Cross Cultural

A postbox 郵便ポスト

201409-053written only in Japanese.

今時なかなか手紙を出す機会もなくなってきたが、旅先から送る手紙は、案外根強く残っている。フランスの街角のカフェでコーヒーを飲みながら絵葉書に何かしら一所懸命書いているのは、かならずしも旅行者だけではなさそうだ。買い物袋を抱えて葉書を覗き込む人々は、きっと空いた時間に手紙を書くそこに住む誰かに違いない。足を組んで、木製の小さな丸テーブルの上で、小さなボールペンを躍らせる。次第に小さな白い空白はブルーブラックの文字に埋まり、小さな紙切れは小さな切手を貼られて誰かのもとに運ばれていく。それが日常の一断片なら、少し羨ましい気もしないではない。

201409-051さっとスマートフォンを出して、写真を添えたメールを送るのは、何かを伝える手段として否定する気は毛頭ない。むしろ、その方がリアルタイムに伝わって、ずっと良いかも知れない。地球を半分回った向こうから、会話をするように送られてきたメッセージは、遥か遠いその場所をいっきに身近な場所にしてくれる。「それで、いつ来るの。」とメッセージを送った相手から、質問を察してか、送信と同時に「来週火曜の朝に着くから」と返事を受けて、光より速いなどと楽しんでいると、いつの間にか、数千キロの距離を感じなくなっている。

それでも、今も誰かが絵葉書に何かを書いている。受け取る相手の表情を想像しながら、キーボードではなく、胸ポケットや手帳の間にちゃんと収まる小さなペンで書いている。そして、その数グラムの紙切れはやがてポストに投函され、想いとともに送られて行く。なんの手ごたえも返さない無愛想な送信ボタンを押すのではなく、どこか意思を試されるような投函という作業が、想いを伝える。

旅先で手紙を出す時、それが住む国と違う国であればなおさら、それはちょっとだけいつもと違った風景となる。だから、旅先から送る手紙は、少しばかり意味が違ってくるのだろう。

この文章を書くにあたって、フランスのポストがどんなだったか思い出せない事に気が付いた。古い写真をひっくり返してみても、写真にも写っていない。確かに郵便局に行ったことはあってもポストに投函したことはない。そんなものだろうが、世界中のポストが気になり始めた。

201409-052