
このblogでは、ずっとタイトルと共に ‘capturing in prose’ と書いてきた。おやおやそんなことには気づかなかったぞという向きには、たまにはBlogリーダーではなく l’atelier tanu | tagnoue のトップページにアクセスしていただいて、そのタイトルの下の部分を見ていただきたい。Webブラウザで直接見ているならこのポストのヘッダでも良い。
正直に告白するならば、この少々斜に構えた ‘capturing in prose’ というコピーには特段の意味はない。in prose は、そのまま文字面だけを見れば「散文で」という意味であり、時に「面白みのない平たい言葉で」という意味でもある。それは、韻文に対する散文であって、抑揚に欠ける装飾もないようなつまらない文章というニュアンスがどこか見え隠れする。つまりは、 ‘capturing in prose’ は、単に説明的に捉えるという意味合いに読めなくもない。
そんな言葉を堂々と書いているのは、決して謙遜とかではない。謙遜で私のblogには韻文のような美しさはないなんて言おうものならかえって鼻につくようで落ち着かない。
事実だから書いているというつもりもない。プロの売れっ子の作家のようには到底行かないが、ここにアウトプットしている物には、ある程度の自信は持っている。たとえ独りよがりな自信であっても、面白みもないものだとは思ってはいない。少々読者層が狭いとか、ここがダメなんだよなとか、そんなところはあっても、無味乾燥なblogであるつもりはない。
ここで言う ‘capturing in prose’ は、韻文のようなある種型にハマった詩的な表現ではなく、散文のように必要であれば言葉を重ねて、新たな見方で物事を捉えたいという意志みたいなものだ。だからずっとそう書いてある。
「いや、そんなふうには見えないぞ」
まあ、そう言わず。温かい目で見るのも時には必要ですよ。




