Bonne journée, Cross Cultural, Photo

Christmas markets


 フランス語ではヴァン・ショウ(vin chaud)と言い、ドイツ語ではグリューヴァイン(glühwein)、イタリア語ではヴィン・ブルレ(vin brulé)、英語ではマルド・ワイン(mulled wine)、そして日本語ではホット・ワインという。そんなスパイスたっぷりの暖かなワインを飲みながら歩き回るクリスマスマーケットは楽しい。アルコールを飲めない日でも、シナモンやナツメグの香りのする暖かなりんごジュースを買っても良いし、日本だったら甘過ぎないホットチョコレートが置いてある。日中にスケートリンクで楽しんで、クリスマスマーケットでプレゼント探しをしたら、夜は食べ歩きなんていうのもちょっとハードなお楽しみなのだ。もはや欧州であっても宗教行事とはかけ離れた遠い存在になりつつあるのだから、それで良いではないか。それでも、どこに行ったって馬小屋飾りはあるし、商業的な背景以外なさそうな日本のクリスマスマーケットであっても、馬小屋飾りはきっとある。

 そういえば、欧州では使い捨ての紙コップをやめて、プラスチックのカップに切り替えたところも多い。クリスマス柄のプラスチックのカップを買って、それについでもらい、最後にカップを返却するとカップ代金が返ってくる。もちろん愛らしいカップの絵柄が気に入れば、持って返っても良い。何れにせよゴミの削減に寄与する仕組みである。横浜赤レンガ倉庫のクリスマスマーケットでは、紙コップや木製のフォークなどを使っていて、プラスチックの削減を狙っているのだろう。使い捨てだからゴミは出るが、しっかり分別して環境への影響を小さくするような仕組みになっていた。さすが世界でも最も面倒な分別を要求するなんて冗談で言われる横浜市である。

 欧州のクリスマスマーケットは一晩中騒がしいんでしょう?なんて言う人がいたが、せいぜい21時には終わって街のイルミネーションも消されるのが一般的だ。それこそ、クリスマス飾りはほぼ完全に消灯される。クリスマスは家族で過ごす季節。いつもなら19時に閉まる商店街が、少し遅くまで営業しているという程度で、21時ころにはすっかり街が静まりかえるのが普通である。その点では、日本のクリスマスマーケットもかつてと違って家族連れが多く、早めに帰るグループも多くなったように感じている。

 さて、写真を多めにポストしてみたが、上の2枚は横浜赤レンガ倉庫(左)とよく知られたストラスブール・クレベール広場(右)のクリスマスツリーである。下の9枚にもあちこち混じっている。規模や飾り方に違いはあれど、横浜も含めて華やかな雰囲気も混雑も共通である。

Bonne journée, Cross Cultural

Cross-cultural

災害のリスクがあっても職場への出勤が本当に必要か。
時間や勤務場所を変えることはできないのか。

従業員の命を守ることは企業を守ること。
会社の経営者や上司の方は、改めて考えてほしいと思います。

そして私たちの意識を変える必要もあります。危険な状況で仕事をしなくてすむ人を増やすには、災害時に一定程度、社会サービスが止まることを受け入れられるか、私たち自身も問われています。

それでも出勤しなきゃダメですか?台風・大雨…出社の判断は」(NHK)

 ようやくこんな記事がNHKにまで出てきたことに安堵した。
 人の命に関わるエッセンシャルワーカーが、台風でも出勤せざるを得ない場合があるのは理解する。そのような場合の論点は、どうやって安全を確保するかである。
 一方で、物流が止まると大変だとか、コンビニは24時間の生活を支えているとか、そんな風に考える必要はない。もちろん困る人もいるだろうが、その困る人のためにトラックドライバーの命を犠牲にして良いわけではない。ほとんど事故などないという反論もあるが、まったくの0ではないのだから、それは誰かは犠牲になっても良いと言っているのと同じである。
 会社に対する忠誠心が試されるという話もあるそうだ。「明日は台風による交通機関の乱れが予想されます。出社時は十分に注意してください」なんて通達が出たりする。要は、「よほどのことがない限り工夫して出社せよ。安全喚起したのだから第一義的責任は従業員にあるからね。」と聞こえる文書である。会社の安全配慮義務はどこにいったのか。マスク着用と言ったコロナ下での各自のふるまいが要請でしかなかったのと同じ構図にも見える。そうしたどこか論理性を欠く習慣を止める素地はそろそろ出来てきたのではないか。
 これがフランスだと、無理に出社して怪我したら会社の損失だし、家族が気になって仕事にならないだろうから休んでくれというのが普通だ。会社側の要請だから当然有給のみなし勤務としての休暇である。そう言うと従業員側の視点での会話になるが、要は、会社の臨時休業なのだから給与には無関係という事になる。ある日本企業で聞いた話では、働かなかったのだから給与から引かれるという妙な論理があるらしいが、欧州なら経営者の犯罪にならないかという議論の対象だろう。
 大雪で道路が通れないなら来てくれるなというのが当たり前であるべきだ。災害のリスクがあるならテレワークにするなり、臨時休業にするなりして命を守り、もし不便な事があっても受け入れる体制を準備する社会に移行する時が来たのだ。

定められた年次有給休暇の日数に対し、実際に休んだ「取得率」がよく話題になります。日本は50%程度で世界的に低いと言われています。しかしフランスでは取得率という考えがそもそもありません。有休は取るのがあたりまえで、取得率は100%だからです。

なぜ短い日本の夏休み 休めないのは「恥」のバカンス大国との違いは」(朝日新聞)

 日本に戻って新しい仕事を始めたら、同僚が揃って「フランスはいいなぁ、夏休みを三週間も取るんでしょう。働かないのに給料もらえるの?」と言う。
 このフランス人からすると不思議な疑問は、フランスはカレンダー通りに働く国で、国が定める休日は日本よりずっと少ないと言う前提を考慮しない事からくる。日本の大手企業は独自のお盆休みや年末年始休みを持っている場合も多いし、公務員でも仕事納めや仕事始めがあって、フランスよりも10日から15日は多く休んでいる。フランス人が10日から15日程度の有給休暇をとった状況が日本の皆勤に近い。つまり、フランス人から見れば、普段頑張って働いているのだから、バカンスくらい欲しいとも言える。
 有給休暇は会社が従業員に与えた休みであって、当然その休みを取るべき日に仕事をする(有給休暇を100%取得しない)なら、会社は割り増し給与を払わなければならない。従業員が休暇を取らないなら会社のペナルティである。フランスの有給休暇付与日数は一般的に25日であるが、ほぼ誰もがこの25日を休暇に割り当てる。勤務形態にもよるが、この25日のうちの15日を夏のバカンスに当てれば、週休5日として三週間の連続休暇となる。残りの二週はクリスマスやイースター休暇に使う。そのかわり、フランス人は案外何でもない休暇は取らずに働く人が多い。バカンスのために必死で働くなんて冗談で言うほどである。
 そもそも上級管理職ほどしっかりバカンスをとるのもフランスらしい。休めなかったなんて言おうものなら、「相当つらい個人的な事情があったのね」と同情されるか、「能力ないやつ」と陰で言われるだけである。ここで、「私のサインが必要な重要な取引があって」なんて言ったらもう従業員はついてこない。そんな重要な事なら調整できる体制を整えて然るべきで、それも出来ないなら上司の能力がないか、会社が倒産寸前だと言っているようなものである。
 そろそろ、内向きの会議のような生産性のない仕事をやめ、しっかり休んだ自慢をしても良いのではないか。

Bonne journée, Cross Cultural

ピクニックテーブル


 自宅近くの公園を歩いていたら、木製のピクニックテーブルがいくつか新しくなっていることに気がついた。木製と言っても公共の大きな公園のものだからかなりしっかりとしたもので、土台部分はコンクリートで出来ていてしっかりとボルトで止めてある。天板や脚も厚みがあり、見るからに丈夫である。もしかしたら、災害時の利用も想定しているのかも知れない。いくら木陰にあっても夏の間はピクニックをするには暑過ぎるので、利用者の少ない夏の初めに刷新したのだろう。春の間はピクニックはもちろん、将棋を指す人達もいたが、今は静まり返っている。

とあるフランスのベンチ

 かつて住んでいたフランスのアパルトマンからほど近い大きな公園にもベンチやピクニックテーブルがたくさんあって、週末にはバーベキューパーティーなどで盛り上がっていたが、それに比べると日本のピクニックテーブルはずいぶんと清潔な印象である。「フランスのピクニックテーブル」なんてひとくくりにするものでもないが、概してあちらのものは清潔感がない。週末にバーベキューをすればきちんと片付けて帰らないし、ドングリが積み重なってもなかなか掃除しない。それでも美しいままのテーブルも案外あって、ゴミを捨てるなとか犬はリードに繋げとか、そういった常識的なことを書いた貼り紙があちこちにない分、自然の美しさがある。そんなちょっとした違いに自分がいる場所を感じるのだ。

妖精の食事のあと

 そういえばと思い出した。フランスの買物は、エコバッグというよりキャリーカートが主役なのだが、もちろんエコバッグも売っている。大手スーパーは自前のロゴが入ったコンパクトになるエコバッグをしっかり用意していて、ひとつやふたつ持っている人も多い。これが小さくたためるのは良いのだが、薄い分だけ傷みやすい。フランスで使っていた見た目は今ひとつだったが使いやすかったエコバックが、少し擦り切れてきたので日本で買おうとしたら、これが案外高い。少し丈夫なのかも知れないが、あまりコンパクトに畳めないものが1000円とか書いてあるではないか。ちょっとおしゃれだなと思ったら2500円だそうだ。当然、利益も上乗せしているのだろう。でも、フランスだったらお高いMonoprix印だって1ユーロ50サンチームだから200円くらいなもの。あまりエコバックで儲けようとは思っていないに違いない。

 そんなわけで、肩にかけられて小さく折りたためるおしゃれなエコバックを物色中である。100円ショップでもいいが、せっかくならちょっとおしゃれなのが良いのだが。
ちなみに、写真はカルフールで買ったエコバック。フランス語で何やら書いてあってかっこいいが、意味は「あなたの支持が私達の力です」である。まぁ、正直、バッグに書く文言ではない。

Cross Cultural

one year


(日本語は下に)

Around one year has passed after having moved back to Yokohama from heart-warming and beautiful Brittany. A lot of unexpected things happened and eventually I have found calmness called daily life. 

Before, I was believing that goodness and badness were relative feelings. When I was facing difficulties, I thought it may have a good aspect. Probably it is true. However I learnt. What I am seeing is from what I experienced. I cannot see what I haven’t experienced. Everyone needs to do it again and again before learning anything. When I say it’s relatively bad or something, probably I should add ‘compared with experience’ in my mind. When I think Japan is easy or hard to live in, I might be seeing just a small face of it based on my experience. In other words, it is always not true that Japan is better or worse than France. You may think it is ambivalent but consistent for me. After having learnt that, both two countries have become fantastic place for me. 

ブルターニュからふたたび横浜に移動して1年ほどになる。色々あったがようやく「日常生活」と言う平穏な日々を過ごせるようになった。

以前は良いとか悪いとかは相対的な事で、良くない事があればきっと良い側面があるのだと思っていたが、自分が経験したことでひとは善し悪しを判断するものだと思いあたった。辛い事があれば、あるいは良い事があれば、それはそれまで経験してきた事の中で善し悪しを感じているのだ。だから相対的だと感じているのも自分が見ている世界の話であって、他の人が同じように感じているとは限らない。日本のほうがフランスより良いとか、日本はフランスに比べてここが良くないとか、そんな事はきっと相対的という以前に個人の経験によるものなのだ。二律背反的な曖昧さに見えるが自分の中では一貫している。そう思うようになってから、両国は共に魅力的な場所となった。

Cross Cultural

Pâque

15年ほど一緒に仕事をして来たフランスの知人によれば、多くのフランス人はもはやキリスト教など信じていないという事になる。ムスリムが増えたとかそういった事ではない。依然としてキリスト教徒が9割の国である。日曜礼拝どころか毎日カランカランと教会の鐘の音が響き渡る。それなのに、礼拝など行ったことがないのだそうだ。洗礼を受けただろうなんて言ってみようかとも思ったが、日本でも子供が生まれたらお宮参りしたりするが、毎日神社にお参りする人は多くないなと思い返した。その知人によれば、欧州の多くの国と同様、宗教はもはや習慣の類であって、真剣に神の存在を信じている訳ではないのだ。

それでも仕事で関連していたブルターニュはカトリックの強い地域である。日曜となれば教会にそこそこ人も集まる。あの教科書で習う宗教の自由を保証したナントの勅令は、プロテスタントを認める王令であってブルターニュとも関係が深いし、フランスの中では特に日曜日をお休みとするお店が多い地域でもある。小さな村であっても欠かさず毎日教会の鐘の音が響きわたる。それこそ1時間毎に。

そんなブルターニュでも、というよりキリスト教の根強いフランスであっても、この時期は鐘の音を聞かなくなる日が訪れる。復活祭(イースター)である。復活祭の前の木曜日の夜から教会の鐘は鳴らなくなる。鳴らしてはいけないとか、準備で忙しいとか、そんな理由ではない。そもそも鐘はそこにないのだ。いや、尖塔を見上げたらちゃんと鐘があったとか、そんなのは形だけだとか、今どき鐘はタイマーで鳴らしてるとか、そんな事は言ってはいけない。鐘はそこにない事になっている。鐘は皆、キリストの死を悼んでローマ方面に旅立ったのだ。鐘を鳴らす人ではない。鐘自体が旅立ってしまうのだ。

どんなふうにローマに飛んで行ったのかはよく分からない。羽が生えて飛んで行ったらしいが見た人はいない。バチカンでは教皇に祝福を受け、復活祭の日曜日に戻ってくる。そうでなければ困るのだ。何故なら、バチカンのお土産はチョコレートなのだから。祝福を受けた教会のそれぞれの鐘は、復活祭の日曜の朝、イタリア土産のチョコレートを持って復活を知らせにそれぞれの町に戻ってくる。戻ってくる途中でチョコレートはバラバラと落ちてしまうのだが、良い子たちは木々の間や茂みの中にそれを見つけ、復活祭の楽しいひと時を過ごすわけだ。無論、良い子でなければ見つからない。アメリカあたりだとチョコレートはイースターバニーが運んでくるらしいが、フランスはバチカンを訪問した教会の鐘たちのお土産というわけだ。そんなわけで、熱心なキリスト教徒にとってはもちろんクリスマスより重要な復活祭だが、子供達にとってもようやく春になって暖かくなったひとときを楽しく過ごす一年で一番重要なイベントでもある。もはやキリスト教を信奉していないなどと言いながらもすっかり生活に宗教が根付いているわけで、人の営みとはそういうものなのかなと思う。

そう言えば、日本にだって似たようなものがある。すっかり名前だけになってしまったが、10月を神無月というのは八百万の神々がみな出雲に行ってしまっているから神様の無い月なわけで、どこか似ているでは無いか。チョコレートこそお土産にもらえないが、ぜんざいは出雲発祥とのこと。神様の帰りを待ってもきっとお土産はないが、そこはそれ、今どきオンラインで買えば良いのだ。いや、10月まで待ってられないなら東京ディズニーリゾートでイースターを楽しめば、と思ったら、今年は40周年でイースターイベントはないそうな。まぁ、なんでもお遊びにしないほうが良いとは思うのだが。

ところで、昨年の復活祭(フランスではパクと言う)でふと疑問が湧いたことがある。いや待てよ、今年の復活祭はまだ金曜の夜だというのに教会の鐘がだいぶうるさいなと。気温が上がったので空気の入れ替えにと窓を開けたら、近所の教会の鐘の音が風に乗ってガンガン響いてくるのだった。そう言えば以前もなってたような。真相はわからないが、結局のところタイマーで自動で動いている教会の鐘は、復活祭の前であってもなり続けていたようだ。

まぁ、そんなものである。

今年の復活祭は、2023年4月9日。今年はフランスにいる予定はない上に、プロジェクトも区切りを迎えてここしばらくはフランス人と話す予定もないから様子もわからない。すっかりコロナの影響も無くなって、きっといつもの復活祭が戻って来たのだろうと想像している。