Bonne journée, Cross Cultural

カウンター・カルチャー・ショック(3)

前回から

 ブルターニュを発つ前、フランス在住の日本人の知人がニコニコしながら教えてくれた。
「日本に行ったら楽ちんですよー。みーんなお膳立てしてくれます。まず1番の窓口に行って、書類を見せると番号札をくれて呼ばれるまで2番で待って下さいって。書類書いてたって教えてくれるし、クレームしなくたってちゃんと進むんですよ。だからJALに乗りたいですよね。ロワシー(シャルルドゴール空港)のJALの搭乗口をくぐった時から何でも丁寧にサポートしてくれる日本なんですから。ホッとしますよね。」
 そうか、きっとそうだ。そうに違いないが、すっかり自分でなんとかする癖がついてしまった。サンプルに倣って書類を書いたって、ついこれでいいですかと確認してしまうのだ。コンビニのレジだって、商品をスキャンしてもらったら、つい金額や商品名を覗き込む。レジに何か表示されればつい確認する。
 もちろんそんなに心配する必要もない。表示されている通りにタッチパネルを押していけば良い。何も考える必要などないし、間違いようもない。まぁ、ちょっと戸惑うのは確かだが、ちょっと戸惑いながらもそのスムーズさに「えーっ」と驚くだけだ。それで十分だ。順番に進むだけで何もかもが完了してしまうのだから。

 だったら店員なんていらないじゃないかと思うのだが、でも、そうでもないらしい。急に思い出して随分前に作ったポイントカードを取り出し、指示通りに操作してみたらカードが読み込みエラーとなったのだ。あららともう一度やってみたがダメだった。さすがにここで店員の出番となった。
「カード、ちょっとよろしいですか?」
 そう言って店員はカードを抜き差しし、もう一度読み込みを行った。やっぱりエラーだ。
「番号で処理しますね。」
 店員はカードの数字を眺めながら16桁の数字を打ち込む。きっと古いからだめなんだと思っても、すでに店員は何かしらカチャカチャと忙しくしていて声もかけにくい。
「ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。」
 心からすまなそうにしている。いや、申し訳ないのはこちらのほうだ。だって、あなたが何か間違ったわけじゃない。そのカードが読めなくなっているだけなのだ。その読めないカードを思いつきで出したのは自分の方だ。古いカードを突然出されたというのに、一所懸命対応してくれているあなたに何も落ち度はない。
 きっとこれがフランスだったら「読めないわね。諦めて。」で終わりに違いない。そして客はこう言うのだ。
「前は使えたんだからそんなはずはない。ポイントがつかないのは不利益だからもう一度やってみて。」
「でも、読み取りエラーってなるからダメね。」
 店員はもう相手にする気もない。そうやって初めて次のステップだ。
「あなたは良くやってくれている。ありがとう。古いカードが読めない仕組みを提供している会社の責任ですね。でも私はポイントを失うことになるのだから、もう一度やってみてほしい。あなたの努力に感謝する。」
「ちょっと電話して上司に相談してみるから待って。」
 そうやって例外処理が始まるわけだ。だからフランスは時間がかかる。
 でも、日本ではなぜか責任のないアルバイトが顧客に謝ったりもする。「あなた、安い賃金のバイトでしょう。謝らなくていいから。」なんて言いたくなる。そんな調子だから交渉したりする必要もほとんどない。そんな楽ちんな典型例はお役所である。

 フランスから日本に引っ越すということは、日本に住民票を作るということを意味している。そのために区役所で転入届を処理することが引っ越しの第1歩だ。つまりは、あの悪名高いお役所仕事が第1関門となる。ところが、悪名高いというのはどうも根拠のない話でしかないようだ。
 まず驚くことに、何をしたい人は何番に行けと明確に入り口に書いてある。ご丁寧に案内所まであって、聞けば笑顔で教えてくれる。場合によってはそこまで連れて行ってくれて、
「まずはこの書類を書いてくださいね。」
と書類まで取ってくれたりする。
「戸籍はこちらですか?でしたらここに…。」
 これがフランスだったらまずはボディ・チェックからで、金属探知機まで当てられた上に、ようやく中に入って窓口の並ぶ部屋まで行ってもほとんど何も書いていない。「えーと、免許証の受け取りはこの列ですか?」
なんて警備員に聞いてみて、初めて場所が分かったりする。しかも教えてくれるのはその警備員ではなくて、列に並んでいる一般市民である。「ここだよ」と。

 ここでは窓口に転入届を出せば、引き換えに渡されるのは番号札である。やることといえばその番号札の番号が掲示板に表示されて呼び出されるのを待つだけだ。ふと番号札を見れば153なんて番号が書いてある。だが、そんなに待つのかとあたりを見回したところで100人も待っているわけがない。順番が前後することも多いからランダムな番号が振ってあるだけのことだ。後3人で自分の番だと思ったら後から来た人が先に書類受取ということもあることへの配慮らしい。そうやって自分の番号が毒々しい赤で表示されることを期待して掲示板に目をやると、担当者がこちらを見て言う。
「135番の方」
 惜しい。宝くじではずれた時の気分はこんな感じだろうかなどと想像していると、別な担当者が声をかけて来た。年金の処理もあるらしい。そんな話をやりとりしているうちに自分の順番がやってきた。自動販売機で予め購入しておいた手数料のシールを渡し、気づけば手続きは終わっていた。

次回に続く

Bonne journée, Cross Cultural

カウンター・カルチャー・ショック(2)

前回から

 いつまでも終わることのない引越し作業に追われているわけにもいかず、仕事らしい仕事を始めるためには、職場なるものに身を移すのが良い。人は、環境が変われば気分を切り替えられるものである。

 その朝、その「職場」に向かう途中でカフェオレを買うためにコンビニに立ち寄った。「そうそう、以前は朝によくコンビニで飲み物を買っていた。」などと、どうでも良い習慣を思い出す。ズボンのコインポケットからジャラジャラとコインを取り出して手のひらの上で選んでいたのも束の間、まもなく面倒になってカードで払うようになった。今回はいわゆる交通カード払いである。スマホでタッチすれば終わりだから面倒さもない。
 ブルターニュだってアップルウォレットもVISAタッチも使えたし、それどころか日本より電子決済はずっと普及していたが、朝は肝心なそれを使う場がなかった。フランスというかヨーロッパにはほとんどコンビニがないのである。 そんなこともあってブルターニュで仕事をしていた頃は、職場のキッチンでコーヒーを淹れていた。フランスのコーヒーである。コーヒーといえばまずはエスプレッソであって、ついクロワッサンかシュケが欲しくなる代物である。朝から飲むにはちょっと強いが、場所が違えば習慣も違う。もちろんその朝のエスプレッソとシュケを楽しむ瞬間が1日の目標と課題を確認する瞬間でもあったから、リラックスと緊張を両立させる役立つ習慣でもあった。
 日本でもキッチンでコーヒーを淹れられるが、日本なら基本はペーパードリップが多いだろう。少なくとも日本の職場にはエスプレッソマシンは置いていなかった。またあの甘酸っぱい香りが楽しめるのは嬉しいが、ペーパードリップは要は面倒だ。 そうなるとコンビニである。数えきれない種類の飲料が、カラフルな無数のペットボトルに入れられて売られている。毎朝の気分で選んで良い。いや、そもそも種類が多すぎて違いすらわからないほどだ。大き目の店舗ならまるでフランスのワイン売り場かチーズ売り場のようで、冷蔵ケースのガラス越しにじっとラベルを読まなければならないくらいに種類がある。コンビニのガラスケースに張り付いてカフェラテのラベルを一心不乱に読んでいるのはきっと変なやつに見えるに違いないが、そうでもしないと微糖とビターの違いも分からないのである。せっかくたくさんの種類があるのだから選びたい。
 正直に言えば、グラスやカップではなくボトルから直接飲むのははしたない気もするが、日本では気にする人などほとんどいない。フランスではほぼ見かけることはないペットボトルからの直飲みが、日本では最も一般的な飲み方なのだ。誰もが豪快にペットボトルから直接飲み物を飲んでいる。それで良いのだ。便利なものである。もうカップもグラスも用意する必要がない。 コンビニでようやく見つけた美味しそうなカフェラテ(なのかカフェオレなのか)を手に取れば、その隣のボトルはなんだか少し大きいような気がしてまたじっと眺めるわけだが、35度の炎天下でもなければ量はさほど重要ではない。ようやく決心してレジに向かう。

 しかしあの一見さんお断りのレジである。ヨーロッパよりずっと現金主義でカードも使いにくかったはずの日本のレジは、いつの間にか独自の進化を遂げていたのである。
 深呼吸してレジの前に立った。
「おはようございます。」
人が良さそうな店員さんに向かって、大声にならないように気をつけながら、それでも朝らしく歯切れ良く挨拶をする。マスクをしてはいるが、精一杯の笑顔である。アルバイトと思われるその店員は、しかし、戸惑ったようなそぶりで小声で返した。
「いらっしゃいませ。」
なんとなくぎこちない。
「えーと、PASMOでお願いします。」
「こちらです。」
アルバイトは手短にパネルの位置を指し示した。そこで気がついたのである。店員と顧客の接触を極力減らそうとしているのだと。お客様の立場のほうがどこか強いのが当たり前の日本ではあったが、この2年ほどで、感染対策のため、商店での挨拶もあまりしないようになっていたのだろう。
 その後、いくつかのコンビニに立ち寄ったが、総じて挨拶や会話は少なくなっているようだった。自分の行動が心配になって他の人の行動をそっと眺めて見たが、黙って商品をカウンターに置き、黙って支払いパネルを押すか、「カードで」だけを言う人も多い。もちろん、「おはようございます」と明るく挨拶する店員もいるから自然とそのコンビニに行くようになった。未だにマスクもしているし、透明ビニールが店員と客を隔てているのだから、大声でなければリスクもかなり小さい。慎重できめ細かくかつ対応の早いコンビニはとても嬉しいが、限度というものがあるのだ。挨拶しないのはちょっと受け入れ難い。
 そんな言い訳をしながら、最新のレジと戦っている。

次回に続く

Bonne journée, Cross Cultural

カウンター・カルチャー・ショック(1)

 さほど時間が経ったわけでもなく、何かを忘れてしまったわけでもない。毎日欠かさず繰り返し飲んでいた甘酸っぱいコーヒーの香りがちょっと苦くなったことを気に留めなくなった程度に、乾いた夏と湿った冬の狭間に転げ落ちたような何年かが、想像していたのとは違う時間軸で流れていただけだ。静まりかえった青と薔薇色の海岸と緑色に塗られた牧場とがどこまでも続くブルターニュは、少し長が過ぎるプロジェクトという時間軸の中のほんの一部を過ごすだけの場所だったはずだった。それが、ちょっとした手違いと気まぐれな人の思いとで国境に壁が広がり、明日と昨日との区別が難しくなったのだ。ただそれだけのこと。その短い年月をブルターニュで過ごす間に、横浜にはブルターニュとはちょっと違った時間が過ぎて、どこかに見えない間隙が出来てしまったのだろう。そういうものだ。
 ただ、その間隙を作ったのが誰かが名付けたパンデミックなのか、それともすっかり不確かな気分で過ごす自分自身なのかは、よくわからない。住み慣れた横浜にただ再び移ってきただけだった筈が、時々宇宙から舞い戻ってきたように異質な空間に変容する瞬間があるわけで、それをカウンター・カルチャー・ショックと言うのか、単に忘れっぽい性格の結果でしかないのか、どうにも判断しようがないのだ。ともあれそれが何であれ、そんなおかしな瞬間が不意に現れることだけは確かである。きっとどこかにある社会への不適合性とか、慣れているはずの社会への甘えとか、そんなものが背景にあるのだろうとは思っている。だから、その違和感のようなものをカウンター・カルチャー・ショックと呼ぶべきではないのかもしれない。
 来週は、そのような違和感の例に触れる予定である。
 なお、カウンター・カルチャー・ショックはリバース・カルチャー・ショックとも言う。微妙にニュアンスは異なるが、書こうとしている内容からはさして違いはない。

次回に続く

Bonne journée

Yokohama

横浜に再び移転して概ね2ヶ月が経過した。その間に日本入国時の荷物を5回受け取り、病院で通常の検査を4回受けて3回採血し、休暇を1回取得した。どういうわけか今年の東京の猛暑日(35度以上の日)は16回を重ね、その暑い中でどうにか手に入れた車の走行距離はまだわずか450kmだ。前回の引っ越しではその最初の2ヶ月をホテルで過ごし、その10回ほどあった週末の1/3がデモの騒乱を避けていたことを思えば、暑さを避けて過ごす方がまだしもというものである。10日くらい涼しいキャビンで過ごす夏のクルーズにでも出かけたいなと、以前に撮った5万トンの飛鳥IIの写真をぼんやり眺めながら想いを巡らす夏の終わり。蝉の死骸をひとつ片付けて、一日の仕事を終える。

Bonne journée, Cross Cultural

フライト(追補編)

前編後編

 一夜明けてもまだ事情が飲み込めないなどといった表現もよく聞くが、決して美味しくはない朝のクロワッサンで自分が置かれた状況に諦めもついたという方が正しい。もうすでに存分に状況は理解させられている。最早思うことはどれだけトラブルなく東京行きに登場出来るかである。
 そもそも代替のフライトが予約出来たというのは、eチケットの番号で調べたからであって、ブリティッシュエアが約束したメールでの連絡ではない。正直なところ、手書きで連絡先のアドレスを伝えた段階で届かないだろうと諦めていた。アドレスには名前が含まれていたが、そんなことをチェックするはずもないし、イギリス人にとって意味不明な文字列をそのまま入力してくれなど無理難題というものだ。
 そんな状況だから、ともかく早く現場に行って、早くチェックインすることが重要なのだ。
 とは言え、夕方のフライトまではたっぷり時間があるし、その前に空港の一角にあるPCR検査サービスに行かなければならなかった。フランスなら保険証がなくても6,000円ほどですむが、ここのエクスプレステストは25,000円もかかる。それでもフランスで受け取ったテスト結果は入国に必要な72時間以内の検査という条件をもはや満たせなかったから、新たな検査を受けなければならなかった。正確に言えば、遅延などのやむを得ない状況は24時間の延長措置があったし、ヒースローで過ごす1日は旅行の過程だと言い張ることも出来たが、羽田でのトラブルは出来るだけ避けたかった。だからPCR検査は念のためというより安心材料でもあった。
 PCR検査場は空港の入口近辺にあるから30分もあれば着くだろう。そう思いながらも予定より2時間前の空港行きバスに乗ることにした。人は学習する生き物である。

 ホテルのレセプションには丁寧に時刻表が掲示されていた。きっと問い合わせが多いのだろう。空港のはずれの巨大ホテルに泊まる客など、目的地は空港以外にはない。その時刻表をじっくりと眺め、2度見返してバス停らしい場所に向かった。すでに何人かの乗客がバスを待っている。朝の涼しい空気の中で、おしゃべりに忙しそうだ。先頭は中国人らしい。とは言っても、おそらくはヨーロッパ在住だ。日本と中国からの観光客はしばらく途絶えている。向かいには仕事用と思われる屋根付きのブリッジが敷地を横断するようにつながっていて、そこを誰かが無言で歩いて行く。そうやって周囲を見渡しながらバスを待っていても、それは一向にやって来なかった。

 定刻通りという事はない。フランスでも20分程度は遅れることがままあった。日本だって遅れる時は遅れる。経験上、30分に1本程度の運転間隔なら次のバスの時刻までは待つべきだ。予告もなしに運休なんてよくあることだ。そうやって20分が過ぎ、30分が過ぎ、そして45分が経過した。いつかバス停で待つ先頭のグループも2番目のグループも車でどこかに消えていった。
「空港までタクシーを呼んでくれますか?」
 レセプションに戻ってタクシーを手配する時が来たようだった。
「5分から10分で来ます。前でお待ち下さい。」
 つまり、まれに5分で来ることもあるから外で待っていた方が良いが、20分くらいはみておいて欲しいという意味だ。結局15分後にタクシーが現れ、おしゃべりな運転手と共にホテルを離れる事になった。もちろんその時になってもバスは来なかった。定刻から1時間が経過していた。まぁ、運休ということだろう。それでもPCR検査の予約時間までには十分すぎるほどの時間が残っていた。

 PCR検査は想像に反してシステマティックで素早いものだった。フランスで経験していたものより随分とお手軽な感覚で、正直なところ、そんないい加減なやり方で良いのかと疑問を感じなくもなかったが、手続きが洗練されているのは、至極ありがたかった。フランスだって簡単にオンライン予約できるし、流れ作業のように全てが進むが、他の事務処理同様、フランスではトラブルはつきものなのである。
 フランスを離れる前々日、オンライン予約した上で厚生労働省の書類の作成が可能かどうかまで事前確認していたPCR検査場で待ち受けていたのは、少し想定外のトラブルだった。予約が入っていないとか、保険のIDが無効だとか、そんなことはよくあることだが、その朝は少し違っていた。
「パソコンが壊れました。支払いのあるケースには対応できません。えぇ、全て手作業なので、他の検査場に行ってください。ご紹介します。」
 その紹介された検査場に行く時間があまりないから近くの検査場を予約したというのに、全く意味がない。そもそもPCが1台しかないというわけでもないだろうと思うのだが、小さな検査場の机の上には立った1台のPCがあるだけだった。
 そんなものだ。何もかもうまくいくことなどあるはずもない。時には何かしらが起きて、その結果に対して自分はどうしたいかをしっかり伝えて交渉するのがフランス流なのだ。トラブルが起きてから対処すれば良い。

 ヒースローのPCR検査場では何も起きなかった。何か起きそうな余地も見当たらなかった。あるとすれば、結果が通知されないとか、そんなところだろうと想像していたが、何の不安もなく、予告されていた時間に結果が通知され、ひとつ古いフォーマットであったとは言え、厚生労働省の型式の証明書まで自動的に出力されていた。あとは出発2時間前までにチェックインして出来るだけ早く出発ゲートに辿り着くだけである。
チェックインカウンターの前でカウンターが開く30分まえに並び、3番目に搭乗券を手に入れて、登場ゲート近くのカフェでコーヒーにあり付いたのは、登場アナウンスが始まる30分前だった。イギリスに立ちよる予定などなかったから手持ちのポンドが全くないことを除けば、比較的順調な出国となった。

 あとは特段書くこともない。小さなトラブルなら無いわけでもないが、書いたところでつまらない愚痴でしかない。ようやく国境を開け始めた日本に英国人やフランス人の家族と共に里帰りしようとするグループで席は満席だったとは言え、座ってさえいれば、どんなに時間がかかろうと次は羽田なのだ。
 さて、ここからは別な話なのかもしれないが、出発時に預け入れたスーツケースは予想通り羽田には到着していなかった。それはそうだろうと驚きすらなかった。結果からいえばひと月ほどして日本に届くわけだが、そのひとつはなぜかヨーロッパから中南米経由で世界一周の旅をして羽田までやってきた。旅好きなスーツケースである。無口なスーツケースは、きっと苦労しながら羽田に辿り着いたに違いない。

Bonne journée, Cross Cultural

フライト(後編)

(前編はこちら)

 フライト日の爽やかな朝〜とは言ってもいつもの雨降りなのだが〜思いがけず変更されたフライトのお陰でゆっくりとコーヒーとクロワッサンの朝食をとってゆっくりと向かったバスターミナルほどの小さな地方空港で、まずはパリ行きの搭乗券を受け取った。短いフライトだが、重いスーツケースから解放されるのがありがたい。搭乗券の裏にはしっかり預入れ荷物の半券が貼られ、行き先もちゃんと合っている。パリ・ロンドン経由東京行き。パリ乗り継ぎはいつもの事だが今回はロンドンが余計についてくる。とは言え、パリ-ロンドン間は40分ほどの距離だからさほど遠い感覚もない。シャルル・ド・ゴール空港で何して時間潰そうかな。そんな事を考えながら華奢なタラップを上り、落ち着く先のシート番号を確認した。それなりに大きなエンブラエルだが、空港が小さいから搭乗はいつでもタラップなのだ。雨が降っていようが地上を歩き、ずぶ濡れのままタラップを上る。それがパリに向かう儀式なのである。シャルル・ド・ゴール空港に着けば別世界だ。空調が効いた巨大な待合ロビーと馬鹿高いがホッとするコーヒーがどこに行ってもある。

 さて、その4時間後、先の旅程を考えてすでに疲れ気味の旅行者は、あと1時間ほどで飛び立つロンドン・ヒースロー空港行きのブリティッシュエアを待っていた。ゲートの前では赤と青のラインが入った制服を着た職員が、時代にそぐわない紙の束を持って右に左にと忙しそうに動き回っている。このオンラインの時代にミシン目の入った連続紙を何に使うのだろうと眺めていたが、もちろん理由など思いつかなかった。何もない空っぽの時間が過ぎて、やがて職員のひとりがマイクを手にしながら周囲を見渡す。
「ヒースロー行きは1時間の遅延となります。これにともない出発ゲートは51番に変更されます。」
 そんなものである。フランス語のアナウンスを聞いて半分が、続く英語のアナウンスを聞いて残りの半分が立ち上がり、ゾロゾロとゲートを移動し始めた。相変わらずゲート案内板には古いゲート番号が出ているが、誰も見もしない。表示変更など間に合う訳がない。今決まったことだ。運命を共にする100人と一緒になって大移動を終え、ふと考えた。1時間の遅延とはきっととりあえず設定された遅延であって、実際はもう少し遅れるのではないかと。次の乗り継ぎの余裕は2時間半しかないから、もし1時間の遅延ならすでにヒースローの推奨乗り継ぎ時間の2時間に30分足りない。残り時間、1時間半である。いろいろ考えたところで何か改善するわけでもないが、心に余裕も欲しい。そうこうしているうちに2回目のアナウンスである。
「ヒースロー行きの出発ゲートは47番に変更されます。たびたび申し訳ございません。」
 だんだんあやしくなってきた。ゲートの地上職員に聞く。
「遅延は1時間ですか?」
「ええ、ちょうど1時間の見込みです。」
「そうである事を祈ります。」
 ちょっとイライラしたような職員はしっかりこちらに目を向けてこう返した。
「すでにヒースローを出ました。必ず到着します。」
 それは良かった。最初の関門はクリアした。でもだからと言って出発が1時間遅延で済むとは限らない。待合ロビーの硬いビニールシートに再び腰を下ろし、まもなく到着する折り返し便を待つ。そうして聞く次のアナウンスはあまり安心できるものではなかった。
「ヒースロー行きの出発ゲートは再び51番に変更されます。」
 やれやれ。いよいよ話があやしくなってきた。わずか50mほどの距離とは言え、そろそろ状況に着いて来られなくなった乗客だっていそうである。
 再び10分後、
「ヒースロー行きの出発ゲートは49番に変更となりました。」
 結局落ち着いたのは当初から予定されていた49番ゲートとなった。搭乗ゲート案内版は実に正しい。まもなく飛行機も到着して、ロンドンからの乗客が降りると慌しく出発の準備も始まった。あとはヒースローでスムーズに乗り換えられればなんとかなる。たぶん。おそらくは。

 だが、狭い近距離便の機内に足を踏み入れて、それが単なる期待に過ぎない事を思い知らされた。通路は、大きすぎる荷物が入らないと押し合う乗客でいっぱいだった。ハードケースなど、どんなに頑張ったってアッパーコンパートメントに入らないものは入らない。縦にしたり横にしたり入れ換えてみたりと努力はするが、あちこちの蓋が閉まらない。露骨にうんざりした様子を隠さない乗務員も、のらりくらりと対応する。不思議なもので、それでもいつのまにか荷物はあるべき場所に収まり、飛行機は1時間20分遅れで駐機場を離れた。もう、ほとんど乗り継ぎの猶予はない。

 ヒースロー空港はシャルル・ド・ゴール空港同様に巨大な空港である。どのターミナルがどこにあるのかも案内地図を覗き込んだところでよく分からない。乗客はもちろん案内版に従って歩くだけだが、どこにいるのか分からないと距離感も掴めない。早く次の待合ロビーにたどり着いて、女王陛下が高貴な笑顔で微笑むクッキー缶でも眺めたい。もちろん、そんな時間などあるわけないが、乗り継げそうだという証拠が欲しいのである。
 空港内のシャトルに乗ってセキュリティチェックの前に着いた時には離陸まで30分と言ったところだった。
「乗り継ぎは保証されます。みなさんを待って出発しますから安心してください。」
 胸を張って確かにそうパリの職員は告げていた。公式にはきっとそうなのだろう。だが、以前のパリ乗り継ぎでは30分の遅延を待ってなどくれなかった。地上職員に聞けば言い訳するでもなく、下着と歯ブラシの入った宿泊セットとホテルバウチャを渡してきた。
「安心して下さい。すでに明日の朝一番のフライトを確保しています。」
 安心とかいう話でもないと思うのだが、いつものことというわけだ。今回のフライトも嫌な予感がする。
 果たしてセキュリティチェックへの角を曲がると長い列が待っていた。どうやらセキュリティチェックは1列しか開いていない。地上職員不足とはこういう事なのか。それでもゲートクローズまで20分ある。ギリギリ待ってくれそうな時間だ。職員は大声で注意事項を繰り返していた。液体はこの透明な袋に入れろ、荷物のトレーはひとりひとつだ、金属は全て外せ、そんな類の事が耳の周りで渦巻いた。
 ふと見ると同じ飛行機に乗っていた日本人がゲートを通過して搭乗機の職員と話をしている。日本行きの飛行機は待ってくれるのか。
 セキュリティチェックはたびたび停止し、長い長い目視検査が行われているようだった。すでに出発ゲートクローズの時間だった。一向に動かないセキュリティチェックの列に検査官は無関心を装い、半分ほどの荷物は再検査となった。「荷物を開けてください。あぁ、これは別なトレーに乗せて再検査します。重ならないように。他には何かありませんか。パスポートは不要です。」乗り継ぎが保証されている飛行機は、すでにゲートを離れたようだった。

「この裏にブリティッシュエアのカスタマー・サービスがあるようですよ。」
 そう先にセキュリティチェックを通過した日本人が教えてくれた。要は彼もフライトを逃したということだ。この裏というのは職員用通路のドアを開けた向こう側という意味であり、1時間もかけてせっかく通過したのにセキュリティ・ゾーンからまた出るという意味でもあった。
 セキュリティ・チェックの係官に聞けばすぐに緑色のボタンを押してドアを開けてくれた。「カンタンだろ?」ゾーンの外に出るにはもちろんチェックがいらない。そんなものだ。通常は一般人が通れないであろうそのドアを毎日のように一般人が通過しているに違いない。そのドアを抜けた向こう側で、ブリティッシュエアのカスターマー・サービスに遅延で乗り継げなかったことをクレームしなければならない。黙っていたって何も起きないから仕方ない。要は、次の列に並ぶということだ。すでに1時間以上もセキュリティチェックの列に並んだ後では、数十人の列など何でもない。精一杯のサポートなのだろう、列の隣のワゴンにはポテトチップスと水のペットボトルが無造作に積まれ、あなたのことを考えていますよというサインを送り続けていた。

 カスターマー・サービスの3つのカウンターは、すでに3組の顧客が熱心に自分の窮状を伝えているところだった。しっかりと糊の効いた白いリゾートシャツを着た背の高い男性と少しリラックスした雰囲気のドレスの女性は、長期戦になると覚悟したというより、旅行代理店でフライトとホテルを予約でもするかのように何度も希望を伝えているようだった。その向かいでは、顧客のクレームを優しく受け止める地上職員が、どこかに電話をかけては何度も首を横にふっていた。隣のカウンターでは、ビジネスで来たと思われるワイシャツ姿の男性が、粘り強い交渉を重ねている。3番目のカウンターもさして違いはない。誰もが旅行の途中なのだ。椅子も置いてないカウンターで交渉を続ける3組には見た目の共通点もなかったが、カウンターの様子はどれもこれも同じだ。顧客が何かを言い、動じない地上係員が首を横に振ってどこかに電話をかける。そうやって40分ほどが過ぎ、ひと組の対応が終わって、列は前にひとつ進む。カウンターに椅子がないのは手際よく事が進むからではない。いつまでも満足しない顧客が疲れるのを待つためだ。待ちながらそう気がついた。もちろん待っているキューにだって椅子はない。誰もがずっと立ったままだ。
 もう少しで自分の番が来そうだなと思えるようなところまで列が進んだ頃には、すでに2時間が経過していた。時計は夜21時を示していた。
 カウンターサービスの窓口はとうとうふたつがクローズとなり、係員も疲れきった様子だった。ただひとつ残ったカウンターの顧客があまりハッピーとは言えない様子でそこを離れると、待ち行列の先頭にいた可哀想な次の顧客を制して係員がカウンターを出てきた。周囲を見渡す。
「私の業務時間は終わりました。帰らなければなりません。皆さんはどうかそのままここで待ってください。私の上司がまもなくここに来ることになっています。上司が皆さんのサポートをします。どうかそのまま。」
 そう言って係員はカウンターを去っていった。20名の顧客をその場に残して。
 どうすることも出来なかった。誰もが唖然として、文句をいうことすらすっかり忘れていた。待ち行列のひとりが言った。「もう2度とヒースローには来ない。」ヨーロッパではよくあることだ。そう分かっている。分かっていても何か言わなければ収まらないというものだ。
 10分ほどして現れた上司は、仕事ができるタイプかクレーム慣れしているかのどちらかだった。
「はい、チケットを見せてください。今夜のうちに責任を持って代替フライトを手配します。明日の朝までにメールを受け取るはずです。こちらがホテルバウチャーです。ホテルまではこのバウチャでシャトルバスに乗れます。この10ポンドのバウチャーはお詫びの印です。空港でお使いください。では、次の方。」
 毎日やってるのだろう。あっという間に列は進んでいく。バウチャーを掴んで、一緒になったポーランドに向かうというギタリストとバスに向かった。誰もいないバス乗り場への通路は、よく知る空港とはおおよそ違う落ち着かない空間となった。バス乗り場まではすぐそこだというのに、迷路にでも入り込んだようだった。
「バス乗り場はここか?」
 そうギタリストが言った。
「もうバスは終わりました。乗車できません。」
「いや、バウチャーをもらったんだから上司に聞いてくれ。」
「いえ、すでに上司に確認したのです。残念ながらバスには乗れません。」
「どうやったら行けるんだ。」
「ここを真っ直ぐ行くとタクシー乗り場が。」
 やれやれ。
 結局誰も通らない通路でタクシー乗り場に出て、ロンドンのバカ高いタクシーを捕まえた。疲れ果てた移動で、タクシーがどこをどう走っているのかも分からなかった。空港をおおよそ3周したと思えるほど時間が経過した頃、急に目の前にホテルは現れた。やっと辿り着いたのだ。旅の目的地ではなかったが、やっと落ち着ける場所に行くことができる。食事もしていないが、ホテルのレストランで食べる気もおきない。一刻も早くチェックインして、シャワーを浴びてただひたすら寝たい。気づけばギタリストもチェックイン中だ。
「おい、いくらかかった?」
 ギタリストは不満げに聞いてきた。
「28だった。」
「こっちは30」
 バスに乗れず使ったタクシーは5000円だ。馬鹿馬鹿しい出費であることには違いないが、それ以上に呆れ果てたという感じだろう。気づくと23時を回ったところだった。部屋に入ってシャワーを浴び、バスローブのままベッドに倒れ込んだ。荷物は預入れたままだから、特に片付けるものもなかった。

 翌朝にeチケットを確認すると、フライトは1日遅れの同じ便となっていた。つまりは夕方の便だ。ゆっくりと朝食を取って、再び空港に向かえば良い。念のため予約した追加のPCRテストさえすれば、あとは特段の予定もない。流石にロンドン観光するような気力もないから、出来るだけ早くチェックインして出来るだけ早くセキュリティチェックを受け、出来るだけ早く登場ゲートに辿り着いて、あとはただひたすら待つだけだ。やることなど何もない。
 そんなことを考えながらとった朝食のクロワッサンは、正直美味しいとは言えない代物だった。そうだ、ここはヒースローであった。

(追補編に続く)