Bonne journée, Cross Cultural

1kg

 少し前のことになるが、ニュース報道で1kgが変わったと説明するのを見て、相変わらず分かりやすい説明と正しい説明の間には深い谷があるのだと思い知らされた。その内容は明らかに間違っていて、ニュース原稿を書いた人がその本質を理解していないのか、あるいは本質を理解はしていても市井の人々は理解出来ないと割り切って多少の間違いに目をつぶったか、そのどちらかなのだろう。間違ったニュースを見ながら、なんとなく歯痒いような妙な気持ちになったものである。

 今回1kgが変わったのはその定義である。定義を変えただけだから、日常的な生活にはなんら変化はない。と言うか、今更生活に影響のあるような変更は出来ないというものだろう。今までの定義がいくら厳密に管理しても管理しきれない「原器」によるものだったから、極めて厳格に見れば日常生活に影響する部分もあるかもしれないが、実際のところそんな厳密な秤を使うことはない。ところがそのニュースでは、街の秤を使う人に秤の精度のことを聞いて回っているのだった。

計測方法や計測精度の話を定義と取り違えているのは、科学的定義が案外身近なものではないということが背景であろう。1秒とは何か、円とは何か、1kgとは何かなど、普段から考える必要はない。それでなんら支障はないのだ。キティちゃんの体重がりんご3個分だったのをレモン5個と言うようになっただけで、キティちゃんの体重には変化がないのである。

 どうでもいい?ところが技術屋にはどうでもよくないのである。これを間違えるようだと、出来上がったものには必ずトラブルがついて回るのだ。1kgのような普遍的に使われる定義だけを言っているのではない。キティちゃんの体重をリンゴ3個と定義したなら、それは厳密に3個であって、途中でレモンに変えてはならない。どうしても変えたいのなら、リンゴをレモンに変更するための定義をしなければならない。そういうものである。これが出来ない政治家あたりがわかった風に語っていたりすると、技術屋は小さなため息をついて、案外憂鬱になったりするのだ。

※ 予約投稿のためオンラインではありません。

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

トマレ

201604-111

あるインタビュー記事で「多くの人がiPhoneによって社会が変わったと勘違いしているが、変えたのはAppStoreであって、ソフトウェアである。」といった類いのことが語られているのを目にして、またかと思った。最近は大学にも席を置く知られた人物である。間違っているわけではない。マーケティングの教科書の最初の方に書かれている一般的な分析である。ただ、市場競合を分析するだけでも必ず出てくるコンテクストであったとしても専門外の人には分かりにくい話だから、一般人に向けて分かりやすく基礎の基礎を言うのはある意味当然だ。またかと思ったのはそこではない。日本語として理解していないのではないかと感じたのだ。

iPhoneが社会を変えたと言う時、多くの場合はiPhoneというハードウェアそのものを指してはいない。そこには暗黙の了解のようなものがあって、iPhoneがもたらした全てを指してiPhoneと代表させている。だから、逆に言えば、AppStoreがあってもiPhoneというハードウェア以外で社会を変える事が出来たかどうかは言葉の外にある。概念的だから言葉を重ねる必要があり、便利な表現が見つかれば誰もがすがろうとする。エコシステムなどはその典型かもしれない。
このところ、言葉が安易に直接的な意味に収斂しているような気がしてならない。ワンフレーズが心をつかみ、重層化した表現は置き去りにされ、やがて忘れ去られて行く。どこにいてもつながる世界だからこそ、そろそろ立ち止まってみてもよい時期なのかも知れない。
「トマレ」

 

 

Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Half-Light

201603-401

The sun descending in the west,
The evening star does shine;
The birds are silent in their nest,
And I must seek for mine.

“Night”
by William Blake

陽は西に沈み
宵の明星きらめく
鳥達は巣にひっそりと過ごし
我もねぐらを探さねば

「夜」(無垢の歌
ウイリアム・ブレイク

In response to the weekly photo challengeHalf-Light by The Daily Post.