Bonne journée, Cross Cultural

ピクニックテーブル


 自宅近くの公園を歩いていたら、木製のピクニックテーブルがいくつか新しくなっていることに気がついた。木製と言っても公共の大きな公園のものだからかなりしっかりとしたもので、土台部分はコンクリートで出来ていてしっかりとボルトで止めてある。天板や脚も厚みがあり、見るからに丈夫である。もしかしたら、災害時の利用も想定しているのかも知れない。いくら木陰にあっても夏の間はピクニックをするには暑過ぎるので、利用者の少ない夏の初めに刷新したのだろう。春の間はピクニックはもちろん、将棋を指す人達もいたが、今は静まり返っている。

とあるフランスのベンチ

 かつて住んでいたフランスのアパルトマンからほど近い大きな公園にもベンチやピクニックテーブルがたくさんあって、週末にはバーベキューパーティーなどで盛り上がっていたが、それに比べると日本のピクニックテーブルはずいぶんと清潔な印象である。「フランスのピクニックテーブル」なんてひとくくりにするものでもないが、概してあちらのものは清潔感がない。週末にバーベキューをすればきちんと片付けて帰らないし、ドングリが積み重なってもなかなか掃除しない。それでも美しいままのテーブルも案外あって、ゴミを捨てるなとか犬はリードに繋げとか、そういった常識的なことを書いた貼り紙があちこちにない分、自然の美しさがある。そんなちょっとした違いに自分がいる場所を感じるのだ。

妖精の食事のあと

 そういえばと思い出した。フランスの買物は、エコバッグというよりキャリーカートが主役なのだが、もちろんエコバッグも売っている。大手スーパーは自前のロゴが入ったコンパクトになるエコバッグをしっかり用意していて、ひとつやふたつ持っている人も多い。これが小さくたためるのは良いのだが、薄い分だけ傷みやすい。フランスで使っていた見た目は今ひとつだったが使いやすかったエコバックが、少し擦り切れてきたので日本で買おうとしたら、これが案外高い。少し丈夫なのかも知れないが、あまりコンパクトに畳めないものが1000円とか書いてあるではないか。ちょっとおしゃれだなと思ったら2500円だそうだ。当然、利益も上乗せしているのだろう。でも、フランスだったらお高いMonoprix印だって1ユーロ50サンチームだから200円くらいなもの。あまりエコバックで儲けようとは思っていないに違いない。

 そんなわけで、肩にかけられて小さく折りたためるおしゃれなエコバックを物色中である。100円ショップでもいいが、せっかくならちょっとおしゃれなのが良いのだが。
ちなみに、写真はカルフールで買ったエコバック。フランス語で何やら書いてあってかっこいいが、意味は「あなたの支持が私達の力です」である。まぁ、正直、バッグに書く文言ではない。

Cross Cultural

one year


(日本語は下に)

Around one year has passed after having moved back to Yokohama from heart-warming and beautiful Brittany. A lot of unexpected things happened and eventually I have found calmness called daily life. 

Before, I was believing that goodness and badness were relative feelings. When I was facing difficulties, I thought it may have a good aspect. Probably it is true. However I learnt. What I am seeing is from what I experienced. I cannot see what I haven’t experienced. Everyone needs to do it again and again before learning anything. When I say it’s relatively bad or something, probably I should add ‘compared with experience’ in my mind. When I think Japan is easy or hard to live in, I might be seeing just a small face of it based on my experience. In other words, it is always not true that Japan is better or worse than France. You may think it is ambivalent but consistent for me. After having learnt that, both two countries have become fantastic place for me. 

ブルターニュからふたたび横浜に移動して1年ほどになる。色々あったがようやく「日常生活」と言う平穏な日々を過ごせるようになった。

以前は良いとか悪いとかは相対的な事で、良くない事があればきっと良い側面があるのだと思っていたが、自分が経験したことでひとは善し悪しを判断するものだと思いあたった。辛い事があれば、あるいは良い事があれば、それはそれまで経験してきた事の中で善し悪しを感じているのだ。だから相対的だと感じているのも自分が見ている世界の話であって、他の人が同じように感じているとは限らない。日本のほうがフランスより良いとか、日本はフランスに比べてここが良くないとか、そんな事はきっと相対的という以前に個人の経験によるものなのだ。二律背反的な曖昧さに見えるが自分の中では一貫している。そう思うようになってから、両国は共に魅力的な場所となった。

Cross Cultural

Pâque

15年ほど一緒に仕事をして来たフランスの知人によれば、多くのフランス人はもはやキリスト教など信じていないという事になる。ムスリムが増えたとかそういった事ではない。依然としてキリスト教徒が9割の国である。日曜礼拝どころか毎日カランカランと教会の鐘の音が響き渡る。それなのに、礼拝など行ったことがないのだそうだ。洗礼を受けただろうなんて言ってみようかとも思ったが、日本でも子供が生まれたらお宮参りしたりするが、毎日神社にお参りする人は多くないなと思い返した。その知人によれば、欧州の多くの国と同様、宗教はもはや習慣の類であって、真剣に神の存在を信じている訳ではないのだ。

それでも仕事で関連していたブルターニュはカトリックの強い地域である。日曜となれば教会にそこそこ人も集まる。あの教科書で習う宗教の自由を保証したナントの勅令は、プロテスタントを認める王令であってブルターニュとも関係が深いし、フランスの中では特に日曜日をお休みとするお店が多い地域でもある。小さな村であっても欠かさず毎日教会の鐘の音が響きわたる。それこそ1時間毎に。

そんなブルターニュでも、というよりキリスト教の根強いフランスであっても、この時期は鐘の音を聞かなくなる日が訪れる。復活祭(イースター)である。復活祭の前の木曜日の夜から教会の鐘は鳴らなくなる。鳴らしてはいけないとか、準備で忙しいとか、そんな理由ではない。そもそも鐘はそこにないのだ。いや、尖塔を見上げたらちゃんと鐘があったとか、そんなのは形だけだとか、今どき鐘はタイマーで鳴らしてるとか、そんな事は言ってはいけない。鐘はそこにない事になっている。鐘は皆、キリストの死を悼んでローマ方面に旅立ったのだ。鐘を鳴らす人ではない。鐘自体が旅立ってしまうのだ。

どんなふうにローマに飛んで行ったのかはよく分からない。羽が生えて飛んで行ったらしいが見た人はいない。バチカンでは教皇に祝福を受け、復活祭の日曜日に戻ってくる。そうでなければ困るのだ。何故なら、バチカンのお土産はチョコレートなのだから。祝福を受けた教会のそれぞれの鐘は、復活祭の日曜の朝、イタリア土産のチョコレートを持って復活を知らせにそれぞれの町に戻ってくる。戻ってくる途中でチョコレートはバラバラと落ちてしまうのだが、良い子たちは木々の間や茂みの中にそれを見つけ、復活祭の楽しいひと時を過ごすわけだ。無論、良い子でなければ見つからない。アメリカあたりだとチョコレートはイースターバニーが運んでくるらしいが、フランスはバチカンを訪問した教会の鐘たちのお土産というわけだ。そんなわけで、熱心なキリスト教徒にとってはもちろんクリスマスより重要な復活祭だが、子供達にとってもようやく春になって暖かくなったひとときを楽しく過ごす一年で一番重要なイベントでもある。もはやキリスト教を信奉していないなどと言いながらもすっかり生活に宗教が根付いているわけで、人の営みとはそういうものなのかなと思う。

そう言えば、日本にだって似たようなものがある。すっかり名前だけになってしまったが、10月を神無月というのは八百万の神々がみな出雲に行ってしまっているから神様の無い月なわけで、どこか似ているでは無いか。チョコレートこそお土産にもらえないが、ぜんざいは出雲発祥とのこと。神様の帰りを待ってもきっとお土産はないが、そこはそれ、今どきオンラインで買えば良いのだ。いや、10月まで待ってられないなら東京ディズニーリゾートでイースターを楽しめば、と思ったら、今年は40周年でイースターイベントはないそうな。まぁ、なんでもお遊びにしないほうが良いとは思うのだが。

ところで、昨年の復活祭(フランスではパクと言う)でふと疑問が湧いたことがある。いや待てよ、今年の復活祭はまだ金曜の夜だというのに教会の鐘がだいぶうるさいなと。気温が上がったので空気の入れ替えにと窓を開けたら、近所の教会の鐘の音が風に乗ってガンガン響いてくるのだった。そう言えば以前もなってたような。真相はわからないが、結局のところタイマーで自動で動いている教会の鐘は、復活祭の前であってもなり続けていたようだ。

まぁ、そんなものである。

今年の復活祭は、2023年4月9日。今年はフランスにいる予定はない上に、プロジェクトも区切りを迎えてここしばらくはフランス人と話す予定もないから様子もわからない。すっかりコロナの影響も無くなって、きっといつもの復活祭が戻って来たのだろうと想像している。

Art, Bonne journée, Cross Cultural

文学と絵画とブルターニュ

 アンリ・モレの「ブルターニュの断崖」やポール・ゴーガンの「二人のブルトン人」を見たかったら、地の果てなどと揶揄されるブルターニュの西の隅まで出向かなければならない。所蔵するポン・タヴェン美術館は、パリからは相当遠い場所にある。だからフランスの西の果てと言われるくらいは仕方ない。だが地の果ては少々言い過ぎだろうと思う。TGVでブレストまで行ってレンタカーで南下してもいいし、そもそもバカンスを過ごすような場所なのだから、遠くからでも時間をかけて辿り着けばよいのだ。もっとも、ゴーガンのポンタヴェン派としての代表作である「美しきアンジュール」も「黄色いキリストのある自画像」もそこにはない。あるのはオルセー美術館だから、わざわざ行くまでもないと言われればそれまでではある。
 でも、行かなければわからないこともある。川のせせらぎ(下の写真)も、どこまでも透明な海も、行って体感しなければわからないように、アンリ・モレの描き出す色とりどりのブルターニュの断崖は、パリにはない。
 もっとも「黄色いキリストのある自画像」ですら日本にいては見られない。スマホで見ても大きさも色もタッチも違うから、分かるのは知識としてのゴーガンでしかない。
 それでも絵はまだ良いほうかもしれない。どんなにお金を出そうが、どんなに時間をかけようが、もはやショパンが弾くピアノは確かめようがない。ワグナーが恭しく指揮をとるワルキューレが聞こえる事もない。ひょっとしたらそれよりもずっと出来が良いオーケストラで、ずっと洗練された指揮の下、当時以上の再現演奏を聴くことが出来ているのかもしれない事が救いではあるが、絵とは違ってオリジナルはもうないのだ。
 その点、文学はありがたい。書き手が意図したそのままをいつでも手に出来ている可能性が高い。小さな誤りが訂正されていたり仮名遣いが現代表示に訂正されていたりすることもあるかも知れないが、模写やコピーとは違って劣化しないのだ。それがたとえkindleであろうが、そこで読む宮沢賢治は宮沢賢治そのものだ。
 いや翻訳ものはどうするんだとか、絵なら世界共通だとか、そんな指摘はあるだろうが、それはそれ、大目に見ていただきたい。文学の普遍的なアドバンテージはその劣化のない作品を手にすることの喜びなのである。
 ありがたいことにブルターニュ大公城にあるターナーの「ナント」は、まもなく国立西洋美術館で見られるらしい。3/18から始まる「憧憬の地ブルターニュ」という企画展のリストに確かにあった。熱烈なラグビーファンでターナー好きの方には残念だが、日本戦を応援に行ったついでにターナーの「ナント」は見られないのかもしれない。いや、その頃にはブルターニュ大公城の美術館に戻っているのか?

 トップの絵は「ダイヤのエースを持ついかさま師」などで知られるジョルジュ・ド・ラ・トゥールの代表作のひとつ「聖誕」。
 地元の人はこれくらいしかいい絵がないと言って残念がるが、これを見るために行く人もいるレンヌ美術館所蔵品。他にも佳作がたくさん。

アヴァン川のせせらぎ
Bonne journée, Photo

missing snowy day

雪なんて降ってほしくないのに、降らないと残念と思うのはきっとわがままだからなのだろう。昨日の朝から舞い始めた粉雪に、早く帰ろうなんて言いながら、どこかで白い世界を期待している自分がいた。
予報では昼ころから夕方まで降り続きその後雨に変わるということだったが、実際には朝から降り始めたから、帰宅時にはそれなりに積もっているのだろうなと勝手に想像していた。きっとコンピュータ予想がはずれたのだろうが、雪なんて嫌だと言いながらもどこかで雪が見たいと思っているところがあるから、降り続けるものと信じたくなっていたに違いない。ところが11時前には雪が雨に変わり、ほとんど積もることもなく冷たい雨が降り続いたのだった。本降りの雨にずぶ濡れになりながら、ちょっとわがままな自分が可笑しく思えた金曜日だった。

写真はもちろん横浜などではなく、フランスの風景。この写真の地域も雪は珍しい。

I don’t want it to snow, but I was disapointing it didn’t, probably because I’m selfish. The powder snow began to fall from yesterday morning, and while I was telling myself to go home early, I found myself hoping for a white town somewhere.