Bonne journée, Cross Cultural

家習どぅ外習


 毎年、夏休みが終わると、車の運転が荒くなったり、街での騒ぎが激しくなったりするような気がして、気が滅入ることもある。4月頃の新人さんの大騒ぎとは、同じマナーの悪いうるささではあっても、雰囲気も違っている。説明するのが難しいのだが、より幅の広い年齢層の人々が、少々、羽目を外しやすくなるのが、9月から12月なのかなと感じるのだ。
 ここでは、それに対して文句を言うつもりもないし、不快な例をあげるつもりもない。せいぜい言いたいことは、周りを巻き込むようなことだけは控えて、もっと安全・安心に過ごしましょうといった程度である。

 沖縄の言葉に、「やーなれどぅふかなれ」といった表現があるそうだ。聞いたこともないので、本当にあるのかどうかも分からないし、沖縄の言葉に詳しいわけでもない。島ごとに言葉も違ったりするところもあるので、どこで言われる言い方なのかも分からない。ただ、Webで見る限りは、幾つも説明しているサイトがあるので、案外普通に言われる表現(ことわざとも書いてある)なのかもしれない。
 漢字で書くと、「家(や)習(なれ)どぅ外(ふか)習(なれ)」なので、意味は自然と理解できる。「家の習いは、外の習い」言い換えれば「家での振舞いは外での振舞いに出る」ということだ。

 最近は、家ではあまり躾をしないとも聞くが、家庭内であっても「ありがとう」を言う癖があれば、外でも感謝する気持ちも出るだろうし、家庭内で「他人に怒られるから」大騒ぎしてはいけないと教えれば、外に出て「他人から何も言われなければ」ルール違反しても良いと思うだろう。家習どぅ外習の意味を理解しているわけではないが、家庭内の振る舞いは外でも出てしまうものだ。

 実はだいぶ前に、頼まれて採用面接官をしたことがある。関係者が集められて、人事担当者から説明を聞いたのだが、この時の内容に驚かされた。
「いいですか、皆さん大卒の22歳と言ったら、もう大人だと思うかもしれません。違います。皆さんの時代とは違うんです。22歳は高校生くらいの感覚です。正直子供です。もちろん、しっかりした大人の22歳もいます。でも、幼いなと感じて不採用にすれば、採用候補者は少なくなります。育てる視点で見てください。院卒の24歳でようやく成人したくらいの感覚なんです。いいですか、成人式を想像してください。そんな中から、今後、戦力に育つ人材を見つけて、採用しなければなりません。社会人としての教育は、採用後にすれば良いことです。そのつもりでご協力をお願い致します。」
 これは、決して悪口などではない。時代の違いでしかない。人事担当者もその点をしっかり説明していた。

 よく考えてみれば、家庭で学ぶレベルが違ってきていて、社会のために何をすべきかを家庭で十分に学ばなかった「大人」が子育てをする。昔からある話だが、社会環境が変わって、そうした「大人」の割合が少し増えてきたということなのだろう。昔と同じだ。家庭だけでなく、社会が人を育てる。目に余る輩が増えたのは確かだが、全員そうというわけではない。もちろん、今時は、他人の子供を叱ったり褒めたりすると睨まれる時代だから、簡単ではない。それでも、皆で支えて行くしかない。

 でもなあ、20過ぎたら、そろそろ主語を「私」から「みんな」や「あなた」に広げてほしいなあ。

Bonne journée

タイパとカモフレ


 タイパという言葉が広く認知されるようになったのは、わずか数年前の話らしい。Webをあさってみると2020年前後から一般化したといった説明もある。コロナ禍の真っ只中である。自分はといえば、その頃は日本を離れていて、帰国してみたら意味不明なタイパが使われていたという記憶はあるのだが、残念ながら浦島太郎の世界だ。タイパという考え方の是非はともかく、これだけネットワークやAIが発達して、たっぷり時間ができたというのに、まずは答えを求めるなんてどういう事?という疑問だけは隠さず言っておきたい。

 ただ、どこかのアメリカ人ジャーナリストが、「スマフォがなかった昔はどうやって暇つぶししたんだろう?」なんて書いているところを見ると、タイパと時間的余裕は別な話なのかもしれない。昔は何でも忙しかったのだ。せっかく時間的余裕が出来たのに、タイパを求めるなんて、もったいない。AIのサマリも常識になって、仕事で会話していても読解力の低下を明確に実感するのだ。

 最近の新語といえば、カモフレなんてのもある。こちらの方は、タイパに遅れること数年、2023年前後からの言葉だそうだ。つまり流行ったのはコロナ禍がひと段落ついて過去の話のように語られ始めた頃だ。マイナビによれば、「恋人はいらないけれど1人は寂しい……という気持ちを埋めてくれるのがカモフレの存在」という事なので、こちらの方は、昔と何も変わっていないのかもしれない。昔から、恋愛関係にはなりたくないが(あるいはなれないが)、異性の友達と過ごすのは安心するといった話はよく聞くことだ。そんな感情に今風にカモフレという言葉を作ったという事なのだ。キスフレとかオフレとかいった言葉は、きっとカモフレの派生語に違いない。

な〜んだ、ひと昔前はそれを「友達以上・恋人未満」と言ったのだ。相手に彼女・彼氏が出来たら距離も置くし、その彼女や彼氏との関係についての相談にも乗る。そんな頼れる異性の友達がいたって良いではないか。友達以上・恋人未満なら昔からある。もし、そう思ったのなら誤解らしい。私と同様、あまり若くはないって事かも知れない。

 カモフレはあくまでもカモフラージュであって、一緒に温泉宿に行っても性的な関係は一切ない。ホントにそうなのかどうかは知らないが、ある記事によればそうらしい。昔だってそういった関係はあったかもしれないが、性的な関係まであるのに恋人ではないという感じが「友達以上・恋人未満」にはあった。もしかしたら、昔のアッシー君の関係に近いのか?

 タイパと同じで、従来からの文脈では捉えられないものがあるから、新語ができたのだと理解するべきなのかもしれない。コスパだって、いつも良い意味で使われるわけではないのに、タイパなのだから、単純に昔からの価値軸で物事を見るべきではない。

 でもなあ、コロナの時期に何があったのだ?
 だんだん心配になってきた。

Bonne journée

ハハハハハ


ハハハハハ
笑い事では無い。
最近のニッポン、ちょっとおかしくないか?なんて思う事が多い。
皆さん、そう思っている?
それなら良いのだが、もし自分だけが思っているなら、それは自分が歳をとったということでもある。

 先日、実害が発生していない国旗損壊に対して法制化を行う前に、様々な実害の発生している外国人への差別に対して法制化すべきではないかと言った話がSNSに流れていた。様々な意見があって当然なので、このBlogではその意見にコメントはしない。このBlogは匿名である以上、政治的な話題を取り上げないことにしている。
 気になるのは、その是非以上に、分断に対して手を打たず、それを良しとする風潮の方である。欧州の知人はそんな様子を見ていて、かなり心配していたのだが、いつも結論は少しばかり悲しい。「他国の考え方に干渉すべきではないし、干渉するのは現実的に困難だ。手に負えない程になったら、静かに離れる以外にない。」だそうだ。

ん?何も気にならない?
もしかしたら、自分が歳をとってしまって、「自分の若い頃はねえ」なんて文句ばかり言うようになったのかもしれない。
「昔は良かった」なんて言い始めたら危ない。

 先日、新聞を読んでいたら、未だに小学校の低学年で男女の着替えが同じ教室という学校がまだ残っているという記事があった。俄かには信じがたいが、全国紙であるし、場所が足りないという現状には、一定の説得力がある。かなり改善はしてきたが、まだ残っているということらしい。ちょっとした工夫ならまだまだ出来そうではあるが、優先順位とか、いろいろあるのだろう。とはいえ、高学年でも分けていない学校も少しあるという点は気になってしまう。すっかり改善したものと思っていた。
 自分のことを振り返ってみれば、同性でも嫌だった。6年生の修学旅行ですっかり大人の体つきになっていた友達と隣り合い、しばらく嫌な思い出が残った事がある。今は、そういった嫌な思いをする機会がずっと減ったというのは、記事とは裏腹に朗報でもある。

ん?今は良くなった?
もしかしたら、自分が歳をとってしまったのではなく、時代の流れについていけてないのかもしれない。
もう、20代や30代ではないのだ。
何だか、世の中を憂いていたような気がしていたが、憂うべきは自分なのかもしれない。
やれやれ。

Bonne journée, Cross Cultural

220°Celcius


220°Celcius と言う名前のクレープ屋さん。
古い写真を見ていたら出てきたのですが、何だかセンスが良いなあと。伝統的なクレパリでもないし、よくあるカジュアルな作りのカフェという感じではあるのですが、妙に不統一な椅子とか、くすんだ青い文字とか、それが何だか良くて写真をポストすることにしました。

お店の名前はきっとクレープ台の温度から来ているのでしょう。とは言っても、ここで言うクレープはデザートクレープではなくて、蕎麦粉のガレット。知人に聞いたら、いまだに実家にかまどのクレープ台が現役であるよとのことで、伝統ってそんなことなのだなと実感しました。

これからの季節、夕方20時くらいからはきっと混むんだろうなあと想像しながら、横浜近郊のクレパリを探してみています。

当たり前のように食事していると、案外写真を撮っていません。ガレットの写真を撮っておけばよかった。

Bonne journée

値上がり


 まあ、色々値上げである。
 食料品は、この10年で1.5倍から2倍くらいになったような気がする。元々軽かったポテトチップは、内容量が2/3くらいになり、値段は1.5倍くらいになったから、実質的に倍くらいになったのだろう。価格構造を知る身からすれば、かなりの便乗値上げが含まれているが、そうしたことも含めて、市場経済というものである。

 一方、給料が上がらないなんてのは当たり前の時代になったが、労働市場が北米ほど流動的にはなっていないから、上がらなくて当然でもある。しかも、日本にはサービスへの対価という概念もない。だから、どれほどサービスを良くしても、価格には添加しにくい。

 そこにきて、円安である。4年ほど前に下落するよと警告したにもかかわらず、誰も相手にしなかった円安。何でも高いのは当然ではある。日本は輸入に頼っている国なのだ。輸出産業の利益が出たのは、円が安かったからではなく、円の競争力があったからなのだ。

 さて、何でこんなつまらないことを延々書いているのかといえば、MacBookである。昨年、思い切って買い替えたMacは、もはや手がでないほど高い。単純には比較できないが、自分が使っている構成だと、8万円くらい値上がりしたような計算になる。差分で iPadが買えるじゃないか!なんて思ったら、iPadもかなり値上がりしていて、そう簡単な話でもなかった。

 もはや、世界は以前の世界ではなくなったのだろう。やれやれ。