Bonne journée, Photo

Le Guin

201705-111

If you see a whole thing – it seems that it’s always beautiful. Planets, lives… But up close a world’s all dirt and rocks. And day to day, life’s a hard job, you get tired, you lose the pattern.

もし全体を見るなら – それはきっといつも美しいことでしょう。植物が生い茂り命がある。でも、間近で見れば世界はどれも泥と岩。そして日常といえば、生活はひどく忙しく、疲れ、いつも通りになれない。

– Ursula K. Le Guin

Honestly saying, I don’t know the context of these words. I read few her novels in Japanese translation and found the quote on a web site. It sounds a bit pessimistic but probably she wouldn’t mention our aigre lives because we always know that’s why the world is beautiful.

正直に告白すれば、どんな文脈なのか分かっていない。アーシュラ・K・ル=グインは日本語訳で少しばかりSFを読んだ程度で、この引用もウェブサイトで見つけただけだ。悲観的な響きではあるが、恐らくは酸いた人生を憂いているのではない。だからこそ世界が美しいと誰もが知っているのだから。

201705-112

Cross Cultural, Photo

The Planet with Photo

201703-321Written only in Japanese.

「地球を守ろう。この地球は、コーヒーの飲める唯一の惑星です。」
といった感じだろうか。RSSフィードでチェックしているブログを見ていたら、そんな言葉が手書きのサインボードに書かれた少しおしゃれなカフェの写真があった。旅先で見つけたら、ひょっとするとつい立ち寄ったかもしれない。念のため原文を書けば、”Save the earth. It’s the only planet with coffee.”である。こういったコピーは、冒頭のように直訳的な表現ではあまりしっくりこない。
「宇宙にたったひとつ、コーヒーの香り芳しいこの地球を大切に。」
これもいまひとつだが、最初の訳よりはまだ良いのではないか。言語にはそれぞれ固有の言い回しがあって、直訳するとしっくりこない場合が多い。逆にそれが新鮮であったりもするから一概に良くないとは言えないが、なかなか言葉は難しい。
これが絵や写真、音楽となると世界共通の様に言われて案外頓着しないが、実はまるで違うらしい。各国の民謡の音階の違いは言うまでもなく、山水画とヨーロッパ中世の絵画には大きな隔たりがある。音楽も絵も好きなだけで専門的な内容に詳しいわけではないから正確には表現できないが、大学でしっかり学ぶと地域差とか文化的な違いとかがわかってきっと面白いに違いない。絵であってもそこにはある種の文法のようなものがあって、誰もが鳥の絵を見て鳥と理解するにもかかわらず、その美意識は違う方向に向いていると感じられる。ただ、言語と絵画や音楽が大きく違うのは、符号化されていない絵画や音楽が世界中で了解できることである。符号化あるいは記号化は、その符号の意味が了解されていなければ通じることはない。
さて、特に注意することなく前段で「写真」と書いたが、この写真が文化の違いにあらわれるかと問えば、その答えはなかなか難しい。歴史が浅いからとも思ったが、19世紀後半にはカラー写真が登場していることを考えると極端に新しいわけでもない。そして誰が撮っても同じになるわけでもない。それでも差異が見つけにくいのは、写されたものが現実の映像をそのまま伝えるからだろう。オンラインで世界中の写真を見るのが当たり前になって、差異が生まれにくいこともあるだろう。そう思いながらフォトシェアリング・サイトの無数の写真を見ていると面白い事に気づかされる。やはり写真には文化の違いがあると。誰か、この直感が正しいかどうか調べてくれないものか。

201703-322

Cross Cultural, Photo, photo challenge

お召し上がり方

201601-411

「裏面のお召しあがり方をよくお読みください。」
そんな風に確かに書いてあった。電子レンジで簡単に調理できる食品である。それが実際のところ調理なのかどうなのかはこの際問題ではない。「使用上の注意をよく読んでお使いください。」そう言うことだ。「ドアが閉まります。ご注意下さい。」などとアナウンスされる電車ともあまり違いはない。
「まぁ、分かってるとは思うけど、間違って使ったとしても責任はとらないからね。」
そう言っているだけなのだ。

その暗黙の了解のようなものが、時々あやしくなってくる事がある。率直に言えば、その言い回しに違和感を感じる事が多い。

お召しあがり方とはもちろん食べ方を丁寧に言っただけだろう。食品の提供者が消費者に尊敬をもって食べ方を読んでほしいと丁寧に依頼しているわけである。お客様に対する敬意は日本的な美徳と言う話もあるし、伝統だと言う人さえいる。間違っているわけではない。だが、少し前の報道写真などを見ていると、以前はもう少しぶっきらぼうな言い方が普通だったのではないか。確固とした調査分析があるわけではないが、そんな気がするのである。
先日、取り壊し中の家の前を通ったら、敷地の周りにぐるっと黄色いテープが張られ、そこには「立ち入り禁止 KEEP OUT」と書かれていた。強い警告である。これが丁寧かつ尊敬をもって周囲の歩行者に言う表現ならば「お立ち入りになられませぬようお願い申し上げます Would you please keep out」くらいに妙な表現になるのだろうが、もちろん危険に対する警告としても成り立たない。冒頭の「裏面のお召しあがり方をよくお読みください。」に感じる違和感は、実は似たところに根源があるような気がしている。
「調理方法は箱の裏面に書いてあります。」
という程度の丁寧語では不充分なのだろうかとどこかで感じるのである。これに「食べ方くらいほっといてくれ」と言うのはさすがに捻くれているだろうが。

さて、最初の立て看板である。こちらは、尊敬語も丁寧語も超越したどこかに行き場を失っているようだ。誰も立ち入らない雑草が生えるにまかされたこの空き地に何があったというのか。

Also my second contribution to the WPC.
Though, exactly saying, words on the sign board in the picture are not Alphabets. Taking it in a broad sense, it’s not even a phonogram.