雨月の本来の意味は、中秋の名月が雨で見られないことであるという。だから秋の季語である。
本来なら見えない月を想像することはあっても、それを楽しむことは現代的感覚からすれば少し考えにくい。雨で月が見えなかったで終わりである。しかし雨月には単なる雨の月見とは違った意味がある。夕刻の雨。かすかな湿気の甘い匂いと少しひんやりとした静けさ。雨ももうほとんど止んで、僅かに雲の濃淡が見える空。暗いながらもほんのりと明るい地面。現実の風景と闇の境目が合間になる空間。すぐそこにあるようで遠い虫の声。月が見えなかったことで見えてくる影がある。どこか自分の奥底に隠れる何かが動き出すのだろう。それが雨月である。
散文で何かを書き止めようとするとき、いつも気になるのはそんな雨月の感覚だ。自分の両の眼で見ている筈の景色が、しばらくして本当にそこにあるのかどうか危ういように感じ始める瞬間をどうにかとらえたいと思うが、それはなかなか叶わない。淡い言葉を重ねればそれは既に自分の手を離れて空を漂い、濃密な言葉をひとつ探せば果たして重力に耐えられなくなる。微かに遠く響く湿り気だけが周囲に残って、キーボードの上に指は居場所を探しておろおろとするだけだ。
それでもそれはある。雨月の夕暮れがある。
来週は中秋の名月。


