Bonne journée, Cross Cultural

Hip to be square

その昔、いや「その昔」なんて言い方をしたら怒り出す人もいそうだから「以前」くらいの表現の方が良いのかもしれないが、少なくとも誰もが四半世紀も続く低迷を憂う前の時代に”Hip to be square”というヒューイ・ルイス&ザ・ニュース(Huey Lewis and the News)軽快なヒット曲があった。調べてみたら1986年のことである。この手の俗語の理解は、英語圏に住むどころか普段の会話にも苦労する自分には決して容易ではないのだが、きっと訳すなら「クソ真面目なのがイケてんだ」と言った感じなのだろうと想像している。

歌詞を探してみたら、「昔は無法者でふらついてたが、今ではマジメになって、そういや髪も短くした。イカれてるって思うかもしれないが、クソ真面目なのがイケてんだ。」みたいな内容で、いつになっても変わらない大人になっていく哀歌であった。この無法者と訳した部分はrenegadeとなっている。だから無法者とは意味合いが少し違う。本来の語義的には背教者であって、コミュニティが持つ教えに反する行為をする裏切り者というニュアンスが背景にある。従順に生活する毎日にわずかな反発を感じのが日常というものであって、それを表に出すのが若いということの記号だったりするわけだ。F.サガンが言う。「人間にはひとつくらい背徳が必要なのよ」と。その背徳感を何処かに仕舞い込むには言い訳も必要で、「クソ真面目なのがイケてんだ」と言うことなのかもしれない。

青い卵が茂みの中に

イースターの季節、もはや宗教が生活とは切り離されているフランスであっても、多少は宗教臭さが表に出てくる。もちろんよほど信心深くなければ日曜礼拝にも行かないし、日常で信心を話題にすることもない。子供たちにとってはチョコレートを遠慮なく食べられる季節だし、イースターエッグ探しは間違いなくとっておきのお楽しみだ。イースターだからといって特段信心深くなるわけでもない。それでも普段から夜遅くまで大騒ぎしている若者もイースターの休みで何処かに行くのか、外は案外静かである。教会の鐘の音もない夜は、いつもより静まり返っている。それが宗教とは全く無関係であると分かってはいても、ウサギの飾りが置いてあるだけでなんとなく宗教を感じるわけである。

ところが今年は少し違う。フランスは5年に1度の大統領選挙の真っ只中で、決選投票が現マクロン対右翼ルペンと前回の再戦となって、妙な雰囲気となってきた。若い人たちにとってみれば金持ちと排他的右翼の二択に見えてしまうわけで、「クソ真面目なのがイケてんだ」と割り切るのは容易ではない。土曜の午後3時にもなれば、街の中心街は大声を張り上げながらデモをする人たちで騒がしい。どちらの候補も嫌だというわけだ。それでもマクロンが大政党と互角に渡り合って難しい局面を乗り切ってきたことも否定できず、大人の選択を受け入れるのか、何かを変えそうな右翼にかけるのかというところに落ち着くのだろう。日本語だと「角が取れて丸くなる」と言うところだが、変化のないきっちりした四角形(Square)のつまらなさとはある意味裏腹なのである。

さて、もう今更敢えて書く必要もないが、ラジオで流れる懐メロ特集あたりで”Hip to be square”を聞いて、学生時代の知人のように「四角いケツになっておけ」などと訳さないように。きっと失笑さえしてもらえない。とはいえ、さして意味は違わないが。

蛇足。
日本ではHuey Lewis and the Newsをヒューイ・ルイス&ザ・ニュースと表記するらしい。おそらく契約会社の意向なのだろう。ずっとニューズと濁ると思っていたので、なんだか違う人みたいである。もし、ヒューイ・ルイスをよく知らないということなら、映画バック・トゥ・ザ・フューチャーで流れるパワー・オブ・ラブの人なので、すぐに思い浮かぶだろう。キャッチーなメロディと平易な歌詞で、80年代の明るいアメリカを代表するようなイメージなのだが、実際のところはよく分からない。

面白いのは、誰でも知っている映画ゴーストバスターズの主題歌が、このヒューイ・ルイスのI want a new drugのパクリだったというややこしい話で、同時期の2つのヒット映画のヒット曲が実はヒューイ・ルイスに関係していたことになる。今となっては、レイ・パーカーJrが付け足したキャッチーなメロディが頭から抜けず、盗作なんてことはすっかり忘れてしまうが、和解しているとはいえ、あまり気持ちの良いものではない。もちろん、フランスのDACIA(現在はルノーの子会社)のDusterという車のTVコマーシャルでゴーストバスターズの曲を使っているのを聞くと少し心が踊るくらいで、レイ・パーカーJrもかなりなものである。もし、彼がもうちょっと真面目にやってたら、きっとDACIAがCMに使うような曲にはなっていなかったに違いない。

Bonne journée, Cross Cultural

Narcisses

スイセンが咲き始めると、春の花壇が最初のピークを迎える季節となる。案外スイセンの時期は短いのだが、それでも日向から咲き始めて日陰の花壇に移っていくので、3週程度はどこかしら咲いている。時々誰が植えたのだろうと思うような場所に一輪だけ咲いていたりして、きっと以前に植えたものがずっと残ったに違いないと思うのだが、それだけ身近な花なのだなと実感する。フランス北西部は3月までは雨も多いので、雨に濡れたスイセンを見ながら春を知るわけである。

スイセンは、英語でもフランス語でもほぼ同じNarcissus/Narcissesであって、ナルシズムの語源であるナルキッソスの意味だ。ずっとスイセンが先なのだと勘違いしていたのだが、ギリシャ神話のナルキッソスが命を落とした場所に咲いたのがスイセンなのだと今頃知って驚いた。自分の無知をここで書く必要もないのだけれど、まだまだ文化の背景知識が不足しているなとこれまた実感するのである。

で、ついでに書けば、スイセンはヒガンバナ科だそうで、これまた知らなかった。言われてみれば似ていなくもないが、ということは玉ねぎも遠い親戚ということになる。そうやってくだらない知識を増やしながら週末を過ごしている。

フランス語を読めなくても英語とほぼ同じ
Bonne journée, Cross Cultural

colours

一連の不幸な出来事が始まって以来、至る所に青と黄色の組み合わせを見るようになった。昨日まで他人事のように気にもとめなかった場所が、やがて世界で最も注目される場所に変わりゆく様子を目の当たりにして、世界がつながっていることを実感する。フランスのワクチンパスにもその旗が現れ、無縁だった街のマークもここ暫くは青と黄色の組み合わせに塗り替えられた。COVID -19の制限の中、アフリカに実家のある知人がどうやって帰ろうかと思案する姿を見ながら他人事ではないと思っていた数ヶ月前の日々が、頭の片隅から消えぬまま今日に移り変わっていく。

Since the beginning of unfortunate days, we have seen combinations of blue and yellow everywhere. I realise that the world is connected each other by witnessing how a place that I didn’t care until yesterday will soon change to a most known place in the world. French vaccination pass showed the flag with those two colours on it and a mark of my town is now coloured with those. A few months ago, I was concerning myself in a foreign place by listening to a sigh of my colleague originally from Africa about COVID-19 and it turns to be new before forgetting a nightmare.

Bonne journée, Cross Cultural

door

 時々、ドアの向こう側にある世界がこちら側とまるで違ったもののような気がして戸惑うことがある。大きな壁に穿たれた分厚い木材と赤錆びた鉄の枠で誰もを拒む冷たいドアのことではなく、ガラス越しにその向こうが見える薄っぺらな区切り記号でしかないありふれたドアが隔てる世界の話である。ドアノブに手をかけてみればもしかするとスーっと開くはずのそのドアが、ドアに手をかけることすら憚られるほどに二つの世界を分け隔てている。
 だからガラスに反射するその大して意味のない空間を写真に収めたくなるのだ。向こう側にあるものとこちら側にあるものは、同じように息をして、同じように笑い、同じように苦しんでいるに違いない。向こう側に見える冬の空気に燻んだ建物も、何も主張することなくじっとしている樹木も、そこを通り過ぎゆく人々も、名もなくそこにあって、なんらここと向こうに違いなどないものなのだ。
 ただドアを開けてみれば良い。違うと見えたものに差して違いはないはずだ。そう言い聞かせながら日々を過ごす。

フランスの知人のひとりが先日車を買い替えました。燃費の良いコンパクトな日本車で、最近はようやく安いから選ばれる車から良いから選ばれる車になってきたようです。もちろん、買えるならドイツ車だけれどコンパクトなフランス車が良いと考える人も多いので、まだまだ日本車は3年保証だからといった理由がついて回っているのは確かです。とは言え、この知人の買った車は評判も良く、これが欲しいと言って買われる車になったことは間違いありません。

でも、日本で売っているものとどこか違うような気がしてよく眺めさせてもらうと、外見もかなり違っていることがわかります。明らかにヨーロッパ仕様の方が伸びやかなデザインで、車重も概ね同じであろうにホイールすらも違っています。内装を見ても電動パーキングブレーキがヨーロッパ仕様にはついています。同じ車なのに、市場が違うだけでどうしてここまで変えるのかわかりませんが、おそらく日本向けは徹底的なコストダウンをしているのでしょう。同じ名前でも似て非なるものなんだろうなと感じます。

コロナの簡易検査キット(抗原定性検査)がスーパーで買えるようになって、たとえば高齢者と会う前に気になったら検査してみるのが当たり前となった今、とうとう検査キットの価格は1.2ユーロ以下(150円程度)まで下がってきました。日本では2000円以上と言われていますので安いものを探してみましたが、実はほぼ同じものでした。FFP2やN95のマスクもフランスでは1枚当たり20円程度で、日本とは10倍ほどの価格の差異があります。きっと医療関係の認証や物流などの背景があるのでしょう。

今や薄いドア1枚隔てただけの近い世界が、実は全然違うような気がしてくるのは、そんな似ているようでどこかが違う二つの世界が、ガラス越しにすぐそこにある身近な世界になったからなのかもしれません。

Bonne journée, Cross Cultural

Pausing

I’m not on vacation but a bit pausing.
The picture was taken several years ago at Ljubljana, Slovenia, not now. The weather was good, people were friendly and it allowed me to meet my old friend there. I talked a lot, indeed. After passing a bit uncertain years, I found myself not thinking of people. It might be a good to pause a bit.
I don’t intend to stop writing a blog. All I need to do is just to think this is not my obligation but my daily pleasure.

もちろんバカンス中ではありません。だいぶ前にスロベニアの首都のリュブリャナで撮った写真です。あの頃は人に会うことにも面白さを感じていたのに、すっかりそんな感覚を忘れているような気がします。ブログを止めるわけではありませんが、ひと呼吸必要なのかなと思わないでもありません。