Bonne journée, Cross Cultural

アパルトマン

 19世紀の終わりに中世の木造の家並みに替わって近代的で堅牢な石造りの建造物として建てられたアパルトマンの青く塗られた木製の扉を押し開け、散らばったマロニエの実を押し分けるように、銀色に輝く真新しいトロティネットを抱えたマドモアゼルが出かけて行く。クラクションの甲高い音の後には落ち着いた喧騒と冷たい風が残った。
 そのアパルトマン近くには2軒のブーランジェリーが軒を連ね、週末にはバゲットを求める客が列を作る。そのひとつ、コワン・ド・ラ・ルーには向かいのマルシェで威勢の良い声を上げてフロマージュを売るマダムが、時々クロワッサンとカフェを求めてやってくる。
 その様子をカフェの冷たいテーブルの向こうから眺めながら、帰りみちにシェ・ポルのコヒー豆でも買って帰ろうかと独言た。
 青いままのマロニエの実がまたひとつ石畳みに転がった。

日本語訳

 明治時代に建て替えられたため今では多少歪んでしまった梁に鉄骨の補強材を埋め込んだくたびれたアパートには、落書きを消すために青く塗りつぶした木製の扉があって、そのカビ臭い中からキックスケーターを抱えた大人びた少女が出かけて行った。歩道には栃の実が踏み潰され茶色のシミを作り、車の騒音以上に街の喋り声が響いている。
 そのアパートの並びにはパン屋が2軒もあって、ほとんどの店が閉まっている日曜日でもパンを買わずにはいられない連中が、わざわざ長い列を作る。そのひとつの「角屋」には、向かいにある市場で声を張り上げるチーズ屋の売り子さんが、時々軽食を買いにくる。
 その様子を喫茶店の外テーブルから眺め、帰りみちに「田中屋」でお茶でも買って帰ろうかと独言た。
 青いままの栃の実がまたひとつ石畳みに転がった。

解説

 一般には、ヨーロッパの多くの旧市街は、少なくとも中世頃までには成立した街を基礎としているが、フランスの石造りの街並みは、案外19世紀移行に整備されたものが多い。当時としては先端建築であったのだろう。100年が経過しても美しさを保っている。ただ、石造りだからしっかりしているというのは、少し誤解がある。床は傾き、場合によっては鉄骨で補強され、外見だけなんとか元の様子を保っているだけという事も多い。そして何より、どこにでも落書きがある。
 ストリートアートと言えば聞こえは良いが、実際のところほとんどが単なる落書きである。先日ようやく補修が完了した近所の古い建造物も、オリジナルであろう白に塗ったものだから、新しいキャンバスをありがとうとばかりに翌日には意味不明な文字だらけである。
 ところで、以前にも書いたが、フランスのブーランジェリーは、日本にあるパン屋さんよりももう少し地元に密着した、昔ながらの個人商店の魚屋さんやお米屋さんのようなところがある。親しい客はツケで買うこともあるようだし、ちょっとした会話を楽しむ場所でもある。だから人によってはチェーン店のパン屋を嫌うこともある。
 店の名前も案外古臭い。田中屋と訳したのはそのまま直訳であれば、「ポールん家」のようなもので、日本だったら田中屋かなと訳してみた。

一度はボツにしたネタをほんの少しだけ書き換えてポストすることにした。ボツにしたのには理由があるなと再確認したほど今ひとつの内容だが、ご了承願いたい。ネタがないというより時間がないのである。

Bonne journée, Photo

winter, rain, habitude

この文章を書いている今、カステックス首相と閣僚が近くの街を訪れているという。何のための訪問なのか関心を持つべきなのだろうが、第二外国語というか第三外国語というか、大してわかりもしない言語で書かれた記事を読む気にはなかなかなれない。そう言えばその前のロックダウンでは、マクロン大統領が来ていたななどとぼんやり思い出す。ブルターニュ地方は、パリジャンやパリジェンヌからはバカンスに訪ねる身近な田舎らしいが、何となく縁遠い話である。

そのパリは今、セーヌ川の水位が上がってシテ島の一部などが見ずに浸かっているらしい。そもそもフランスのあちこちに洪水注意報が出ているのだが、あまりにあちこちでしかも大雑把な情報だから、どこが本当に危険なのかよく分からない。このブルターニュも先日まではちょっと水位が上がっている部分もあった。もっとも、ブルターニュといえば雨の多い地域として知られていて、冬の間は(つまりは10月下旬から3月末までは)、雨の降らない日を晴れと呼ぶという冗談がよく飛び交っている。いわく、ブルターニュでは傘をさしてバーベキューをするとか、どうせいつも降っているから傘は持たないとか、カレンダーに晴れと雨の印をつけていけば晴れが勝つこともある(つまりはマルバツで斜めに晴れが並ぶ)とか、いつもどこか自虐的である。

都市封鎖(ロックダウン)とまではいかないが、ショッピングモールやレストランが閉まったままのフランスで、誰もが静かに家で過ごすなど普通に考えればあり得ない。少しは外に出なければ、体調も崩すだろうし、食糧だって買わなければならない。だからせめて雨の中でも散歩をしようと考える。でも、ひょっとすると「雨の中でも」と考えるのは横浜の住民だった自分だけで、案外皆さんは普通なのかもしれない。そう言えば今朝は、冷たい小雨が降る中、多すぎる雨に茶色に濁った運河をカヤックを漕ぐたくさんの人が、楽しそうに進んで行くのを見たのだった。何と強いブルターニュ人。

Bonne journée, Photo

dimanche matin (Sunday morning)

I’m always waiting for Sunday morning and feel let down slightly because it is always beginning of a new quiet day and a sign of coming new noisy week.

日曜の朝は驚くほど静かでいつもそれを楽しみにしているというのに、その日曜の朝が来ると騒がしい週の始まりを思って少しばかり落ち込むことがある。

That’s the way it goes.

そんなもの。

Bonne journée

The Gift

Life is made up of sobs, sniffles, and smiles, with sniffles predominating.
人生を作り出すものは、嗚咽と啜り泣きと笑いであって、支配的なのは啜り泣きである。

The Gift of the Magi by O. Henry

 この時期に引用するには少々悲観的過ぎるようにも感じないではないが、なかなか上手いことを言うと思う。「賢者の贈り物」の一節である。あまりに有名なので、さまざまに引用され、あらゆる場所で見つかるフレーズでもある。
 ただ、ふと思うのである。短編小説の名手と言われるO・ヘンリー作品を何かひとつ挙げてストーリーを話せと言われても、案外ディテールが思い浮かばないなと。そもそも、「賢者の贈り物」の夫婦は、いつ何を贈りあったのだったろう。いや、ほんとうに夫婦だったろうか?もしかしたら貧しい恋人どうしだったかもしれない。そんな事も忘れたのかと言われそうだが、記憶とはそんなものだと思いたい。もし記憶が曖昧なら一度読み返してみても良い。Webにもたくさん書いてあるだろう。
 ひとつだけここに書いておくとすれば、それはこの物語が、キリストの誕生を祝って贈り物を捧げた東方の賢者をその背景にしていると言う事だろうか。従って、「賢者の贈り物」はクリスマスの話である。クリスマスには何かを贈り合うという文化の原型のひとつはそんなところにある。
 引用するにあたって、前後の文章を読み返してみたが、正直、上の訳が正しいという自信はない。O・ヘンリーは19世紀のアメリカ作家であって、現代的な時制の明確な作家ではない可能性もある。この引用した文書が、登場人物の思いなのか、作家が読者に語りかけた思いなのか、あるいはまったく異る視点なのか、良く分からなかったのである。どちらにせよ、読者に向けた教訓めいたメッセージなのだろうと訳してみた。
 とは言え、登場人物が気付いた人生観なのだとすれば、もう少し身近な言葉のほうが合っているかもしれない。

生きるってことは、咽び泣いて、啜り泣いて、そして笑みが戻るということ。たいてい啜り泣いてばかりだけれど。

 時々引用する、やはり少しだけ厳しいが好きな言葉がある。アメリカの劇作家、ウィラ・キャザーが言う。

There are only two or three human stories, and they go on repeating themselves as fiercely as if they had never happened before.
人の物語は、たったふたつかみっつしかない。そしてそれはいつも繰り返されるのだ。今まで決して起きた事のないほどの激しさで。

O Pioneers! by Willa Cather

 そうやって繰り返される厳しさは、やがて繰り返される希望ともなるのだろう。そう考えることができるのも人の強みに違いない。
 クリスマス飾りもようやく片付いてきて、春の気配が少しずつ出てきた。夕方暗くなる時間も、目に見えて遅くなった。春はまだ遠いが、まるで見えないほど遠くもない。

Bonne journée, Photo

35mm F1.4

進化しないものだなとつくづく思う。戦前からほとんど何も変わっていないに違いない。確かに黒く光っていた金属部分の多くが強化プラスチックに置き換えられ、モーターが組み込まれたどころかCPUまで内臓されたのだから、アンリ・カルティエ=ブレッソンが世界を駆け巡っていた頃との違いは小さくない。とは言え、重たいガラスの固まりを包み込んだその形は同じである。カメラのレンズの話である。

カメラにもレンズにも愛着はない。もらったオリンパスや安く買ったキヤノンのカメラはいつか傷だらけになり、地金が出てきたあたりから扱いがぞんざいになって、いつかどこかにいってしまった。

いつも使っている今のカメラには20年前のレンズをつけて旅に出るが、もちろん手振れ補正なんてついていない。恐らくカメラマウントさえ合わせられれば50年前のレンズだって何も不都合はないのだろう。撮影していて液晶画面もほとんど使ったことがない。何かは撮れているに決まっている。確かにiPhoneよりは歩留まりが良くないだろうが、レンズの塊を通して大型のセンサーに集められた光を束ね、妙な画像処理をあまりせずに作られた写真はいかにも透明で、その良さは背面液晶パネルを見たところで判らない。たとえ20年前のレンズであってもである。

正直に言えば、最良の写真はiPhoneで撮影したものだと思っている。メインで使うカメラは何ですかと聞かれれば、間違いなくiPhoneである。時間と空間を切り取る道具として、手軽であることは最も重要な要素なのだ。それでもガラスの塊のようなレンズと大きなセンサーや昔ながらの35ミリフィルムで撮った写真には、そのレンズが安物であろうがひどく古い電子制御もないものであろうが、違う空気が漂う。ある意味、カメラもレンズも何だって良い。昔からあるカメラとして成り立ってさえいれば良い。基本的な構造は何も変わっていないのだ。

そんなわけで、毎回必ず写真をアップしているこのブログで製品名を書いたことはほとんどない。製品名があるとそれだけで自分の写真ではなく、カメラが撮った写真のような気がしてしまう。このレンズだから撮れた写真だと考え始めたら、アンリ・カルティエ=ブレッソンのような写真が撮りたいだなどと言えなくなってしまう。

さて、今回は、例外である。ロックダウンが長引いていることもあって、写真を撮ることが遊びみたいになるよう、安物のレンズを買ってみた。電子接点もないから絞りは手動だし、もちろんオートフォーカスなど付いていない。少し古臭いレンズ設計のようで、少し絞らないとボケがうるさくなったりもするし、画像の歪みも気になることもある。APS-Cサイズのカメラ用に売られている中国の銘匠光学TTArtisan 35mm F1.4である。ちょっと試してみただけだが、きっと癖が出るくらいには絞りを開けた方が、面白い写真が撮れそうである。

さて、久しぶりに電子接点のないレンズで写真を撮ってみて、後になってからつまらないことに気がついた。電子接点がないから焦点距離も絞りも何も記録されないのである。そう言えば、レンズなしでも撮影できるようにカメラの設定を変えたっけなどと、今更になって思い出している。