Bonne journée, photo challenge

LAPC – Favorite Images of 2022

Sometimes I found myself taking pictures of water without reasons perhaps because I felt somehow fear on it and still do. Whether it is blue or grey, the water always obscures the sense of time. Nobody knows what was under water and who was looking into. Even still I took pictures of it without curiosity but with beauty delight.
Here are my two favorites that have not been published yet.

水になんとなく畏怖の念といった感覚を覚え、それが故に写真を撮りたくなってしまうことがある。水は、それがどんな色であれ、時間をも覆い隠すものだ。そこに何があって、それを誰が覗き込んでいたかなどわかるはずもない。だから好奇心というよりもその美しさから写真を撮るのである。

LAPC #231 – Favorite Images of 2022

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

Goodbye 2022

(English text at bottom)

いつ終わるのか分からないままに、ある日突然に2022年が終わろうとしている。それは実感のないままに地球が太陽の周りをぐるりと一周したと言うのとさして変わらない。元から誰も終わりなど教えてくれなかったどころか、自分自身でもいつ始まったのかすら気づかなかったのだから、そんなものなのだ。ただ時間が過ぎて、昨日まで過ごした場所と今日息継ぎをしている場所とが交差することなく存在していたということなのだろう。かつていた場所に住む知人とたわいもない会話をWebでしながら、かえって距離を感じるのが習慣となったらしい。それでも1日の仕事の終わりに言う「おはよう」に、不思議と安堵を感じるものだ。一日中「おはよう」と言い続けられるのなら、それはきっと良い1日に違いない。

良い年をお迎えください。

Without knowing when it is going to end, suddenly the last day of 2022 has come. That is not so much different from saying that the earth went around the sun without knowing. Not only did no one tell me the end day from the beginning, I myself didn’t even notice when it started, so that’s how it is. It’s just that time has passed, and the place where I spent yesterday and the place where I’m breathing today existed without intersecting. It seems that it has become a habit to feel the distance while having casual conversations with acquaintances who live in the place where they used to live. Still, I feel strangely relieved when I say “good morning” at the end of the day’s work. If you can say “good morning” all day long, it must be a good day.

Best hopes and wishes for the New Year!

Bonne journée, photo challenge

LAPC – Last Chance

(日本語は内容が少し異なりますが、後半にあります。)

So far away
Doesn’t anybody stay 
in one place any more?
It would be so fine 
to see your face at my door
It doesn’t help to know 
you’re just time away

Carole King, Sony/ATV Music Publishing LLC

It was a special year for me. At the beginning of 2022, I was working in France and foreseeing uncertain next 6 months from July. I completely understood anybody cannot stayed in one place, and more likely, the world was always drifting whether I wanted or not.
Several years ago, surely I was walking down a small path just next to a vineyard in France and I found myself thinking about grapes fields in Japan where I was born. After going back to Japan, 9,411 km apart, now I’m thinking about a vineyard in France time to time. Anyway, the sun above me is same as what I know in France. But,

There’s no such place as far away

Richard Bach

あまりに遠い。
人はひと所にとどまれないものなの?
扉を開けたらそこにあなたがいたらいいのに。
少し離れているだけと分かっていても、
何の役にも立ちはしない。
(l’atelier tanu 訳)

キャロルキング

引用するために調べたら、1971年の曲だった。キャロルキングの「つづれおり」に収められたよく知られた名曲だが、流石にラジオから流れることは少ない。クリスマスの時期によく流れるジョンレノンのハッピークリスマスも同じ年だから、もはや歴史の一部に近いのかもしれない。
今年はまたも9,411キロもの引っ越しをして、フランスから横浜に戻り、その距離以上にどこか遠さを感じている。遠いということは、物理的な距離だけの意味ではないのだろう。Webでどこにいても話ができる時代であっても、それは変わらない。リチャード・バックが言うように「遙かな遠い場所などありはしない」のかも知れないが、逆もまた然りなのだ。

LAPC #230 – Last Chance

Bonne journée

7j/7ウラシマの500円

コートのポケットの中に冷え切った両手を無造作につっこみ、グルグル巻きにした夏色のマフラーの中で首をすくめながら、バイクの甲高いエンジン音が響くカサカサした街中を歩いていた。しばらく忘れていた無数の引っかき傷のような乾燥した空気が、マフラーの隙間を通り過ぎていた。古くさいプリウスがノロノロと行く向こう側には365日と書かれた派手な看板。終わりのない感染の2文字の反対側で、「無休」よりもどこかリアリティがあった。

この365という表記はありふれているが、案外欧州では見ない。使わないわけではないが、週7日の方がよく見るような気がする。フランスだったら « 7j/7 » 表記することも多い。一方で、日本で「週7日」はほとんど見ない。フランスで何日だっけと聞いて、曜日が返ってくるのは習慣の違いいうわけだ。

乾燥した風に冷たい空気を感じるか、熱い空気を感じるかは、どこに住んでいるかの違いであって、ブルターニュで「今日は湿気があって良かったね」なんて真冬に挨拶しても何も伝わらない。それは、マスクをしているのがどこかおかしいと感じるか否かとさして変わらない理屈なのだ。いつもどこかそうやって小さな違和感の中で過ごしている。

その違和感が、住む場所の違いのせいなのか、日本を離れている間に起きた様々な変化のせいなのか、単に自分が変わったのかはわからない。わからない方が良いのだろう。分かったところで違和感がなくなるわけじゃない。ウラシマタロウとはそんなことなのだ。
もう現金など使うことなどなくなって久しい。支払いはほとんどデビットカードで済ませてきた。パーキングメーターで1ユーロを払うのもカードだったから、現金といえばわずかにある自動販売機くらいしか使わない。そもそも自動販売機がほとんど見当たらないから、その支払いの機会もほとんどないのだが。

ウラシマ気分で過ごしながら、日本の自動販売機でコインを出そうとして、かなりの機械がカードに対応していることに気がついた。現金の国と言われながら、今やカードだけでも結構問題なく過ごせるのだった。残念ながら職場に一番近い自動販売機は現金のみだったが、現金が必要なのはそこだけである。まぁ、そう遠くない場所にある安売り花屋さんも現金だけだったが、例外だろう。
職場近くの自動販売機は仕方ない。ポケットに小額の現金を持てば済む話しである。そんなことより、どこにだって自動販売機があって、いつでもひと休みできるなんて、なんと恵まれたことか。すぐそこに自動販売機、ちょっと先にコンビニ、もう少し行けばカフェ。好きに選んでくれと言わんばかりではないか。

ただ、先日、ちょっとした問題があった。自動販売機におそらくその件の花屋でもらったお釣りの500円硬貨を入れたら、受け付けないのだ。だいぶ前のことだが、ちょっと古い500円硬貨を入れたら返却口に返され、何度か入れ直したら受け付けられたことがあったから、同じ問題だろうと思ったが、何度やってもだめである。500円硬貨は偽造の元が取れるから狙われやすく、偽造コインに対策するため選別機が厳しいと聞いたこともあった。やれやれ。仕方ない。

幸いにもそこから階段を上がって少し行ったところにも自動販売機がある。ここは便利な日本なのである。ちょうど良い運動ではないか。少し歩いて飲み物を飲んでリフレッシュしよう。だが、そう思って行った自動販売機でも、500円硬貨は虚しく返却されたのだった。何度やっても同じである。さすがにこれは変である。偽500円をつかまされたのか。
どちらの自動販売機も表からは見えない隠れた場所にあるので明るい場所にはないが、使えない500円硬貨を手にしてよく眺めてみた。すると変なのである。どことなくデザインが違い、色合いも少し黄色みが勝っているような気がする。コインを立ててみると、側面にあるギザギザもちょっと粗い。確かに十円玉をお金をかけて偽造したって儲からないが、500円なら元がとれるという事なのかもしれない。

とりあえず部屋に戻って調べてみよう、そう思ってデスクに戻り、怪しい500円硬貨を明るい場所でじっくりと眺めてみた。するとなかなか出来が良いのである。異なる材質の組み合わせはまるで2ユーロ効果の様だし、模様が極めて繊細に描かれている。おや?と思ってGoogleで500円硬貨を検索してみることにした。すると答えは案外すぐに見つかった。なんと2021年に新硬貨が発行されていたというのだ。自動販売機はまだ新硬貨に対応していない場合が多く、そもそも新硬貨はさほど流通していないという。誰も教えてくれなかったではないかと思ったが、そんなことを教えてくれるおせっかいなどいるわけもない。ウラシマタロウとはこのことだ。

全国旅行支援で広島に行って美味しいものを食べてきたなんて聞いたから、経済を支えるために個人が行動するなんてすごいねと思えば、それで何万円だか得したと言うし、すっかり何のことだかわからなくなっている。500円硬貨が新しくなったことを知らない程度なら、なんてことはない。
多分。
やれやれ。

Bonne journée

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