Bonne journée

息継ぎ

雨降りの28度がこれほど重いなど誰が想像しよう。戻り梅雨の横浜は肩の上にいつも何かを背負ったように落ち続け、少しばかり離れていた1,000回の冷たい朝と10,000キロだった筈の見通せない距離の狭間に記憶の一部が紛れ込んで、「そうだった」と独りごちるというより「そんな筈ではなかった」と言い訳をするのが日課になった。背中に張り付いた薄汚れたシャツと息苦しさが隠れる青いマスクとに押しつぶされそうな夕暮れの、静まり返った通勤電車に無限に繰り返される吊り革にようやくしがみついて、やっと息を継ぐ方法を思い出したような気がした。

Bonne journée, Cross Cultural

moved

L’ateriler tanu has just moved to Yokohama from Brittany in terms of physical location. It seems still not so easy to post articles regularly because of some complicated daily staff and nonsense but gradually everything starts roll. There have been a lot of procedures to be done, a lot of issues to be solved, and a lot of things to be thrown away. I could say it was tough and interesting. Perhaps, someday I may write my experience of the last one month but it’s not the right time. Here’s just one thing to say now before your vacation. Heathrow airport is still messed up.

アトリエ・タニュは、物理的にはブルターニュから横浜に引っ越しました。やるべきことが山積していて定期的にブログを更新できるほどの余裕はありませんが、徐々に何もかもが動き始めたように思います。たかが引っ越しに色々ありましたが、今のところは詳しく書きません。落ち着いたら何か書こうかなと思います。ただ、バカンスシーズンで英国に行く方に一言。ヒースロー空港は未だ混乱しています。地上スタッフも十分機能していないようです。ご注意あれ。

Bonne journée, Photo

summer

フランスの北西部にあたるブルターニュ地方は夏も涼しい地域なのだが、今日のブルターニュ南東部の気温は37度と異常な高温となった。フランス中央部から西部にかけては40度超えとのことなので、それでもまだ良い方なのかも知れないが、何しろ個人ではエアコンを持っていない地域だから、日中は窓を閉め切ってじっとしているしかない。リフレッシュするなら、早朝に出かけて森の中や運河沿いを散歩するのが一番かも知れない。夏至の頃は人がいっぱいで騒音も多い季節だが、さすがに今日は静まり返っている。

気温が高いことをもって温暖化というのは違うとのこと。大西洋側から高気圧が張り出してアフリカからの熱波をもたらすのは毎年1〜2回はあるから、異常高温と言っても気象学的に異常というわけではない。ただ、年々夏の暑さが早く来るようになって、むしろ夏が涼しいような気がするというのも時々聞く話だ。温暖化によりメキシコ湾流が蛇行し、温暖な冬をもたらしてきた暖流の恩恵がなくなることで、あまり雨の降らない寒い冬と冷夏が温暖化の影響とも言われている。寒くなるのに温暖化というのも妙な気持ちになるが、そんなものだろう。それでも確実に平均気温は上がっている。

写真ではサイズ感が伝わりにくいかも知れないが、写っている宿木は通常の倍のサイズはあろうかという立派なものだった。大きいからか、乗っている枝が随分と下がってきている。そんな様子を楽しんだら、日が高くなる前に家に帰る方が良い。午後になればきっと暑い。

Bonne journée, Cross Cultural

Smart City?

ここも立派な公道

トヨタのウーヴン・シティの記事を読みながら、ようやく街から未来を作るという発想が日本にも出てきたなと思う一方で、妙な違和感も同時に感じている。街自体を作るというのは、少なくとも日本にも平安時代からあるし、きっとローマを作る際には、先端技術であったろう上下水道の完備を模索しただろうから、決して新しいことではない。江戸の街だって、防災の観点から綿密に再設計された節がある。でも、ウーヴン・シティは街を作るには違いなくても、モビリティやサービスプラットフォームに主眼があって、その実験のために街まで作ろうという点で、これまで日本にあった街作りとは違うのかなと思うのである。

だとすれば、違和感はどこから来るのか。街のイラストを見ながら想像してみたが、ひとつ言えそうなのは、こんな街に住みたくないという拒絶感なのかなと思いついた。街はそこに住む人と共に何年もかけて成長するものである。変わらない街の歴史と変わりゆく街の姿が重なって、街も自分も歳を重ねる。だから自動で配達してくれる街よりも店先を眺めるのが楽しみな街がいい。多少不便な街に住みたいと思うのだ。もちろん、ウーヴン・シティにだって歩道に向けてはみ出しそうに商品を並べる店も出てくるだろうし、落書きだらけの裏路地も出現するのかも知れない。それでもビデオを見る限り、安っぽい今風のショッピングモールの中に住んででもいるような姿しか見えてこない。それはトヨタの車に住んでいるかのようでもあり、どこか気持ちが悪い。

技術開発のための街だから、50年後は気にする必要がないことは分かるし、ようやくこんなことができる会社が出てきたとも思う一方で、こんなところには絶対住みたくないと感じる生理的な違和感も否定できないのだ。ここでなくても日本でもさまざまな街が自動運転の実験や電動キックボードの導入など、さまざまなモビリティの改善やスマートシティ開発に取り組んでいる。例えば福岡も岐阜も柏市もそんな街であるに違いない。新しく作る街だけでなく、昔からある街が題材となるなら良いと思うのだが、きっとそう簡単にはいかないのだろう。

新しい実験施設ではなく、歴史も未来もある街が積極的に変わっていくのはちょっと楽しい。ヨーロッパの多くの都市では、自動車用のレーンを潰してでも自転車用レーンを作り、街の中は小型のモビリティやトラム専用のようになりつつある。エネルギーの再生こそまだまだ上手くいっていないが、車で入ることのできない街の中心部には人が溢れ、昔ながらの商店街が息を吹き返し、ちょっと面倒な移動を楽しんでいるようでもある。車で移動していると、身軽な自転車が横を追い抜いていく。ひねくれものと言われそうだが、不便なことが自慢できる街があったらきっと住みたいだろうなと時々思うのである。

Bonne journée, Photo

古橋

特に歴史的価値があるわけでもないが、13のアーチからなる3つの橋が18世紀からここにある。それは何度も整備されたであろう石造の古臭い橋であって、住民が川を越えて反対側に渡るためにそこに架けられた日常の一部でもある。

ところが橋のたもとに設置された説明を読んでいると、歴史的価値などどうでもよいと思えるほどに、時代という時計が逆回転をし始める。1900年頃のセピア色になった写真に写る風景は、今と何ら変わりがないのだ。もちろん、教会は最近立て直されたものだし、左側に見えるChez Edgarというレストランの建物も、100年前とは全然違うものに見える。にもかかわらず、そこにある佇まいは100年前と同じなのだ。100年前と同様に買い物カゴを抱えた人々が橋を行き交い、橋の下ではもうボート遊びをしてはいないが誰もが水辺を楽しんでいる。土曜日になれば教会の広場に朝市がたち、鳥の声が響き渡る初夏を子供達が駆け回る。

街を守るということは、そういうことなのだろうと教えられる。