Bonne journée, photo challenge

LAPC #267: Recharge


I was traveling at north of Japan just for refreshing and recharging last week. It was a kind of late summer vacation. When I go somewhere far from my town, usually a camera and some lenses are necessary things for me but I didn’t take them except small one. The travel was not for sightseeing but for spending relaxing time with my partner in a historical city with thinking of its prosperity. Honestly saying, a blue sky was rather recharging than abandoned railways, and exactly saying, a food festival made me relaxing.

Lens-Artists Photo Challenge #267: Recharge

(日本語超訳)先週、リフレッシュと充電のために北日本を旅行していました。これについては、日本語でまた取り上げようかと思います。なんだか遅めの夏休みみたいなものでした。 遠くに行くときは、たいていカメラとレンズを複数持っていきますが、今回は小さいもひとつだけにしました。この旅は歴史ある街でその繁栄に思いを馳せながら、ゆっくりとした時間を過ごすためのものでしたが、正直言って廃線よりも青空の方に元気をもらえたし、まさにお祭りで癒されました。

Bonne journée, Cross Cultural

流行りことば


今週はいつもと少しだけ違って、コンピュータサイエンスの外側の話である。

昔からインターネット・バズワードの寿命は短く、次々と現れてはその価値も曖昧なまま忘れ去られていくというのが常である。何かできそうな気がするインターネットの性質と、流行りに乗れば何か儲かりそうな気がする怪しい空気とが、その原動力なのだろう。何も存在しないのに騒ぎ立てれば詐欺でしかないが、バズワードとして扱われた技術は使い方によっては価値がある歴とした技術であるから厄介だ。ブロックチェーンなどその最たるもので、一部のコンピュータサイエンスに詳しい技術屋は、笑って距離を置いていた。
「そりゃ、技術としては面白いが、ブロックチェーン技術を使うこととブロックチェーンを使ったデータの値段とは別だよね。」
それが専門家の冷静なコメントだった。

このところの流行りは生成系AIと呼ばれるもので、キーワード入れてゴッホ風にと支持すれば、そのテーマで描いたゴッホの絵が出てくるなんてものが普通にある。面白いのは、その生成された絵が、さもゴッホが描いた風というだけで、明らかにゴッホではないというあたりである。AIが学習したのはゴッホの出来上がった絵のデジタルデータであって、ゴッホを取り巻く状況でも文化でも人柄でもないのだから当然ではある。

さらに直近ではChatGPTが流行りで、学生が論文書くのに使ったかというので「しょうがないなぁ」なんて思っていたら、ニューヨーク州では弁護士がこれを使ってありもしない判例を引用したとか。もはやChatGPTって何?という時代から、ChatGPTをどう使うかというところに話題が移っている。

このChatGPTのようなAIには、莫大な学習データが必要だが、実際のところ、そのような莫大なデータから知見を得ようという発想は、20年ほど遡る。20年前と今の違いはあまり大きくなく、新規性という点で見たら、AI技術の進歩くらいしか違わない。もちろん、通信が速くなり、演算速度も桁違いに高速になって、技術的に困難だろうと思っていた事が容易になったという事実はある。だが、根本的な違いはAIくらいなもののような気がする。AIが登場するのは更に20年遡るが、例えばディープラーニングのようなブレークスルーは、実用性という意味も含めてごく近年の事なのである。

変わっていない部分は、「集合知」という勘違い部分である。勘違いという言葉には多少の語弊もあるだろうが、元はと言えば単なる勘違いだと個人的には思っている。

集合知は、個人的な理解では、個々の無知でも集まれば集合的な知性が生まれるという仮説である。蟻は個々には匂いに反応して勝手気ままに動いているが、それらが集合すると全体として個々の役割が生まれ、餌のありかを知り、コロニーを守ることができる。一匹のアリは、どこに餌があるかを知らないにもかかわらずである。

これをインターネット界隈では拡大解釈した。今と構図は何も変わらない。インターネット上にある知見はひとつひとつ断片的なものだが、それらを集めた「メタ」な知見は、識者の判断を超越すると言った類である。当時はそのその世界中にある知見を俯瞰する術はなかったから、アイデアは夢というより妄想に近かった。俯瞰できるようになれば得られるという集合知には何ら根拠もなかった。だからひたすらそれらしい例を探し、Twitterで民主化が始まったとか、集合知とはおおよそ関係のない例を持ち出して安心していたところがある。今では集合知を信じるような話はすっかり形をひそめ、「メタ」のような使い易い言葉に流れている。

そんないい加減さはインターネット固有の特性というわけではない。かねてより量子力学で使われる「不確定性原理」は、どうしたことか「不確実性」と混同され、不確実であることが世界の原理であるかのように言われ続けている。全く別な話なのだが、シュレディンガーの猫の話まで持ち出されて、もはや宗教か哲学のようになってしまった。人とはそんなものなのだ。

ChatGPTが今後どうなって行くのかわからない。あえて誤解を恐れず言えば、インターネット上の公開データを使った要約エンジンみたいなものだから、それが便利なところにだけ使われるのだろう。それは、たとえ文章が多少おかしくても自動翻訳機能が使われているのとさして違わない。Googleの検索アルゴリズムの進化は広告に直結するというモチベーションがあるが、今のところChatGPTにはそれに相当するものがない。飽きて終えば必要性がある部分に少しだけ使われる程度になるのかもしれない。

Bonne journée, photo challenge

LAPC #265: Black and White or Monochrome


Monochrome photo should have various brightness intensities evenly so that it can be a clearer image without any colors. In some cases, different colors may have similar brightness intensities, and then red petals might be hidden by green leaves.
However sometimes it makes me want to take monochrome pictures with poor condition just because it is simply interesting. Needless to say, it may create a lot of weird or odd pictures but that’s okay. Like it or not, digital cameras usually create full-color images and all I need to do is to convert images into monochrome when I need them.

Lens-Artists Photo Challenge #265: Black and White or Monochrome


(日本語訳)モノクロ写真は、色を持たない状態でより鮮明な画像にするために、さまざまな輝度を均等に持つ必要がある。場合によっては、異なる色が同じような輝度を持ち、そのため赤い花びらが緑の葉に隠れてしまうこともありえる。
とは言え、単純に面白いからという理由で、条件の悪いモノクロ写真を撮りたくなることもある。言うまでもなく、奇妙で変な写真がたくさん作成されるかもしれないが、問題ではない。好むと好まざるにかかわらず、デジタルカメラでは通常フルカラーの画像が作成され、必要なときに画像をモノクロに変換するだけなのだから。

Bonne journée, photo challenge

LAPC: PRIMARY COLOURS


When we live abroad or somewhere having different culture, you may face communication issue. Perhaps you may not sure if a fish you see in a market is what you like. It’s very similar to what you know in your hometown but it may have very different name. You may check it on your dictionary and find that it is surly same as what you want.
In case of colour, usually it should be simple like red, yellow, blue etc. However, not always. You are now at Shibuya, a very famous and crowded crossing in Tokyo, and you hear someone says “Oh, the signal is blue. Let’s go!”
Wait, wait, wait. What? Blue? What does it mean?
Sometimes blue means green, and green may be black in Japanese. Don’t worry. When you understand what they are talking about, it means you have already understood a part of culture. You would understand they were talking about ‘Green’ signal.
When I moved to France in the past, I was surprised that my colleagues sometimes said ‘Fuchsia’ in their presentation. It was not a new word for me but it was usually ‘Magenta’ for me and ‘Pink’ for some of Japanese. Fuchsia was a vey specific word indicating a colour of flowers. Still I got lost sometimes in English conversation when I heard the word Fuchsia.
OK, you may say the colour above picture is not magenta or it is not a part of primary colours. Yes and no. At least it is not an issue for me because I’m always confusing.

(日本語訳)
 文化の異なる場所に住んでいると、コミュニケーションの問題に直面することがあります。市場で見かけた魚が自分の好みのものかどうかわからないかもしれません。あなたの故郷で知っているものに非常に似ていますが、名前はまるで違います。そこで辞書で調べてみて、自分が求めているものだと分かると言ったこともあるでしょう。
 色の場合は、赤、黄、青などの単純なものが多いように見えますが、必ずしもそうとは限りません。あなたは、今、渋谷のスクランブル交差点にいます。そして誰かが「ああ、信号が青だ。行こう!」と話すのを聞きます。
 待って、待って、待って。何だって?青?それはどういう意味?
 日本語では、青が緑を意味する場合もあれば、緑が黒になる場合もあります。心配することはありません。彼らが話していることを理解できたということは、あなたがすでに文化の一部分を理解していることを意味します。彼らが「青」信号について話していることは理解できるでしょう。
 以前、フランスに移住したとき、同僚がプレゼンテーションで時々「フクシア」と言うことに驚きました。それは新しい言葉ではありませんでしたが、私にとっては通常「マゼンタ」、あるいは一般的な日本語では「ピンク」でした。 フクシアは花の色を示す非常に特殊な言葉です。だから、会話中にフクシアという言葉を聞くと時々迷ってしまうことがありました。
 その通り。上の写真の色はマゼンタではありませんし、あるいは原色の一部ではないかもしれません。少なくとも、私はいつも混乱しているので、それは問題ではないのです。

Lens-Artists Photo Challenge: PRIMARY COLOURS