアである。森の中を行くゴンドラから尖った寒そうな木々を延々と見続け、視界が開けたと思った場所がようやく入口でしかない。つまりは、実際にロッキーの山々をスキーで楽しみたかったら、さらにリフトで上がらなければならない。とは言え、ベースエリアでも街からは隔絶された領域であるようなところだから、リフトで上がって行けば、雄大で厳しい景観に畏怖を感じるような、日常とはかけ離れた光景が待っている。天候にさえ恵まれれば、はるかに遠くまでロッキーの山々が連なり、真っ白な異空間に放り込まれた感覚である。森林限界を超えているので、すでに木々すら見当たらない。ベースエリアからゲレンデを見上げただけで、これはもうリフトで上がるしかないと心躍る風景なのである。

このスキー場には、黒々とした岩がむき出しのままとなっているような場所がいくつかある。雪も付かないような巨大な岩、あるいは、壁面というべきか。最近は整備され、無茶は許されなくなってきたようだが、上級者なら一度は滑って見たくなるようなストンと落ち込む斜面が、リフトで簡単にアプローチ出来る。勿論、そこを滑るのは簡単ではない。上から覗き込んでも下は見えない。先が見えないような断崖の先まで誰かが滑ったシュプールが見えていても、途中からは何も見えない。何もない。恐らくは、その何もない場所には黒い岩が出ている。そうやって、その見えない先に目を凝らすとその遥か先にシュプールが続いていたりする。であれば、トライしてみたくない筈がない。全てがロッキー山脈の中という光景なのだから、気持ちも昂ぶる。だが、そのような場所の前には、そっけなく一枚の案内が立てられている。曰く、ここから先は自己責任で。

ほとんどの人は、ここで思い留まることになる。寧ろ、少しでも逡巡するようであれば、思いとどまった方がよい。自己責任の意味は大きい。怪我してもスキー場に文句を言うなという意味ではない。自己責任とは、迷惑をかけるような事態になれば、それ相応の責任を自分自身でとるということだ。

よく、垂直に落ちこんだ真っ白な斜面を自由落下でもしているように滑り降りたり、岩を飛び越えたりするような映像があるが、あれは、綿密な調査と計画、強力なチーム体制で撮影されたものである。滑る前にすべての岩の位置を頭に叩き込み、すべての体制を整えた上で撮影を行っている。全体が把握できないような場所であれば、離れたところから見て指示を出している人もいたりする。その上で、何度も失敗を繰り返しながら撮影している。自己責任というのは、そうした意味なのだ。

もちろん、そうは言ってもそこに斜面があれば滑りたくなる。危険だから滑らないのではもったいない。断崖を滑るような無茶をせずとも楽しみ方はある。もちろん、無理せずサンシャイン・ヴィレッジのてっぺんから森林限界を超えて何もない斜面を楽しむだけでもよい。あるいは、自己責任の看板がない程度に厳しい斜面を望むなら、ほど近いレイクルイーズという手もある。サンシャイン・ヴィレッジもレイクルイーズもロッキー観光の中心となるバンフからわずか20分から30分程度。毎日多くのバスが運行している。バスは主要なホテルに止まるから、裏手の安いホテルに泊まっていても、歩く距離はたいしたことはない。バスが止まるホテルまでスキーをかついで行って、あとはバスを待つだけ。誰もがスキー靴でドタバタと歩いているからゆっくり歩いていても文句を言われることもない。レイクルイーズスキー場行きのバスに乗り込めば、あとは寝ていても大丈夫だ。

レイクルイーズのベースエリアからリフトを乗り継ぎ延々と上がって行くと、そのほぼ頂上に Top of the World と呼ばれる場所がある。素晴らしいのはその向こう側である。ここには自己責任の文言はない。所謂バックボウル側に未整備の斜面が延々と続く。ピステンは入らないので、コブだらけのハードなバーンが維持されている。モーグルの競技も行われるそこは、実力以上に飛ばせば、間違いなく頭から自由落下の爽快感を味わえる場所である。

もうひとつの楽しみは、そのバックボウル側を上がるリフトだろう。モーグルの公式コースだからモーグル好きがたくさん集まって来る。そのモーグル好きが、リフトの上から”Hop, hop.”といった感じで声をかけてくる。勿論、その声につられて飛ばせば自由落下となるのは同じことである。

スキーに付けるリボン。パウダースノーであれば、邪魔にならない。
スキーに付けるリボン。パウダースノーであれば、邪魔にならない。

自己責任でよいならバンフからのツアーもあるヘリスキーを楽しまない手はない。自己責任といっても、快適で安全なツアーである。ここしばらくは事故もないとのことで、恐らくは極めて安全なのだろうと思う。ヘリで運ばれた先には、ヘリと参加者以外は何人の気配のない真っ白な世界が待っている。ヘリが去った後は、青と白の無音の世界だ。けして安くはないが、日常ではあり得ないその情景を味わう価値はある。

上級者限定という類でもない。さすがに初心者は無理だが、ボーゲンで止まったり曲がったりが出来れば、それ相応のコースに案内してくれる。自己申告でクラス分けを行い、 さらに最初の比較的簡単な斜面でさらにグループを決めてくれるから、自分の実力にあったコースを滑ることができる。クラスによってスタート地点が違ったりするが、基本的には、滑る場所もほぼ同じである。クラスが違ったから青く輝く氷河を見られなかったということはない。

自己責任と書いたが、参加の申し込みには「死んでも文句は言いません。」と書かれた契約書へのサインが必要である。そもそも死んでも文句が言えるのかどうか甚だあやしいが、この書類にサインして、参加は自己責任ということのようである。

ツアーは至れり尽くせりである。山の上での食事でもサンドウィッチと暖かなコーヒーか紅茶が用意されたりする。見知らぬ同志で交流を深め、一日を楽しくかつ安全に過ごす良いチャンスにもなっている。

もちろん、滑る前の講義も充実している。パウダースノーの滑り方の注意から転んだ時の対処まで、それ相応に充実した講義があるから、初めてでも困ることはない。そして、その充実した準備がまさに自己責任にもつながっている。

最初にヘリに乗る前に、スキーの積み方と下ろし方、降りたあとの身の処し方について説明を受ける。その上、実際に練習をしてもみるが、講義の重要性を理解するのは、実際にヘリから降りた時である。

講義では、ヘリから降りたら、協力してスキーを下ろし、身を屈めてヘリから離れたら、密集して体を小さくして離陸を待つように教えられる。先ずは平地でワイワイと楽しく輪を作り、実際にやって見る。英語だけでなく、ドイツ語やら日本語やら参加者の言語が飛び交い、終いには笑い声で言葉の違いも無くなるが、どうにかやることだけは理解して出発である。さて、そんなところに着陸して良いのかと疑うような尾根の平になった小さな場所に、雪煙を巻き上げながらヘリが降り、降機の指示が出る。思ったより激しいローターの風に寒さを感じながら、練習通りにスキーを下ろして、指示された場所に小さく丸くなる。ちょっと顔を上げると、稜線の向こうに蒼く澄んだ空が見え、雪の白い領域と空との境界線からヘリが離れて行く。太陽光に雪煙が輝き、境界線はグラデーションとなる。だが、ここでルールを守ることを思い出す。体を小さく、頭を下げよと。

ルールを守らず、うっかりと上半身を起こした参加者は、直後に凄まじい雪煙に包まれ、運が良ければ顔が、悪ければ下着の中まで雪だらけである。笑いごとではない。体温が奪われ、しばらくは快適とは言い難い状況となる。上級コースだと風に煽られて、転落しかねないから、ルールにはルールの意味があるのである。それで死んでも自己責任であるが、責任には死んだあとの始末も含まれるから、単純な話ではない。

守るべきルールは他にもある。同じグループで助け合うこと、ガイドの指示に従って、言われた場所だけを滑ること、単独行動は絶対にしないこと。どれもこれも、極めて重要である。

ガイドの後ろを一列になって滑るように指示されれば、それはもうはっきりとせいぜい1~2メートルの幅で順番について来いということである。真っ白な広い場所であっても自己判断でシュプールを逸れてはならない。実際のところ、ちょっと羽目を外して数メートル離れただけで、真っ白なパウダーの中にダイブすることは稀ではない。やってみれば分かるが、パウダーに頭を突っ込むと、息することすらままならない。やめておいたほうが無難である。後からよくよく見れば、隠れたロックの僅かな影に気がついたりもするが、気がつくなら飛ばされる前が良い。そして、それは慣れなければ難しい。

その上、恐らくは、外れたスキーもすぐには見つからない。スキーに大きなリボンをつけてはいても、深いパウダーに埋れたスキーが見えるわけではない。雪を荒らせば、捜す範囲がどこかすら分からなくなる。そんな時になって初めて互いに協力するルールの意味が見えてくる。もちろん、ルール以前に、どれだけ親しくなっておくかが重要であることは明らかである。打算的ということではない。相互に親しみを感じられるようになっていなければ、人は、腰まで埋もれるようなパウダーの中で、親身に人のために努力するものではない。

ヘリスキーのための準備となる講義は、行きのバスの中でも行われる。バンフからのツアーだと2時間程度バスに揺られることになるが、挨拶から始まって、ビデオを見たり、面白おかしい話を聞いたりするから飽きることはない。その中でも興味深いのは、アバランチ・ビーコン(avalanche beacon)だろう。雪山をやる人はお馴染みのあの箱である。アバランチ・ビーコンは文字通り、雪崩にあった人を捜すための発信器である。通常は発信モードにしておいて、雪崩にあった人を捜す時は受信モードに切り替える。バスの中では、もちろん受信モードで練習する。雪崩に巻き込まれた側の練習をしてもしかたない。さあみんな受信モードにしてとの合図で、いっせいにイヤフォンで音を聞く。講師はバスの中を行き来して、遭難者役である。講師が近づくと音が大きくなり、離れると小さくなる。

原理も使い方も極めて単純である。だが、遭難者の捜し方となると途端に難しくなる。バスの中のようにはいかない。何と言っても、遭難者がこちらに向かって歩いてくるとは思えない。従って、理論だけでもあらかじめ知っておく必要がある。

捜索者は、先ずは誰が巻き込まれたかを確認する。パーティーにはその時初めて知り合った人が含まれているかもしれない。遭難者が何人かを知るのは大切なステップである。

遭難者がどの辺りに埋れていそうかを把握することも重要である。その上で、探索域をメッシュ状に大まかに区分けして、最もいそうな場所を斜面に直角にスキャンする。1回目に音が聞こえればラッキーである。次は、最も音が大きかった場所から直角にスキャンを開始する。これを繰り返せば、原理的には、最終的に遭難者の真上にたどり着く。

言葉で言うだけならなんとかなりそうでもあるが、実際には簡単ではない。捜索するということは、極限状況にあるという事でもある。そのような中での探索である。再び危険な状況になるかもしれないし、自分自身が怪我をしているかもしれない。互いに協力して対処できる信頼関係が必要である。ルールを守り、親しく交流する状況があって初めて非常時の対応が可能となる。講義の目的は、結局のところ、非常時になったらどうするかではなく、そのような事態とならないための行動と、なってしまった後の心構えを伝えることにある。何しろ、雪崩にあって誰かを探すことになっても、パーティーの命綱となった自分自身の安全も確保しなければならないし、そもそも探索を行う体力が残っていないかもしれない。ヘリに連絡する手段も雪の下に埋れている可能性もある。うまく探索ができたとしても、発見までには長い時間がかかるだろう。呼吸すらままならない雪の下の遭難者が生きている可能性は低い。それでも捜さなければならないのである。

アバランチ・ビーコンは、別名、死体発見器と呼ばれている。

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Cross Cultural

愛すべきカナダ

 

カナディアン・ロッキー観光の拠点、バンフの朝は、季節にもよるが、朝早めに起きて早朝のガラス細工のような空気とローズに染まる山を感じるのが良い。まだ、人通りの少ない時間帯であれば、観光地であることを実感するエンジン音を聞かなくて済む。早起き鳥も少なくはないが、前の晩、思ったよりはしゃぎすぎた若者は、まだベッドの中で動けないでいる。早朝ならば、近代的なホテルと整備された歩道から足を踏み出すことなく、リゾート地らしい空気を存分に楽しむことができる。いくらでも肺に溜め込んで良い。すべての空気を独り占めにしても、減る事はない。
問題は、肺の大きさではなく、時間である。わずかな時間で空気も景色も大きく変化し、二度と同じものはない。ふと気がつくと、ローズだったはずの山は金色から昼間の鮮やかで騒々しい色へと変わり、研ぎ澄まされた鮮烈な朝の空気は、人の声と野生の声が入り混じったわずかに暖かなものへと入れ替わる。そうなるともはやメープルシロップたっぷりのパンケーキが早く食べたくて、体が騒ぎ出す。

カスケードマウンテンの見事に傾いた地層が目の前に迫るロッジから、早朝の空気を吸収するため抜け出し、近くのベンチに座る。独り占めである。もちろんベンチではない。ローズに輝くカスケードマウンテンをである。正しく言えば、カスケードマウンテンですらなく、世界を独り占めした気分である。
そんな中で空気を少し変えたのは、まるでそこに住んでいて、毎日同じ時間に散歩を楽しんでいるかとも見える老人だった。
「おはよう。どこから来たのかね。」
カナダの山を歩いていると、誰もがなにかしら挨拶をする。見知らぬ相手か親しい相手かは関係ない。日本の山でも以前はそうだったが、最近は習慣が薄れつつある。人が多くて、挨拶していると、それだけで一日が終わってしまうからかもしれない。ともかくバンフでのその日の第1号は、その老人だった。
「そうか、日本からか。ずいぶん遠くからきたね。ここは初めてかい?」
毎日、日本人の乗ったバスが次々と到着し、数多くの日本人がバスからはき出されて、バンフの華やかな街を歩いて回る。珍しいことでもない。恐らくは、ほとんど誰もいない朝の散歩に、ちょうど良い話相手だったのだろう。年齢差も英語の良し悪しも気にせず、いろいろと訪ねてくる。
「山に上がる途中にある温泉には行ったかな?」
まだ行ってないが、面白いところかと尋ね返すと、再び歴史やら何やらを説明してくる。そして別れ際の念押しである。
「ぜひ、温泉に行きなさいね。」
そして、数歩あるいて再びもどり付け加えて曰く、
「裸はだめだよ。水着を着てね。」
一体、いつの時代のことなのか、それとも未だに裸でカナダの温泉に入る日本人がいると言うのか、日本の伝統とカナダの文化の区別がつかないやつが未だにいると思うのか。ともかく、わざわざ戻って言うこととも思えないが、愛すべきはおしゃべりなカナダ人である。

 

日が登り、午前中は、サルファーマウンテンに向う。ロープウェイでも登山道でも登れる山である。無数にあるトレッキングコースの中でも比較的簡単で、登りやすい。ただし、ようやくたどり着いたてっぺんで、ロープウェイ客の身軽な格好に、勝った様な負けた様な微妙な気分を味わうこと請け合いである。その点ではロープウェイを選択しておいたほうが無難と言える。
頂上からの眺めはその手軽さを思えば、望外に雄大である。ロープウェイの乗り場でしつこくお国自慢を言い続けた韓国人学生からようやく逃れ、マウンテンゴートが待つ山頂に向かって、ロープウェイは動き出す。韓国人学生に何があったか知らないが、彼は、相手が日本人と知るや、いかに韓国が優れているかを身振り手振りを交えて語るのだった。きっと、よほど嫌なことがあったのだろう。だが、申し訳ないが、楽しみにしていた眺望が待っている。あまりゆっくりとはしたくない。
ロープウェイというよりゴンドラというべきか、その小さな空中散歩に乗り合わせた相方は、またも老人だった。今度の老人はご家族を連れている。が、しかし、話すのはやはり老人である。どこから来たのかと、またしても同じ質問。答えも同じ。
「そうか、日本からか。ずいぶん遠くからきたね。ここは初めてかい?」
私は2回目である。老人は、驚いた様子で言う。
「私はカルガリーの郊外にずっと住んでいるが、ここに来るのは今日が2回目だよ。あんたの方が遠いのに。若い人はいいな。」
カルガリーからはわずか100kmである。地元とはそんなものであろう。
そんな話をしながら、次第に話はカルガリーの過去に及ぶ。こうなると、今度は相手の話していることが所々わからなくなる。恐らくは70から80年前に時は戻る。そもそも背景となる知識がない。だから分からない単語も想像がつかない。仕方なく、こうお願いする。
「あまり英語が得意ではありません。少し、ゆっくりと話してもらえますか?」
話が途切れるのであまり言いたくはないが、仕方ない。伝わることが大事である。分かったふりをしても面白くない。
「おや、すまない。君はフランス語を話すんだね。」
だから日本から来たと言ってるのにと思ったが、ここはカナダである。西海岸には東洋系も多く、母国語は英語とフランス語の国なのだとあらためて知ることになった。愛すべきはおしゃべりなカナダ人である。

 

翌日は、ホテルで予約しておいた氷河ツアーに参加した。各国語のツアーがあるが、何故か日本語の料金は高い。倍の値段である。またしても難しい単語が出てきて分からなくなる事は想像できるが、迷わず英語のツアーに申し込んだ。
朝出発で明るいうちに戻ってくる、1日コースまではいかないが、比較的長いコースである。いろいろなところに停車しては、遠くから氷河を眺めたり、渓流を散策したりする。確かに場所の説明や集合時間の案内は英語だが、英語で困るような内容ではない。アサバスカ氷河に入るために雪上車乗り換えた後は、いろいろと氷河の成り立ちや科学的な説明が続くが、素人向けのツアーであって、専門家向けではないから単語は平易である。氷河に降り立った後は、希望すれば専門用語を交えて説明してくれるが、こちらはブルーアイスを見ては写真を撮るのに忙しい。その上、備え付けのリーフレットには、フランス語版やスペイン語版に加えて、日本語版もある。確かにいろいろ聞かれるよりは、ある程度のことは、リーフレットを読んでもらったほうがガイドとしても楽に違いない。
バスツアーのドライバー兼ガイドは若い女性であった。女性がドライバーというのも珍しいわけではないが、大型バスのドライバーは重労働である。比較的華奢な身体をいっぱいに使って大きめのハンドルを回しながら、ヘッドセットでアナウンスをしなければならない。案の定、バスはハイウェイの真ん中で突然停止した。道幅が広く、日本のハイウェイよりは交通量も少ないが、高速道路の中で停止するのはあまりいい気がしない。社内では、何か起こったかと声がかかる。
「ごめんなさい。ギアが入らないのよ。ちょっと待って。」
彼女はクラッチをガチャガチャと踏み直すと両手を使って入りたがらないギアをどうにか押し込み、再び平然と走り出した。何故か拍手が起こり、彼女はありがとうと礼を言う。そうなる前に整備をした方が良いと思うが、言っても仕方ない。
ツアーの帰りは、主要なホテルに停車しながら客を順に降ろしていく。私が泊まっているホテルはコースに入っていないし、行くところもないので、何となく最後までバスで過ごした。街中を一周するので、ちょっとした観光である。とは言え、だんだんと人が少なくなり、最後のひとりとなった。
「どのホテル?」
バス発着所の近くのロッジの名前を告げると、コース外だが近くを通るから乗せて行ってくれるという。このあとの予定もないので、とりあえず乗せて行ってもらうことにした。
運転席のそばの椅子に移動し、世間話をしながら、恐らくは世界最大級のタクシーがゆっくりと走る。乗り心地はあまりよくない。ドライバーは、離婚して新しい職を探したら観光バスの仕事に落ち着いたらしい、少し危なっかしい運転手である。愛すべきはおしゃべりなカナダ人である。

 

カナディアン・ロッキー観光の拠点がバンフならば、その玄関口はカルガリーである。オリンピック開催地であり、厳しい冬にも暖かく買いものができるよう屋内通路が張り巡らされ、近代的なビルが建ち並ぶ。多くの観光客がこのカルガリーからグレイラインのバスや車でバンフに向う。
このカルガリーの郊外にカルガリーの歴史を学べる大きな施設がある。中には開拓時代の砦や街が再現され、鉄道には蒸気機関車も走る。中で働く人は、その時代の衣装で質問に答えてくれたりもする。なかなか魅力的な場所ではあるが、遠くからの観光客はほぼ立ち寄ることはない。
訪ねたのはずいぶん昔の事なので、ひょっとすると、今や人気の場所となっているかもしれないし、すでに存在していなくても驚かない。何となく中途半端な施設であった。
そんな場所ではあるが、どうしても訪ねて見たくて、カルガリーから向うことにした。もらった案内よりもどう考えても歩く距離は長かったが、いくつも交差点を超えてようやく最後の交差点までくると、そこにはまたしても老人である。
「どこから来たのかね?」
またしても同じ質問。ひとことふたこと話すと信号が緑に変わり、いつもの質問から脱出に成功した。
だが、世界は単純ではない。車線数の多いカナダである。しかもどういう訳か押しボタン式の歩行者用信号がついている。広い道幅を対岸までゆっくりと横断していると、渡り切ったあたりで信号が変わってしまった。振り返ると、先ほどの老人は中州に取り残されている。数歩だけ歩きかけたところで、引き返して押しボタンを押した。恐らくは、一定時間で信号は変わるだろうし、そのうち誰かが来るだろうが、そのままにしておくのは気が引ける。しばらくして再び歩行者信号が緑に変わり、老人はゆっくりと渡ってきた。
「いやあ、ありがとう。君がボタンを押してくれなかったら、一生あそこにいなきゃならないかと思ったよ。」
愛すべきはおしゃべりなカナダ人である。