A Part of Wordless Wednesday
capturing in prose
It’s kind of fun to do the impossible.
The flower that blooms in adversity is the rarest and most beautiful of all.
The past can hurt. But the way I see it, you can either run from it, or learn from it.
出来ないことをやってのけるというのは、ある意味楽しみみたいなものだ。
逆境に咲く花は何よりも貴重で美しい。
その過去に傷つくこともあるかもしれない。だが、私に言わせるなら、そこから逃げ出すことも学ぶことも出来るというものだ。
Walt Disney
ウォルトディズニー
l.t.f.
and
A Part of Macro Monday
English text a t bottom
最近は画一的だとか、異なる意見を排除する風潮があるとか言われるが、先日、日本はもともと多様性を受け容れる文化だったといった事が書かれた記事を読んで、はたと気がついた。確かにそうなのだ。フランスからの客人を日光や鎌倉に連れていって説明することと言えば、先ずは多様性と寛容性の文化だったりする。神社仏閣が仲良く並ぶのは自然なことであり、おしゃれな和食店の店名がアルファベットで書かれているのも普通のことで、ついでに変な英語がTシャツに書かれているのはむしろおしゃれだったりする。
もちろん、フランスにはアフリカ系はもとよりアラブ系もアジア系もたくさんいて、それぞれが伝統的なヨーロッパ文化の風景の中で当たり前のように生活しているから、日本に比べればずっと多様であるに違いない。だが、同時に日本にもたくさんの異文化が混じり合っていることも事実なのだ。ただ、日本に長く住んでいると、それに慣れてしまって気付かないというだけに違いない。たまには古くからの文化を見直す時間をとっても良さそうである。
でないと、フランス人の質問に答えられず
「あんた、ホントに日本人なのか?」
と聞かれかねない。
Some pessimistic people say that totalitarian mentality is begging to fall over Japan again. Maybe true, maybe no. Nobody knows.
Few days ago I found an article discussing about a culture of diversity in Japan. Indeed, it was saying Japanese had a flexible mind and still have it today. I completely agreed with the writer. That’s because we know a Buddhist temple is next to a shrine, a lot of Japanese restaurant have an alphabetical signboard or T-shirts sometimes argues strange things in English.
Anyway most of Japanese need to learn their culture more deeply.


(written only in Japanese)
誰が言ったのか知らないが、あくびはコーヒーが欲しいという声のない叫びだそうだ。なかなかいい表現である。もう退屈だからさっさと先に進んでくれと心の奥底で叫び声を上げながら、実際にはそんな素振りも全く見せず、淡々と進む会議の行方に身をまかせるなど日常茶飯事だ。さっさと終わりにして家に帰った方が、明日から良いアイデアが浮かぶなんて、思っても口にしないのが封建社会のマナーというものである。あくびはなるべく目立たないようにするのも社会人としてのルール。声は出ないが、ライオンの声でも重ねたらぴったりしそうな大口を開けて、無言の抗議をするのが精一杯というところだろう。
「あくびをしているやつは、真面目に聞く気がないやつだ。」
などと生産性の低い指摘をする時間があったら、誰もが前のめりで話が聞きたくなるような中身を考えた方が良い。
日本の会社組織は世界的に見て生産性が低いそうである。ドイツと比べて労働時間は長く、ひとりあたりのGDPは低いという話は良く聞くお決まりのロジックだ。それが何かの指針になるか否かは別にして、少なくとも一所懸命働いてる割には生み出すものは少ないと言っているわけで、時間あたりの賃金が安いという類の話ではない。無駄に働いてる時間が多いとか、頑張ってるのに駄目だと言われているほうがむしろ近い。そこで思うのである。コーヒーが欲しいという沈黙の叫びをあげるくらいなら、とっととコーヒー飲んで違う事をやってはどうかと。
いつもの年のように、フランスの同僚は順番にバカンスを取り始めた。何があっても3〜4週は連絡がとれないだろう。「たまにはちょっとだけメールを読むから何かあったら遠慮なくメールしてくれ」なんて言われても、実際のところメールして家族との大切な時間を邪魔する気はまったくない。しっかりリフレッシュして、アイデアいっぱいで仕事に復帰してくる彼らのほうがありがたいではないか。昼休みには家に帰って小中学生の子供(子供たちも家に帰って食事するケースも多い)と食事をする彼らも、重要だと思えばランチミーティングで議論を交わす。いつまでたっても工事が進まないのんびりした彼らも、必要となれば遅くまで仕事を続ける。要は、生真面目ではないが合理的な考えは持っているという事なのだろう。
こちらといえば、せいぜい大きなあくびで社会に抗議するのが精一杯。せめて、少しだけでも自分のスタイルを捨てないように意識したいものである。文化の違いは認めて尊重できるのが社会的動物たるものなのだ。
とはいえ、夏も後半になれば「バカンスはどこに行った。」と聞かれることは間違いない。
「いや、だから、日本はせいぜい1週間しか休めないんだよ。知ってるだろう。」
「あぁ、そうだった。で、どこいったんだ?」
今年は、ネタを探しておこう。
