Bonne journée, Photo

Urban Life (薬のコピー)

201711-211

通勤電車の妙な静けさの中にいると、小さな咳に罪悪感のようなものを感じなくもない。「いえ、たまたま喉がイガイガしただけです」と心の中でつまらない言い訳をしたりもする。ひとは騒音を聞き続けるとそこが一段高い基準となって、いつか慣れるものなのだろう。だから電車を降りたところで急に静かになったとは考えない。通勤ラッシュの車内は、そうした意味で、誰もいない滝壺で静けさと自己に立ち向かいながら修行でもしているような場所である。誰かが気にも留ない小さな咳をした時にその修行の場を乱す罪悪感を持つのは、咳をする自分自信の孤独な所業なのである。
ところが、少しばかり大きな咳をふたつみっつすると、状況は一変する。誰ひとりいないはずの滝行の場は、途端に異端裁判のくすんだ空気へと相変化してしまうのだ。向かいに座って新聞を広げたサラリーマン風の男は、ばさっと新聞紙を揺らすようにして警告を発し、となりでスマートフォンに熱心に何かを打ち込む和装の女は、スマートフォンに向けた顔を微動だにせずちらりと目で威嚇する。咳をした側は慌ててハンカチを当てるのが吉である。誤ってそのままさらに咳をしようものなら有罪は確定したも同然。バツの悪い孤独感ではすまないものと思った方が良い。

そんなことを思ったのは、通勤電車で漫然と広告を眺めていたら、薬の広告の不思議な符合に気付いたからだ。自分の右手には「あ!これが、私の頭痛薬」と小ぶりな広告が貼られ、目を同じ位置の隣の部分にやれ「あっ!このかぜ薬」と同じ大きさの広告がある。どうしてこうも強制的に発見させられなければならないのか、広告担当者はもう少し考えてもらいたいものである。もちろん会社も違うから単なる偶然だろうが、どうも釈然としない。そんな風にモヤモヤとしながら小さな咳をしたものだから、冒頭のようなことを思ったのだ。
いや、分かっている。もちろん勝手にくだらないことを考えているだけだ。秋も本番である。

 

Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Peek

201711-201

When you are forbidden to do something and you think the it’s not reasonable, it must be quite natural to have a desire to break the rules. The first time I learned the word ‘peek’ was – as you know English is not my mother tongue – indeed such a situation. No! I wasn’t peeking in someone’s private life. I was digging inside a micro computer using a high level programming language called Pascal. The operator PEEK meant retrieving data stored in a memory. It sounded so strange for me because its antonym was POKE which operated as writing data.
Back to my picture at the top. The round window is for seeing outside of the tight cabin. Nobody peeks in, probably.

In response to the weekly photo challenge, Peek by The Daily Post.

 

Bonne journée, Cross Cultural

to talk

201710-511(written only in Japanese)

話すことによってではなく聞くことのによってのみ話す行為を終えることができる、それが生きることの宿命でさえある。声を単に発することは話すことではない。聞き手がなければ、唸り声をあげようが哲学を語ろうが同じことである。一方で相手の言うことをうわの空で聞けば、寝ていても同じことである。相手の言うことを聞いてこそ話すことは終えられる。

塩野七生によれば、カエサルは「ひとは見ようとしたものしか見ない」言ったそうだ。一次資料にはあたっていないから真偽のほどはわからないが、少なくともこの言葉はそれを知る以前からずっと、胃の上あたりで疼く違和感のようにまとわりついてきた。特段イヤな言葉とかいったわけではない。ただどこかに上辺だけでも取り繕いたくなる基準となる原器のようなものがあって、それを知らないふりをし続ける鈍い重みのような、小さな悪徳を抱えている気がするだけだ。

見聞きする日常は、当たり前すぎてかえって遠く霞みゆく。