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Floral Friday #153


 正月に咲く水仙は、春らしさを最初に感じる花であるとともに、どこか寒さも思う花でもある。冬のまだ弱い日差しに咲く小さな花を見ていたら、小さな蜂が現れた。ここにも春があるのか、まだまだ続く冬に備えて忙しいのか、見ている側の心のうちが透けて見えるような気がして落ち着かない。
 そんなことを考えること自体、どこか自己愛が出ているような気がすると思ったが、そもそも水仙は英語でもナルキッソス(narcissus、英語の発音はナーシサス)であって、湖水に映る自分に恋焦がれた罰として水仙になってしまった自己愛の象徴みたいな存在である。完全に見透かされたらしい。

Bonne journée, Cross Cultural

Warm winter


(English text at bottom)

 1月上旬だというのに今日の横浜は17度ほどまで気温が上昇したようで、外を歩くのにも日差しの下ではコットンシャツだけでも十分な暖かさだった。春のような陽気に家庭菜園で作業する人や公園で遊ぶ子供たちも多く、すれ違う人々も皆コートを脱いで脇に抱えていたりした。
 寒い冬型になる前には低気圧が日本列島を通過していくわけだが、多分今日はだいぶ北を通ったのだろう。その低気圧に向かって南風が吹き込むから南関東には太平洋の暖かな空気が入り込んで気温が上がるのだとどこかで聞いた気がする。地球温暖化なのか、それとも毎年の恒例行事となったエルニーニョ現象の類いなのか、きっと誰にも分からないのではないかなどと、少々悲観的な見方をしてしまう。

 そんな暖かで日差しのある時には、室温も上がる。室温計は昼時には23度。午後には汗ばむほどになって、甘ったるいアイスコーヒーが飲みたくなった。
 コーヒーを飲む時はエスプレッソだろうがドリップだろうがいつもブラックで、その上コーヒーを飲んで眠くなるタイプだったからフランスでは変人扱いされた事もあったが、まれに甘ったるいアイスコーヒーが飲みたくなることもあるのである。つまりは、その甘ったるいコーヒーと普段飲むコーヒーは、自分の中で別物なのだ。
 ヨーロッパにはアイスコーヒーがないと書いているサイトもあるが、全くないわけでもない。確かにフランスのカフェには滅多に置いてないが、今時はスタバも進出しているし、スーパーに置いてあったりもする。ギリシャでは昔からフラッペというインスタントコーヒーを泡立てたアイスコーヒーがある。しかも名前はネスカフェだったりする。中身はフラペチーノみたいなものだが、氷が入っているとは限らない。ずっと庶民的な感覚の飲み物だ。
 あー飲みたい。

Even though it was early January, the temperature in Yokohama seemed to have risen to around 17 degrees Celsius today, and it was warm enough to walk outside in just a cotton shirt under the sunshine. There were many people working in their vegetable gardens and children playing in the park in a cheerful spring-like atmosphere, and everyone I passed took off their coats and carried them under their arms.

A low-pressure system passes over Japan before it becomes a typical winter atmospheric pressure distribution, but it probably passed quite north today. I think I heard somewhere that southerly winds blow into the low-pressure area, causing warm air from the Pacific Ocean to enter the southern Kanto region, causing temperatures to rise. I take a somewhat pessimistic view, thinking that no one will ever know whether it is global warming or a type of El Niño phenomenon that has become an annual event.

When it’s warm and sunny, the room temperature rises. The thermometer read 23 degrees at noon. By the afternoon, I was sweating so much that I wanted a sweet iced coffee.

When I have a coffee, whether it’s espresso or paper drip, it’s always coffee without sugar nor milk, and on top of that, I’m the type of person who gets sleepy after I drink coffee, so I was treated like a weirdo. It was when I lived in France. But on rare occasions, I find myself craving a sweet iced coffee. In other words, that sweet coffee and the coffee I usually drink are different things for me.

There are some websites that say there is no iced coffee in Europe, but that doesn’t mean there is no iced coffee at all. It’s true that they are rarely served in French cafes, but Starbucks has expanded into French market these days, and you can even find them in supermarkets.

In Greece, there has been an iced coffee called frappe for many years which is made by whipping instant coffee. Moreover, the name is maybe Nescafe. The filling is similar to a Frappuccino, but it doesn’t necessarily have ice in it. It has always been a soft-drink with a commoner feel.

Ah, I want it.

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

Christmas markets


 フランス語ではヴァン・ショウ(vin chaud)と言い、ドイツ語ではグリューヴァイン(glühwein)、イタリア語ではヴィン・ブルレ(vin brulé)、英語ではマルド・ワイン(mulled wine)、そして日本語ではホット・ワインという。そんなスパイスたっぷりの暖かなワインを飲みながら歩き回るクリスマスマーケットは楽しい。アルコールを飲めない日でも、シナモンやナツメグの香りのする暖かなりんごジュースを買っても良いし、日本だったら甘過ぎないホットチョコレートが置いてある。日中にスケートリンクで楽しんで、クリスマスマーケットでプレゼント探しをしたら、夜は食べ歩きなんていうのもちょっとハードなお楽しみなのだ。もはや欧州であっても宗教行事とはかけ離れた遠い存在になりつつあるのだから、それで良いではないか。それでも、どこに行ったって馬小屋飾りはあるし、商業的な背景以外なさそうな日本のクリスマスマーケットであっても、馬小屋飾りはきっとある。

 そういえば、欧州では使い捨ての紙コップをやめて、プラスチックのカップに切り替えたところも多い。クリスマス柄のプラスチックのカップを買って、それについでもらい、最後にカップを返却するとカップ代金が返ってくる。もちろん愛らしいカップの絵柄が気に入れば、持って返っても良い。何れにせよゴミの削減に寄与する仕組みである。横浜赤レンガ倉庫のクリスマスマーケットでは、紙コップや木製のフォークなどを使っていて、プラスチックの削減を狙っているのだろう。使い捨てだからゴミは出るが、しっかり分別して環境への影響を小さくするような仕組みになっていた。さすが世界でも最も面倒な分別を要求するなんて冗談で言われる横浜市である。

 欧州のクリスマスマーケットは一晩中騒がしいんでしょう?なんて言う人がいたが、せいぜい21時には終わって街のイルミネーションも消されるのが一般的だ。それこそ、クリスマス飾りはほぼ完全に消灯される。クリスマスは家族で過ごす季節。いつもなら19時に閉まる商店街が、少し遅くまで営業しているという程度で、21時ころにはすっかり街が静まりかえるのが普通である。その点では、日本のクリスマスマーケットもかつてと違って家族連れが多く、早めに帰るグループも多くなったように感じている。

 さて、写真を多めにポストしてみたが、上の2枚は横浜赤レンガ倉庫(左)とよく知られたストラスブール・クレベール広場(右)のクリスマスツリーである。下の9枚にもあちこち混じっている。規模や飾り方に違いはあれど、横浜も含めて華やかな雰囲気も混雑も共通である。

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旅の記憶(3)


(前回はこちら、初回はこちら)

  翌日の朝は、夜のうちに舞台装置を総入れ替えしたみたいに青空が戻り、運河の水の緑と倉庫屋根の銀色が落ち着いたコントラストを見せていた。前日に歩いて見て回った歴史的建造物も、旅行ガイドブックの写真のようにかつての栄華を感じられる堂々とした姿で、その横に掲げられた説明書きさえも美しかった。それはまさに前回訪れた時の微かな記憶と重なりあった。朝だからなのか、比較的年齢層の高い観光客が少しばかり歩いているだけで、運河も倉庫も街並みも絵葉書のようにそこにあった。坂の上の駅に向かうサラリーマンやバス停に並ぶ人々は、観光客など目もくれず、今日の面倒な予定でも考えているに違いなかった。誰かが路地裏から廃棄物を運び出して、トラックに乗せていた。一日の始まりがそこにあった。
 今回の旅も、前回同様に小樽は一日だけの遠回りみたいなところがあった。前回と違うのは、用事ついでに一週間くらいのんびりしようという旅ではなく、必ず横浜に帰らなければならない予定が入っている事だ。朝の散歩を終えたら、慌ただしく札幌に向かう事が決まっているようなものだった。物足りないが、それで良いのだろう。どこかの街でゆっくりと過ごすバカンスも、慌ただしく何かを探し回るような旅も、どちらも旅なのだ。その中でいつもと違う文化や日常に触れる機会があれば良い。気づけば街をぐるりと回り、再び運河の近くに戻っていた。朝の光は眩しくなっていた。どこかでクラクションの音がした。
 小樽のノスタルジックな港町から、札幌方面に向かえば、石狩湾の大規模な洋上発電のプロペラが立ち並ぶ姿を境に都市部へと風景が一変する。札幌は人口200万人の大都市であり、コンクリートが折り重なった中心部を住宅街や物流拠点が取り囲んでいて、それを避けるように高速道路が蛇行する。エネルギー溢れる典型的な都会がそこにある。それは互いに見知らぬ顔のない人々が行き交う横浜とさして違わない。そして、それもまた札幌の一部でなければならない。都会である事は、無名であることと背中あわせであり、街にはあらゆる機能が重畳されるものなのだ。だからこそリスが走り回る緑豊かな北大キャンパスのような場所が街の一部となれるのであろうし、歴史と将来が同じ時間を共有できるのだ。もちろん豊かな緑さえあれば都会と自然は両立しえるというものでもないが、それがなければ人はそこに住もうとしないし、時が流れなければ人もその場所に辿り着けないものなのだ。横浜だって郊外に出れば自然もあるし、リスも走る。ただ、そこにいるのが外来種のタイワンリスだったりするのだが。
 午前中は少し雲もあったが、昼頃には札幌は概ね快晴と言って良い青空になって、すっかり夏の空気感が漂っていた。明治安田生命のビルの温度計は26度を示し、歩けば半袖でも汗ばむような暑さだった。ひとブロック歩いて西の山を見れば、遠く大倉山ジャンプ競技場の巨大な台が、そこが紛れもなく札幌であることを主張していた。横を市電がモーター音を響かせ、通り過ぎた。うろうろと歩きまわりながら、観光したり買い物したりするありきたりでも充実した時間を過ごし、札幌大通公園に戻って来たのは、少し小腹が空いた時間になってからだ。
 大通り公園は、オータムフェストなるイベントで思いのほか賑やかだった。事前に知ってはいたが、1kmも続くお祭りとまでは想像していなかった。誰かがまだ動いてるウニを持ち上げて、今から焼くよと大声を張り上げた。
 秋の収穫祭のようでもあり、どこかの学園祭のようでもあり、賑わう観光地の周囲に集まったキッチンカーのようでもあり、巨大なフードコートのようでもあるそれは、誰もが笑顔になって行き交う場所となった。
「おかげさまで、ようやく良い天気になりました。」
と誰かと話すのはきっと関係者なのだろう。にこやかに頭を下げ、警備をしている誰かが頷いた。
 さて、何を食べよう。ザンギ屋さんは今なら空いてるな。でも、さっきからクレープみたいな甘いものが食べたい。野菜はないかな。などと品定めしながらウロウロと歩けば背中にじっとりと汗をかいて、すっかり夏フェスの気分である。軽快な夏らしい曲を聴きながら道を渡れば民謡が聴こえてくるのも、長く続く大通り公園の楽しさの一部でもある。テントの下に並ぶサマーベッドでは、学校帰りの高校生なのか、制服姿でパフェを頬張る二人が談笑し、あっちのカウンターではサッポロクラシックを待つ列が、長々と伸びていた。
「まずは、お肉じゅっ丁目だろう。」
 夕方の仕事帰りのグループが増えるに従って、徐々に混雑してきた会場は、騒々しくも心地よい雑音に包まれていた。

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

旅の記憶(2)


(前回はこちら)

 小樽は実にまだ2度目だった。海に向かって滑り降りられる気持ちの良いスキー場があるのは知ってはいたが、スキーと言えばニセコや富良野に行ってしまって冬の小樽には縁がなかった。どうせなら北海道らしい場所で滑りたいという、風情も何もない決定がいつも優先していた。若かったのだ。
 たった一度の小樽を訪ねた前回は、旭川に行くついでの1日だけ遠回りだった。大して期待もせず、予備知識と言えば運河と北一硝子程度のままたどりついた小樽で、大いに驚かされることになる。石造りの強固な倉庫や日銀や三井などの重厚な金融機関の建造物が建ち並ぶ事に度肝を抜かれ、廃線となっていた旧国鉄手宮線に頭をぐるぐるさせて考えてみるのだが、知識も想像力も欠けていた。疲れ果てて入った喫茶店で店主がいろいろ説明してくれたが、あまり覚えていない。記憶として繋ぎ合わせるだけの力はまだなかったのだろう。喫茶店のカウンター席で古いフィルムカメラを置いて周囲を見まわせば、店主はこう言うのだった。
「とてもきれいな街でしょ。古いカメラを大事に使ってるのを見たら話がしたくなっちゃった。でもね、ファインダーを覗いて見ると、案外良い景色ってないでしょう。そういうもんだよね。お店の中は自由に撮って良いよ。あぁ、でも僕は撮らないで。流れ者だから。いつ写真見られちゃうか分かんないから。」
 その喫茶店がどこで、今もあるのか分からない。あっても名前が思い出せないし、今時だから石蔵カフェなんて呼ばれているかもしれなかった。
 酷い雨もほぼ上がって、時々明るい空も見えていた。雨粒が時々フロントガラスに当たって小さな虫のように跳ね回ることがあっても、ずっと振り続けることはもうなかったし、なによりも雷鳴が響くこともなくなっていた。朝里ICという案内がまもなく到着を告げた。僅か1時間という通勤とさして違いが無いはずの移動は、雲を迂回し損ねた小さな飛行機に乗ってしまったような、少し緊張感があってワクワクするアトラクションとなった。
 ホテルに車を停めて雨上がりのフレッシュな空気を吸いに歩き出した頃には、忘れかけた運河の景色を思い出そうか、それともおいしいものでも探そうかと、曇り空などすっかり忘れて華やかな気分にすらなっていた。それが旅というものだ。だから、再びポツポツと落ち始めた小雨などまったく気にならなかった。どこかで警笛が鳴り、寿司食べよという声が聞こえた。さすがに小雨とはいえ、はっきりと分かるほどに降り始めた雨に折りたたみ傘を開けば、千歳の豪雨ですっかり雨のしみ込んだ布が貼り付き、まだら模様のシミが手に重さを感じさせた。
 ノスタルジックな小樽をふらふらと歩きながら、気になっていた革製品のお店のドアを開けた頃には、歩き始めてすでに2時間ほど経っていた。街が特段広いわけではない。むしろこんなコンパクトな街に大手金融機関のビルや運輸会社の大型倉庫が立ち並ぶということに驚きを感じるような凝縮されたところである。それでも街をくまなく歩こうと思えば、それ相当の時間がかかるには違いなかった。
 雨上がりというにはまだ湿っぽく、時折降り出す小雨が傘に当たって独り言のような小さな音を立てていた。あちこちで気になるお店に立ち寄りながらのそぞろ歩きであっても、そろそろ傘を閉じて、湿った首筋の汗とも湿気ともつかないべたっとした空気を取り払っても良い時間だ。
 革製品を売るその店の中に入れば、エアコンディショナーの幾分乾いた空気が微かに流れ続けていた。馬具を作る歴史的な背景があったからとは言え、革製品に飛び抜けたアドバンテージがある地域というものでもなく、今時はエシカルであることが先に来る時代だから、無駄に廃棄されるものを使うといった説明がつきまとう。それでもそんな説明よりも並べられた皮革製品が輝いていた。
 歩いて来た道は、大雨の影響なのか薄汚れていたから、いっそうきらびやかな灯りで照らされた店内が美しく見えた。街の生活の中心部は坂の上にあって、歩いて来た道は、ある意味観光の路みたいな場所だった。だからなおのこと、狭い路上に溜まった砂利や水が目についたのだろう。記憶にある小樽は晴れてキラキラとした活気のある観光地だった。それが、おそらくは豪雨により湿って薄汚れた砂利の流れ着いた街になったのだろう。きっと晴れたらまた美しくなるはずだ。
「雨が結構降ったんですか。」
そうお店の人に聞くと、意外な返事が返って来た。
「雨どころか水が出てね。午前中は川みたいになってたんですよ。この道がこんなに冠水したことなんてはじめてですね。うちは入り口が上がってるから大丈夫だと思ったんだけど、水がギリギリのところまで来ました。あっちの方の店は床上まででね。もう大変でした。」
 そう言えば、と思い出した。いくつかの店舗で入り口をモップで掃除したり、マットを水で洗ったりしていたのだ。あれは浸水した店先の後始末だったのだろう。相当大変だったろうと想像するが、そんな様子は微塵も見せず、いつものようにお店を開けていたのだ。エアコンの効いた店舗の中から外を見ながら、明日は晴れるといいなと純粋に思ったのだった。

(来週に続く)