
トヨタのウーヴン・シティの記事を読みながら、ようやく街から未来を作るという発想が日本にも出てきたなと思う一方で、妙な違和感も同時に感じている。街自体を作るというのは、少なくとも日本にも平安時代からあるし、きっとローマを作る際には、先端技術であったろう上下水道の完備を模索しただろうから、決して新しいことではない。江戸の街だって、防災の観点から綿密に再設計された節がある。でも、ウーヴン・シティは街を作るには違いなくても、モビリティやサービスプラットフォームに主眼があって、その実験のために街まで作ろうという点で、これまで日本にあった街作りとは違うのかなと思うのである。
だとすれば、違和感はどこから来るのか。街のイラストを見ながら想像してみたが、ひとつ言えそうなのは、こんな街に住みたくないという拒絶感なのかなと思いついた。街はそこに住む人と共に何年もかけて成長するものである。変わらない街の歴史と変わりゆく街の姿が重なって、街も自分も歳を重ねる。だから自動で配達してくれる街よりも店先を眺めるのが楽しみな街がいい。多少不便な街に住みたいと思うのだ。もちろん、ウーヴン・シティにだって歩道に向けてはみ出しそうに商品を並べる店も出てくるだろうし、落書きだらけの裏路地も出現するのかも知れない。それでもビデオを見る限り、安っぽい今風のショッピングモールの中に住んででもいるような姿しか見えてこない。それはトヨタの車に住んでいるかのようでもあり、どこか気持ちが悪い。
技術開発のための街だから、50年後は気にする必要がないことは分かるし、ようやくこんなことができる会社が出てきたとも思う一方で、こんなところには絶対住みたくないと感じる生理的な違和感も否定できないのだ。ここでなくても日本でもさまざまな街が自動運転の実験や電動キックボードの導入など、さまざまなモビリティの改善やスマートシティ開発に取り組んでいる。例えば福岡も岐阜も柏市もそんな街であるに違いない。新しく作る街だけでなく、昔からある街が題材となるなら良いと思うのだが、きっとそう簡単にはいかないのだろう。
新しい実験施設ではなく、歴史も未来もある街が積極的に変わっていくのはちょっと楽しい。ヨーロッパの多くの都市では、自動車用のレーンを潰してでも自転車用レーンを作り、街の中は小型のモビリティやトラム専用のようになりつつある。エネルギーの再生こそまだまだ上手くいっていないが、車で入ることのできない街の中心部には人が溢れ、昔ながらの商店街が息を吹き返し、ちょっと面倒な移動を楽しんでいるようでもある。車で移動していると、身軽な自転車が横を追い抜いていく。ひねくれものと言われそうだが、不便なことが自慢できる街があったらきっと住みたいだろうなと時々思うのである。
近代の日本にはもともと都市計画なるものが皆無で、とりあえず空いた土地に家やビルを無秩序に建てまくるゴテゴテ都市や箱をあちこちに配置しただけの街並みなど、美意識とは正反対の街づくりが主です。日本でヴーウンシティの云々を問うても無意味なのは仕方が無いでしょう。それに今の日本では、安全、安心、自由などが適度に保証される”ヨーロッパによくある歩行者や自転車主軸のゆっくり街歩き用の美しい都市”など望める筈も無いのが現実です。
書いた通り、日本にも立派な都市計画があると思っています。ただ、便利さが主眼になっているように見えます。
いえ、日本には都市計画らしき物は有りませんでした。
あぁ、ヴーウンシティじゃなくて、ウーヴン・シティでした🐥アーバン・シティとかの日本語読みのが分かりやすいかも〜🐣
Woven (weave) ですね。編まれた街の意味かと思います。
なるほど。その意味ですか。理解しました。編まれた都市…ゴテゴテの寄せ集めをどうやって編むつもりなんでしょうか?頑張って貰いたいものです🐥
トヨタのウーヴン・シティ、検索してクリップを見ました。実際に着工にかかっているんですね。ほほぅ。「こんなところには住みたくないという拒絶感」というコメントに笑ってしまいましたー。
私も、イメージ・シュミレーション?のビデオを見ながら「ときめかないなぁ」と思っちゃって。確かに、Wovenするテクノロジーや交通手段、ライフスタイルは新しいものであり環境に優しいもの、のようですが、この街を歩く自分を思い浮かべてもちっともときめかない。「違うよなぁ…」っていうのが第一印象でした(笑)
そこなんですよね。環境やダイバーシティや利便性の街レベルの課題を解決するためには、いっそのこと街から作ってしまえという決断は素晴らしいと思うのです。だから気になって記事を読んだりするのですが、その提案されたイメージには妙な違和感があります。トヨタの車に乗りたくてもトヨタの車には住みたくないというか、生活の場所としてはときめかないですね。私はやっぱり都会派じゃないのかなぁ。
「妙な違和感」、本当にそのとおりで、私もどうしてそんな風に感じるんだろうとしばらく考えてしまいました。社会見学、に行くような気分で訪れるのは楽しいだろうけれど、暮らす場所としては嫌ですね。なんだか実験室のネズミになったような気分になりそうです。
そういう意味でも、本当に必要な街はこれではないんじゃないか、という気がしました。
私も都会派ではないのはわかっていますが、もっと思い切って大きな雑木林を作り、小川を流し、人間以外の生きものたちも暮らせるような環境の中に人も暮らす、そういう意味でのサスティナビリティを見てみたいな、と思いました。長々とすみません。