Bonne journée

Yokohama Andante

2017年にYokohama Andanteというページを公開しました。もう、8年になります。久しぶりに眺めてみたら、どこか自分の作品の原点的な部分が感じられて、つい紹介したくなりました。リンクを残しますので、もしよろしければご覧ください。

In 2017, I posted a page called Yokohama Andante. It’s been eight years already. Looking back at it for the first time in a while, I felt that it was somewhere at the origin of my work, and I just wanted to introduce it. I will leave a link here, so please have a look if you’d like.

Cross Cultural, Photo

Floral Friday #227


 この写真はもちろん撮りたての現在の風景ではない。何年も前に撮影したのだが、撮影した季節・時期という点ではひと月ほど前の6月上旬で、春らしさが溢れる光に感じられる穏やかな朝に、名もない公園を歩いていて撮ったものだ。

 それにしても、この感じは6月上旬というより5月じゃないのか?と感じられたとしたら、案外それは正しい。フランス北西部だったので、日本よりも少し季節が遅い。5月から6月にかけて、フランス北西部の季節は、日本に一気に追い抜かれる。ゆっくりしか気温が上がらないのだ。そもそもバラだって、紫陽花だって、長い間咲いている花なのであって、日本のように二週間で終わったりしない。春が長いのだ。その代わり夏は短く、7月に入ってようやく夏になったなと思ったら、8月半ばにはもう秋だ。

 美しく花が咲き乱れる春が長いのが良いか、夏はやっぱりしっかり夏であってほしいと思うか、季節感は人それぞれで良い。でも、今年の夏は早すぎる?このままだと、6月〜10月が夏ってことになってしまう。

Photo

Mostly Monochrome Monday #407


Is what has been lost the echoes of laughter of yesterday, or the colors that are everywhere? Perhaps it is neither, but the time that cannot be turned back.

失くしたものが笑い声が響く昨日なのか、どこにでもある色なのか。おそらくはそのどちらでもなく、後戻りできない時間なのだろう。

A Part of Mostly Monochrome Monday

Bonne journée

習作 (study)


 夏風の青く輝く葉と葉の隙間から黄金色の陽光が漏れ出すコンペイトウのような夏至の日も、ねっとりとしたエメラルド色の空気が首筋に汗の跡を赤く残す甘酸っぱい梅雨も、やがてやってくる明日の楽しみと、やがてやってくる昨日の痛みと、通り過ぎて行ったばかりの今日の疲労とが、説明のできない明日への不安のように曖昧に混じり合っていた。
 何かが違っているのに、それが何か分からないもどかしさ。そして静寂。背負ったナイロンのバックパックのポケットを開き、人差し指と中指を差し入れて、パスポートがそこにあることを確かめた。

 時々、いつも不平ばかりを言っているような気がして、なんだか嫌な気分になることがある。それは、一時的なもので、本当に不平ばかりを言っているわけでもない。あの街の夏風は気持ちが良かったのに、ここはいつもジメジメしてばかりいるなんて言ってみたり、あの街の冬は長くて辛かったから、ここの夏が暑く感じられるんだなんて言ってみたり、八つ当たりもほどほどにしなければならない。
 そんな身勝手で曖昧な感覚を文字に起こしてみたらと思って書いてみた習作である。表現って難しいなとつくづく思う。この感覚を共有しようと思ったら、同じ追体験をしてもらわなければならない。それがこの文字だけでできるわけでもない。実感として、感じてもらうだけの文章力がなければならない。その点、自由度がある映像はいいななんて思うこともある。でも、映像表現をする側から言えば、表現したものしか伝わらないから、映像を見た人が同じ感覚になるとは限らないとか。やっぱり難しい。
 やれやれ、これも身勝手な八つ当たりか?